♯103 ひび割れた鏡



 トルテくんが、死んだ。


 最期は静かに微笑みながら。

 私が見守る中、眠るように息を引き取った。


 遺体はすぐさま魔法で氷に包まれた。

 今はそのまま安置され、事態の終息を待って弔われる事になっている。


 氷づけの遺体は三つ。

 

 朝、トルテくんが息を引き取ると、その日の内に立て続けに三人ともが亡くなってしまった。


 あんなに寒さに震えていたのに。

 氷づけにしてしまう事に、心が痛む。


 やるせなさに胸が締め付けられる。


 三人に別れを告げて、礼拝堂へと向かう。

 礼拝堂の前には、ベルアドネが待っていた。


「……どこにいくつもりでやーすか」


 押さえた声色が、何だからしくない。

 ベルアドネも疲れてるんだろうか。

 そんなの、決まってるのに。


「すぐに戻って、みんなの看護をしないと」


 中へ入ろうとして、ベルアドネを避けた。

 一時だって目が話せない状況なんだ。

 ごめんね、今すぐに魔法をかけるから……。


 避けたベルアドネが右手を掴んできた。

 どうしたんだろうか。さっきからベルアドネの様子が少し、……変だ。


「レフィア……。しっかりしやーせな」

「どうしたの? 皆が待ってるのに」


 掴まれた右手首が痛い。

 何もそんなに強く掴まなくても、大丈夫だよ?


「そこには……、誰も、おらーせんがな」

「ごめんベルアドネ。こうしてる間にも……」


 礼拝堂には衰弱期の患者がいる。

 まだ諦めない。

 ここで諦める訳には、いかないでしょ?


「三人とも死にやーした。みんな死にやっせたがな! この中に今、看護せなかん患者なんかおらせんがね!」

「ベルアドネ、痛いよ……」

「レフィアっ!」


 ベルアドネが突然声を張り上げて、私の両肩を鷲掴みにしてきた。えぐるようにつかまれた両肩が熱い。すがるように迫るベルアドネが、……近い。


 身体を拘束されたまま、首だけをめぐらせて礼拝堂の中を覗く。解放された礼拝堂の中には、主のいないベッドが三つ、並んでいた。


 誰もいないベッドが、三つ。


 そっか、みんな死んじゃったんだっけ。

 なら、ここは。……もういいのかな。


 ベルアドネの手をそっと下ろす。

 なら奉納堂の方へ行けばいいんだね。

 誰もいなくなってしまったなら、患者のいる所にいかないといけない。そうでなければ、看護が出来ない。


 諦めたら駄目なんだ。

 諦めちゃいけない。


「……どこに行きやーすん」

「リーンシェイド達の所へ行かないと。まだ患者はいるんだから、少しでも看護を……」


 諦める訳にはいかないんだよね?

 私が諦める訳には、いかないんだから。


 何を諦めちゃ、……駄目なんだっけか。


「レフィア。……おんしゃは少し休んだ方がええ」

「駄目だよ。そんな暇、ないもの。少しでも出来る事をしないと。……していかないと」


 ベルアドネが回り込んで前を塞ぐ。

 どいてもらおうと伸ばした手を、逆に掴まれた。


「……おんしゃ、今自分がどんな顔しとらーすか、分かっとらーすんか? そんな顔でどこに行くつもりでやーすか。何をしやーせるん」

「……顔?」


 ──オレ、レフィアねーちゃんの笑顔、大好きだから。


 トルテくんが死ぬ間際、必死で伝えようとしてくれた言葉が耳に残る。息も絶え絶えなクセに何を言い出すかと思えば、あんなお願いをしてくるだなんて。


 笑え、……だなんて。


 私の笑顔が好きだから、笑っていて欲しいだなんて。

 ……無茶が過ぎるよ、トルテくん。


「奉納堂へはわんしゃが行く。……おんしゃは、少し休んだ方がいい。自室に戻って、少し落ち着きやーせな。……疲れとらーすんよ、少し、休みやーせな、……な?」


 諭すように言われ、私は頷いた。


 疲れたかと聞かれれば、……その通りかも。

 何だか色々と、疲れてしまった。

 私なんかが疲れてて、どうするんだとも思うけど。


 ベルアドネに見送られて、自室へと戻る。

 日の落ちた内殿の廊下は暗くなっていた。

 人気も無ければ、灯りも無い。ただ、月明かりだけが差し込んでいる。


 そりゃそうだ。みんな、必死で戦ってるんだもん。こんな時に自室で休んでるのなんて、私ぐらいじゃないかな。

 本当、私なんかが疲れたとか言っててどうするんだろう。辛いのは患者達であって私じゃないのに。大変のはガマ先生や聖女様達であって、私じゃない。

 

 暗くなった自室で、一人立ち尽くす。


 こんな所で、私。何やってんだろ。


 みんな必死で頑張ってるのに。

 誰もが一生懸命戦ってるのに。

 こんな所で、一人で私は。


 何を……。


 何をっ……。


「っ何やってんだっ私はぁぁあああああっ!」


 衝動のままに頭を強く抱え込む。


 やるせなくて許せなくてもどかしくて。

 身体を強張らせて力任せに髪をかきむしる。


「あーっ! ああーっ! ああああああーっ!」


 沸き上がる嫌悪が憎悪に染まる。

 込み上げてくるどす黒い感情のまま、獣のような声で腹の底から叫んだ。

 喉の奥が裂けて千切れるくらいに叫ぶ。


 駄目だっ! 嫌だっ!

 ふざけんなっ!


 おさまらない。

 こらえきれない。


 嫌だっ! 嫌だ嫌だ嫌だっ!

 何で!? どうしてっ!?


「ああーっ、あああああーっ!」


 頭の中がごちゃごちゃだ。

 心と身体がバラバラになる。

 気持ち悪いっ! 頭が痛い。

 足元がふらつく。視界が回る。


 よろめいて、サイドテーブルにぶつかった。

 どうしようもなく怒りがこみあげて、力任せにテーブルを引き倒した。

 グラスの割れる音が耳障りで、余計に苛つく。

 カーテンやシーツを引き落として振り回した。

 棚に並んだ書物を払い落として、壁を殴り付ける。

 殴った手が痛くて痛くて仕方がなかった。


 苛立ちのままにベッドの柱を蹴り飛ばし、よろめいて、手をついた先にあったものを、何構わずに投げつける。


 獣のように吠えながら、衝動のままに暴れた。

 それでもまだ、おさまらない。

 こみあげる感情が押さえきれない。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 一通り暴れて、苛立ちをぶつけて、呆然とする。

 頭の中が真っ白だった。

 真っ白になって、何も考えられない。


 興奮して呼吸が乱れる。


 ふと、壁際の鏡台が視界に入った。

 壁際に置かれた鏡台。

 その鏡の中に、獣じみた醜い女の姿があった。


 ボサボサになった髪を振り乱し、獣のように吠えながら暴れている醜い女が一人。

 肌はボロボロに荒れ、目元には深いクマが刻まれている。唇はカサカサに渇き、しばらくまともに食事をしてなかったからか、頬はやつれきっていた。


 その女は、血走った目を悪魔のように見開き、鏡の中からじぃーっとこちらを睨み付けている。


「ふざけんなぁぁああああーっ!」


 どす黒い苛立ちが沸騰したように込み上げて来て、手元に転がっていたガラス瓶を力一杯鏡に投げつけた。


 ガシャンッと乾いた音を立てて鏡がひび割れ、ガラス瓶が床にゴトッと転がり落ちる。


「こんな女のっ、これのどこが綺麗なのっ! こんな醜い女のっ、何が綺麗だって言うのっ!?」


 涙が込み上げてくる。

 目の前で息を引き取るのを看取ってる時でさえ出てこなかった涙が、後から後からボロボロと、沸き上がる泉のように込み上げてくる。


 自分のあまりの醜さが悲しい。

 死に逝く人を前にしても泣けなかったのに、そんな自分勝手な事で泣けてしまう自分が情けなくて、どうしようもなく情けなくて、涙が止まらない。


 助けられなかった。

 こぼれ落ちてしまった。

 命を繋ぎ止める事が、出来なかった。


「うわぁぁあああんっ! うわぁああああんっ」


 まるで子供のように大口を開けて叫んだ。

 涙をボロボロとあふれさせ、子供みたいに泣いた。

 恥も外聞もない姿を晒して、……泣き続けた。


 秋になったら、三人で新市街に引っ越すんだって言ってた。新しく三人で家族になるって言ってたのに。

 冒険者になって、みんなの役に立つ男になるだって言って、照れ臭そうに笑ってたのに。


 死んでしまった。


 トルテくんはもう、死んでしまった。


 どうにか助けてあげたかった。

 元気になってまた、あの笑顔が見たかった。


 もう、助けてあげられない。

 もう何も、してあげる事が出来ない。


「うわああああああああんっ!」


 情けない。

 自分が情けなさ過ぎて、どうしようもない。


 他の二人にしても一緒だ。

 生きたがっていた。

 死ぬのは嫌だと、怯えていたのにっ!


 何も出来なかった。

 何もしてあげられなかった。


 何が自分の出来る事をやるだ。

 何一つ、してあげられなかったじゃないか。

 私にしてあげられる事なんて、ほとんど何も無いクセに、何が出来る事を精一杯だ。


 情けなさ過ぎて、哀れ過ぎて。

 どうしようもないくらいにみじめで。


 私はただひたすらに泣き続けた。


 泣いて、泣いて。泣き腫らした。


 何も考えたくなかった。

 何も、考えられなかった。


 ただひたすらに、泣き続ける事しか出来なかった。


 泣いて、泣いて……。


 泣き続けて。


 どれだけの時間、泣き続けただろうか。


 気がつけば、ベッドの上に座っていた。

 ただ、呆然としながら。


 気の抜けた脱け殻のようにぼーっと、泣き疲れたままただ呆然と、ベッドの上に座っていた。ベッドの上に座り、何を考える訳でもなく、ただ、ひび割れた鏡の中の自分を眺めていた。


 ──オレ、レフィアねーちゃんの笑顔、大好きだから。


 トルテくん、最期に笑っていた。


 ──誰よりも綺麗だって、思うから。


 あれだけ苦しんで、苦しみ抜いて。

 辛かったろうに。しんどかっただろうに。

 それでも最期は、笑っていた。


 ──だから。笑っていてほしい。


 最期は、苦しまずに逝けたんだろうか。 

 もしそうなら、そうであってくれたなら。

 ……そうであって、欲しい。


 ──ありがとう。


 脱力したまま、笑ってみる。

 ひび割れた鏡の中の醜い女は、頬をひきつらせて無様な笑みを作っていた。


 こんな笑顔にありがとうだなんて……。


 もっとちゃんと、笑ってあげられれば良かった。

 トルテくんは最期に言ったんだ。

 笑っていて欲しいって。

 だったらもっと、ちゃんと笑って見送ってあげたかった。笑ったまま、看取ってあげたかった。


 のそりと立ち上り、鏡の前に座った。

 ひび割れた鏡の中の自分と向かい合う。


「……本当に、酷い顔だ」


 こんなに醜い私でも、笑っていてほしいって。

 笑顔が大好きだからって言ってくれた。

 誰よりも、綺麗だからって。


 転がっていたヘアブラシを手に取る。


 それが、トルテくんの最期のお願いだった。

 だったら私は、笑っていよう。

 何もしてあげられなかった私だから。

 何も出来なかった私に、出来る事。


 ボサボサに乱れまくった髪を丁寧に。

 丁寧に何度も櫛削る。

 香油を数滴、馴染ませながら。


 村にいた頃は、化粧なんて年に数回。

 祭りの時ぐらいにしかした事がなかった。


 櫛削った髪を一つに束ね、後ろで結わく。


 魔王城に来てからは、リーンシェイドに任せるまま、自分からした事なんて無かった。

 神殿に来てからは、これ幸いと一度もしていない。


 柔布を水で浸して顔の垢と脂汚れを拭う。

 むくみを取るように、ゆっくりとほぐしながら。


 トルテくんが望むなら、私は笑っていよう。

 出来る限りの、綺麗な私で、笑って。


 化粧水を手に取り肌に馴染ませる。

 荒れた肌に、しっとりと染み込んでいく。


 私なんて、こんなもんだ。

 自分で自分が押さえきれなくて。

 獣のように吠えて、暴れて。

 トルテくんの言うような、たいしたもんじゃない。


 ファンデーションを混ぜて、肌にのせる。

 キツくならないように、厚くならないように。

 目の下のクマを誤魔化して、……薄く。


 お母さんが言ってた事を思い出す。

 化粧は女の武器であり、鎧なんだって。


 血色をよく見せる為に、ほんのりと紅をおく。

 眉毛を整え、目立たないようにアイラインを書く。


 あの時はよく分からなかった。

 すっぴんでいる事の恐ろしさなんて、知らなかった。


 それでいいと、思ってた。


 でも……。


 トルテくんが望んでくれた。

 笑顔のままでいてほしいと。


 なら、私はそれに、答えたい。

 答えてあげたい。


 儀式のようだと思った。


 これは儀式なんだと。

 戦いに赴く為の、大切な儀式なんだ。


 醜い私を押し込めろ。

 綺麗な私を見せるんだ。


 本当の私がどれだけ醜いかなんて、どうでもいい。

 私自身が知ってさえいれば、それでいい。

 

 目立たないように、薄く紅をさす。


 笑え。


 笑いなさい。レフィア。


 せめて……。


 せめてトルテくんに、恥ずかしくないように。

 笑え。レフィア。

 お前の笑顔を、トルテくんに見せるんだ。

 

 戦うんだ。


 鎧をまとえ。

 武器を我が身に。


 ひび割れた鏡に向かって笑いかける。


「これで、……いいんだよね」


 まだぎこちない笑顔しか出来ないけど。

 今はこれくらいしか出来ないけど。


 戦う準備は出来た。

 ……まだ、やれる。まだ、戦える。


 静かに瞳を閉じて、黙祷を捧げる。


 ……。


 ……。


 ……よし。


 ……やってやる。

 ここで負けてなんか、いられない。

 トルテくんに恥ずかしい所なんか見せられない。


 私達の戦いはまだ、終わった訳じゃない。






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