♯116 炎蛇
不思議な光景だった。
何も無い所に、炎が立っている。
目を凝らしてよく観察しても、何かが燃えている様子もない。なのに、ゆらめくオレンジ色の中からパチパチと火の粉をはぜさせながら、炎が一筋、そこに存在している。
煙のようなものは出てないけれど、向かい合う面にヒリヒリと熱を感じている。不思議ではあるけど、目の前にあるのは確かに炎なのだ。
「……何ですか、これ」
「分からん。分からんが、友好的ではないな」
私を背に庇うようにして、魔王様がその炎の蛇に警戒を強めていく。
「……ぐるるっ」
スヴァジルファリ改めバサシバジルも、魔王様の横に並んだまま警戒の色を強く見せて、その炎の蛇を睨み付けていた。
炎の蛇。……としか言い様がない。
特に目や口がある訳でも、顔がついてる訳でもない。なのにその一筋の縄のような炎は、鎌首をもたげるかのようにして身を縮め込ませて、こちらを威嚇しているようでもある。
まるで、生き物のように。
ぐぐっと力を込めるのが見て分かった。
「来るぞっ!?」
「わわっわっ!?」
いきなり一直線に飛びかかってきた。
思ったよりも、早い。
一本の矢のようにまっすぐになって飛んでくる炎の蛇から身をかわし、慌てて大きく距離を取る。
「……飛びました。あれ」
「……飛んだな」
「ぶるっひひん」
誰にかする事も出来なかった炎の矢は、奥にある白い肌の細木にぶつかっね跳ね返り、また、足元近くにまで戻ってきた。
細木のぶつかった箇所が真っ黒に焦げ、プスプスと細い煙をあげているのが見える。
周りに生え繁る木々が不安になってくる。
「これ、避け続けてもヤバいんじゃないでしょうか」
「……生木はそう簡単には燃えん。……が、不安にはなるな」
炎の蛇がオタオタとおたつく周辺は、特に焦げ跡があるようには見えない。もしかすると、さっきみたいに攻撃の意思があったりすると、そこが焦げたりするのかもしれない。
……ってか、攻撃の意思って何。
炎の意思? 生き物じゃあるまいし。
再び鎌首をもたげる炎の蛇と対峙する。
ゆらゆらと炎がゆらめき、パチパチと火の粉を撒き散らしながらも、こちらを威嚇しているようにも見える。
……生き物じゃ、ないよね?
なんだかまるで、本当に生きてるみたいだけど。
「何ですか、あれ。ああいう魔物も、いたりするんでしょうか」
「常識外な魔物もいるにはいるらしいが、こんなのは見た事も無いな。魔物というよりは、何かの魔法で具現化されたもののようではあるが……、正直、知らん」
「魔王様って、魔物は統べてないんですか?」
「魔族を統べる王だ。魔物を統べた覚えはない」
魔物の王様では無いのか……。
薄々とそうじゃないかとは思ってたけど。
魔物を統べる云々は、人族からの偏見なのね。
「ぶるっひひんっ」
「また来るぞっ!」
バサシバジルと魔王様の両方から注意を促される。
そう周りを固められると、少し動きづらかったりもするんだけど、守ろうとしてくれている気持ちが嬉しい。
炎の蛇はぐっと縮こまって力を溜めると、再び炎の矢になって飛びかかってきた。
これは確実に、私達を狙いに来ている。
一瞬早く、魔王様が踏み込む。
「……ふんっ!」
腰に帯びた長剣を抜き払い様に交錯し、一閃のもとに斬り払う。
「何のつもりか知らんが、攻撃の意思を見せるのならば斬り払うのみだ」
残心を保ったまま、魔王様が囁いた。
斬り払われた炎の矢は、中空で見事に四散する。
……いや、四散させるのはいいんだけど。
ちょっ、ちょっと待てーっ!?
「……あっ」
魔王様が間抜けな声を漏らす。
ほぉーっ、わちゃあーっ!
「ほぶしっ、とぅわーっ!」
勢いそのままに四散して襲いかかってくる炎の欠片を、絶妙なタイミングと、人には決して見せられないポーズで全て避けきった。
あ、あっぶねぇ……。
危うく乙女の柔肌が焦げ付く所だった。
冷や汗ダラダラの様子に、魔王様が申し訳なさそうに振り返る。
「……すま、……おぃっ!?」
すまおい。
……嫌な予感がする。
チラリと魔王様の視線の先を目で追うと、地面に落ちた炎の欠片から、再びにょきっと炎の蛇が鎌首をもたげた。
いや、ね。
何かそんな予感はしてたんだ。
ほら、こういう得体の知れない生き物って、時として想定外の反応したりもするじゃん?
叩いたら大きくなったり、切ったら増えたり。
案の定、炎の蛇の数が増えてやがる。
その数、……10匹。
「……ちょっ、何て事してくれるんですかーっ!」
「いや、だがっ、ええっ!? 何で増えてんだ!?」
「こういう時のセオリーじゃないですか! お願いですからもっと慎重に行動して下さいっ!」
いきなり
いきなり10匹に増えた炎の蛇は、揃ったようにぐぐっと身を縮こませ、一斉に飛びかかってこようとしている。
「ちがっ、こういうのって、増えたとしても切ったら二つにとかだろ! 普通はっ! 何で一回でこんなに増えてだコイツら!?」
「知りません! 直接聞いてみたらいいんじゃないでしょーかっ!?」
「ぶるるるっるんっ!」
「馬っ! お前まで俺を責めるんじゃないっ!」
10本の炎の矢が一斉に飛びかかってきた。
「こなくそぉーっ!」
一本ならまだしも、突然増えた数に大慌てで身を依ってどうにかギリギリ全てを避けきる。
魔王様はさらに一歩踏み出して迎撃に出てきた。
ちょっ、待てこらっ!
何でそこで長剣を振りかぶるかなっ!?
「無闇に斬ったら駄目ですよっ!?」
「……あっ」
あっ、じゃねぇーっ!
見事な剣捌きで、飛来する炎の矢を
同時に飛来する10本の炎の矢を、瞬きの間に全て斬り払うその剣捌きは確かに見事だった。それが尋常じゃない剣捌きだってのは、確かに分かるんだけど……。
「全部斬り払ってどーするんですかっ!?」
「すまん、……つい」
ついじゃないっ!
何もこんな時に超絶技巧を見せてくれなくてもっ。
ボタボタボタっと地面に落ち、再びにょきにょきにょきっと数を増やして生え並ぶ炎の蛇達。
たった二回のやり取りで、どうにも恐ろしいまでの数にまで増えてしまっている。
ざっと見ても10や20では収まりきらない。
……何匹になったんだ!? これ。
「あっ、ヤバっ……」
ふと声が漏れてしまった。
うじゃうじゃの集団になった炎の蛇が、合せ鏡にでも写したかのように一斉にぐぐぐっと身を縮こませた。
この数で、飛びかかってくるのっ!?
うじゃうじゃ集団が一斉に飛びかかってくる。
さすがにこれは避けきれそうにないと覚悟を決めて身構えた時、バサシバジルが足を踏み鳴らし、一際高い声で嘶いた。
「ぶるっひひっひーんっ!」
自身とすぐ側にいた私を中心にして、内側から外へと円を画くように、足元から突風が巻き起こる。
ぐるっとまるで小さな竜巻のような風の壁が、襲いかかってきていた炎の矢を全て弾き飛ばす。
……魔王様ごと。
「てめぇっ、こら馬ーっ! わざとか!?」
「ぶひっひーんっ!」
バサシバジルの巻き起こした風は冷気をともなっていたのか、突風に曝された周りの木々の表面に霜が立っている。
魔王様にいたっては、吹雪かれたかのように全身がカチコチに凍りついていた。
何これすごい。
こんな事が出来るんだ、この子。
パキンッと音を立てながら、凍りついた炎の蛇達は地面の上に放り投げられ、増える事も無く粉々に砕けていく。
凍りつかせてしまえば良かったのか。
砕け散った氷の欠片がキラキラと輝く。
凍りつかせる事自体、出来ないけどね。普通は。
得意気に鼻を鳴らすその頭を、よしよしと撫でておく。
足が六本あるだけのただの馬だと思ってたけど、さすがに幻獣と呼ばれるだけの事はある。
足が六本ある時点でただの馬でもないけど。
「……これで勝った気になるなよ?」
「ぶるっひひーんっ」
パキパキと、手足に凍りついた霜を払い落としながら、魔王様がバサシバジルをジロリとねめつける。
一匹だった炎蛇の数を無駄に増やした魔王様と、それらを一撃で氷付けにして砕いたバサシバジル。
バサシバジルは当然、勝ち誇ったかのように鼻先を掲げている。
もしかして、仲悪いんだろうか。この二人。
……二人というか、一人と一頭だけどさ。
「魔王様、それよりも早く皆の所へ戻らないと。無駄に数を増やしてる場合じゃありません。今のが一匹だけとも限りませんので」
「お前も結構抉るな……。とりあえず、すぐに戻るぞ」
野営地とはそんなに離れている訳ではない。
そんなに離れていないのに、今のゴタゴタの最中にリーンシェイド達がこちらの様子を見に来なかった事が気にかかる。
急いで戻ると案の定、野営地にも戦闘の跡が見えた。
「お前達っ! 大丈夫かっ!?」
「……陛下っ」
地面の上には、キラキラと輝く氷の欠片が粉々になって散っていた。
やっぱり、ここにも……。
リーンシェイドにベルアドネ、カーライルさんに、いつの間にか戻ってきていたセルアザムさんも、皆無事なようでホッとする。
「突然、無数の炎の蛇のようなものに囲まれてしまって。とりあえず撃退はしたのですが、まさかそちらへも?」
……
「あ、ああ。こっちでも
さらりと嘘を吐きやがる。
……こらこら。
最初は数いなかったろーが。
「何だか分からんが、ヤツラは斬ると増える。物理的にどうにか出来るもんでもないらしいな」
「……何だか嫌な予感がしましたので、ベルアドネ様にすべて凍らせていただきました。手を出さなくて正解だったようですね。……あれは一体、何だったんでしょうか?」
「分からん。……分からんが」
言いながら、辺りを注意深く探る他のメンバーに視線をうつす。
魔王様の視線を受けてセルアザムさんが頷いた。
「別の方向から、血の臭いがいたします」
「誰かは知らんが、今のに襲われたか」
森の静けさの中に緊張が走る。
血の、……臭い?
「陛下の言われる通りに増殖するのであれば、あちらでの戦闘によって増えた残りが、こちらにまで迷い出てきた可能性もございます」
「下手に放っておくと森にいられなくなるかもしれん。場所は分かるか?」
「……先導いたします。リーンシェイド」
「はいっ」
セルアザムさんがリーンシェイドを引き連れて、森の奥へと入っていき、魔王様もそれに続く。
あの三人の速さについていけない残りの三人は、ここでお留守番って事なんだろうか。
「……じゃあ、俺達はここでお帰りを……」
「バサシバジルっ!」
「ぶるっひひーんっ!」
置いてきぼりも待ち惚けも好きじゃない。
私じゃ三人に着いて行けないけど、着いていく方法が無い訳でもない。
私の呼び声に、バサシバジルが力強く嘶いた。
「お願い、魔王様達を追いかけてっ!」
「ふっふーっ、ぶるるるんっ!」
「わんしゃもついでにっ」
ふわりとベルアドネが背中に飛び乗る。
意外に身が軽い事にびっくりするけど、バサシバジルが嫌がらないなら下ろす理由もない。
「ちょっ、待ってっ!?」
「ばふふーんっ!」
鼻息荒くバサシバジルが駆け出した。
さらに背中に飛び乗ろうとしたカーライルさんが滑り落ち、尻尾の根元にガシッとしがみつく。
「……嘘、マジですかっ!?」
先行する三人を追いかけて、バサシバジルが蹄を飛ばす。
神速の名を冠するスレイプニルの原種。スヴァジルファリの名に恥じぬ速度で、六本足の幻獣が森の木々の間を駆け抜ける。
「嫌ぁぁぁあああああーっ!?」
森の静寂の中に、カーライルさんの悲鳴が木霊した。
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