♯27 虎人の奮闘2



 暴虐の魔王スンラは強かった。


 冷徹にして残虐、非道にして容赦がなかった。

 歯向かう者、逆らう者は徹底的に叩き潰す。

 無論、最期まで抗い続けた者達も数多くいたが、それらをまとめて押し潰すだけの強さがスンラにはあった。


 スンラがどこで生まれたのか誰も知らない。

 どこで生まれ、どこで育ち、どうやってその強さを手に入れたのか、誰も何も知らない。


 スンラは突如として現れた。

 当時の魔王を倒してその証たる腕輪を奪うと、魔王を名乗り玉座を手に入れた。


 魔王の魔王たる証はその強さと腕輪である。

 腕輪を手に入れる方法は2つ。

 譲り受けるか、奪い取るのみ。

 掟と呼べるような立派なものでは無いが、その行為自体は魔王の選定手段として問題にはならなかった。強きものこそに資格があるのだから。


 スンラの強さは他を寄せ付けなかった。

 ただひたすらに強く、傍若で、孤独だった。

 その強さに惹かれる者も中にはあったが、大半の者達はかの魔王に怯え、警戒した。


 暴虐の魔王は魔王として君臨するや直ぐさま人間の世界に侵攻した。人間達の王国連合軍を叩き潰すと同時に、当時の勇者と聖女をも打ち果たした。

 魔王に付き従っていた者達は一様に心を踊らせた。人間の世界を手に入れるという魔族の念願が、ついに果たされるのだと疑わなかった。


 だが、スンラはそこで侵攻を停止した。


 魔王は最初から、人間世界の支配にいささかの興味さえ示していなかった。己を脅かす勇者と聖女の命を奪う事、それだけが魔王の目的だったのだ。


 歴代でも比類なき強さを誇る魔王は同時に、誰よりも卑屈で臆病な小心者だった。

 かの魔王はただひたすらに恐れていたのだ。

 己に迫る者。脅かす者。その可能性のある者を。


 故に、暴虐の魔王の牙は国内に向かった。


 四魔大公でさえもその標的とし、力のある種族や高位とされる魔族を強制的に排除し始めたのだ。

 殺戮と阿鼻叫喚の日々が繰り返された。

 暴虐の魔王は文字どおり恐怖と絶望を世にもたらした。敵味方を問わずこの世界全てに。


 そして遂に、スンラは禁忌に触れた。


 廊下を進む足をふと止め、壁に掘り込まれたレリーフに目をやる。魔王城の廊下には、いたる所に神話をモチーフとしたレリーフが掘り込まれている。

 目の前には丁度、古き神々と光と闇の姉妹神が世界をかけて戦っている様子が描かれている。


 神話は語る。古き神々に光と闇の姉妹神が勝利し、この地に命の恵みと繁栄をもたらした時より、この世界は始まったのだと。

 その神話の一場面。

 姉妹神の傍らに描かれてる異形の神をじっと見つめる。三面六臂の異様を持つ戦神。


 戦いと殺戮の神。アスラ。


 古き神々の一柱でありながらも光の女神に心を奪われ、姉妹神に味方したこの戦神は、その後の神話にも幾度と無く登場する。

 そして、その血脈を濃く受け継ぐ一族がかつて魔の国に存在していた。いや、今も一人だけ生き残っておられる。


 アスラ神族。陛下はその最後の生き残りだ。


 暴虐の魔王はアスラ神族に手を出した。

 アスラ神族は魔の国にありながらも決して魔族ではない。歴代の魔王もかの一族には関わる事を避け、かの一族もまた、魔の国に関与する事なく不可侵の関係を双方に保っていた。……にも関わらず、スンラは彼等を虐殺し始めたのだ。


 スンラとアスラ神族の戦いは凄惨を極めた。

 国中の至るところで上がる戦火。大地は燃え上がり森や河川は失われ、民は肩を抱き合うようにして怯え暮らした。あれは正に、神話に語られる神々の戦いそのものであったかのように思う。


 そして忘れもしない13年前。

 暴虐の魔王スンラが死んだ。

 アスラ神族を滅び尽くして。


 唐突に始まった魔王の恐怖は、終わり方もまた唐突に過ぎた。国内は荒れに荒れた。

 スンラに虐げられていた者達も、スンラを崇拝していた者達も皆、突然のスンラの死に混乱した。己の傍らにいる者さえも疑い、目を反らせば物陰から殺される。疑心と猜疑に満ちた内乱へと転がり落ちていったのだ。


 スンラは何故死んだか。

 その突然の死の真相は誰も知らず、誰に知らされる事もなかった。

 だが私は、ある確信を持っている。

 スンラは殺されたのだと。

 誰かがあの魔王を倒してくれたのだと。


 そしてそれは、もしかすると。陛下のご両親ではなかったのかと。

 あくまで個人的な憶測でしかないが、アスラ神族の王であった陛下のご両親がその命と引き換えに、暴虐の魔王スンラを討ち果たしたのではないかと。


 本来、魔の国に関わる事のないアスラ神族。

 その最後の末裔たる陛下がこの国を憂いて魔王の座につかれた。1200年の歴史の中でも前代未聞の事であり、何故急に魔王となってまで陛下がこの国をお救い下さるのか。

 陛下は決して教えては下さらないが、スンラを陛下のご両親が倒したからこその理由が、そこにあるからではないかと。


 虎人族もスンラに狙われた一族だった。

 私の妻と子供は、私の手の中で息を引き取った。

 守りたかった。守れなかった。及ばなかった。力が足りなかった。どんな言い訳の言葉も届かない場所に、大切な家族を奪われた。

 スンラを恨んだ。憎んだ。呪った。

 だが私は、自身を蝕む恐怖に勝てなかった。

 憎しみを込めた言葉を口にしながらも、家族の仇を討つ為に立ち上がる事ができなかった。

 ただひたすらにスンラの影に怯えていたのだ。

 そのスンラが死んだ後も生きる目的を持てず、膝を抱え、絶望という言葉に甘えて、ただ自らの死を漠然と待つだけの存在でしかなかった。


 混乱の極地にあった魔の国は、誰もがこのまま滅び行くものだと諦めていたのだ。


 だが、違う。


 そうではないのだと。

 スンラは死んだのだ。


 残された我らは、死んでいった者達の為にも我らに出来る事を成さねばならない。


 そう、悟らせてくれた存在が現れた。


 魔王の腕輪を高々と示して立ち上がった陛下は、正に我らにとって生きる希望そのものもだった。


 死んでいたハズの心が震えた。

 渇れ果てたハズの涙が溢れてきた。


 陛下こそが、我らの希望の光そのものなのだ。


「あ、マオリ様!?」


 そうマオリ様こそが。


 ……。


 マオリ様?


 考え事をしながら歩いていたら、いつのまにか昔を思い出していたようだ。ふと我に戻る。

 再建途中の白の宮に続く長い廊下の先に、陛下の姿があった。ここにおられるという事はレフィア嬢に会いにいく所なのであろう。


 だが、はて。陛下がレフィア嬢と昔馴染みであるという事は未だ内密にされていたご様子だったが。すでに打ち明けられたのであろうか。


 陛下の方へ歩み進めると、陛下に側寄る女性の姿があった。当然レフィア嬢だと思ったのだが、どうにもシルエットに違和感が有り過ぎる。

 あれは、……ベルアドネ嬢か。

 郷里に戻したハズなのに何故ここに。


 よく見ると陛下の視線はベルアドネ嬢にはなく、さらにその先に向かわれて固まっておられる。

 あれは、レフィア嬢とリーンシェイド嬢!?


「マオリ……?」


 これは不味いではないかぁぁああああ!!

 陛下が内密にされてる事を、他の誰かからレフィア嬢にバラしては申し訳が立たぬ!!

 自然と早足で駆け出す。


「あ、レフィア。こ、これは、そのっ」


 陛下が固まっておられる。

 さぞや今陛下の胸中はただならぬ事であろう。

 何とか、何とかこの場を収めねば。


「魔王様が、……マオリ?」


 何も思い浮かばぬぅぅううう!!

 男女の恋愛の機微など忘れて久しい。

 どうすれば良い。何をすれば!?

 私の脳細胞よ今こそ輝け!

 乾坤一擲の最善解を導きだすのだ!


 駄目だ!この駄細胞め!!

 焦るばかりで何も思い付かぬ!!

 これでは陛下が!!

 陛下ぁぁぁあああああ!!


「いえ。魔王リー様です」

「へ?」

「ですから。リー様。魔王リー様です」


 リーンシェイド嬢が機転を利かせて訳の分からん事を言い出した。

 訳は分からんがこの際だ。それで行こう!


「魔王リー?それが魔王様の名前なの?」

「はい。魔王リー様です。お間違い無く。ですが、尊い御名をみだりに口にするものではありませんので」

「そ、そ、そう。我が名はリーだ。魔王リー。レフィアにはまだ我が名を教えておらなんだな。すまんすまん。あは、ははは……」

「マオリ様?どうされたのですか?急に」

「魔王リーだ。ベルアドネよ」

「マオリ様はマオへべきょぶぅおぅ!!?」

「魔王リー様。申し訳ございません。足を滑らせて何か蹴飛ばしてしまったようです」

「バルルント……。お前、それはさすがに……」


 おかしな事を口走る前に手早く処理しなければ、被害は広がるばかりでございます。ヒサカの娘1人で万事無事で済むのなら安いもの。

 咄嗟の跳び蹴りが見事に下顎に決まったようだ。これでしばらくは静かになる事であろう。


「大事の前の小事。魔王リー様にはおかれましては、何ら気にする程の事ではございません」

「……何か、バルルント。お前」

「はっ。何か」

「ちょっと変わったな」

「私が、でございますか」


 倒れ吹き飛んだベルアドネ嬢を彼女の付き人に手渡しながら陛下に振り返る。

 変わった?私の何が変わったと?


「何か憑き物が落ちたみたいに生き生きとしてる。お前にはだいぶ重責を背負わせていたようだ。すまなかったな。レフィアの元でも苦労をかける」

「いえ。私はどこにいようとも陛下のご恩に報いる為にも誠心誠意仕える所存であります故。どうぞご安心下さい」

「ありがとう。バルルント」


 忠誠を捧げた主に向き直る。

 暴虐の魔王スンラは死んだ。恐怖と絶望が全てを支配していた時代はとうに終わったのだ。

 今はこの素晴らしき主の元で、供に輝かしいこの国の未来を考えていけば良いのだ。


「いえ。勿体無い御言葉です。魔王リー様」

「魔王リー様。……ねぇ」

「魔王リー様です」

「うむ。魔王リーだ」


 レフィア嬢は納得してない様子だが……。

 何とかなったようだな。


「変なの……」


 





 

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