♯73 リリー・リーって誰だよ(魔王の憂鬱6)



 中央神殿の外殿にある渡り廊下。


 魔王城とまではいかなくても、かなりの広さを有するアリステアの中央神殿。聖都の象徴ともいえるこの中央神殿の構造は、内殿と外殿とにはっきりと区分けされている。

 内殿では法主や聖女をはじめとした神官達が生活していて、基本的に立ち入りが禁止されている。外部の者が自由に行き来が出来るのは、外殿部分のみとなる。


 その外殿をぐるりと巡る渡り廊下の巡回警備が、冒険者としての俺に割り当てられた仕事になった。


「あの野郎……、腹抱えて笑いやがって」


 思い出すだけでムカッ腹が立つ。


 暫く進むと遠目に拝殿が見えてくる。

 特に人通りの多い大講堂から拝殿の辺りには、なるべく近付かないようにと言われている。

 臨時で雇いはしたが、やはり冒険者の持つイメージというのはあまりよろしく無い。徒に信者達を刺激する必要は無いとの事だ。


 街のゴロツキと大差無いのもいるから、まぁ、納得のいく理由でもある。


 ここら辺りでよいかと目算をつけ、人気の少ないであろう資料庫の方へと足を向けた。


 聖都に到着して早々に、勇者に身バレしてしまった。

 やり過ごせると安堵した瞬間に、ポロリと口がすべった。……迂闊に過ぎる。


 一瞬にして警戒を顕にした勇者にこれは不味いと思い、場所を変え、事情を説明したのもよくなかった。

 結果、言わなくてもよかったハズの、余計な事まで教える羽目になってしまった。


 城を追い出される件で目に涙を浮かべて大笑いしやがりやがる勇者に、それでもどうにか、内密にしておいて欲しいと頼み込んだ自分を誉めてもいいと思う。


 必死に頼んだ甲斐もあって、魔王としてでは無く、あくまで俺を一人の冒険者として扱う事を最低の条件として、勇者から目こぼしを貰う事も出来た。


 地味に屈辱ではあるが、こんな情けない事がレフィアにバレるよりは随分マシだ。……仕方ない。


「本当に、……何やってんだろうな。俺は」


 勇者に問われるまでもない。

 何で魔王であるハズの俺が、こんな外殿の渡り廊下を一人で巡回警備してなきゃならんのか、……理解に苦しむ。


 何だかな……。


 レフィアを魔王城に迎え入れてからこっち、録な目に会ってない気がするぞ。俺。

 何をどこで間違えたんだか……。


 ……。


 ……。


 いや、分かってる。

 分かってはいるんだ。


 レフィアに俺が名乗り出ればそれで済む話だ。

 俺がマオリだと、ただ、レフィアにそう告げるだけでこの泥沼のような現状をすべてひっくり返せる。


 それは……、分かってるんだが。


 時間が経つにつれ、魔王としてアイツと接する時間が長くなるにつれ、……どんどん言い出せなくなる。


 アイツが、魔王としての俺に信頼を寄せてくれればくれる程、魔王の俺を信じてくれる分だけ、それを嬉しく思う反面、さらに身動きがとれなくなってしまう。


 俺がマオリだと知った時、アイツはどうするのか。

 俺の事を、どう思うんだろうか。


 ……それを知るのが、怖い。


「……情けなさ過ぎて笑うしかねぇよな。これ」

「よう! 何悶々としてんだ? リリー・リー」


 勇者の能天気なトボけた声に、つい半眼で睨んでしまう。

 リリー・リーって誰だよ。


「……適当にくっつけんな。それを」

「思ったより真面目にやってんだな。ちょっと意外っちゃあ意外だったわ」

「誰がサボるか。貴様らと一緒にするな」


 飄々とした体で図々しくも隣りに並んでくる。

 暑苦しい事この上無い。


「雇い主としての立場上、ちゃんとやってるかどうか一応の見回りもかねてな。……そう邪険にするな。形だけだよ。形だけ」

「貴様こそ、そのナリの割にはまともに働いてるんだな。もっと適当にこなしてる位に思っていたが」

「ん? まぁあな。もっと誉めてもいいぞ」

「……アホか」


 正直な所、その態度と言動からもっといい加減なヤツだと思っていた。その仕事振りを見るまでは。

 端で見てると遊んでるようにしか見えないのが難点ではあるが、コイツはコイツで、それなりに苦労はしてるらしい。


「なぁ……。一つ聞いてもいいか?」

「どうした? ボッサン」


 飄々としているようでいて、やっぱり勇者は勇者と言う事なんだろうか。

 砦の前でやり合った時も、他の奴等の矢面に立って俺の前に出てきていた事にも思い至る。


 ……少しコイツの評価を上げてやってもいいか。


「レフィアの嬢ちゃんとは、もうヤったのか?」

「ぼぶっふ!? あごっ!?」


 唐突な質問に虚を突かれ、柱の出っ張りに顔面を強打してしまった。

 なんでこんな所が出っ張ってんだよ! くそっ!


「なななに馬鹿な事をイキナリっ! アホか!」


 蝶銀仮面の内側に打って、ヒリつく鼻頭を押さえながら怒鳴り返してやる。


 突然なんて質問かましやがる。

 ビックリするだろうが。


 勇者はそんな俺の様子をじっと眺めた後、どこかつまらなさそうに耳の後ろを掻いた。

 何か言いたげに反らされる目線がウザい。


「……まだか」

「まだも何も知るかそんなん! か、関係ないだろ!」

「けどすげぇよな。あのレベルの女を一人ならず三人も侍らすなんてよ。さすが……なだけはあるよな。正直羨ましいわ」

「何を訳の分からん事を言ってるんだ。貴様は」

「何って、あれだろ? あの美人集団。全員……の女だろ?」

「ば、馬鹿言うな! 誰がそんなふしだらな事するか! 選んだのは一人だけで、後の二人は違う!」


 な、何を言い出すんだコイツは。


 レフィア一人に思いを告げられずに悩んでいるのに、……思いは告げたか、それでもこうして悩んでいるっていうのに、この他に二人も三人も抱え込める訳が無いだろうが!


 勇者がキョトンとした顔でこっちをマジマジと見つめ返してくる。

 何見てんだコイツ。ボサボサのボッサンに見つめられてもこれっぽっちも楽しかねぇぞ。


「……マジかよ。お前」

「大体、リーンシェイドはかけがえのない優秀な部下であってそういう対象ではないし、ベルアドネにいたってはアイツが勝手に言ってるだけでそんな気は毛頭ない」

「なんつーか。……ほとばしってるなぁ、お前」

「何だそれは。どういう評価だ一体」

「いや、却って清々しいというか、その、なんだ。……頑張れ」


 やけに生暖かい応援だな。おい。

 優しい目で見るな。

 何だか哀れまれてるみたいで嫌な感じがする。


「そういう立場にいるんだから、力ずくで何とかしようと思えば何とでもなるのに。……それをしないんだな。お前は」

「……相手の気持ちを踏みにじってまで己の意を通してどうする。そんなものは下衆のする事だ」

「相手の気持ち、……か」


 感慨の込められた呟きに、不意に気を引かれる。


「魔物……、すまん。魔族だったな。魔族の持つ身体能力は人のそれを遥かに凌駕する。同程度の技量を持つ者同士であれば、人は魔族には敵わない」

「何を言ってる。そもそもの絶対数が違うだろうが。一人で一体を倒せないのなら三人で倒す。三人が駄目なら十人でかかる。人のその戦い方こそが、人と魔族の身体能力の差を大きく超えるからこそ、この現状があるのだろう」


 人と魔族。保有する能力の高さであれば魔族のそれは人を遥かに凌駕するが、どちらがより繁栄してるかといえば、人のそれに、魔族は及ぶべくもない。

 ……それが現実だ。


「俺もそう思ってたさ。今までは。魔族の連中は例え大群であったとしても、ただ集まっただけの集団に過ぎなかった。強い個体がただならんでいるだけの集団だ。数としての脅威はあるが、……ただ、それだけだった」

「何が言いたい?」

「砦での戦いや、お前達を見てるとな。俺にはお前達がただ集まってるだけの集団であるとは、……思えなくてな。それぞれに互いを思い、自らの役割をこなす。そういう奴等が集まってるのは大群とは言わねぇ、大軍ってんだ」

「集団の中で己の立場と役割を果たすのは当然だろうが」

「それを当然といえるお前だからこそ、……なのかもしれんがな」


 勇者が憂いた目で空を仰いだ。

 何だコイツは。何が言いたいんだ?


「組織的な戦闘をする魔族に、俺達人は勝てない」

「……負けない為にしているのだから、そこで勝てると容易に断言されても困るだろうが」

「そういう事じゃない。そういう事じゃなくてだな。……まぁ、いいか。そんなお前だからこそ、今回のような可能性も出てくる訳だしな」

「可能性?」

「俺達はいずれ勝てなくなる。お前達がそういう方針でくるのなら、近い内に必ずな。だが同時に、そういう事であれば、何も戦い続ける必要もなくなる可能性もでてくるって事だ。互いを思いやる事が出来るのであれば、手を取り合う事も出来るかもしれない。……同じ仲間として」

「勝てぬなら手を組もうって事か。賢明な判断だと思う」

「……それともちょっと違うんだが」


 困ったように笑い、勇者は口をつぐんだ。


 ……。


 どうでもいいけど、いつまでついてくるんだ?

 これじゃあ、何か仲良しみたいで嫌だぞ?


「勇者ってなぁ、どういう存在だか知ってるか?」

「……どうした、今日はやけに雄弁だな」

「……かもな、一度こうして、お前とゆっくり話がしたかった。……と言ったら笑うか?」

「笑ったりはしない。気味が悪いと思うだけだ。勇者なんて、魔王を倒して世界を救うとか、民に希望を持たせるとか。……そんな感じなんじゃないのか?」

「俺が女神から勇者の加護をさずかった時、誓わされた事はただ一つ。『聖女を守る事』……ただそれだけだ」


 ……。おい。

 いいのか? そんな事を魔王である俺に言っても。

 どうした勇者。何か疲れてないか? お前。


「さっき魔族には能力的に人は勝てないって言ったが、ただ一人だけ、その力でもって魔族を凌駕する事が出来る存在がいる」

「……。それが勇者であるお前だと?」

「残念だが違う。聖女だ。聖女は勇者よりも……強い」

「強さの質が違うのは認めるが、個体差の違いに過ぎんだろ。第一、先代聖女は魔王に戦い破れたハズでは無いか」

「……根本的にな、違うんだよ。先代聖女には、福音が無かった。勇者の俺には出来なくて、聖女、中でも信託によって選ばれた『福音の聖女』にのみ出来る事がある。……全ての聖女は、それを最終目的として厳しい修行に耐えているんだ。……知ってるか? 歴代聖女達が求めてやまない極致に至る方法を」


 いつもどこか斜に構えたような勇者が、不意に真面目な横顔を見せた。


「光の女神をその身に降臨させる事だ」


 女神の、……降臨。


 勇者の口から出たその言葉を、ゆっくりと心に刻む。

 女神降臨。……確かに、魔族は身体能力的には高いが、一般に人族の方がその魂の器が大きいとされている。

 魂の器の大きさを持たない魔族には出来ず、稀に現れる並外れた魂の器の大きさを持つ者にのみ可能な、……禁術。


「初代聖女のようにか。確かにそれなら人は魔族の力を個として大きく上回るが、……代償が大き過ぎるだろう」


 可能ではあるが、それが禁術とされる理由。

 人の身でありながらも、女神を自らの魂の器で受け入れるその行為の代償は、……逃れられぬ死だ。

 女神をその身に受け入れた者は、強大な負荷に耐えられずに自らの魂の器が砕ける。禁術の成否に関わらず、身も心も塩の塊となって砕け散るのだと言う。


 ……魂の一欠片も残さずに。


「それでも、必要とあればそれをするのが聖女だ。聖女とは畢竟、魔王を倒す為に存在するのだから。……それこそ、初代聖女がそうであったようにな」


 勇者の鋭い眼差しが俺にむけられる。

 魔王を倒す為の聖女。聖女を守るだけの勇者。

 そこには、希望も夢も、民でさえも関わってこない。


 ただそれだけの、存在。


「今の魔王が俺でも倒せる位に弱ければよかった。身内に後ろから刺されるような非道な王であればよかった。……だが、今の魔王はとんでもなく強い。仲間からも強い信頼で支えられている。このまま戦い続けるのであれば、俺達は最終的にはそれを選ばなくてはならなくなるだろう。残念な事にマリエルにはそれが出来る。今代聖女は、数百年振りに現れた、『福音の聖女』なのだから。……残念な事にな」

「残念な事、なのか」

「もちろんだ。とても残念だよ。俺が勇者の選定を受けたのはマリエルと同じ12年前だ。当時すでに成人していた俺と違って、マリエルはまだ5歳だった。しかも福音つきだ。……嬉しさよりも戸惑いの方が大きかったのを覚えてる。俺に課せられた役目はこの少女を守る事なのだと。このいたいけな少女がやがてその身に女神を降ろし、塩の塊になって砕け散って死ぬまで、守り続ける事なんだと。戸惑い、悩んだ。……違うな。あれからずっと、悩み続けている」

「……何で俺にそれを話す」

「お前だから、だよ。お前だから、聞いておいて欲しかった」


 勇者の表情は、どこか懇願でもしているかのようだった。

 ……そんな顔を俺に見せるなよ。

 いつもの飄々としたボッサンでいればいいのに。


「俺は、今代聖女にそれをさせたくない。法主ミリアルドだって同じ思いだろう。だから俺はお前に……」


 勇者が突然声を押さえた。

 押さえた理由は、……分かる。

 腰を軽く落とし、勇者と同じ姿勢で身構える。


 殺気。……ではないな。

 突然周囲を取り囲んだ不穏な気配に意識を向ける。


 まだ距離はある。……だが、そこそこの人数だ。


 こんな人気もまばらな外殿の隅にあっていい気配ではない。

 相当に訓練された、……人間どもの集団だ。


 長剣の柄に手を添えて、確認の為に勇者に目配せをすると、勇者もゆっくりとそれに頷いた。


 云いし得ない緊張感が場を満たす。


 ……何者だ。何が目的だ。


 互いに身動き一つ取らず、相手の動向を探り会う中、どこか能天気な、聞き覚えのある声がかけらた。


「あのー。すみませーん!」


 勇者と二人、慎重に身構えながら背中に振り返ると、子連れの見習い修道女がトコトコと近付いてくるとこだった。


 ……。


 ……。


 おい。マジか。


「外殿に行くには、どうしたらいいんでしょうか?」


 ここが外殿なんだが……。

 って、そうじゃないっ!


 こんな所で何してやがんだ! お前はっ!


 俺の胸中が激しい突っ込みの嵐になってるなんて、まったく思いもしないんだろうなっ! コイツは。


 見習い修道士のケープを羽織ったレフィアが、キョトンとして小首をかしげた。





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