♯7 対面稽古(黒騎士の葛藤)



 鋭い突きが脇を掠める。

 あぶない所だった。

 冗談じゃない。何だ今の突きは。


 お手本のような突きに虚をつかれ初動が遅れた。

 反射的に身体を捻ったから避けられた。

 運がよかった。ただそれだけの事。


 この俺が人間の村娘相手にだ。


 セルアザム殿から剣を習ったと言っていたな。

 人間の村に潜伏中の陛下の傍にいたセルおじさんとは、セルアザム殿に間違いないだろう。

 薬で外見を変化させていたようだが、セルアザム殿以外にあの頃に陛下と共にあられた方はいないハズだ。


 悪魔大公セルアザム。

 この国でも比肩なき強さを誇るこの御方が陛下の味方についた。それがどれ程の意味を持つ事か。

 この御方がおられなければ今の陛下もなかったであろう。俺も幾度となく指南を受けた。


 そのセルアザム殿から剣を教わったという。

 様子からすると、それもつきっきりで。


 ふざけるな。何だこの女は。

 何から何までふざけている。

 これが普通の村娘だと? 認めんぞ俺は。


 そもそも認められる訳がない!

 このふざけた女が俺の兄弟子だなんて!


 打ち込みからの払い。突いてからの斬り上げ。どれも身体の芯を崩さず体重も乗っている。

 一朝一夕で身に付けたモノではない。相当に鍛練を重ねてきた事が伺える。近衛騎士団に入っても遜色の無いレベルだ。


 貴様が村娘とか絶対嘘だろ。


 引き込む剣に合わせて打ち込むと、見事な足捌きでそれをかわす。攻め後の残心も悪くない。

 すぐさま払い斬り上げ、足元と胸元を突き崩す。


 胸元の突きは避けきれなかったようで、剣の腹を当てて反らしてきた。力では対抗出来ぬと見て、受けずに反らしてきたか。追撃を捌ききれぬと判断したのだろう、半歩さがり間をとる。


 良い判断だ。良い判断なのだが……。


 何々だ貴様は。何々だその動きは。


 果敢にして慎重。繊細にして潔い。

 俺が近衛の連中に、剣とはこうあるべきだと教える姿がそこにある。


 攻めの型に比べて受けにはまだ隙がある。

 俺からの攻めを完全にはこなしきれていない。

 にも関わらず、持って生れたモノか鋭い反射神経と、絶妙なバランス感覚でかわし続けている。

 現に未だ一撃たりとてその身に受けていない。


 ただ、ほとんど実戦経験はないのだろう。

 ドス黒く粘りつくような殺気も、抉り込むかのようないやらしさもなく、丁寧で素直な技ばかりだ。

 訓練剣術、というヤツだ。

 俺の挙動に凄まじく集中している。


 フェイントを混ぜてからの三連撃。身体が開いた所へ死角になるであろう左下から斬り上げる。

 体幹を捻るようにして避けられた。さすがにバランスを崩したかと思ったら、そこから突いてくる。


 新種の猿か貴様は。


 こちらを牽制するかのように連撃を放つ。

 一様にそれらを受け流すとフェイントからの三連撃を繰り出してきた。まさか、と思いわざと身体を開くと左下から斬り上げてきた。


 ……今受けたばかりの連係のはずだろ。

 それを即座に返してくるか。


 一合打ち合う毎に貪欲に俺の技を吸収していく。

 成長していく過程を目で見るという新鮮な感覚。

 俺の一挙手一投足に確実に反応してくる。


 思うように技が決まらない。

 思いもよらぬ反応が返ってくる。

 だが、……決して不愉快ではない。


 不本意だが、いつのまにか俺は楽しんでいた。


 これが訓練剣術。

 いかに相手を効率よく殺すかを追及するのではなく、自分をより高みへと望む為の剣術。

 悪くない。素直にそう思えた。


 命のやり取りの場には必要が無いと、俺が切り捨ててきたものの一つだ。


 剣を振るう時に、相手が倒れる事を望まない不思議な感覚。どのように反応し、どのように返してくるのかに心が踊る。


 楽しい。


 俺は今、確実にこの瞬間を楽しんでいる。

 もっとだ。もっと見せてくれ。

 お前はそんなもんじゃないだろ?


 初対面の相手に、これほどの信頼を感じるとは。

 一合組み合うごとに、言葉以上のもので語り合う。


 剣とは、これほどのものなのか。

 剣に生きてきたつもりの俺が、こんな小娘に剣の何たるかを教わる事になるとは……。


 不思議と心が凪いでいた。


 連撃の最後が反れ、剣を戻すのが遅れる。

 一瞬の隙を見逃さず、引き腕よりも速くレフィアが踏み込んで来る。

 絶対の間合いを取られた。


 ここで終わってしまうのか、と寂しさを感じる。

 楽しませてもらった礼に、一撃くらいならもらってやってもかまわないとさえ、思ってしまった。


 レフィアの身体が沈み込む。

 そのまま視界から消え、足をもつれさせたのか、地面に崩れ落ちるように転がってしまった。


「それまで。……です。お二方ともお見事でした」


 突然の事に状況がよく掴めなかった。

 セルアザム殿の声に、肩で息をし、声もでない自分にようやく気付く。

 驚愕はゆるやかに遅れてやってくる。

 たったあれだけの打ち合いで、この俺がここまで体力を損なっていたというのか。


「……ハァハァ。俺は……。何を……」


「レフィア殿は体力の限界を越えてしまわれたようです。かれこれ2時間も打ち合っておられでしたから」


 2時間……、だと? いつの間にそんな時間が。


 どうにか息を整えると、忘れていた疲労感が身体に重くのし掛かってくる。


「……そんなに、ですか。まさかそれ程打ち合っていたとは思いませんでした」


「あに様はとても楽しそうでした」


「楽しい? 俺がか?」


 リーンシェイドが、どこか拗ねたように言いながらレフィアを抱き起こす。大きく肩で息をしながらも気を失っている。

 どこか不敵にほくそ笑んでいるように見えるのは、気のせいだろうか。


 人間のくせに、面白いヤツもいたもんだ。


「……確かに。俺は楽しんでいたかもしれない。いや、正直心が踊っていた」


 柔和な笑みを浮かべる老紳士に振り返る。


「こんな兄弟子がいようとは思ってもみませんでした。セルアザム殿もお人が悪い」


「お別れしてから早5年が経ちます。その間も一人、鍛練を続けていたのでしょう。ここまで身につけておられるとは私も驚いております」


 5年か……。たった5年でここまで。


 笑いながら寝てるレフィアを眺めていると、リーンシェイドがセルアザム殿に確認をとる。


「王妃様のおっしゃられていた『セルおじさん』とは、やはりセルアザム様でいらしたのですか?」


「これは、何とも懐かしい呼ばれ方でございますな。レフィア殿は素直な生徒でございました」


 ただでさえ細い目を細めて、セルアザム殿はどこか楽しげに目元を緩ませた。


にその事は、明かされないのですね」


「陛下が未だ迷っておられるようなので、私めから先に明かす訳にまいりませぬ。それよりも、アドルファス殿はレフィア殿をどう思われますか。未だ彼女はアドルファス殿の敵でございますか」


「どうと言われましても」


 セルアザム殿に問われ考える。

 考えるまでもないのかもしれないが考える。

 人間は敵だ。敵を陛下の妃に迎える事にはやはり賛同しかねる。迎えるべきではない。

 その考えは変わらない。

 変わらないが……。


 この娘ならばとも思ってしまう。

 そう、思ってしまった。


「よく動く猿だなとしか」


「……あに様」


 リーンシェイドの冷たい視線を受けながらも自然に頬が緩んでしまうのを止められない。

 呑気に寝ているレフィアを見てると、それも悪くないと思った。





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