♯77 お・も・て・な・し



「こりゃまた。見事なもんだがね」


 どうしようか悩んでいると、ベルアドネが拝殿の上段からのほほんと姿を見せた。

 みなが見守る中、するりと降りてくる。


 サーッと人垣が割れて自然と道ができた。

 納得がいかん。……何故だ。

 私の時は誰もどいてくれなかったのに。


 本能的に近寄りたくないからだろうか。

 変態が伝染ったら大変だもんね。うん。


「わんしゃの実家の方じゃ、ここまで育ちやーした土地守もそうそう見やせんて。この辺りの土地が豊かな証でやーすな」


 ごく自然に合流してくる変態娘。

 側にくるなりほっぺをむにゅっと摘ままれた。


「いひゃい。……何ひゅんのいきなり」

「考えとる事が顔に出とらっせるがな」

「な、なんのほとひゃな……」


 リーンシェイドに続きベルアドネまで。

 流行ってるんだろうか、読心術。

 ……あなどれん。


 ベルアドネも当然の如く疫神を知ってるっぽい。

 逆に思う。何で聖女様達は知らないの?


「土地守ですか……。初めて聞きました。精霊の一種なのでしょうか」

「私は聖女様が知らない事に驚いています。村にいた時も、何度か助けてもらってましたから」

「村に? ……そうですか。最近噂になっていた正体不明の魔物というのも、もしかしたらこの疫神の事なのかもしれませんわね……」


 呆然としつつも情報を整理しようとしてるのか、独り言をつぶやきながら聖女様は考え込んでいた。

 勇者様はほけーっと疫神をマジマジと眺めている。


 正体不明の魔物?

 そんなのが噂になってたんだ。

 そう言えば、そんなような事をどっかで聞いた気もする。


「それで? どないしやすん? これ」

「どうって……、どうしようか」

「ここに来た以上は誰かがやらんとあかーせん。誰がやるのかって事だがね」

「あ、そっか。そういう事だよね……」


 誰かがやると言っても、聖女様達は知らないみたいだし、無理だよね。

 ここは、私達でやるしか……、無いのかな?


 疫神が来た以上、放ってはおけない。

 こんだけ大きな疫神は初めてだけど。


「聖女様達は知らないみたいだから、私達でやろう。リーンシェイドはお膳の準備をお願い。ベルアドネは酒肴の方をお願いしてもいい?」

「畏まりました。聖女、厨房を少しお借りします」

「え? あ、はい。……何をするのですか? 」

「何って、えっと……」


 どうしよう。どう説明したらいいのか。


「何って、決まっとるがね」


 ニヤリとしたベルアドネが手の甲を向けて、言葉を刻む。


「お・も・て・し・な。……な?」


 ちっがーうっ!

 自信満々で間違うなー!


「お・も・て・な・し、ですね。聖女様。沐浴場を借ります」


 阿呆の子の頭をぺしっと叩いておく。

 何度もぶつぶつと、『おもしてな? おしてもな?』と呟いては首を捻ってやがる。

 だから『おもてなし』だってばさ。


「まずは疫神の穢れを落としてあげないと」


 まずは場所を変えないといけない。

 どのみち、ここでは無理だ。


 何が大変って、拝殿から疫神を移動させるのにかなりの苦労を強いられた。

 聖女様や神官さん達がテキパキと動いて人を移動させ、ゆっくりと疫神を沐浴場まで誘導させる。

 途中、私がひっくり返した聖女像をベルアドネが傀儡術で元通りに戻して、興奮したトルテくんがお姉さんに大目玉を食らうという一幕もあった。


 聖女像を倒した事は見逃してくれるっぽい。

 ……ごめんなさい。


 沐浴場にまで来たら、後は私の仕事だ。

 腕と足の裾を捲り上げて気合いを入れる。


 さすが聖女教の中央神殿。その沐浴場は広く厳かな石造りで、至る所に丁寧な彫刻が彫りこまれている。

 疫神の汚れを落とせればいいので、贅沢に過ぎてても問題は無いハズ。


「これから、何を始めるのですか?」


 傍らで、聖女様が不安そうにこちらを見ている。

 木桶で水を汲み上げ、拭い布を浸して搾る。


「土地守はその土地の霊的なバランスを整えているんです。豊かな土地は精霊の力に溢れ、その精霊の中から、こうした土地守が現れる。土地守のいる地域は旱魃や虫害が起きにくく、実り豊かな土地は、そうしてさらに精霊力を増していくのだそうです」


 疫神にそっと水をかけて、力をこめて身体を拭う。

 こびりついた泥が中々にしぶとい。


「土地守は霊的なバランスを保つと同時に『悪いモノ』からも守ってくれているそうなんです。このっ、ぐ、硬い。この泥みたいな汚れは、そういった穢れがこびりついたもので、土地守の力では防ぎきれない災厄が迫ってきていると、こうして疫神となって警告しに来てくれるのだと教わりました。……ふぅ」

「災厄……?」

「多くは流行り病の類です。私のいた村では、疫神が来ると風邪が流行りはじめていました」


 一拭きごとに力をこめて汚れを落とす。

 大事なのは感謝と労いの心をこめること。


「それは、その疫神が病を運んでくるのでは無くて?」

「逆なんだそうです。病が流行るのを止められず、こうして先んじて教えに来てくれるんです。なので疫神として現れたなら、その働きを労いもてなすのだと。そうする事でこれから流行るであろう病の種類と、その薬の処方を疫神が教えてくれるんです。私達の村ではよくそれで、何度も助けてもらっていました」

「そんな事が……、いえ、今こうして目の前にいるのですから、その通りなのでしょうけど。そんな事があり得るのですね。正直な所、驚いています」


 どこの村でもやってるもんだと思ってた。

 あんまり一般的なもんじゃなかったのかな?


「ベルアドネさんやリーンシェイドさんもご存知のようでしたね。『あちら』の方ではそれが普通なのかしら。レフィアさんは、それを誰から教わったのですか?」

「私は……、あれ? 誰から聞いたんだっけ」


 そういえば、誰から聞いたんだっけ。

 気づけば毎年のように疫神の世話をしていた。

 多分、ずっと小さい頃からやってる。

 もっと、ずっと小さい頃から……。


 ……。


 ……。


 あっ。


「セルおじさんだ……。セルおじさんに教えてもらったんだった。……私」

「セルおじさん? ……それは、村の方ですか?」

「いえ、村に一時住んでいた元行商人のおじさんで、物凄く物知りな人がいたんです。他にも文字や計算とか、色んな事を教えてもらいました」


 そうだ、セルおじさんだ。

 あの時はそうとは知らなかったけど、当時人間の村に隠れ潜んでいた、悪魔大公のセルアザムさん。あの人から教えてもらったんだった。


 ……という事はあれだ。

 土地守云々の知識は元々魔族の知識で、人間の社会では知られてなかった事なのかもしれない。

 その可能性が見えてくる。

 だってセルアザムさんも魔族だもん。

 それなら聖女様達が知らなくても、ある意味仕方無いのかもしれない。


 ふと、思う。


 人間側と魔族側で、持ってる知識にずいぶんと隔たりがある気がする。

 迷宮の事とか、魔族や疫神の事なんかも。

 魔族側が当然のように知ってる事を、人間側は知らないって事が多々あるような気がしてならない。


 ……何だろう、これ。

 ちょっとばかり不自然じゃないか?

 何でそこまで知識が隔たってしまうんだろうか。


 住んでる世界が違うと言っても、次元を超えた別世界にいる訳じゃない。地続きの、同じ大地の上で暮らしているハズなのに。


 わざと人間側に教えないようにしてる?

 知識の柵で囲いこんで閉じ込めているような、誰かの作為的なものを感じる。


 誰が、何の目的でそんな事をするんだろうか。

 分からない。

 分からないけど……。


 とても嫌な感じがするのは確かだ。


「流行り病ですか。それはとても気になりますわね。私もお手伝いいたしますわ」


 聖女様が鼻息荒く袖を捲り、ドボンッと木桶に拭い布を浸して搾る。とても高い地位にいるハズなのに、何だかとても仕草が様になってる。

 教義の上の建前だけでなく、本当に自分で毎朝、身の回りの掃除をしてるからだとよく分かる。


 力を込めてぐぃっと一拭いする。

 聖女様はそこで、はたと動きを止めた。

 まるで、信じられないものを見たかのように目を見開いて、手元の拭い布と疫神とを見比べた。


「……これ、そんな。……まさか」


 狼狽する聖女様に、肯定の頷きを返す。


 村にいた時は気付かなかったけど、魔力というものを知った今なら、とてもよく分かる。

 これ、一拭いごとに、魔力がごっそりと持ってかれている。そりゃ驚くよね。私もびっくりした。


 村に来ていた疫神はとても小さく、膝丈よりも小さかった。それでも一通り拭い終わると、へっとへとに疲れ果てていたのを覚えている。

 魔力を相当量消費してたからなのだと、今にして思えば納得もいく。


 無言で目の前の疫神を見上げる。

 ゆうに3メートルは超える巨体だ。


 ……。


 ……。


 これは、……相当に過酷そうだね。


「聖女様は無理をしないで下さい。出来る所までで構いませんから」

「そういう訳にも、いきませんっ!」


 意識して魔力を込めると、その分だけ汚れが落ちていく。

 二度三度と繰り返し拭うと、それだけで額に汗が浮かび、呼吸も荒くなっていくのが分かる。


「はぁ、はぁ。これはっ、何というかっ、相当にきついっ、ですねっ……」

「聖女様は無理をなさらずに、休み休みで構いませんから。……大丈夫です。多分」


 少しもしない内に、聖女様は肩で息をし始めていた。

 相当にきつい作業ではあるけれど、私はそこまで消耗している訳ではない。普通に向き不向きがあるのかもしれない。


 だったら、やれる人がやればいい。


 しばらく無言で作業に没頭する。


 木桶に拭い布を浸して搾る。

 魔力をこめて疫神の汚れを拭い落として、また木桶の中ですすぐ。


 一拭いごとに魔力をこめて。

 少しずつ、少しずつ汚れを拭い落としていく。


 ただひたすらに。黙々と。

 同じ作業を繰り返す。


 魔力の消耗は疲労となって身体にまとわりつく。

 だんだんと重くなっていく手足を何とか持ち上げて、額の汗を拭い、絞り出すようにして魔力をこめる。


 何度も何度も。

 拭っては搾り、拭っては搾る。


 でっかいな……。

 さすが聖都の土地守だ。


 ……。


 ……。


 もう、限界です。


 へっとへとになり、クッタクタになって床に転がる。

 ゼェゼェと大きく肺を上下させる自分の呼吸が、まるで自分の呼吸とは思えないぐらいに遠く聞こえる。


 はしたないのは分かってるけど、沐浴場の床で大の字に寝転がったまま、……もう指先一つ動かせる気がしない。

 ちらりと横を見ると、聖女様もまったく同じ格好で床に寝転がっていた。

 私と同じで、もう小指一本動かせそうにもなさそうだ。


 二人とも疲労困憊で、そんな余裕なんてまったく無いハズなのに、クツクツと込み上げてくる笑い声が同時に重なった。


 ……終わったぁぁぁあああああ。


 何とか二人で疫神の汚れを一通り拭い落とした時には、すでに夕陽が沈みかけ、沐浴場内を赤く染め上げていた。





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