♯76 疫神
勇者様の案内で渡り廊下を戻る。
何だか慌てて急かされてるようにも思う。
来ては駄目な所だったんだろうか。
気になって、残ってる方のもう一人を振り返る。
黒を基調とした格好に、何故か怪しい銀の仮面。
白昼堂々と、……何故か怪しい銀の仮面。
「あの人……」
服飾センスがどこかの誰かを彷彿させる。
「アイツなら心配ないさ。こんな所でどうこうなるヤツじゃない。むしろどうこうなるなら見てみたいぐらいだ」
「悶々してると、社会に対して斜めな方向にベクトルが向いたり、……するんでしょうか」
「……その辺りには触れないでやるのが優しさだな。麻疹みたいなもんで、誰もが経験し、いずれ卒業していくもんさ」
賢者みたいな顔をして言う勇者様が何かキモい。
何故そこで目を細めて遠くを見る。
「え!? じゃあ『
トルテくんが急に、驚いた様子で振り向く。
まるで何かに裏切られたかのような顔をして、勇者様を仰ぎ見た。
……くりむぞんれっどあい?
「なっ!? トルテ、何でお前がそれを!?」
「……赤いの?」
「ギルドのおっちゃん達から聞いたんだ。勇者様も昔は一年中、鎧の下に膝丈まである真っ赤なレザーコートを着込んでたって。あと、両目ともしっかり見えるのに、赤い魔石のついた眼帯を愛用してたんでしょ? もうやらないの? 一回ぐらい見てみたかったのに!」
「……アイツらかっ!」
今にも地団駄を踏みそうなトルテくんを、ちょっと可愛いと思ってしまった。
私もこんな弟だったら、欲しかったかも。
勇者様は困ったように手で口もとを覆っている。真っ赤なレザーコートは……、着る人を選ぶよね。
それが勇者様に似合うかどうかまでは知らん。
「勇者様も昔は……、赤かったんですね」
「ま、まぁ……、ちょっと赤かったかな。若気のいたりだ。だからまぁなんだ、そっとしておいて欲しい。あれもその内に脱色するだろ」
「ちぇっ。残念すぎる」
「拗ねるな拗ねるな。お前にもすぐに分かる」
頬をぷくーっと膨らませるトルテくんの頭を、勇者様がガシガシと荒っぽく撫でる。
随分と気安い感じがする。
人のいる方へ向かっているからか、行き違う人もちらほら増えてきた。仲の良い二人の様子に、すれ違う人も微笑ましく目元を緩ませて行く。
「勇者様とトルテくんは……、知り合い?」
実際の歳は親子ほど離れてるんだろうけど、こうして見てると何だか兄弟みたい。
「馴染みの店で働いてる子の弟なんだ。こんな外殿にお祈りにくるような殊勝な子じゃないんだが、……トルテ、今日は一人で来たのか?」
「オレだってたまには外殿くらい来るってーの。今日は姉ちゃんに付いてきただけだけど……。頼まれた仕事のリストを届けに来てて……」
「はぐれたんだな。アリシアも一緒か。あれかな、俺が頼んだヤツをわざわざリストアップしてくれたのかもな。そいつぁ、ありがたい」
勇者様とトルテくんの会話の中に出てきた名前に、ちくっとばかりにひっかかりをおぼえる。
……アリシア、さん?
「ねぇ、トルテくんのお姉さんって、アリシアさんって言うの?」
「ああ、冒険者ギルドで受付の仕事してるんだ」
「トルテ、言葉言葉」
「……してるんです」
勇者様が嗜めると、こそっと言い替えた。
いや、私だって農家の娘だし。
そこまで気にする程の事でも無いんだけどね。
「いいよ、言葉使いなんて話しやすい方で。私もトルテって呼ぶからトルテも気にしないで。それよりも聞きたいんだけど、アリシアって初代聖女様の名前……だよね?」
「うん。初代様の名前にあやかってってんで、聖都じゃ一番ありふれた名前でさ。大通りで叫べば大抵5人は振り返るぜ」
「そう……、なんだ」
知らなかった。そんなにありふれた名前なんだ。
セルアザムさんのペンダントの女性と、一足飛びに結び付けるのは短慮に過ぎたかな。
少し焦り過ぎてたかもしんない。
「アリシアもいるなら大丈夫だな。もうすぐ拝殿だから、後は一人で行きな。さすがに、レフィアさんをこのまま拝殿に連れて行く訳にはいかん」
「……だよな。ごめん。助かった」
……。何で?
言外に何かを含めて二人で納得しあってる。
何か除け者にされてるみたいで気に入らない。
「ここまで来たんですから、私も拝殿まで……」
ご一緒します。……と言いかけて言葉が止まる。
……何これ。
魔力? ……に似てるけど、ちょっと違うような。
突然、空気が異質な感触を含んだ。
勇者様の表情も、一瞬にして厳しいものに変わる。
「……勇者様、何ですか? これ」
「レフィアさんも感じたか、すまないが分からん。分からんが、……空気が変わったな」
「どうしたの? 二人して」
これをどう表現したらよいのか。
例えるなら、突然目の前に山が出来たような。
平地を歩いていたらいきなり森になったかのような。
上手く言えないけど、空間的なものが、変化した。
「……私にもよく分かりませんが、何かが、……来ます」
言い切ったその時、悲鳴の入り雑じった響動めきが建物を揺らした。
これは……。
「拝殿の方だ!」
「はいっ!」
魔力感知にもだいぶ慣れたのか、私にも分かる。
この先の拝殿に、何かとてつもないものが現れた。
そこに敵意も殺意も感じられないけど、それは何だか酷く大きなものに感じられる。
……一体何が?
勇者様と並んで渡り廊下を駆け抜ける。
「レフィアのねーちゃんは拝殿に行ったらヤバいって!」
トルテも声をあげながら走って着いてくる。
「トルテはここにいろ!」
「意味分かんねぇし!」
勇者様が嗜めるけど、……まぁ、無理だよね。
多分危険は無いとは思うんだけど、心が焦る。
何故だか、急いでそこに行かなくてはいけない。そんなような気がしてならない。
拝殿までは本当にあと僅かだった。
近くまでくると、怒号と悲鳴があちこちから聞こえてくる。
「あ、えっと……、これ。どうしよう」
拝殿の出入口まで来てはみたものの、慌てて外に出ようとする人達で溢れかえっている。
この人の波を掻き分けて中には……。無理だ。
「レフィアさん、こっちだ。拝殿の奥から中へ!」
出入口から中へ入る事はあきらめて、勇者様の示す方へと向かう。拝殿をぐるりと回りこんで裏側まで来ると、人気のない閉まったままの扉があった。
これ、もしかして普段は閉めきっている拝殿の上段に行く扉なのかもしれない。
こんな所から入るなんて……。
ちょっとワクワクしてしまうじゃないか!
……こんな時に不謹慎ですみません。
「ちっ。やっぱり鍵は開かないか」
「……駄目じゃないですか」
「駄目じゃ、ないさっ!」
気合い一閃。
剣を抜き様、一太刀のもとに鍵が両断された。
……いいのか? これ。
勇者様が力任せに扉を蹴り開けた。
怒号と悲鳴が一際大きくなる。
そのまま中へと飛び込んで行く。
思い切りの良い事で。
滅多に出来ない体験なので、私もついていく。
トルテくんと一緒に……。って、おい。
……トルテくんまで来ちゃったか。
「な、なんだっありゃ!?」
後ろのトルテくんに『危ないから』と言おうとした所で、当のトルテくんが棒立ちになり、目をまん丸にして大声をあげた。
急いで拝殿の中へ振り返る。
「……え? あれって」
勇者様が押し開けた扉は、想像していた通り拝殿の中でも一段上にある、聖女像の足元に出る扉だった。
頭一つ高いこの場所からだと、広い拝殿の中が一望出来る。
その拝殿の入口近くに、それはいた。
ざっと3メートルぐらいだろうか。
大きな泥の塊が、悲鳴を上げて逃げ惑う人達の中を、のっしのっしとこちらに近付いて来ていた。
さっき感じた大きな何かは、これに間違いない。
直接目の当たりするとよく分かる。
実際に目に見えているもの以上に、強大な存在感を強く感じる。
まるで山がそこにあるかのように感じたのも、あながち間違いではなかったのかもしれない。見た目はやや大きめな泥の塊だけど、魔力的には山そのもののようにしか思えない。
事実あれが自然そのものであると、私は知っている。
記憶の中にあるものとは、だいぶ大きさが違うけど。
逃げる人々との間に出来たわずかな空間に、勇者様が剣を構えて躍り出た。
「勇者様だっ!」
誰かが叫んだと同時に、ワッと響動めきが歓声に変わる。
「魔物かっ! それ以上は近づくなっ!」
どこにそんな余地があったのか、勇者様の周りからザーッと人が履けて、立ち回る空間が出来てしまう。
でも、それはちょっと不味い。
私の聞き間違いでなければ、勇者様は今、魔物と呼び掛けた。
……勇者様はもしかして、あれを知らない?
ヤバい。このままじゃ勇者様があれに斬りかかってしまう。
「駄目ですっ! 勇者様! 待って下さい!」
……駄目だ。歓声が大きすぎて声が届かない。
どうする? どうすればいい?
あれは魔物じゃない。
あれを傷つけては駄目だ!
何か、何か無いか!?
勇者様の気を引くもの……。
一時でも歓声を止めるもの……。
ここは拝殿の上段。
あるのは聖女像と柵と……。
儀式か何かで使う大きめの、……錫杖?
……。
……。
聖女様。ごめんなさい。
「トルテ! 呆けてないで手伝って!」
「え? あ、ああ……。って、ええ!? レフィアねーちゃん、何を……」
「いいからっ! 手伝って!」
力が少し足りないかもしんないけど、錫杖を下に差し込んでテコみたいに使えば、……何とか!
「うぉりゃぁぁぁあああああっ!?」
元々足元が細く、頭の方が大きく造ってあったからか、思いの他簡単に動いてしまった……。
「あぶなーいっ! 気をつけてーっ!」
お願いだからっ! 気づいて!
「……ん? って、お、おわぁぁぁあああああ!?」
幸運にも近くにいたおじさんが振り向き、大声で悲鳴をあげてくれた。
そのおじさんの悲鳴が周りにも伝わり、さーっと人垣が布を引き裂くかのように割れていく。
人間、必死になれば何でも出来るもんだね。
直後、ズシーンッと地響きを立てて、5メートル程の高さの聖女像が拝殿の内部に倒れこんだ。
「……オレ、知らねぇ」
不思議な静寂につつまれる拝殿内。
ボソリとつぶやいたトルテくんの声が響き渡る。
っていうか、響き渡り過ぎる。
……何か、思った以上に静かになっちゃった。
みなの視線が、上段にいる私に集まる。
「……勇者様、待って下さい。魔物じゃありません」
今度は大声をあげなくても届いた。
「それ、疫神です」
勇者様が剣を構えたままこちらを振り向き、また疫神を見て、もう一度振り向く。
「やく……がみ?」
どうやら、やっぱり知らなかったみたい。
危ない所だった。
「道を開けて下さい! 中へ通して!」
興奮の静まり返った拝殿の中に、凛とした声が割って入ってきた。
人波の中から、髪をくしゃくしゃに乱した聖女様がひょこっと顔を出す。
「これはっ! 一体何事ですの!?」
「あ、いや。その……、何というか」
疫神と向かい合う勇者様の側までくると、聖女様は勇者様に詰め寄った。
静まり返っていた周りが少しずつ、ザワザワとザワツキはじめる。
「疫神です。その土地固有の精霊が長い年月を経て、その土地の土地守となったものが、何らかの穢れをまとい現れるものです。決して悪しきものではなく、誰かに危害を与えるものでもありません」
聖女様に続いて人波からしれっと現れたリーンシェイドが、聖女様と勇者様に疫神の説明をしてくれた。
リーンシェイドは知ってるんだね。
「疫神……ですの? 危害を加えないって、あの……、聖女像が倒れてるのは……」
聖女様がチラリと、床面に倒れこんでいる聖女像を視線で示す。
「おそらく。皆さんを止める為にレフィア様が倒されたのだと思います。疫神に危害を加えるのは愚かな行為ですので」
……。
……。
いや、まぁ。その通りなんだけどさ。
何でリーンシェイドに分かるんだろう。
私が倒したって……。
みなが静かに見守る中、上段から降りる。
人波をやっとこどっこい掻き分けて、何とか聖女様達のそばにたどりつく。
途中で何度か人と目があって、物凄く驚いたような顔をされたけど、何だったんだろうか。
中には二度見する人もいたりして、周りからの不思議な視線が気になる。
「レフィア様。いかがされますか?」
同じような視線は、リーンシェイドにも注がれてるっぽい。けど、その視線の意味は分かる。
彼女に視線を注いでる連中の顔を見れば一発だ。
ものすっごい見とれてる。
気持ちは分かるぜ、あんちゃん達。
……いや、ごめん。問題はそこじゃないか。
目の前にいる大きな大きな疫神。
うん、これ。
どうしようね……。
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