♯100 命の戦場



 高熱期にある患者の数が百人を超えた。


「無理をしないで! すぐに次の人に変わって、魔力を回復なさい」

「薬が届きやーした! 当番は取りにきやーせな!」

「新しいシーツ入りましたっ! お願いします!」


 奉納堂の中に病床がずらりと並び、その間を縫うようにして、看護要員の人達の声が飛び交う。

 患者の苦しみには昼も夜もなく、必然的に看護する側もまた交代制で、患者の世話をし続ける事になる。


 一向に回復が見られない患者達の容態と、増え続ける病床の数に、焦りと不安が積み重なっていく。

 看護要員を大幅に増やす事が出来て、個々の負担は少しずつ軽くはなってきている。けど、患者の容態が良くならなければ意味がない。


 高熱を出し続けている患者達は、ただそれだけでも体力を損なっていく。体力が尽きれば、身体は七夜熱に負けて衰弱期へと移行してしまう。

 熱が出ている事こそが、身体が必死に病気に抗い続けている証にも思えた。


 『生命維持』と『体力補助』の魔法をかけつづける事が、どうしても必要になってくる。


 ベルアドネが神聖魔法の魔法陣を作れるようになって、魔法をかける側の人員を増やす事も出来た。けど、どんどん増え続ける患者に対して、 魔法をかける側の魔力の回復が追い付いていない。

 

 状況は、決して楽観できるものではなかった。


 気力が、どんどん削られていく。

 誰か一人、……誰か一人でも回復の兆候が見られたのならば、まだ希望も見えるというのに。


 衰弱期に陥る人がまだいないだけマシ。

 そうとしか思えない状態だった。


「駄目です! それ以上は立ち入り禁止です!」


 ふいに奉納堂の外が騒がしくなったのは、そんな時だった。静止を呼び掛ける声とともに、大勢の人の気配が、堂の入り口のすぐ外で集まっているっぽい。


「何でしょうか。ずいぶん騒がしいようですが」

「……分かんないけど、あんまり良い予感はしないかも」


 患者にシーツをかけながら、リーンシェイドも外の様子が気になる様子だ。


「一刻を争うのだ! 聖女様に、直接!」

「お止め下さい!」


 ふいに嫌な予感が、ぼわっと膨らんだ。

 争うような声が、騒音とともに近づいてくる。


 ……近づいてくるって、まさか。


 ソイツらが堂の入り口に姿を見せると、構わずにそのまま中まで入ってこようとしているのが分かった。


「聖女様っ! どうかっ……」

「そこから入ってくるなぁああ! 死にたいのか!」


 こんな時に、ふざけんな!


 聖域結界のケープも被らず、『浄化』の結界内に踏み入ろうとしていた男達を一喝する。

 良くならない状況に対する苛立ちも加わり、自分でも思ってもみない程に怒鳴り上げてしまった。


 威圧にも似た怒声に、男達の足が止まる。


「ここがどういう所で、今がどういう時か分かってんの!? 邪魔するだけなら、今すぐ出てけ!」

「なっ……。我々は、ただ聖女様にっ!」

「聖女様に、何!? 聖女様なら今交替で休んでるわよ! 急ぎの用件なら言伝てるから、そこで言いなさい!」


 一度発露してしまった苛立ちが、止まらない。

 自分でも思ってる以上に、心が削られていた事を知る。


 ごめん。……お願いだから。

 今は患者達に集中させて欲しい。


 怒鳴られながらも男達は立ち去る素振りを見せず、入り口付近で戸惑い、立ちふさがっていた。


 ……だからっ、そこにいると出入りの迷惑だろが。


「何事ですの!? 何ですか! あなた達は!」


 さらに怒鳴りつけてやろうとすると、奥から聖女様が戻ってきた。……さっき交替したばかりなのに。

 誰かが聖女様を呼びに行ったんだろう。

 聖女様だって、相当疲労がたまっているというのに。


「聖女様! どうかお助け下さい! お嬢様が、ユリフェルナお嬢様が高熱をっ!」

「……ユリフェルナさんが?」


 男達の口から、聞き覚えのある名前が飛び出した。

 ユリフェルナさん? それって確か、ハラデテンド伯爵の娘さんの名前だったような気がするけど……。


 高熱?


 男達が身体をずらすとその後ろに、移動式のベッドに寝かされたユリフェルナさんがいた。


 ……って、何してんのっ!


 血の気がサァーッと引いていく。


「浄化の結界もつけずに何やってんの! 早くユリフェルナさんを堂の中へ!」

「この中にだとっ!? 貧民どもと一緒にか! こんな中にお嬢様を入れるなど、出来る訳もないっ!」


 ……っこの、大馬鹿野郎が!


 手元の患者をリーンシェイドに任せて、急いで入り口に向かって走り出す。


 こんな時に、こんな時に何を馬鹿な事を!


 入り口脇に置いてあった予備の聖域結界ケープを一つ掴み取り、ボケッと突っ立ったままの男達を突き飛ばすようにしてどかした。

 ベッドの上のユリフェルナさんの上にケープを広げて、私の魔力を使って聖域結界を発動させる。

 ベッドの上で高熱にうなされていたのは確かに、私の知ってるユリフェルナさんその人だった。

 

「な、何をするんだ!? いきなり!」


 突然の私の行動に、男達は憤慨して感情も顕に抗議の声を上げるけど、……ごめん。あなた達に苛つきすぎて声も出ないわ。

 何を考えてるんだ、コイツらはっ!


 ……コイツら、ハラデテンド伯爵の所の家人か何かだろうか。


「レフィアさん、ユリフェルナさんを早く中へ」

「聖女様っ! しかし、このような所へなど!」

「お嬢様には別の場所を用意していただきたく、貧民どもと、ましてや男女の別無くなどっ!?」

「貴族の令嬢と貧民どもを一緒になどと!?」


 聖女様の言葉に反応して、取り巻きの男達が口々に勝手な事を喚きはじめた。


 コイツらっ、真性の馬鹿かっ!


 頭に血が上りかけた時、聖女様の魔力が膨れ上がった。

 膨れ上がった魔力は怒気をはらみ、構築された魔法となって男達だけをその場から吹き飛ばした。


「いい加減にしろっ! 疫病患者に貴族もクソもあるかっ!」


 聖女様がぶちキレた。

 普段からは想像もつかないような怒声を上げ、男達を魔法で吹き飛ばした。


 いや、気持ちは私も一緒だけど。

 ……まさか魔法で吹き飛ばすとは。

 聖女様も相当、削られているんだと分かる。


「レフィアさん! ユリフェルナさんを!」

「は、はい!」


 急いでユリフェルナさんを奉納堂の結界内に入れて、『生命維持』と『体力補助』を重ねがけする。


 ……考えてみたら、貴族で高熱期に至ったのって、ユリフェルナさんがはじめてだ。

 今まで同室だどうのと揉めなかったのは、貴族がいなかったからだと言う事に思い至る。


 でも、……なんで?


 今高熱期にある患者達は、旧市街の一部地域に住んでいた人か、その近くにいた人達だ。その中に貴族はいないし、ハラデテンド伯爵の屋敷が旧市街の近くにあるハズもない。


 最悪、別の発生源が……、出来たんだろうか。


「ユリフェルナっ!?」


 ユリフェルナさんの発症に疑問を抱いていると、顔面を蒼白にしたハラデテンド伯爵が姿を見せた。


「ハラデテンド伯、それ以上は入ってきてはなりません!」

「は、はい……。ユリフェルナ……、どうしてお前がっ」


 ハラデテンド伯爵は入り口で、腰くだけになってうずくまってしまった。

 まだ、コイツを許した訳じゃない。許した訳じゃないけど……。

 娘を思う父親を、罵倒する気にもなれない。


「何故、何故お前が七夜熱に……。薬を飲んだじゃないのか、あの薬は特効薬だったんだろっ、何故、薬を飲んだお前が……」

「……お嬢様は、薬を飲んでいらっしゃいません」


 泣き崩れるハラデテンド伯爵に、ユリフェルナさんつきの侍女だろうか、壮年の女性が静かに答えた。


 ……薬を、飲んでいない?


「な、何故だ!? ユリフェルナにもちゃんと薬は渡したハズだ! 何故飲まなかった! 何故無理矢理にでも飲ませなかったのだ!?」

「……お嬢様は、自分がこれを飲む訳にはいかないと。自分がこれを飲むのは、聖都の住民が皆、ちゃんと薬を飲んだ後なのだと、そうおっしゃられ、……頑なにこばんでおられたのです」

「飲む訳に、……いかない?」

「お嬢様はご存知でした。お嬢様は旦那様が、配られるハズの薬の中身を入れ替えるよう指示された事に、きづいておられたのです」

「なっ……!? なんだとっ!?」


 ふと、神殿内でユリフェルナさんを見た時の事を思い出す。

 あれは確か……、一斉配布から三日目だったハズ。

 見間違いじゃなかったんだ。

 だからあの時、ユリフェルナさんはあんなに不安そうに……。


 ユリフェルナさんは知っていた?

 薬の中身がすり替えられて配られていた事を?


「お嬢様は悩んでおられたのです。あの日から、あの日からずっと、悩み続けておられました。旦那様の罪を告発すべきなのに、告発する事が出来ない自分を、ずっと責め続けておられたのです!」

「まさか、……ユリフェルナが?」

「お嬢様は法主様や聖女様をお助けする旦那様を、ずっと誇りにされていたのです! 旦那様のお姿に、ずっと憧れを持ち続けておられました! なのにっ、なのに旦那様はっ! 旦那様はお嬢様を裏切ってしまわれたのですよ!?」

「俺が……、ユリフェルナを裏切る……?」


 ハラデテンド伯爵の身体から、力が抜けていくのが遠目に分かった。脱力し、呆けた表情のまま、ペタンと座り込んでしまった。


「お嬢様は旦那様の代わりに、自ら頼み込んで回り、余った薬を譲ってもらって、集めておいででした。旦那様がすり替えるように指示した地域に自ら赴き、それらを配って回っておられたのです!」

「嘘だ……。そんな……。嘘だ!?」

「お嬢様はそれでも旦那様を信じておいででした! 必ず、必ずや旦那様は自身の過ちにきづき、犯した罪の償いをするハズだと、必ず目を覚ましてくれるハズだと、そうおっしゃっておりました。だから自分はその時の為に、旦那様のお手伝いをしているのだと、旦那様に先んじて、償いをしているのだと、そうおっしゃっておいででした!」

「嘘だ!? 嘘だ嘘だ嘘だぁぁあああ!?」

「お嬢様は最後まで旦那様を、信じておいででした!」

「やめろぉぉぉぉおおおおおお!?」


 ハラデテンド伯爵の絶叫が響き渡る。

 あのいけ好かなかったハラデテンド伯爵が、まるで恐怖に脅える子供のように小さく、うずくまって震えている。


 そこまで、……そこまで娘を思う気持ちがあるなら、何であんたはあんな事をしたんだっ!

 言いがたい怒りが腹の底から込み上げてくる。


 静かに、静かに怒りが満ちてくる。


「……あんたがユリフェルナさんを思うように、旧市街の人達にだって家族がいるんだよ。……そんなの、当たり前の事でしょーが」

「俺は、俺は……、この国の事を……」


 ユリフェルナさんを貫頭衣に着替えさせて、再調整された薬を口に含ませる。

 口元を綺麗な布で拭い、そっと額をさする。


 聖女様が厳しい顔をして、ユリフェルナさんの手を握った。


「ユリフェルナさん。貴女のやった事はただの自己満足でしかありません。決して褒められる行動では無いのです」

「……ハァハァ、もうし……わけ、……ありませんでした。……ハァ、ハァ。でも、……でも、私はっ!」

「本当は、お父様を信じていればこそ、先にそれを告発して欲しかった。貴女は、そうすべきだったのです」

「……ごめん、なさい。……私、私っ」


 熱にうなされながらも、必死に聖女様に答えようとするユリフェルナさんを、聖女様が優しく止めた。


「過ちは誰もが冒すもの。生きていれば必ず、誰もが過ちを冒すのです。貴女も、私も。でも、だからこそ貴女は、この病に負けてはなりません。貴女は必ず、この病に打ち勝たなくてはならないのです。いいですね。必ずです」


 聖女様がユリフェルナさんの手を強く、強く握りしめた。


 誰であろうと、負けてはいけないんだ。

 過ちを冒した人も、そうでない人も。

 生きていればこそ、償う事も出来る。

 自らを省みて、分かりあう事も出来る。


「大丈夫です。貴女は一人じゃない。ここにいるみんなで、立ち向かうのです。ここにいる誰一人欠ける事なく、みんなで戦うのです。だから、きっと大丈夫。大丈夫です」


 歯を食いしばれ。

 手足の力をふりしぼれ。


 それは理想論かもしれない。

 世間知らずの綺麗事かもしれない。


 だけど、だけど私はっ。


 誰一人だって負けて欲しくない。

 誰一人、負けさせる訳にはいかない。


 絶対に、負けてなんかやらない。

 ここが生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ。


 弱音を吐いてる暇があるなら、目の前の命と、真正面からぶつかっていくしかないんだ。

 不安も焦りもひっくるめて、今出来る事をやるしかない。


 この状況にあっても、アリステアの神官さん達のモチベーションは決して低くない。

 思えば岩荒野のど真ん中で、孤立無援なまま亡者に囲まれる状況にあっても、決して最後まで諦めなかったのがこの国の騎士団なんだ。


 もしかしすると、最後まで諦めず戦い続けるのが、この国の気風なのかもしれない。


 この命の戦場において、それは何と心強い事か。


 私はそんな国に生まれ育った事を誇りに思う。

 こんな事、今まで考えた事もなかったのに。


 けど今はここで、ここにいる人達と一緒に戦える事を、何よりも誇りに思える自分がいる。


 積み重なる疲労は、容赦なく気力と体力を奪っていく。

 誰の顔にも、疲れが色濃く見え始めていた。

  

 増え続ける患者達。

 一向に回復の兆候を見せない症状。

 それでも諦めず、歯を食いしばる。


 互いを励まし合い、支え合う。


 ……けれども現実は、厳しいものだった。


 不断の看護の甲斐も無く、ついに一人目を出してしまった。

 旧市街に住んでいた身寄りの無い高齢の男性が、ついに衰弱期へと、移行してしまった。





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