♯86 魔の国からの贈り物



 リコリスの球根が足らない。

 事態は深刻だった。


 カーディナル卿の話によると、リコリスは本来この辺りに自生する花では無く、毒性がある為、大量に栽培する事も無いらしい。


 そりゃそうだ。


 なので確保出来た200kgも、研究用に確保してあったものを、どうにか必死でかき集めてのものなのだそうだ。


 一応確認の為に聞いてみる。


「それで……、何人分の薬が出来るんですか?」

「疫神の残していった状態にまでするとなると、重さは約十分の一までに減ります。『乾燥』の魔法を使えば時間をかけずにその状態までにする事は可能なのですが、……出来て130人分がやっとです」


 130人……。

 聖都の人口が80万人らしいので、全く話にならない。


「処方の内、芋茎は失った栄養の補助、リグニア石はリコリスの毒によって、身体を損なわないようにする為のものです。七夜熱の病原体を殺すのは、実質リコリスの毒によるもの。……その肝心のリコリスが無いんじゃ、どうにもなりません」


 ガマ先生の悲痛な発言が皆に突き刺さる。

 リコリスが、……無い。


 私の実家の方でも見た記憶があるんだけど、確かに、群れなして咲いてはいなかった。

 山野を探せばもうちょっと見つかるかもしれないけれど、必要な量は乾いた状態で12t。カーディナル卿の言う通りであるなら、生の状態で120tもの量が必要と言う事になる。


 ……全然足らない。


「……ベルアドネさんの、実家」


 ハッと思いついたように、アネッサさんが顔を上げてベルアドネへと振り向く。


「確か、ベルアドネさんの実家ではリコリスが群生してるって、それならもしかしてっ!」

「リコリスの、……群生地」


 ぼそりと呟くカーディナル卿をはじめ、皆の期待のこもった視線がベルアドネに集中した。

 ベルアドネの生地、ヒサカ領はリコリスの一大群生地である。確かに、それは何度も耳にした。一度も行った事は無いけど、魔王様からもそう聞いてるし、それは間違い無いのだろうけど……。


 私とリーンシェイドは、皆がベルアドネに期待を寄せる中、俯かざるをえなかった。


 ベルアドネは一つ息を吐き、残念そうに口を開く。


「確かに、わんしゃの故郷はリコリスの一大群生地だがね。少し行けば見渡す限りのリコリスの花だらけで、球根の100tや200tくらい、すぐに用意できやーす」

「だ、だったら……」

「で、用意した所で、それをどうやって運びやーすん?」

「どうって、それだけの荷馬車を用意すればっ」

「ここ聖都から城まで荷馬車で二週間、ヒサカの地はさらにそこから二週間かかりやーす。例え1日で全ての荷を積み終えたとしても、往復で二ヶ月」

「二ヶ月……!?」


 ヒサカ領は魔の国でも僻地にある。

 そこまでの距離は、……あまりにも遠い。


「七夜熱はそこまで待ってくれやーすん? リコリスの球根が届いた頃には、聖都はすでに沈んでしまった後だがね」

「でも、それでも何とか!?」


 ベルアドネの言葉に一同が意気消沈する中、諦め切れないアネッサさんがさらにすがる。

 けれど現実は、……遠い。


「城まで何とか行ければ、手が無い訳でもありませぬ」

「バルルント卿……。何か方策がおありか?」


 痛い沈黙の中、ばるるんがおずおずと進み出てくる。

 ばるるんは難しい顔をしたまま、私を見た。


 ……私?


「今城には、クスハ様がおられます」

「……あっ」


 思わず間の抜けた声が漏れてしまった。

 そうだ。忘れてた。

 ……いや、忘れてた訳じゃないけど、思い付かなかった。


 天魔大公クスハ・スセラギさん。

 精霊転身で雷精になれる彼女ならっ!?


「千里の距離であろうと、彼の御仁には無いも同然。量が量だけに、何とも言えぬ所ではありますが、クスハ様に連絡が取れさえすれば……、二ヶ月もかかりませぬ」


 希望の光が……、皆の表情に差した気がした。

 中でも特に、勇者様とアネッサさんが、ばるるんの言葉に顔色を変える。

 

「なら、すぐに連絡を!?」

「だが、ここから城まで早馬を飛ばしても5日はかかりますぞ。それで、果たして間に合いますかな……」

「……5日か。それじゃあギリギリ間に合わない。間に合わないが、それしかないなら」


 ガマ先生が強面をさらにしかめる。

 けど、二ヶ月が5日になるなら……。


 突然、バンッと扉を蹴破る勢いで、勇者様が部屋を出て行った。


 ……急にどうしたんだろうか。


 突然の勇者様の行動に皆が不審がるも、魔王城へどうやって連絡を取ったら良いか、その相談がはじまる。

 すぐさま祐筆が呼ばれ、法主様からの親書作成の準備が進められていく。


 友好の為の協定を結ぶ準備をしに来たとは言え、未だその国家間協定は成っていない。

 神殿上層部のお方々とばるるんとの様子を見るに、だいぶ上手く進んではいるようだけど、……どうだろうか。


 魔王様に連絡がつきさえすれば、あの魔王様の事だ、必ず何らかの救いの手を差し伸べてくれる。

 そこは信じられる。信じてもいいハズだ。

 けど、事は政治の外交に関わってくる。

 政治は……、私には分からない部分が多い。


 不安に感じているのは私だけでない。

 魔王様の事を直に知らない面々も、不安げに事の成り行きを見守っている。


「よし、すぐさまこの親書をもって……」


 法主様が親書にサインを記し、声を上げた時だった。


「待ったぁぁぁあああ!」


 出て行ったハズの勇者様が戻ってきた。

 肩で大きく息を乱し、手にはメモのようなものを握り締めている。

 何だかだいぶ慌てているようでもある。


 何がどうした?


「どうしたのだ、ユーシスよ。そのように慌てて」

「この、これ。コイツをレフィアさんにっ」

「……私に、ですか?」


 勇者様が手に握り締めていたメモ書きのようなものを、そっと受け取る。

 何て事のないメモ書きのようだ。

 恐る恐るその内容に目を通す。


 一瞬。思考が止まる。


 ……。


 ……。


 はっ? ……何で?


 そこには、物凄く見覚えのある筆跡で、走り書きがしてあった。


 ──明日正午。聖都城門前で待て。魔王。


 いや、だって。……え?

 魔王、……様? 魔王様からの伝言?

 どうして、このタイミングで?


 私はあくまで冷静を装い、伝言の内容を法主様達へ告げた。


 翌日。


 聖都城門前に整列した私達の前に、信じられない光景が広がっていた。


「クスハと申します。陛下よりの贈り物をお届けに上がりました」


 魔王城にいるはずのクスハさんが、空を突き破るような轟音をともなって現れ、まるで何事も無かったかのように口上を述べる。


 いや、いやいやいやいや。


 ニコリと微笑む絶世の美女に、法主様をはじめ、威並ぶ面々も開いた口が塞がらない。


 さもありなん。


 クスハさんの後ろには、背に荷袋をくくりつけた荷牛がズラーッと並んで控えている。

 ざっと見ても500頭以上はいる。

 それらが一瞬で目の前に現れたのだ。


「リコリスの球根を200t。確かに、お届けいたしました」


 ……一体、何が起こったんだろうか。

 さらにクスハさんはその中の一頭を引き連れ、背に括られた頑丈そうな木箱を法主様に差し出した。


「こちらには、リグニア石が50kg分用意してあります。どうぞ役立ていただけますよう」

「……か、かたじけない。リー殿には、深い感謝の意をお伝えいただきたい」

「確かに。承りました」


 ニコリと微笑むと、クスハさんは再び轟音とともに魔王城へと帰っていった。

 正に、晴天の霹靂?

 一瞬の内に、矢継ぎ早に状況が変わる。

 いや、……何だこれ。


 後に残る、魔の国からの贈り物。


 足りなかった薬の材料が、一気に揃ってしまった。


 それから法主様達が我に返るまで、しばらくの時間が必要だった。


 何が起こってるんだ。これは。

 ごめん。……誰か、説明して下さい。


 特に魔王様。

 あのメモ書きはどこから飛んで来たんだ……。




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