第2章 福音の聖女
♯24 聖女マリエル(聖女の焦燥)
マリエル・フィリアーノ・エル・レフィア。
これが今の私の名前。
まるで貴族のように気取った名前になってしまったけど、生まれは猟師の娘にすぎない。
12年前に神託が下ったとか何とかで神殿に連れて来られ、なんやかんやと過ごしてる内にこんな長い名前になってしまった。
最初はただのマリエルだったのが随分とまぁ長くなったもんだと、我ながら思う。
52代目の聖女。それが今の私。
フィリアーノは初代の聖女が誕生した修道院の名前だそうだ。今はもう跡地が残るだけのその修道院の名前は、代々の聖女に受け継がれてきた。
レフィアというのは、私が生まれて5歳まで育った村の名前。村にいた頃の事はほとんど覚えてないけど、出身地として名前の中に入ってるだけでどこか安心するものがある。
そこに自分の根っ子が確かにあるのだと、心のどこかで縋っているからだろうか。
福音の聖女。と言うのだそうだ。
聖女というのは普通は研鑽を重ね、修行を経た尼僧の中から選ばれる。けれどごく稀に、神託によって選ばれる事もあって、それで選ばれた聖女は特別にそう呼ばれている。
初代様を含めても52代の中で数人しかいない。
一つの時代に聖女は1人らしく、1200年、52代の中において、ほんの数人しかいないのだ。
その1人が私らしい。いやマジで。
福音の聖女は
星を動かしたり、山を消し飛ばしたり。
初代様は魔王を単独撃破なさったそうだ。
本当にいいのか。そんなんが私で。
だもんだから、福音の聖女である私にかかる期待は山よりも重く海よりも厳しい。普通の事が普通に出来るだけでは、周りに諦めの溜息が吹き溜まる。
右も左も分からないような
いや、ちょっと待てお前ら。
勝手に連れてきて、勝手に期待して、ちょっと普通だったからってそれは無いだろう。
幼心にも私は憤慨した。
こいつらに目にもの見せてやろうと反発した。
こんな身勝手な奴らに馬鹿にされてたまるかと。
脇目も振らずにとことんまで自分を鍛えた。
何度泣いたかなんて覚えてなんかない。
出来ない事が悔しくて、でも諦めたくなくて。
歯を喰いしばって、拳を握りしめて。
周りの大人の溜息を見返してやりたくて。
生来の負けず嫌いが功をなしたのか、がむしゃらに頑張った私は次第に周りから認められ始めた。周りが望むであろう聖女のあるべき姿を、望まれたままにこなしてきた。
悪い気はしなかった。
だってそれは、私が積み上げてきたものだから。
賞賛や礼賛は私の誇りになった。どんなもんだと胸を張ってそれらに応えてきたのだ。
ふはははははは。ざまぁみやがれっ!!
……ふぅ。
こうなったらとことん聖女をやってやろう。
誰よりも聖女らしい聖女を目指してやろう。
そう思い始めてた時。
その一報を耳にした。
絢爛豪華な彫刻の施された大理石の壁石。
どこか
明り取りの天窓から射す陽光が、大気に踊る微かな埃を照らし出して床に
春も半ばを過ぎ、温かさの中にもじわりとした熱を肌で感じる季節になってきた。もうじきすれば、中庭で咲き誇る色とりどりの花々も枯れ落ち、深緑の葉が生い茂るのだろう。胸のすくような青い葉の茂る様は、艶やかに咲き誇る花とはまた違った爽快感を味わせてくれる。
好きな季節が巡ってきた。そう思う。
アリステア聖教国。聖都アリステア。
この国に王はいない。
大陸中で信仰される女神教の分派である
法主には実利的な政務、聖女には権威を。
まぁぶっちゃけ、聖女である私は皆の人気を集めるだけの存在であって、政治的な力は無い。
実際の所は法主がこの国の王様の様なものだ。
神殿の最奥にある法主の執務室を訪ねる。
部屋の中には不必要な装飾品などは無く、ただひたすらに実務的な印象を受ける。相変わらずだ。
私の実の叔父でもある法主ミリアルドは、突然の来訪に眉を潜めながらも、手元の報告書から顔をあげて私を室内へと促した。
いつもより顔色が悪い。
端から見てると仕事中毒かと思うくらいにこの人はよく働く。働き過ぎる。本人曰く、やらねばならないので仕方がないのだそうだが、それもやらずに遊び呆けている人達をこの神殿の中だけでも山程知ってる。
根が真面目な叔父なのだ。
私は真っ直ぐに法主の机の前に進んだ。
「訪問の前にはまず前触れを出しなさいと、何度言ったら分かるんだ。また供も付けずに来たのであろう。自分の立場というものをもう少し自覚しなさい」
真っ先に小言から始まった。いひっ。
私はこの優しい叔父様が好きだ。素の私で甘えられる数少ない人達の1人。今の私に小言を言ってくれるのなんて、侍女頭のユマと叔父様くらいだもの。
「ごめんなさい。すぐにでも叔父様に確かめたい事がありましたもので。とりもなおさず参りました」
「ほう。確かめたい事とな。私に?」
「はい。辺境の村で村娘が1人、魔物に拐われたそうです。どうにも手が出せず、その救出依頼がこの聖都にまで廻ってきたそうなのですが、ご存知ですか」
魔物による
どれだけ警戒を重ねててもその数を無くすには至らない。常に頭を悩ませる問題の一つだ。
被害にあうのは大抵の場合が若い娘。魔物は人を襲い若い娘を拐っていく。残念な事だけど、すぐさま助けに行ったとしても無事に保護しきれない事の方が多いのも事実。
同じ女の身として見過ごす事は出来ない。
もし助けられなかったとしても、悲劇を再び繰り返さない為にも拐っていった魔物は殲滅し尽くす。
中には、そこにいる人達だけでは手に余る規模の魔物の群れもある。そういった案件はより規模の大きな街へと廻り、最終的には聖都に届く。
聖都にまで廻ってきたという事は、それ以外の所では解決できない規模であるという事なのだ。
法主は私の視線を正面から受けると、そっと息をはいて
相当お疲れだね、これは。
「知っている。今、その事に関する追加調査の報告書を受け取った所だ」
「なら話は早いですわね。すぐにでも私が行きますわ。場所はどちらですの?」
「魔王だ」
「……はい?」
「その娘を拐ったのは、魔王らしい」
「……」
耳を疑う。……魔王?
「ふかしこくなよおっさん」
「地がでてるぞ。落ち着け。辺境の村から娘が1人拐われた。連れて行ったのは魔王の配下の者で、魔王の元へと連れて行かれたらしい」
衝撃のあまりに淑女言葉を崩してしまった。
魔王って、あの魔王?
先代の勇者と聖女を殺した、あの?
13年間もこちらに対して動きを見せず、不気味な沈黙を守っていた、あの暴虐の魔王スンラの事?
マジで?
「ついに、魔王が動き出した。……という事なのでしょうか。来るべき時が来たと」
一気に血の気が引いた。
「分からん。分からんが、落ち着くんだ。まず落ち着いて聞いて欲しい。冷静に聞くんだ」
「私は落ち着いております。……何でしょうか」
「報告書によると、村人に被害は無かったそうだ。そもそもが、その娘を名指しで指名してきたらしい。最初からその娘1人だけが目的だったらしいのだ」
「……それは、何というか。珍しいですわね」
魔物にとって人間は老若男女でしか無い。
本来の老若男女の意味では無く、歳が若いかどうかと男か女かでしか判別しない。
少なくとも今まで見てきた魔物はそうだった。個人を特定して拐いに来るなんて聞いた事もない。
「拐われた娘は17歳で、未婚、恋人も無し」
「私と同じ歳ですわね」
聖女は恋愛も結婚も許されない。同じ歳で恋人もいないというその子には少し親近感を感じる。
結婚して幼子がいてもおかしくない年頃だけど、行き遅れと言う程でもない。けど周りが気になり始めて少しソワソワしだす。
17歳って微妙なお年頃なんだよね。
「村の名はマリエル村」
「あら、私と一緒の名前の村があるんですの?」
「拐われた娘の名はレフィアと言うらしい」
「……おい、おっさん」
「だから落ち着けと言っているのだ」
いや、待って。はい?
何?それ。どういう事?
マリエル村にレフィアという17歳の娘がいて、魔王がワザワザ名指しでその娘を拐っていったと。
そういう事ですね。
偶然にも、ここにも1人娘がいます。
レフィア村のマリエルという17歳の娘が。
おいおいおいおいおいおい。
マジか。マジでか。マジですか。
辺境の村娘が魔王に名指しで狙われるなんて聞いた事も無いけど、もしそれが聖女だったとしたら事情が違ってくる。個別に狙われる理由が出来てしまう。
だって聖女だもん。
魔物倒しまくったもん。
それが私のお仕事なんだもん。
ガダンっと大きな音を立てて法主に詰め寄る。
「何それ! まさかっ! その子、私と間違われて!?」
「結論を急いではいかん。まだそうと決まった訳ではない。むしろ……。……いや」
「急いで助けに行かないと! こうしてはいられませんわ! すぐにでも出征の準備を」
「そのつもりだ」
「え?」
「すぐに出征の準備をする。事は拙速を好む。今回の件に関しては対魔王協定は使えない。王国連合軍の編成を待っていては時間がかかりすぎるからだ。我等のみでこの娘をすぐにでも助けださねばならん」
叔父の様子がいつもと違う。
優柔不断で小心者を絵にかいたようないつもの叔父とはまるで別人のようだ。
どうしたんだろう。どんどん顔色も悪くなっていってる気がするけど。
「慎重に慎重を重ねるいつもの法主様とは思えない決断の早さですわね。何か、あるのですか?」
「勘ぐるな。事が事だけに急がねばならん」
「ですが、我等のみで魔王と戦うとなれば、勝つ見込み所か勝負になるのかどうかさえ危ういですわ」
「であろうな。だが今回、無理に勝つ必要は無いのだ。レフィアという娘を助け出す事さえ出来れば、戦う事さえ避けたい」
「そう上手く事が運べはよいのですが」
「上手くいくもいかないも、上手くやるしかないのだ。勇者と聖女であるお前達も連れて行く。貴族嫌いの勇者でも村娘を助ける為だ、驚きもしようが働きもしよう。聖剣騎士団も連れて行く」
連れて行くって、まさか。
「まさか、叔父様もご一緒に?」
「今回は私が指揮を取る。戦闘の指揮は騎士団長に任せるが、なるべく戦闘をせずにすむようにな」
「分かりました。すぐにでも出られるよう準備を進めてまいります。勇者様には私からお伝えいたしましょうか?」
「出来れば頼みたい。そうしてくれないか」
「承わりましてよ。叔父様は少しお休みになられた方がよろしいかと。先程からお顔の色がよろしくありませんもの」
「ああ。すまないがそうさせてくれ。言葉に甘えさせてもらう。……少し休みたい」
「大事なお身体ですもの、無理はなさらぬように。では、失礼いたします」
叔父様の豹変ぶりが凄まじい。何かを無理して隠してる感じがする。怪しいけど追求してボロを出すような人でもないので、暫く様子を探る事にしよう。
私は叔父様の部屋を後にする。
さっきから胸の動機がおさまらない。
魔王。魔物達の王。暴虐の魔王スンラ。
先代聖女は力及ばず魔王に破れ、殺された。
今の私は、果たして先代聖女と比べてどうなんだろうか。全く及ばないとは思いたくはないけど、超えたとも思えない。
正直、怖い。
聖女としてやっていくと決めた以上、いつかは来ると思ってたけど、やっぱり怖いものは怖い。
及ばなければ殺される。
先代のように。
私は決して特別では無いのだ。
けれど、それ以上の恐怖の中にいるであろう同じ歳の娘の事を思う。聖女である私ならある程度の覚悟はある。聖女とはそういうモノだから。でも彼女は違う。彼女は聖女でもないのに、理不尽にもそんな目にあってしまったのだ。
もしかすると、私と間違われてしまった事で。
助けなければいけない。
覚悟を勇気に変えるんだ。
私は震える手足を根性で押し込めた。
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