♯101 誰が為に祈るのか



 看護治療態勢が急ぎ再編される。


 更なる検査の結果、今のままでは衰弱期の患者に対応しきれない事が分かった。ガマ先生の見立てでは、衰弱期に至った病原体の危険性は高熱期を上回るそうだ。


 これまで衰弱期に至った患者は、すでに死んだものとして扱われ、一切の看護を受ける事が出来なかった。

 今回、防疫態勢を強化した事によってはじめて、七夜熱の衰弱期の病理解明を試みる事が可能になったのだそうだ。


 奉納堂の奥にある礼拝堂が解放される。

 ただでさえ強化してある『浄化』の結界を、さらに三重にして感染の拡大を防ぐ。


 中へ入れるのは患者と、一切の感染を防ぐ事の出来る私と、ベルアドネのみに限定された。


 より強固な防疫態勢が必要とされる。


 交替要員としてリーンシェイドと聖女様にも控えてもらっているけど、二人でさえも長期の入室は危険性が高いとされ、ごく短い時間に限られている。


 デッドラインを越えてしまった。

 瀬戸際から、……こぼれてしまった。


 衰弱期から生還した人は、未だ確認されていない。


 それでも、諦める訳にはいかなかった。

 まだ誰一人として諦めていない。


 折れる訳にはいかない。


 助かる見込みが低かったとしても。

 最後の最後まで、諦めない。


 高熱期にある患者には薬の効果が弱まる。薬の効果が弱まれば、七夜熱に打ち勝つ為には残された患者の体力が何よりもモノを言う。逆に言えば、体力の無い人達の中から順に、症状を進行させてしまう事になる。


 女性よりは男性が。

 若い者よりは、より高齢にある者が。

 弱った者から落ちていく。


 欠けようと、している。


 肺に吸い込んだ空気が、鉛のように重い。

 自分の鼓動が現実感を失い、どこか遠くに聞こえる気がする。


 今回衰弱期に至ったのは、高齢の男性だった。


 その男性を最初として、続け様に三人の患者が衰弱期へと症状を悪化させてしまう。


 もう一人は同じような高齢の男性。


 もう一人が、……トルテくんだった。


 この一週間で細くなってしまった手を、そっと握りしめる。


 一週間。

 一週間しか、経ってないのに……。


 この手を握って、迷子のトルテくんと一緒に歩いていた事が、遠い昔の事のように思えてならない。


「レフィア、ねーちゃん……。ごめんね、オレ……」


 かさつく唇をかすかに開いて、こぼすようにトルテくんが謝る。


「馬鹿。病人が変に気をつかっちゃ駄目でしょが」

「でも……。オレ……」

「いいから、今は休んでいなさい。まだ諦めた訳じゃないんだから。まだ、絶対諦めない。いい? 絶対だからね」


 ……誰に言い聞かせてるんだか。

 念を押すように、ぐっと手を握り込む。


 無理も無い事だった。


 ただでさえ成長期の途中で、まだ身体が出来上がっていなかった。……それなのに。


 発症時、体力を著しく損なっていた。

 どしゃ降りの雨の中、全力で走り回っていたトルテくんには、七夜熱に抵抗する為の体力が残っていなかった。


 他の患者に比べて症状の進行が著しい。

 トルテくんより先に発症したダウドさんもアリシアさんも、今はまだ、衰弱期へ移行する兆候は見られない。


 熱が下がり、酷い悪寒に身体を震わす。

 嘔吐と下痢はさらに酷くなり、見る間に身体がやつれていくが分かる。


 落ち窪んだ眼窩を閉じて、浅い呼吸を繰り返す。


 死が、迫っているのだ。


 よりはっきりとした死の影が、トルテくんに覆い被さっている。


 ……。


 させない。


 そんなの、絶対に許さない。


 トルテくん達三人に毛布をかける。

 三人は酷い悪寒を訴え、震え続けていた。

 

 手が無いなんて思わない。

 必ず、とどめてみせる。


 限界近くまで擦りきれた心身に、譲れない使命感のようなものがみなぎってくる。


 衰弱期からの生還者はいない?

 それが何だと言うのか。

 今まではそうだったと言うだけの事だ。

 今目の前にいる三人は、まだ生きている。

 必死で生きていて、まだ戦い続けている。


 今まで一人もいないのなら、ここからその一人目を始めればいい。

 この中から、一人目になればいいのだから。


 諦める理由になんてならない。

 それで諦めて、いい訳がない。


 戦い続け、ボロボロになった身体に『生命維持』の魔法をかけ続ける。尽きかけた体力をすくいあげるよう『体力補助』をほどこす。


 神聖魔法の本質は祈りにある。


 祈りが真摯であればある程、深ければ深い程、その効果はより確実なものとして具現化する。

 構築を間違えなければ、魔力操作を誤らなければ、魔法は一応の発動を見せる。


 ……あとは、思いの強さだ。


 祈りの深さで、命をつなぎ止めるしかない。


 とりこぼす訳にはいかない。

 深く、深く祈りを捧げる。


 誰が為に祈るのか。

 何が為に祈るのか。


 それを説明できる程、理解してる訳じゃない。

 胸を張って言える程、分かってる訳でもない。


 私にはまだ、『祝福』が使えない。

 神聖魔法を学ぶにあって、誰もが一番最初に覚えるべき初歩の魔法である『祝福』が、私には発動できない。


 構築や魔力操作で一応の発動が可能となる他の魔法と違い、『祝福』は、祈りそのものだからだ。

 最も基本的で、本質的であるからこそ、私の祈りは、『祝福』にならない。


 ……でも、だからと言って、それを言い訳になんかしたくない。


 祈りが届かないのなら、届くまで祈ってやる。

 真摯でなければならないのであれば、全身全霊を注ぎ込んででも、真正面から挑んでやる。


 出来ない事を諦める理由にはしたくない。

 出来る出来ないの問題じゃない。


 今目の前にそれを必要としている人達がいる。

 なら、やるしかない。


 深く意識を研ぎ澄ます。

 意思を強く持ち、心を静めて魔法をかけ続ける。


 一時だって目をそらす事が出来なかった。


 交替で仮眠をとる時も、もし眠っている間に何かあったらと思うと、眠る事が出来ない。瞼を閉じる事さえ、怖かった。


 差し入れられた食事も同じ部屋でとる。

 口の中に入れても喉に入っていかないので、無理矢理に飲み込む。


 細い糸が張られているかのように思えた。

 か細く脆い糸が、ピンと張られている。

 それが命の境界線を決めているかのように思えて、その糸を張り続けてなければいけないと思った。


 ──レフィア。


 細く研ぎ澄ませ。

 集中、……するんだ。


 ──レフィア!


 途中で切らしては駄目だ。

 とりこぼしては……。


「起きやーせ、レフィア」


 ……。


 ……。


 酷く淀んだ目覚めだった。

 壁の際に座り込んだまま、ゆっくりと顔を上げる。


 ベルアドネがそこに立っていた。


「……ごめん、ウトウトしてたみたい」


 頭が重い……。

 胸が、つまる。


「レフィア……。落ち着いて聞きやーせな」


 ダウドさんの発症が確認されてから、数えてちょうど、十日目の朝。


 本来の予定であれば、私達がアリステアを出立しているハズのその日。


 朝日が昇る直前の、宵闇の一番深い時間。

 つとめて冷静に、ベルアドネは伝えてくれた。


 来るべき時が来たのだと知る。

 不思議と、何の感情も沸き上がってこない。


 私は、感情の欠落したまま、目を閉じる。


 その日。


 トルテくんが、危篤状態になった。





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