#106 命満ち足りて



 衰弱期から回復する人は、他にも続いた。


 一人ずつ慎重に検査が行われる。

 一人ずつ、命を繋ぎとめていく。


 礼拝堂の患者が少しずつ、減っていく。


 気がつけば、症状を悪化させて運び込まれる患者もいなくなっていた。


 奉納堂では礼拝堂よりも前から、すでに患者が回復の兆しを見せていたのだそうだ。

 真っ先に運び込まれたダウドさんもすでに復調し、今は外殿に設けられた養護所で、失った体力の回復に努めている。


 神殿内に希望が、広がりはじめていた。


 高熱期患者の治療に最も貢献したのが、他の誰でもないアネッサさんだった。


 高熱期患者に対して、特効薬となりうるハズのリコリスはその効果を弱めてしまう。活性化し、より増殖力を増す病原体の勢いに、リコリスの効果が追い付かないからだ。


 その状況に、アネッサさんをはじめとする神殿調剤部は寝る間も惜しんで、効果的な投与方法を模索し続けていた。

 何をしても上手くいかない状況に業を煮やしたアネッサさんは、直腸から直接薬を投与する方針に切り替えたのだそうだ。


『上からで駄目ならっ、まだ下があるっ!』


 目を血走らせ、浣腸器を片手に片っ端から患者に投与しまくったアネッサさんには、鬼気迫るモノがあったらしい。


 投与というか、注入というか……。


 実際にそれは、大きな効果を見せた。


 効果が弱まっていたハズのリコリスが、その効果を大きく発揮したのだと言う。

 ガマ先生曰く、高熱期に至った病原体の病巣は、より直腸に近い場所に下りてきていたのかもしれなく、その所為で経口投与では届きにくかった薬が、直腸からの直接投与で効果を見せた可能性があるのだとか。


 人生何がどう出るか分からないもんだ。


 もう一人、劇的に変化を見せた人がいる。

 事の元凶を作った、ハラデテンド伯爵だ。


 ユリフェルナさんの発症にショックを受けたハラデテンド伯爵は、しばらくの間はショックから抜け出せず、茫然自失としていたそうだ。

 自暴自棄になり、そうとう荒れたのだとかも。


 所が、ユリフェルナさんの症状が衰弱期へと移行し、もういよいよ覚悟しなけらばいけないと聞いた時、ハラデテンド伯爵は豹変した。

 文字通り人が変わったかのように、精力的に動き始めた。


 神殿と市街とを何度も行き来しながら、市場不安から高騰していた物価上昇に歯止めをかけ、出入りを封鎖した事による流通の損耗を、最小限におさめるために必死で貢献したのだと言う。


 お金の動きに疎い私には、ハラデテンド伯爵が何をどうしたのかは聞いても分からなかった。けど、伯爵は伯爵で、経済の専門家として聖都の為に尽くしたのだと言う事だけは分かった。


 もしかしたら、ハラデテンド伯爵は見せたかったのかもしれない。


 いよいよ危なくなったユリフェルナさんに。

 ユリフェルナさんが憧れ、誇りに思っていたという理想の父親像を、ちゃんと見せたかったんだと思う。


 そうであってくれれば、……嬉しい。


 本人に聞いた訳では無いけれど、そうであって欲しいと思う。


 ハラデテンド伯爵のやった事も、言い放った事も、決して許せるものでは無い。

 けど、そんなハラデテンド伯爵であっても。

 愛する娘の為にちゃんとした父親であろうとする、そんな姿を見せたいと思う父親であって欲しいと、そう思わずにはいられない。


 しばらくして、ユリフェルナさんにも回復の兆候が見られた。

 経過観察を経て、ガマ先生からの診断が下る。


 ユリフェルナさんも無事、衰弱期から生還する事が出来た。


 その事を伝えた時、ハラデテンド伯爵は泣きながら、床に崩れ落ちた。

 床で泣き崩れるハラデテンド伯爵は見るからに痩せ細っていて、まるで別人のようだと驚いたのを覚えている。

 やつれきった手足を小刻みに震わせて、大声でむせび泣き、床に這いつくばったまま、何度も何度も「ありがとうっ! ありがとうっ!」と繰り返していた。


 ……うん。よかったね。

 本当に、よかった。


 ユリフェルナさんが助かって、よかった。

 未だ許せない気持ちは確かにあるけれど、それとこれとでは話が違う。


 本当に、……よかった。


 ユリフェルナさんが最後の一人だった。


 ユリフェフナさんを最後に、礼拝堂から重症患者が姿を消した。


 誰もいなくなった礼拝堂を見渡す。

 もうここに、運び込まれてくる患者はいない。


 強固な結界を、万感の思いをこめて解く。

 押さえ込む為。押し止める為に張られた結界が音も無く、スーッと消えていった。


 『浄化』の結界が消え、病室として使われていた礼拝堂が、本来の空間へと戻る。


 聖女様にマンツーマンで講義を受け、実技の指導を受けていた礼拝堂に、戻った。

 もうここが、衰弱期を受け入れる為の病室になる事は無い。


「……お疲れ様でやーしたな」

「……うん。ベルアドネも、お疲れ様」


 二人で互いをねぎらう。

 言い得ぬ思いを胸に、礼拝堂に背を向けた。


 ほどなくして奉納堂の患者もいなくなった。

 これで、内殿で看護していた患者のすべてがいなくなった。


 皆の表情に安堵が浮かぶ。

 中には目に涙を浮かべる人までいた。


 ……ようやく、終わったんだと。

 これでようやく、終わったんだ。


 神殿内に光が満ちる。

 希望の光が、満ち足りていた。


 ダウドさんの発症が確認されてから七週間。

 トルテくんが息を引き取ってから42日。


 その日、七夜熱の感染者がすべていなくなった。

 52日間に及ぶ戦いが終わったのだ。


 人生で一番長い、……一ヶ月半だった。


「聖女様。お願いがあります」


 内殿の廊下で、私は聖女様を呼び止めた。


 感染者が全ていなくなったとしても、それでやる事がなくなった訳ではない。

 神殿内の後片付けはもちろんの事、七夜熱の発生によって混乱した聖都を、なるべく早く元の状態に戻さなくてはならない。


 忙しく動き回る聖女様を呼び止め、私は深々と頭を下げた。


「そんなに改まって、どうしたんですの?」

「私に、礼拝堂を貸していただけませんか」

「礼拝堂を、ですか? 特に構いませんが……」

「祈りを……」


 感染者はいなくなった。

 神殿内には命が満ち足りている。


 ……けど。


 礼拝堂の奥には、まだトルテくん達がいる。

 氷づけになったままの、トルテくん達が。


「祈りを捧げたいんです。……トルテくん達に」


 まだ非常事態宣言は解除されていない。

 感染者が全ていなくなっても、日を置き、新たな感染者が出ない事が確認されるまで、宣言は解除出来ない。


 それにはまだ、時間がかかってしまう。

 その間トルテくん達は氷づけのまま、弔われる日を待ち続けている。


 だからせめて、せめて祈りを捧げたい。

 トルテくん達の冥福を、祈りたい。

 

「トルテくん達に、安らかな『祝福』を、祈ってあげたいんです」

「『祝福』を……」


 私の『祝福』は祝福にならない。

 その事は聖女様もよく知っている。


 何の為に何を祈るのか。

 それが定かでない私の祈りは、祈りにならない。


 今なら、分かるから。

 何の為に何を祈るのかが分かる気がするから。


 私は、トルテくん達に祈りたい。


 聖女様はじっと無言で私を見つめた。

 じっと見つめ、静かに頷いてくれた。


「……分かりました。今から行きましょう」

「今から、……ですか?」


 ……ごめん。

 ちょっとその返答は予想外だった。

 そりゃ頼んだけど、……いいの?

 聖女様も忙しいんじゃ……。


「私にも思う所がありましたので。為すべき時に為すべき事を為せ、です」

「ありがとうございますっ!」


 聖女様に頭を下げ、礼拝堂へと向かう。


「うーん。こうして見ると、ここもこんな広かったんでやーすな」

「今は静かで何よりです」

「……私がここにいてもいいんでしょうか、何か畏れ多いと言うか」

「気にするなアネッサ。浣腸鬼の異名が泣くぞ?」

「……なっ!? 何ですかっ、それ!」

「感謝を込めた異名だ、いちいち気にしてんじゃねぇ。名誉だと思ってどんと構えてろ」

「……勇者様も先生も酷い」

「それだけ大変な状況だったのだ、皆もよく頑張った。カーディナル卿、寝込んだそうだがもう大丈夫なのか」

「寝込んだと言ってもほんの少しの間ですから、お恥ずかしい限りです。法主様こそ、あまり無理をなさらぬよう」

「……静かで何よりです」

「……リーンシェイド、無理したらかんがね」


 ……何、これ?


 聖女様と二人、礼拝堂に向かって歩いていたら、いつの間にか後ろに人が増えていた。


 ……ってか法主様まで。

 今一番忙しい人でしょうが、あなた。


「さぁ、レフィアさん」

「……何だかな。さっきまでの緊張感は何だったんだろう」


 聖女様に促されて、礼拝堂の中に進む。

 わちゃわちゃと大勢引き連れながら。


 ……ったく。


 何だかんだで、皆も同じ気持ちだったっぽい。

 共に戦い続けた同士なんだから、当然か。


 聖女様の前に進み出て、膝をつく。

 両手を胸の前で組んで、そっと目を閉じた。


 ……。


 ……。


 命、満ち足りて。

 我、汝らの冥福を心より願う。


 安らかなる眠りが訪れますように。


 心からの平穏と安寧を。

 あらゆる命に。


 祝福を……。


 ……。


 ……。


 願いは祈りとなり。

 祈りは形を成して力となる。


 力は光となって、命を照らす。

 あまねく命を祝福する為に。


 光が満ちた。

 私の祝福が、形を成した瞬間だった。










 ……。











「……ちょっ、レフィアさんっ、待って、ダメ!」

「……あっ」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る