♯35 聖女の焦燥2
聖都を出発して一週間。
道中何事もなく、順調進んでいる。
13年振りの魔物と大規模な戦いになる。
周りの緊張が伝わる。
私達は人の世界の境界を越え、緩衝地域である、無人の荒野地帯に辿り着いていた。
ゴロゴロとした岩山が剥き出しの岩荒野。
魔物の国はここからすぐ目と鼻の先にある。
今ここにいるのは、アリステア聖教国の精鋭1500。
屈強な精鋭達だと自負しているけど、魔の国に攻め込む数としては、絶対的に不利にある。
叔父でもある法主はなるべく正面からの戦闘は避けると方針を決めたが、こちらの思うように事が進む保証など、どこにも無い。
不安と恐怖に身がすくみそうになる。
……こんな事じゃ駄目だ。
聖女たる私が、まだ始まってもいない戦いに臆病になってどうする。
慎重である事と臆病である事は違う。
今にも尻込みしそうになる自分を叱咤する。
「おーい。こんな所で何やってんだ?」
野営地を見下ろす岩山の上で覚悟を固めていると、どこか、気の抜けた声がかけられる。
勇者ユーシスだ。
「……弱気になりそうな自分を奮い起こしている所です。貴方こそこんな所まで何をしに?」
「ガッチガチに緊張しまくってる、どっかの聖女様を探しにな。そんなに緊張する程のもんでも無いさ、いつもと一緒だと思えばいい。法主が呼んでる」
飄々とした口調でぼやきながら、伸びるに任せたアゴヒゲをさする。
ちゃんとすればちゃんと見れる顔なのに。
ヒゲも髪もボッサボサのボッサンだ。
「貴方がそんな使いっ走りのような事をするなんて、珍しいですわね。分かりました。すぐに参ります」
勇者と連れだって、そこかしこに張られた天幕の間を抜ける。聖都からここまで、途中の街にもよらず強行軍でやってきた。兵士達にもそれなりに疲労はたまってきたいるハズなのに。
けど、彼等は不満の声など上げない。
野営地の中心部に張られた天幕に入る。
法主の人柄なのか生来の貧乏性からなのか、一軍を率いる法主であっても一般の兵士と同じ天幕を使い、同じ内容の食事をする。
兵士達の士気の高さも勿論あるが、法主のこういった公平さが、兵士達の不満を反らしている面もある。
本人が思うよりも人望のある法主なのだ。
まぁ、それを当人に言った所で、お人好しで小心者の叔父様は謙遜して信じないだろうけど。
「勇者殿すまなかった。早速今後の打合せに入ろう。食事がまだ済んでいなければ用意させるので言ってくれ。食べながらでも構わないから聞いて欲しい」
レフィアさんの救出に一緒に行くと聞いた時には、さすがに不安にもなったけど……。今は、いてくれて良かったと思う。
大好きな叔父様を見てると、すくんでいた身体がほぐれていく。
荒事が苦手な叔父様が、泣言一つ言わずに頑張っているのだ。私が怯んでどうする。
促されるまま、天幕の中に備え付けられたテーブルの席につく。
「今我々はここに野営をしている。ここから先はすでに魔の国だと思ってくれていい。この先にはアハート砦と呼ばれる砦がある」
テーブルに広げられた地図を示しながら、作戦の説明が始まる。
「まず最初に言っておく。今回の戦いにおいて我々は、この砦を攻めない」
「おーいおいおい。いきなり何言い出すんだ」
「勇者殿も騎士団長もよく聞いておいて欲しい。今回の出征の目的は拐われた村娘レフィアの救出であり、魔の国への侵攻は最小限に留めるつもりだ」
「戦わず、どうやってその娘を助ける?」
身を乗り出して問いかける勇者に、叔父様はゆっくりと頷いた。
「戦わない訳ではない。勇者と聖剣騎士団はアハート砦に対して挑発を行い、奴等の注意を引いてもらう。その間に工作員と共にマリエルが魔の国に潜入し、魔王城を目指す。それが今回の作戦の大筋だ」
先に聞いてはいたけれど、改めて聞くと自分に背負わされた責任の重さに押し潰されそうになる。
握り締めた掌に汗が滲む。
「正気か? 自分の姪を死地に送り込む気かよ」
「マリエルが適任なのだ。彼女ならば隠形の魔法も使えるし、何より、拐われた娘を助け出すのなら同性である方が心安い場合もある」
「……そういう事か。ままならないねぇ」
言外に含む意味を悟って勇者も苦い顔をする。
そうなっていなければ一番良いけれど、魔物達が若い娘を拐うというのは、そういう事だ。
女であるが故に受ける苦しみもある。
そうなっていたとしても対処出来るようにしておく事もまた、必要なのだ。
「んで、俺達は砦の奴等をからかって引き着けておけばいいのか? 打ち倒しても構わないんだろ?」
「聖剣騎士団はあくまで威圧の為に陣を構えていてほしい。出来るだけ戦闘をしないように」
「おい。それってまさか俺一人で戦えってか」
「負担を背負わせてしまってすまないが、もし戦闘になったとしても、勇者一人で戦ってもらいたい。より安全性を高める為だ」
その意図する所を図りかね、勇者が首を傾げる。
……無理もないかな。
叔父様も説明が足らないのだから仕方ない。
「身体強化魔法の効果拡大と集中の為です。そうですわよね叔父様」
「効果拡大?」
「そうだ。身体強化の魔法は普段から使っていると思う。だがそれを今回は、連れてきた神官達と私とで、勇者個人にのみ効果を拡大して集中して行う」
「……ほぅ。すると、どうなる?」
「今までとは比較にならない効果を得られるだろう。1人で戦わせる事を申し訳なく思うが、却ってこうする方が、被害を極端に押さえる事が出来る」
効率的だと分かっていても、決して人道的とは言えないこの作戦に、勇者はニヤリと笑った。
「よくそれを決断したな。あんたらしくもないが、逆にあんたらしいとも言えるか。後方支援とは言え法主自ら前線に出るんだ。俺が嫌とは言えんよ」
「分かってくれてありがたい。これは、皆にも分かっていて欲しいんだが、今回救出するのは辺境の村の村娘だ。決して王侯貴族でもないし、富裕層の関係者でもない。どこからの支援も援助も無いと言う事だ」
皆が一様に法主の言葉に頷く。
「もし仮に、今回の戦いで命を落としたとしても、出される慰霊金などたかが知れている。規定の額に私の懐から多少の色をつけるだけに過ぎないだろう。そんな端金で命を粗末にしてはならん。誰一人として欠ける事なくこの作戦を成功させ、国元に戻らねばならない。それをよく心に留めて置いて欲しい」
「法主の懐ならさぞあったかいだろうに」
「よしてくれ。私の老後の為の少ない貯金を多少なりとも哀れんでくれるなら、決して死ぬな。頼む」
法主の言葉に微かに場が和む。
「誰も死にたか無いが、法主は少し慎重に過ぎないか? 戦う事すら避けたがってる様にも思えるが」
「もちろん、私は戦う事自体避けたいと思っている。……そうか、皆はあまりよく知らないのかもしれないな。高位の魔物と戦うという事の意味を」
「高位の魔物、……ですか? 魔物との戦闘ならばいくらかは経験してきましたし、中には強敵もいましたが」
勇者と聖女のお仕事の大半は戦う事だ。
その相手のほとんどは魔物である。
充分とは言えないかもしれないけど、魔物との戦闘経験が足らないとは、決して思えない。
「リンド王国を覚えている者はいるかい?」
「……瓦礫の王国か?」
私が神殿に入って、何年かたった頃だったと思う。
規模でいえば中程度の新興国。リンド王国。
確か魔物に襲われたとかで、瓦礫の山となって滅んだと聞いている。
「10年程前になるかな。リンド王国に一匹の高位の魔物が現れた。姫夜叉と呼ばれる鬼女で、鈴森御前と呼ばれていた。鈴森御前は人の間に潜み、その恐ろしい程の美貌で男達を誑かしては、夜な夜な食い殺していたそうだ」
あれ? その話ってもしかして。
「おいおいおいおい。今更お伽噺かい。それなら何度も聞いた話だ。鈴森御前だろ? 結局時の剣聖に見つけ出されて、壮絶な戦いの後に打ち倒されてめでたしめでたし、だろ?」
そう。確かにそうだ。
鈴森御前と剣聖の戦いは有名で、その場面だけでも何度も芝居にされたり唄にされたりしている。
誰もが知ってるお伽噺なハズ。
お伽噺……。
「まさか。あれ。実話だったんですの?」
「実際にお伽噺の通りだったのかは知らないが、10年前、リンド王国に鈴森御前という姫夜叉が現れて、少なくない数の人が死んだのは事実だ。そしてリンド王国はその時国内にいた剣聖と協力し、これを打ち果たしたそうだ」
「お伽噺のまんまだな。あれが実話だったってのには少し驚いたが、討伐されたんだろ? 何も問題は無いと思うんだが」
いや。待って。
それだと何かおかしくない?
「リンド王国は鈴森御前を倒した。なのに滅んだ。私達はそれが実話だとも知らず……に?」
「鈴森御前を倒した後、その功績を一番に讃えられるハズの剣聖は、国を追放されたらしい。何でも乱心して周りに斬りかかったとか。未遂に終わったのと、これまで功績を考慮しての国外追放であったらしいのだが、リンド王国の不幸は、それが始りに過ぎなかった」
めでたしめでたしで終わるお伽噺。
叔父様はその続きを話始めた。
「剣聖を追い出した後も乱心し、暴れだす者が後をたたなかったそうだ。いったい何がそうさせるのか。人死がでるまでそう時間もかからなかった。リンド王国はその身に狂気を抱え始めていたのだ」
「物騒だな。全然めでたしじゃねぇよ」
「その頃の私はまだ地方周りの司祭でしかなかったのだが、そんな私にまで救援の依頼が届けられた。度重なる乱心騒ぎを、リンド王国の人々は鈴森御前の呪いだと見なしたのだろう。どうかその呪いをといて欲しいと、そう頼まれたのだ」
「叔父様はそれを受けたのですか?」
「私個人ではなく、アリステアが国としてな。私は国から言い渡された神官団の1人として、リンド王国へと派遣された」
誰かがごくりと生唾を飲み込んだ。
誰かというか聖剣騎士団の団長さんだけど。
「本当にリンド王国には鈴森御前の呪いが?」
「分からないんだ。私達がリンド王国についた時には、すでに瓦礫の山となってしまっていた。見るも無惨な有り様だったよ。こんな事が人の手によって出来るものでは無いと、そう判断した派遣団の団長が、魔物の襲撃によるものだと報告したが……。私達が見たのは瓦礫の山とそこに埋もれたリンド王国の人々の遺体、ただそれだけだったのだ」
「一体、そこで何が?」
「身の毛もよだつ破壊の跡が残るばかりで、私達には何も分からなかった。ただ、これは私の感覚でしかないんだが、リンド王国が滅んだのは鈴森御前を殺したからではないかと、そう思えてならないんだ」
かぶりを振って叔父様は腕を組み直した。
「何故そう思うのでしょうか」
「私もこれでも国を預かる身だ。王と法主では権限も在り方も全く違ってくるが、外に漏れ聞こえる事がすべて真実だとは思っていない。国にとって都合の良い事実だけを広めたのではないか、とね。そう考えると疑問に思う事も出てくる。最大の疑問は、鈴森御前は本当に伝え聞く通りの血に飢えた鬼女だったのかと」
叔父様が皆に問いかけるようにして顔を上げた。
鈴森御前が本当に鬼女だったかどうか。
そんな事、今まで考えた事もなかった。
お伽噺に出てくる悪役は悪役であって、倒される為の存在でしかない。それが当然だから。
それを当然と思い込んでいたから。
でも、もしそれが実話だったとしたら。
倒される為だけにいる存在なんている訳がない。
「話が逸れてしまった。申し訳ない。だが、私達は知らなさすぎるのだ。魔物の事も、魔物の国の事も。ここから先は文字通りの人外魔境。何が起きるのかさえ想像も出来ない。私は例え臆病者の謗りを受けようとも、慎重に慎重を重ねていきたいのだ」
そう呟く叔父様に異をとなえる者はいなかった。
「確か、鈴森御前には娘がいなかったか?」
勇者がぼそりと呟いた。
鈴森御前の話は好きだったし、色んなバリエーションがあったのも知っている。
ほとんどの話では鈴森御前は独り身の美女として語られるが、時として美貌の女の童を連れている事もあると言われていた。
「鈴影姫」
私が名前を口にすると勇者はポンと手を打った。
今までは何とも思わなかった。
思う必要もなかったから。
ただ好きなお伽噺を聞いているだけだったから。
でも、もし鈴森御前が本当にいたのだったら。
お伽噺の中のような鬼女でなかったとしたら。
母親を殺された鈴影姫は、何をどう思うだろうか。
母親と同じ美貌を持つ女の童。
彼女の目に私達人間は、どう映るのだろうか。
「作戦の決行は明朝、日の出と共に開始する。各自相応の準備を怠らぬようお願いしたい」
法主の言葉に皆が頷いた。
私達は色んな事を知らないままでいる。
知らないまま、私は魔の国へ潜り込むのだ。
知らない事の恐ろしさ、愚かさを自覚して、私は握り拳に力を込めた。
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