♯85 過日の約束



 ガマ先生を連れて、私達はすぐに戻った。


 神殿に着くなり勇者様から法主様にお願いして、神殿の上層部を一同に集めてもらう。


 けど、ハラデテンド伯爵がいない。


 あの、喧しいおっさんだけが来ない。

 あんまり好ましい人では無いので、いないならそれでも構わないんだけど、あんなんでも確かこの国の重鎮。

 聞けば、リグニア石を相場の二倍で買い取ると決まった時、どうやら最後まで納得がいかなかったらしい。


 ご不満一杯のハラデテンド伯爵。


 何のつもりか買い取りの現場にまで直接出向き、色々といらん口を出しまくってるのだそうだ。


 ……何やってんだ、あのおっさん。

 現場もいい迷惑だろうに。

 そんな阿呆やっててこんな大事な場にこれないとか、ちょっと頭の出来を疑わざるをえない。


 ハラデテンド伯爵って、好きになれそうにない。

 好き嫌いの問題じゃないんだろうけど。


 代わりと言っては何だけど、集められた顔ぶれの中に珍しくばるるんの姿があった。

 アリステアに来てから全く別行動だったので、何だかずいぶんと久しぶりな気がする。


 勇者様から軽く紹介を受けた後、ガマ先生から七夜熱の詳細と、それが聖都で広まる可能性が高い事の説明がなされた。

 説明が進むにつれて、目に見えてお偉いさん方の顔色が青ざめて行く。中には、今にも卒倒しそうな位に目を回しはじめる人までいる。


 ……もうちょっとしっかりしようよ。


 最後に、もうあまり時間が残されていない事を告げて、ガマ先生の説明が終わる。

 全員が一様に押し黙ってしまった。


 理解は出来ても納得がしづらい。

 正に、そんな様子が見て取れる。


「それは、……七夜熱だというのは確定なのだろうか」


 カーディナル卿が絞り出すようにして声を上げる。

 中央神殿の医療部門を統括する枢機卿だそうだ。


 普段は柔和そうな細面のおじいちゃんだけど、自分の担当する分野の事でもあり、事の重大さを誰よりも理解してるのか、怖い位に慎重な顔つきで進み出てきた。


「先程も言いましたが、決して確定ではありません。ですがこの一週間、調べに調べ尽くしても特定できなかったものの中で、唯一該当するのが七夜熱なんです。その意味をよくお考え下さい」


 一瞬、誰だと思う程に丁寧なガマ先生。

 さすがに法主様達の前では口調が違う。

 ……当然か。


 それでも納得の行かないカーディナル卿が、さらに言い寄ろうとする所で法主様が手を挙げた。カーディナル卿が下がり、法主様が落ち着いた様子で口を開く。


「その前に、一つ確認をさせて欲しい。ガマ殿が以前にいた国というのは、もしや、ファレナド王国では?」

「はい。……確かにそうです。私はファレナド王国に籍をおいていました」


 ……そういえば、ガマ先生が前にいた国の名前を、まだ聞いてなかった気がする。

 七夜熱のせいで沈んでしまった国。


 ……あれ? 何で法主様は知ってんだろう。


 戸惑いながらも答えるガマ先生に、法主様の相貌が穏やかに緩む。……緩む?


「ではガマ殿はもしやすると、ファレナド王国の王宮医局の筆頭主席であった、ガマ・ボイル殿ではないだろうか」


 ……。


 何か法主様の口から凄いのが出てきた。

 王宮医局……、筆頭主席? ガマ先生が?

 突然飛び出してきた肩書きに、周囲がざわつく。

 中でも一番動揺してるのは、当のガマ先生だった。


「確かに、ガマ・ボイルは私ですが、何故それを」

「ガマ殿、私だ。ミリアルドだ。お互い随分と老け込んでしまったが、もうお忘れだろうか」


 法主様の名乗りに、ガマ先生の両目がとんでもなく大きく見開かれた。


「まさか、……ミリアルド助祭、ですか?」


 ……助祭?


「こんな形で再び会えるとは。これぞ女神の采配と言うのだろうか」

「そんな……、まさか。聖都の法主様がミリアルド助祭……、いえ、法主だったなんて。こんな事が……」


 この二人、知り合いだったの?

 何だか、ずいぶんと古い知り合いのようだ。


 動揺しまくりのガマ先生の手を、法主様が優しく包み込む。

 感極まったのか、その場に崩れ落ちるようにしてガマ先生はしゃがみこんでしまった。


「聖女様。法主様はガマ先生と知り合いだったんですか?」

「……私にも何とも。叔父様が助祭だった頃という事は、まだ私が生まれる前の事でしょうし」


 同じく首を傾げている聖女様に聞いてみたけど、よく分からないようだった。

 法主様が振り向き、懐かしむように目を細める。


「ファレナド王国が疫病で沈んだ時。当時助祭だった私も、現地の人々の鎮魂の為に派遣されていてね。そこにガマ殿もいたのだよ」

「……叔父様は確かリンド王国へも派遣されてましたわよね。仕事中毒も大概になさらないと、その内死にますわよ?」


 ……法主様って、昔からそういう人なのか。

 そういえば何だかんだで魔の国にも来てたっけか。

 この人、……本当にいつか過労で倒れるでしょ。


「あの時の私は、何とか七夜熱に打ち勝ちはしたものの、家も家族も、国さえ失っていました。生きる事が、ただ苦痛でしかありませんでした。ミリアルド法主にお会いする事が無ければ、今の私は無かったでしょう。心より感謝しています」

「女神よりの祝福を広める者の一人として、当然の事をしたまで。だが、今こうして手を取り合える事を何より喜ばしく思う」


 法主様もまた、ガマ先生と手に手を取り合い、深い感謝の意を示した。本当に、心から喜んでいる様子なのが分かる。

 体格からするとガマ先生の方が法主様よりも大きいハズなのに、何だか久方ぶりに再開した親子のように見える。


 そう感じるのはどうやら私だけでは無いらしく、周囲に並ぶお偉いさん方もまた、厳かに二人を見守っている。


「心折れず医の道に生きてくれていた事を、何よりも嬉しく思う。あの時の約束を、覚えておいでか?」

「忘れる訳がありません。法主様との約束こそ、今日までの私の生きる原動なのですから」

「叔父様との約束……、ですか?」


 聖女様がガマ先生を気遣って手を添え、そっと立ち上がらせて膝の埃を払う。


「私が生き残った事には必ず意味があるのだと。法主様は何度も何度もそう言って、生きる気力を失った私を励まし続けてくれました。そして、法主様とある約束を交わしたのです」

「救えなかった命を悼むのであれば、今この時に、医の道を諦めてはならない。どうかガマ殿にしか救えない、より多くの命を救う為にも、医者であり続けて欲しいと、そう、約束を交わしたのだよ」

「まさか、覚えておいでとは……」

「忘れる訳がない。ちゃんと、覚えているとも」


 旧市街の診療所で、ガマ先生が言い淀んでいた時の事をふと思い出す。

 七夜熱に打ち勝って生き延びたとしても、家も家族も国も失い、たった一人で残された人達。その人達に待っているもの。……それからの、日々。

 あの時ガマ先生が言い淀んだものが、何となく分かった気がする


 疫病は重く深い爪痕を残す。

 死に行く者にも、生き残った者にも等しく。


「カーディナル卿。そなたが大事にしている医術書『千草万鑑』を編纂した者こそ、このガマ殿なのだ。そなた、機会が許されるのであれば一度、会ってみたいと言っていたではないか」


 法主様がポカンとしているカーディナル卿に声をかける。

 カーディナル卿は突然、ハッとなって表情を変え、目を輝かせはじめた。


「で、ではまさか……、あ、あの『天久』のボイル殿であらせられましまたか。これは、とんだ失礼を」


 やっぱりガマ先生、只者じゃなかった。


「アネッサが師事していたという師が、まさかガマ殿であったとは。ひどく驚きもするが納得も出来る。良い師に巡り会えたのだね」

「はいっ! 顔も口も性格も悪いですけど良い先生です!」

「お前な……」


 胸を張って自信満々に答えるアネッサさんに、どこか緊張が和らぐ気がした。

 ガマ先生も困ったように頭を押さえてる。


 一呼吸開けて、法主様が空気を切り替える。


「ガマ殿。このような時に再び出会えた事こそ我らが救い。どうか我らにその経験と叡智をお貸し願えないだろうか」

「……微力ではありますが、ミリアルド法主様へのご恩に報いる為にも、尽力させていただきます」

「ありがたい。カーディナル卿」

「はい。よろしくお願いいたします。ガマ殿」


 カーディナル卿が一歩進んで頭を下げた。

 ギョッと息を飲む声がちらほらと聞こえる。


 ……枢機卿が、旧市街の町医者に頭を下げた。

 驚きを隠しきれないガマ先生に比べて、顔を上げるカーディナル卿は、どこか誇らしげでもある。


 中央神殿の医療部門を統括する枢機卿が頭を下げた事で、ガマ先生が采配を振るう事に誰も文句が言えなくなった。……という事だと思う。


 こういう事をさらりとやってしまえる辺り、法主様もこのカーディナル卿も、何か凄いなぁと圧倒されてしまう。

 年の功、だよね。


「法主様、その代わりと言う訳でもないのですが。薬の取り扱いについて、どうか旧市街の者達にも行き渡るよう、配慮をお願いできませんでしょうか」

「無論だ。聖都に住む全ての者に行き渡るよう、法主の権限をもって無償での配布を約束しよう」

「っな!?」


 はっきりと言い切った法主様の言葉に、ガマ先生だけでなく、一同が驚きを見せた。


 ……無償配布って、無料で配るの?

 なんちゅー大胆な決断をいとも簡単に……。

 材料のリグニア石って、安くないんだよね?


 さすがに聖女様も驚いた顔をしている。

 小心者で決断力に欠ける? 誰が?

 巷での評判もあてにならないかもしんない。


「だが、一つ問題もある。それを何とかしない限り、それもままならぬ」

「問題、……ですか?」


 問い返すガマ先生に、法主様に促されたカーディナル卿が答える。


「現在聖都にいる人口は約80万人に及びます。その全てに必要な薬の材料を確保しようとすれは、芋茎8t、リグニア石40kg、リコリスの球根12tが必要になるのです。芋茎とリコリスの球根については、充分に乾燥させた上でこの量ですので、生の状態であればそれ以上の量になります」


 何か、凄い量だね。……80万人分か。


「あらゆる方面から材料を集めてきましたが、この一週間で必要量確保出来たのが、芋茎12tのみ。リグニア石は半数の20kg。リコリスの球根に至っては……」


 言い淀むカーディナル卿に法主様の顔も暗い。

 凄く嫌な予感がする。


「生の状態のものが200kg」


 ……。


 ……。


 こらこらこらこら。

 全っ然足らないじゃん!?


「今も懸命に方々からかき集めてはいますが、それも後どの程度確保出来るものか……」


 現在の確保量に、誰もが言葉を失う。

 カーディナル卿がさらに力無く告げた。


「……材料が、全く足らないのです」





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