#105 差し込む光



 また一人、患者が息を引き取った。


 やりきれない思いをぐっと飲み込む。

 助けられなかった。

 力が届かなかった。


 忸怩たる思いに飲み込まれそうになるのを、何とか必死で堪える。後悔はいつも尽きない。何度経験しようと、目の前で死んでいく事に、慣れる事が出来ない。


 けど、ここで折れる訳にいかない。

 まだ、戦い、抗い続けている人がいる。

 私が先に、折れる訳にはいかない。


 ぐっと力を込めて、見えない目標を見定める。

 焦りと不安を押し込めて立ち上がる。

 やるべき事はまだ、山程残っている。


 ふと、人の視線を感じた。

 何だか懐かしいような気配がして振り向くと、勇者様が入口に立ってこちらを眺めていた。


 ……あれ? ……勇者、様か。


 一瞬、よく知ってる人の気配だと思った。

 ここにはいないハズの人の気配がしたと思ったんだけど、……気の所為だったみたい。


 ……そうだよね。

 こんな所に魔王様がいるハズも無いし。

 でも、何で勇者様がここに。


 ふと疑問にも思ったけど、礼拝堂の中にいる患者の事に思い至り、すぐに納得した。


 ……あっ、そっか。


 トルテくん達三人が息を引き取った後、衰弱期に移行する患者がちらほらと出始めるようになっていた。

 その中には、アリシアさんとユリフェルナさんもいる。

 二人とも容態を衰弱期に移行させてしまい、ここに運び込まれてきていた。

 礼拝堂に運び込まれて来た患者の半数が息耐える中、二人はそれでも懸命に命を繋ぎ続けている。 


 心配して、様子を見に来たんだね。


 ベルアドネにお願いして、亡くなられた患者の遺体を氷づけにしてもらう。遺体はそのまま、安置所へと運び込まれていく。


「……ごめんなさい。力、及ばず」

「あ、いや……。……あぁ。すまない、俺の方こそ」


 運ばれていく遺体を見送りながら、勇者様にそっと声をかける。勇者様も相当疲れているのか、やや呆然とした反応が返ってくる。

 無理もない。今この神殿にいる人で疲れてない人なんて、一人としていないだろうから。


「アリシアさんなら、今はまだ何とか小康状態を保っています。……それでも安心は出来ませんが」

「あぁ……。そうか、すまない」


 ……。


 何だろう、勇者様の様子が少し変だ。

 何かどっかの変態魔王様みたいに挙動不審がかってる。


「……何か、あったんですか?」

「ちょっとな。だが、もう片付いた。騒がしくしてすまなかったな」

「騒がしく……? ごめんなさい、患者さん事でいっぱいいっぱいだったので、何の事か、よく……」

「いや、いい。無事に終わったから。余計な事を言ってすまなかった。看護を続けて欲しい」

「はい。勇者様もお疲れ様です」


 一つ頭を下げて、中へと戻る。

 何だか腑に落ちないものもあるけど、今はそんな事を気にしてる場合ではない。


「あ、レフィアさん」

「……はい?」


 中へ戻ろうとして、勇者様に呼び止められた。


「……その、何だ。何があったのかは知らないが、……少し変わった、のか。何だか雰囲気が、前と少し違うような気がするんだが……」

「……はい? えぇっと、そう、……ですか?」


 ……ん?


 何だろう。

 何が言いたいのかが分からん。


 どうした?


「違うな……、そうじゃない。すまん。今のは忘れてくれ。患者達の看護、よろしく頼む」

「はい。全力を尽くします」


 勇者様が深々と頭を下げたので、改めて私も頭を下げた。

 何が言いたかったのか分からんかったけど、忘れてくれって言うなら忘れる、うん、忘れた。


 勇者様様はそのまま戻っていった。

 何かあったんだろうか。

 疑問は残るけど、考えても仕方ない。


 急いで看護へと戻る。


 脱水症状緩和の為に、血管内に直接水分を送る点滴法が試された。未だ臨床頻度の少ない最新技術だったそうだ。

 ガマ先生や神殿医師達が慎重に見守る中で進められた、この新技術の導入が、より多くの患者達の命を延ばす結果となった。


 ベルアドネがさらに新しく作り出した魔法陣も、その効果をいかんなく発揮させた。


 患者の体力を数値に変換して、視覚的に管理できるようにする魔法陣なのだそうだ。この魔法陣を患者個人にそれぞれほどこし、体力の低くなった患者から『体力補助』を効率的にほどこせるようになった。


 どんな場合でも数値化出来る訳ではないらしいのだけど、これのおかげで、観察と勘に頼らざる得なかった状況が改善された。


 コイツ、やっぱり天才だわ……。


 何でこれで、普段がああなんだろう。

 やっぱり天は二物を与えず……。


「……不名誉な視線をひしひしと感じるがね」


 睨まれたので視線を逸らす。

 何故考えてる事がバレる。


 それぞれが自分達に出来る事を考え、一つずつ確実にその効果を重ねていく。

 手探りの状態で始まった看護治療態勢が、少しずつ形を見せ、完成されていく。


 希望の無い状態でも諦めず、皆が歯を食いしばって挑み続けた成果が、ここに来て結果に結びついていく。


 最初のトルテくん達は三日間だった。

 衰弱期に移行してから、三日しか持たなかった。


 治療法を変え、看護の仕方を考え、患者の様子を観察し、より良い方法を模索していく。


 中にはこぼれ落ちてしまう人もいた。

 急変する容態に、手が間に合わない事もあった。


 せめて最期は安らかにあって欲しいと、息を引き取る瞬間を、穏やかに見守れるようにつとめた。


 やがて、三日が五日に。

 五日が七日へと命を延ばしていく。


 命を繋ぎ止めていく。


 ようやく見せた効果に、希望が絡まる。

 細い希望の糸を皆で紡ぎ合い、寄せ合わせていく。


 切れぬように、太く。

 ほどけぬように、強く、より強く。


 糸はやがて紐となり、命を繋ぐ縄になる。

 より強く、より太く。

 皆の思いがより集まっていく。


 ……。


 そして、その日。


 礼拝堂の向かいの小部屋に皆が集まる。

 ベッドの上の患者を、注意深く診察するガマ先生の挙動に、皆が固唾を飲んで注目していた。


 診察を終え、患者にシーツをかける。

 一呼吸間をおいて、ガマ先生は大きく頷いた。


 何度も、何度も噛み締めるように頷く。


「……よく、よく頑張ったな。本当に、よく頑張った」


 ガマ先生の声が、涙でくぐもる。

 周りからも、嗚咽の声がもれていた。

 感極まって、泣き崩れる神官さんもいる。


「結果は陰性。後遺症もない。……勝ったんだ。七夜熱に、打ち勝ちやがった……。ずずっ」


 こらえきれず、ガマ先生も泣き出してしまった。


 ここに来て、ようやく一人。

 ようやく一人の病状が、回復を見せた。


 嘔吐と下痢が少しずつおさまりつつあった。

 頻繁に訴えていた寒気を、訴えなくなっていた。

 顔色に赤身が戻り、呼吸が深くなった。


 皆が一心に期待を込めて願った検索結果は、陰性反応と判断された。


 失った体力を回復させるのに時間を要するけど、もう、大丈夫だ。もう、……大丈夫。


「ありがとう、ございます。……皆さん」

「まだ慌てては駄目です。今はゆっくり身体を休めて下さい。もう大丈夫ですから。もう、大丈夫」

「……はい」


 無理して起き上がろうとするのをとどめ、ゆっくりとベッドへと戻す。


 アリシアさんはそっと、力を緩めた。


 生還する事は無いと言われていた。

 回復する可能性は、ほぼ無いと言われていた。


 その日、有史以来初めての快挙に皆が喜んだ。

 絶望視されていた衰弱期からの生還。


 初めての一人は、アリシアさんだった。

 アリシアさんが、回復した。


 深く、深く呼吸するアリシアさん。

 もう、大丈夫。もう大丈夫なんだ。


 もう、大丈夫……。 


 トルテくんが息を引き取った日から十日。

 七夜熱が確認されてから約三週間。


 この日、初めての回復者を出せた。

 初めての、生還者を出すことが出来た。


 光に満ちていた。


「……ありがとう」


 眩いばかりの光の中に、アリシアさんがいる。


 生きている。

 生き延びてくれた。

 もう大丈夫なんだと、強く実感できる。


「ありがとう。……ありがとう」


 嗚咽がこみあげてくる。

 涙が、止まらなかった。


 素直に笑ってもいいのに。

 今なら、無理して笑わなくてもいいのに。

 笑っていたいのに、笑っているのに。

 涙が止まらなかった。


「ありがとう……」


 泣き出してしまいそうになるのを、必死で堪える。

 ようやく、一人。


 ……まだ一人だけど。

 初めての一人だけど。


 ……ありがとう。


 本当に、ありがとう。


 出口の無い暗闇に、ようやく。

 光が、差した。





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