#108 宝物の対価(魔王の憂鬱10)
朝から大鐘楼の鐘の音が鳴り響いていた。
大勢の人々に見守られる中、大通りを葬儀の列が粛々と進む。
犠牲者の遺骨とそれを抱える遺族達を先頭に、法主をはじめとした国の主だった面々や、神官、騎士達が後に続く。
合同葬儀は聖都をあげて行われた。
グラスを傾けて、琥珀色の中身を口に含む。
誰もいない冒険者ギルドのカウンターは、故人を偲ぶには丁度具合が良いのかもしれない。
犠牲者の数は16人だったと聞いた。
そのほとんどは体力に劣る老齢者だったと。
二万人の中の16人。
なにもわざわざ、そんな中に入らなくても。
「……まさか、お前が、……な」
愛想のいいヤツだった。
可愛げのあるヤツだった。
どこか、見込みのあるヤツだったのに。
らしくも無く、気が落ち込む。
最後に一言ぐらい、別れを告げておきたかった。
ただ何となく、そう思わせるヤツだったのに。
別れの挨拶も無いままになるとは……。
バタンッと入口の扉が開く。
気にする事も無くグラスを傾けると、むさ苦しいおっさんが無遠慮に入ってきて、すぐ隣に座った。
「さっさと行っちまったかとも思ったが」
「せめて弔いが済むまではな。それ位は、してやっても良いとも思った。……それだけだ」
「魔王がたった一人の人間のガキの為にか。……ったく。お前といると今までの常識が揺らいでしょうがない」
「アイツの事は割と……、気に入ってた」
「……ありがとよ。俺も同じのを貰おうか」
勇者はどこか気落ちした様子で、俺と同じものをカウンターのおっさんに注文した。
特に勇者に礼を言われる筋合いでも無いが、あえてそれを否定する程の事でもない。……そうも思えたので、黙っておく。
「朝から酒なんざ普段は飲まねぇが、……まぁ、今日くらいは構わんだろ」
「……勇者」
出されたグラスをぐっと掴み、一気に飲み干す。
アイツは勇者にもなついてる様子だった。
コイツもコイツで、相当気落ちしてるのだろう。
……。
……だがな。
「これ、酒じゃねぇぞ」
「ごふっ!? っぇほ、げほっぇえっほ!」
「薄めた酢だ。俺は酒は飲まん」
「……先に言えよ、そーいうのは」
勝手に注文して勝手に飲んだんだろが。
俺の所為にするんじゃない。
「……渋いもん飲んでんな、お前」
「渋い言うな。それより何だ。仲良く感傷に浸る間柄でもないだろ。早く用件を言え」
とりあえず話を先へと促す。
ひとしきりむせた後、勇者は改めて座り直した。
お前も酒ばかりじゃなくてたまには酢を飲め?
健康に気を使うのも強者の義務だぞ。
「捕らえた『
「あの狂信者どもがよく口を割ったな」
「……それなんだが、どうも様子がおかしくてな。何だか憑き物が落ちたかのように、素直に教えてくれたよ。まるで洗脳されてたのが解けたみたいな感じだった」
礼拝堂の前で蹲っていた三人の『
抵抗する事なく大人しく従ったからという事もあるが、何より、あんな風に死を憂うレフィアの目の前で、アイツらを殺す事が出来なかった。
あの場を血で汚す事が、出来なかった。
「価値観を根底から揺るがすものを、……目の当たりにしたからだろうな」
あの時のレフィアの姿には、圧倒された。
魂を鷲掴みにされる程に、美しいと思った。
女神なんざ見た事もないが、他に表現のしようもない位に、まるで女神そのもののように思えた。
……俺ですらそうなのだ。
女神に全てを捧げ、女神の為だけに生きていたアイツらにとって、レフィアの姿はどんな風に見えたのだろうか。
「まさかあの狂信者どもから情報が手に入るとは思わなかったが、重要な事がいくつか分かった」
勇者は表情を険しくさせて続ける。
「……七夜熱を聖都に持ち込んだのはアイツらだ」
低く押さえた言葉に、やりきれない怒りが籠る。
酷く突発的に発生したとも思ったが、本当に人為的なものだったか。
……外道が。
「過去に七夜熱で死んだ感染者の臓物を、凍らせて保存したあったらしい。それを旧市街の共同井戸に投げ込んだのだそうだ」
人の醜悪さにおぞましさを覚える。
同族同士であっても、そこまでするのか。
「七夜熱で聖都を壊滅させ、一人生き残ったレフィアさんの身柄を拘束する計画だったらしい」
「……どういう事だ、それは?」
聖都を壊滅させる事とレフィア拐う事が繋がらない。
疫病が感染拡大すれば、自分達もろとも、レフィアの命だって危険に晒す事になる。
その状態で、どうやって……。
「レフィアさんは七夜熱には感染しない。……その様子だと、知らなかったみたいだな」
「感染しない? ……何故そんな事が言える。アイツはただの人間だ。感染して無事かどうかなど、誰にも分からないハズだろ」
確かにレフィアは昔から身体が丈夫で、風邪一つひいた事がない。健康と元気が服を着て歩いてるようなヤツだ。
……だからと言って、疫病に感染しないと断言できる訳ではないだろうに。
勇者は真剣な眼差しで俺に振り返った。
「女神の加護だ。レフィアさんには女神の加護がついている」
「……何の話だ?」
「女神の加護を持つ者は、一切の病気にかからず、瘴気に冒される事もない。毒や薬の類いも効果が無い。……本当に知らなかったんだな」
一呼吸おいて、勇者ははっきりと言った。
「レフィアさんは、福音の聖女だ」
「……まさか、だろ。アイツが聖女な訳……」
冗談にも程がある。
俺はアイツの事をよく知っている。
どこで生まれて、どうやって育って来たのか。
俺はずっと、すぐ側で見ていた。
アイツが聖女だと?
……そんなハズがない。
アイツが聖女な訳が無い。
勇者の下らない戯言に否定を返そうとして、その、今にも殺されそうな表情に言葉を途切らせた。
何て顔をしやがるんだ、コイツは。
全くもって意味が分からん。
「……どういう事だ。聖女はマリエルなんだろ? 何故一つの時代に二人も聖女が存在する?」
「福音の示す先にいたのは、本当はレフィアさんだった。俺達は今まで誰も、それに気づかずにいた」
「……だから何だ。それがどうした。お前達がもし何かをする気ならっ……」
グラスから手を離してカウンターから距離を取る。
いつでも武器を抜ける体勢を取る。
……けれど勇者はそのまま視線を切って、カウンターのグラスを手に取った。
「……だが、俺達の聖女はこれからもマリエルだ。レフィアさんはこのまま、何事もなくお前の所へ戻る」
低く押さえた声ではっきりと言うと、勇者はグラスをぐいっと飲み干した。
「……勇者、それ酢」
「ぶぼっふっ!? ぇっほっげほっ」
むせる勇者に警戒を解く。
身体の緊張をほどき、座り直した。
「ぐっ、……よく澄ました顔して飲めるな、お前」
「……それが、お前達の答えか」
勇者に飲まれてしまったグラスのお代りを頼む。
レフィアが、……聖女だった。
到底信じられる事では無いが、この俺に向かってそんな嘘をついた所で、何かコイツにメリットがある訳でもない。
レフィアが聖女であっても、今のまま何もしないと言うのであれば尚更だ。
……ならば、本当に、……そうなのか。
……。
……。
否定しきれない事は分かっている。
あの時のレフィアの姿を見ていなければ、それでもまだ、否定しきれたのかもしれんが……。
レフィアが聖女だったと聞いて、納得する自分がいる事もまた確かだった。
あの時のレフィアは、確かに……。
「そういう事だ。……だが、それで納得しないヤツラもいる。ヤツラはどこで知ったか知らんが、レフィアさんに福音がある事を嗅ぎ付けた」
「『
勇者はゆっくりと肯定の頷きを返す。
「『
「……おいっ、いくらなんでも、それはっ」
「さっき言った計画は、聞き出した情報に裏付けを合わせて、俺達で出した結論だ。アイツらはただ単に、『レフィアを女神に捧げよ』としか聞かされていなかったらしい」
「……裏にいるのはどこの下衆野郎だ」
「『
「胸糞の悪い話だな、反吐が出る」
「……すまんな、こっち側のゴタゴタだ。迷惑をかける」
「お前達が悪い訳じゃないだろ。……それくらいの分別は俺にだってある」
人族の中にも良いヤツがいて、そうでないヤツもいる。
……当然の事だ。
「……女神教がレフィアさんを狙ってる。ヤツラは福音のありかを何かで知ったんだ。……これで諦めるとも思えん。……どうか、気をつけて欲しい」
「余計な心配だな。レフィアを狙うヤツを、俺が許すと思うか? ……それに、お前の言う通りなら、ヤツラは間接的にせよ、俺のお気に入りを奪った事になる」
知らず、言葉に感情がこもる。
特に何をする気もなかった。
いつかふと思い出し、元気でいるかどうか、ただそんな風に思えればそれでよかった。
あの印象的な笑顔をたまに思い出し、成長した姿を何となく楽しみに出来れば、それでよかったのに。
……トルテ。
「許さんよ。……絶対に」
俺は俺から何かを奪うヤツを、絶対に許しはしない。
……絶対にだ。
グラスを空け、カウンターを立つ。
……聖都にも少し長居をし過ぎた。
これ以上は、あまり良くないだろう。
「……行くのか」
「世話になったな。助言に感謝する」
勇者の背を周って出口へと向かう。
本当に世話になった。
勇者にも、この聖都にも。
扉に手をかけようとした時、勇者が一枚のカードを投げてよこした。何気なく受け取って気づく。
カードというか、……これは。
「……レフィアの、ブロマイド?」
「トルテが最期まで大事にしてたもんだ。一緒の棺に入れてやろうかとも思ったんだが、あんだけ大事にしてたもんを燃やしちまうのも、……何だか気が引けてな」
「それを、何故俺に?」
「トルテの形見分けだ。アイツが一番大事にしてたソレも、そいつに込められた思いも。……託すとしたらお前しかいないと思ったんだが、……見込み違いだったか?」
ブロマイドを持つ手が強張る。
ブロマイドの中のレフィアは、元気に笑っていた。
……人の気も知らんと。
「……なんちゅー重いもんを渡しやがる」
「無理ならそこに置いてってくれ。とんだ見込み違いだったと、トルテの墓に添えておく事にするから」
「……ほざきやがれ」
トルテのブロマイドを懐深くにしまい込む。
たった一枚のブロマイドが、とてつもなく重く感じる。
これは、俺が受け止めなければならない重みだ。
他の誰に渡す訳にもいかない重みなんだ。
……まかせろ、トルテ。
アイツを守るのは、……俺だ。
俺が必ず、アイツを守ってみせる。
懐に感じる重圧に、固い誓いを捧げる。
しばらく黙祷を捧げ、蝶銀仮面を外した。
「……おい。お前、それ」
戸惑いを見せる勇者に仮面を投げ渡す。
「こんな宝物をただで貰う訳にもいかん。ソイツを、トルテに渡しておいてくれ」
「リリー、お前。……いや、……魔王」
「マオグリード・アスラと言う。親しい者はマオリと呼ぶな。俺の本当の名だ」
本当に名乗らなければならない相手は、別にいる。
仮面を外し、俺は、ソイツに名乗らなければならない。
そうしなければ、……ならない。
……すまんな、トルテ。
お前の力を、少し貸してくれ。
「……随分と、優しい面しやがって。それが魔王の素顔かよ。似合わねぇな」
「ふんっ、ほっとけ」
扉を開け、外へ出る。
「……死ぬなよ。リリー」
背中越しに聞こえた声に、軽く愉快な気分になる。
わざわざ俺から名乗ってやったのに。
あえてその名を呼ぶか。
やっぱりお前、嫌いじゃないわ。
「達者でな、ボッサン」
冒険者ギルドの扉を閉め、聖都を後にする。
俺のいるべき場所に、戻る為に。
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