♯72 蝶銀仮面の謎の剣士(魔王の憂鬱5)
乾いた石畳の上にカツンと音を立てて降り立つ。
……来てしまった。
大通りの賑やかな喧騒に、さすが人の世界でも有数の大都市だと深く感慨もする。
挙動不審にならぬよう、揚羽蝶をあしらった銀仮面がずれてないか確認する振りをして、ゆっくりと気持ちを落ち着かせる。
いつものフルフェイスの兜とは違い、目元と右頬を覆っているだけの蝶銀仮面では、まだ少し心許ない。
アリステア聖教国。聖都アリステア。
まさか自分がこんな所にまで来てしまうとは。
レフィア達を聖都に送り出した後、確かに俺は少し変だった。……そう自覚もしている。
昔からアイツの事は大切に思っていたし、誰よりも好意を強く寄せていたのは確かだ。けど、今までこんなに気持ちが落ち着かなくなる事なんて無かった。
……無かったのに。
ふとした瞬間にレフィアの事を思い浮かべ、つい考え込んでしまう。
ぶっちゃけ仕事に身が入らない。
あの屋台めぐりに終始した1日だけの、デートとも呼べないデート。
あの時のレフィアは何と言うか……、こう。
……。
……。
……可愛かった。
確かに俺も悪かった。
──歓楽街の構築整備を近衛騎士にさせる。
という命令文を間違えて、
──男娼街の攻略制覇を近衛騎士にさせる。
と書いてしまったのは俺のミスだ。
その命令書を見て、カーライルなんて顔色を真っ青にして真剣に悩んでいたらしい。
……正直すまなかったと思う。
魔王城下に男娼街がなくて本当に助かった。
さすがにそういったミスをいくつも重ねてしまっては、現場からの不満を無理矢理押し込める訳にもいかない。
にこやかに微笑みながら怒るシキの迫力に負けて、蝶銀仮面を渡された俺は城を追い出された。
ふっふっふ。
歴代の魔王においても城から単身追い出される魔王なんて、正に俺くらいなもんだろう。
「はぁ……。何やってんだよ。俺は」
立ち尽くしていても仕方ないので、大通りの人の流れに添って歩き出す。
城から追い出された俺は、別にどこへ行くつもりもなかったのに、気がつけば聖都に向かっていた。
予定からすると、レフィア達から多分一週間程遅れて聖都に到着してるハズだ。
まさか、本当に入国出来るとは思わなかった。
以前こっちにいた頃に持っていた身分証は、魔王城に置いてきてしまっている。
魔王となった今、どこで昔の知人に会うとも限らない。いや、昔の知人に会ったら会ったでどうという訳でもない。ただ、それが巡り巡ってレフィアに知られでもしたらと思うと、やっぱり本名は使えない。
『蝶銀仮面の謎の剣士だ』
駄目で元々、そう名乗ってみた。
入国審査で追い返されるなら、それはそれで諦めも着く。
『……あんまり無茶はするなよ? 冒険者ギルドは大通り沿いにあるから迷わんようにな。そのセンス、俺も嫌いじゃないぜ』
入国審査の兵士は俺の姿をマジマジと一通り見定めた後、とても優しい笑顔で通してくれた。
蝶銀仮面に黒を基調とした旅装だぞ?
見るからに怪しいと自分でも思うんだが。
大体、何でピンポイントで冒険者ギルドの場所を付け加えたのかも、その意図が読めん。
……大丈夫なんだろうか。この国の危機管理は。
俺が心配する事でも無いけど、不安になる。
大通り沿いをしばらく進むと、兵士の言っていた通り冒険者ギルドの看板が見えてきた。
「……さて、どうするかな」
別に冒険者になりたくて来た訳じゃない。
けど、それもまた有りかとも思う。
冒険者とは流浪の者達の蔑称のようなもので、一つ所に定住せずにあちこちで日雇いのような仕事をして暮らす者達を指す。
それこそ、魔物退治から用心棒、迷子探しから迷宮探索まで何でもこなす、いわば万屋だ。
一身を以て立身出世を夢見る英雄の卵から、そこいらの路地裏にたむろするゴロツキのような輩まで、実に様々な者達がいる。
そんな奴らを野放しにして置くのも危ないと、出来たのが冒険者ギルドらしい。
確かにここなら、元々流浪の身が集まっている所なので、身分証が無くてもそこそこ見逃してくれるし、日銭をいくらか稼ぐ事も出来る。
確かあのボサボサ頭の勇者ユーシスも、勇者に選ばれる前は冒険者として身を立てていたとも聞く。
「……特に目的がある訳でもないしな」
看板のかかった建物の戸を押し開けて中に入る。
魔の国にはこういった冒険者ギルドみたいなシステムは、まだ無かった気がする。
未だ国軍の編成もままならない中、確かにこういったもので手の回らない諸事雑般を民間でカバーするのも悪くない。
仕事が回らない奴等の収入源にもなる。
……戻ったら一度検討してみるか。
中は一見すると場末の酒場のようでもあった。
少し奥まった場所にはテーブルが置かれ、そのいくつかには見るからに冒険者であろう奴等が座っている。
いや、場末の酒場そのものじゃん。
あれ? ここ、冒険者ギルドであってるよな?
手前の壁には所狭しと張り紙のされた掲示板が置かれ、正面にはカウンターが設置されてはいるけど、冒険者ギルドってこんな胡散臭い場所なのか……。
「こんにちわ。ギルドへの登録ですか?」
何となく壁の張り紙を眺めていると、カウンターの向こうから声をかけられた。
見るからに可愛らしい、若い女性だ。
はっきり言って、場の雰囲気に合ってない。
「……いや、どんな仕事があるのか眺めてただけで、まだどうするかは決めて無いんだが」
「一応規則がありまして、ギルドに登録していただかないと、依頼の斡旋もいたしかねますので。……こちらへは初めてですよね?」
「どうして初めてだと思う? ……初めてだが」
「その格好を見ればすぐに。……登録はこちらでお願いいたしますね」
格好って、……この格好か。
やっぱりどこかおかしかったんだろうか。
あまり一般的でないのは分かってるけど。
その積もりでもあったし、何だか登録するのが当然のような流れになっているので、……するだけしてみてもいいかもしれない。
「まずはお名前からお願いします」
「蝶銀仮面の謎の剣士だ」
「まずはお名前からお願いします」
……。
駄目か。
そりゃそうだよな。
これで通じた入国審査の方がおかしいんだ。
「まずはお名前からお願いします」
……名前。名前か。
さて、どうしよう。
適当な名前で誤魔化すか。
「蝶銀仮面の謎の剣士、リ……」
最近、逆に馴染み始めた名前を口にしようとした時、バンッと大きな音を立てて、入り口の戸が乱暴に開かれた。
「アリシア! 至急手の空いてるヤツが欲しい!」
「リーっ!?」
思わず振り返ると、何だか見覚えのあるボサボサ頭のおっさんがズカズカと入ってきていた。
不意を突かれて声が裏返った俺の横を素通りして、ドンッとカウンターに身を乗り出す。
……勇者ユーシス。何でここにっ!?
って、聖都なんだからいてもおかしくは無いんだが、こんなど初っぱなから、よりにもよってコイツに会うとは。
相変わらずむさ苦しい格好してやがる。
「ん? 新人か? 珍しく気合いの入った格好してるじゃないか」
「今しがた登録されたばかりの、『蝶銀仮面の謎の剣士リリー』さんです」
「って、おい。誰がリリーだ。俺はっ……」
リーだ、と言おうとして思い止まる。
確かコイツらって、俺の名前を魔王リーだと勘違いして覚えてたような気がする。
今ここで俺がリーだと名乗ってしまうと、少し不味い事になるかもしれん。
まさか魔王であるとまではバレないとは思うが、この先何があるか分かったもんじゃない。不安要素はなるべく少ない方がいいに決まっている。
リーは使わない方が賢明か……。
「あれ? 違いました?」
「いや、いい……。リリーで」
「蝶銀仮面の謎の剣士リリーか……。可愛い名前だな」
可愛い言うなっ!
ニンマリとからかうような勇者にイラッときて、思わず威圧をかけてしまった。……やばっ。
……。
……。
って、……あれ?
「それで、勇者様は今日はどうされたのですか?」
「神殿の方で人手が足らなくてな、誰か手の空いてるヤツがいたら仕事を頼みたい」
俺の威圧は凶悪な魔獣でさえも怯ませる。
……ハズなんだが、勇者も受付の女も何事もなかったかのように会話に戻っている。
あれ? 何だこれは。
まだ勇者はいい。仮にも勇者なのだから、俺の威圧を流す事も出来るのかもしれない。けど、受付の女にもまったく影響が無いのが府に落ちん。
「今ですと、……そうですね。いくらか手の空いてる方に心当たりはありますが、……珍しいですね」
「まぁ……、ちょっとな」
こう見えてこの受付の女、もの凄い手練だとか?
……無いな。
例えそうだったとしても、全く無反応な様子に疑問が残る。
これは、威圧に乗せた魔力が届いて無い感じだ。
……届いてない?
ふと顔を覆う蝶銀仮面に触れる。
シキから渡されたこの仮面。……まさか。
「ん? どうした?」
改めて魔力を練って威圧をかけてみても、まったく魔力が外側に漏れている様子がない。
封印されてる感じも押さえ込まれてる感じも無いけど、もしかしてこの蝶銀仮面、魔力が外に漏れるのを防いでる?
この仮面、……魔術具だったのか。
「……何でも無い。気にするな。忙しそうだな」
「まぁな。ここん所、正体不明の魔物の目撃証言が続いてて、神殿の方の人手はそっちにだいぶ割かれちまってんだ。……ったく、他にもやる事は色々あるってのによ」
正体不明の……魔物? 何だそりゃ。
「目撃証言がだんだん聖都に近づいてきてるってのに、どこを探してもソイツが見つからないってんで、お偉いさん達も少し焦り始めてるらしい」
「……あれ? その話、ギルドにも依頼としていくつか来てますけど、目撃証言ばかりで被害はまだ何も無いんじゃありませんでした?」
受付の女がカウンターの手元で、いくつかの書類をバッサバッサとめくりはじめた。
「ああ、やっぱり。正体不明の魔物調査の依頼がいくつか届いてますね。まだ被害が全くないのと、まるで雲をつかむような話なので、誰も依頼を受けてくれなくて依頼書だけが溜まりまくってる案件です」
「……その雲をつかむような話に、お偉いさん達の意向で人手が割かれ過ぎちまっててな。正直困ってる。今中央神殿には大事なお客さんもいるってのによ……」
肩を落として嘆く勇者。
……何か色々大変そうだな、お前も。
「中央神殿のお客さんって……、まさか、あの美人集団の事ですか? 聖女様の個人的な友人だっていう」
「……美人集団?」
受付の女がぴょこんと飛び上がって、突然目を輝かせた。
「リリーさんはまだ知らないんですね。中央神殿に今、ちょっとない位綺麗な集団がいて、噂になってたりするんです。……なのに、どこから来たのか、その素性も公にされないままで。きっと、どこかの大国の深窓の姫君なんじゃないかって、みんな気になってるんですよ」
……。
……。
目立ってんのか。アイツら。
見た目だけは良い奴等だし、……そうもなるか。
「中でも亜麻色の髪の人が頭一つ抜けて人気があるみたいですよ? 中央神殿に行けば見られるかもって、私の周りの男連中も用もないのに神殿に日参してるらしいです」
「なんだとっ!?」
「リリーさんも、やっぱり気になりますよね」
つい、大声で聞き返してしまった。
いかん。落ち着け。冷静になるんだ。
レフィアを見る為に男どもが日参してるだと?
……聞き捨てならんぞ、それは。
「……レフィアさんは、まぁ、美人だよな。あくまで遠くで見てる分には」
何故そこで遠い目をする! 勇者!
レフィアは近くで見ても可愛いだろうが!
「レフィアさんって言うんですか。やっぱり、勇者様もよく知ってる方なんですね」
「……ってか、それもあってか、ここんとこ神殿に来る輩も増えててな。まったく警備の人数でさえも足らねぇんだ。まかり間違っても何かあっちゃ困るお客さんだってのに。ほんと、きっついわ」
「……やっぱり、どこか大国の?」
「どことはまだ言えねぇんだけどな。もし彼女達に何かあったら、まずこの国は滅ぶかもしれん」
……誰がやらなくてもこの俺がやるぞ?
「っ!? ……冗談ですよね? それ」
「冗談ならもっと笑って言うさ。特にレフィアさんは……、って事で、至急人手を紹介してくれ」
「待て。その話、俺にも聞かせろ」
「ん? お前もか? ……やけに気合い入れてんな」
当たり前だ。
レフィアが男どもの欲望の眼差しの的になってると聞いて、黙っていられる訳がない。
レフィアに近づく輩は、この俺が排除する。
「よし。その気合いが気に入った。アリシア、コイツも含めてあと数人は確保しておきたい、よろしく頼むわ」
「分かりました。後で神殿の方へ向かわせます」
「って事でさっそくお前さんは俺と来てくれると助かる。宿はどこだ? よけりゃ神殿の方に部屋を用意してやってもいい」
受付の女に言伝てると、向き直った勇者に外へと促された。
勇者と連れだって、二人で中央神殿へと向かう。
「宿はまだ決まってない。……そうだな。用意してくれるならそっちの方が助かる」
「なら、とりあえずこのまま戻るか。っと、まだ自己紹介もしてなかったな。知ってるかもしれんがユーシスだ。勇者なんて柄にも無い事やってる」
宿を探す手間が省けたみたいだ。地味に助かる。
友好的に差し出された手を、しかと握り返す。
「リリーだ。よろしくな。ボッサン」
冒険者ギルドは大通りに面している。
当然、そこから外に出れば忙しない喧騒と雑踏に包まれ、行き交う人の流れに立ち止まる事も難しい。
……だというのに。
勇者と俺は、固く手を握りしめたまま二人して固まってしまった。
無言の空間が寒々しい。
……。
……。
「……こんな所で何やってんだ。魔王」
ヤバい。バレた。
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