ACT.81

 ラッキーの独白を聞き終えても、四人はなかなか声を発せなかった。朝方のファントムの静けさが、見えない圧力をかけるように重くのしかかる。停滞した空気に耐えかねたのか、棚に凭れたエドが確かめるように呟いた。


「じゃあお前、元々脱走する為に来たのかよ」

「まぁね」


 軽快な肯定を耳にして、不信感を顕にするのはクレだ。初めて独房で言葉を交わしたときのことを思い出しながら、彼女は言った。


「逮捕されたのはヘマしたからだって、言ってたくせにな」

「よくそんなこと覚えてるね。まー、まさかわざとここに来たなんて言えないでしょ。私の罪状がバレたら面倒なのは、流石に想像つくし」


 ラッキーは淡々とそう告げると、壁に掛けられた時計を見て、次に窓を視線を移した。まだ出発の時間にはならないらしい。腕を組んで壁に寄りかかる様子を見ていたエラーはそう解釈した。

 クレは依然ラッキーを睨み付けるように見つめたまま、独り言のように言う。


「……すご腕のセキュリティ破りか。捕まった場所が他の刑務所なら、もっと厳重なところにブチ込まなきゃいけなくなるのも納得だな」

「エラー、まだ眠いの?」


 サタンはベッドから身体を起こしたまま、布団から出ようとしないエラーの顔を覗き込む。まさかこの後に及んで、ついて来ないとは言い出さないだろう。四人の中で、エラーの反応は不自然なほど薄かった。それを眠いと解釈したサタンだが、実際は違ったようである。


「いいや。一応言っとくけど、驚いてはいるよ。ラッキーがここにきた理由についてはね」

「どゆ意味?」

「引っ掛かってたんだ。クレの名前聞いた時のリアクション。556って言われてクレに直結する女って、どう考えても少数派でしょ」

「そう?」

「まぁそらそうやろうね。私もなんのことか分からんかったし」

「うーん?」


 ラッキーは過去を回想する。しかし、明確に思い出すことはできなかった。何せ数ヶ月前の、何気ない会話である。

 ただ一つ言えるのは、ここのボスにもなる女というのは、初対面から相手を徹底的に疑ってかかり、どんな些細な点も見逃さないらしい、ということだけだ。


「鍵屋や設備屋だと思ってたけど、ちょっと違ったね」

「なんで?」

「仕事で作業着を着ることはあったんじゃない? よく胸のポケットの辺り探ってたもんね。最近は慣れてきたのか、やらなくなったみたいだけど。煙草でも入ってた?」


 エラーは首を傾げて問う。ラッキーは目を見開くと、口元だけで笑った。そうして、あえて肯定はせずに話を進める。


「……いつから気付いてたの?」

「最近だよ」


 エラーは自嘲するように笑った。もっと早くに気付けていれば、これほど話が拗れてから真相に近付くような、滑稽な展開にはならなかったかもしれないのだ。

 出会った頃から、彼女の胸元を軽く叩くような仕草が気になっていた。エラーが答えを見つけたのは、意外にもクリーニングの刑務作業中だった。別棟の作業着を広げ、機械へと通す際に、ラッキーの仕草と作業着の因果関係にふと気付いたのである。毎日袖を通しているものだというのに、それまで思い至らなかった自身の勘の悪さを、エラーはひっそりと恨みすらした。


 元々、エラーはセノから聞かされていた話に、疑問を持っていた。ボスにすら言えないような事情があり、しかし注意喚起だけは怠らない。この一見矛盾する内容を突き詰めて考え、さらに先程のような小さなヒントを繋ぎ合わせてみると、ラッキーがファントムにどのような脅威を齎す可能性のある人物なのか、ようやく見当がついたのである。


「セノがさ、777番には気をつけろって言ったんだよ」

「そりゃそれくらい言うんじゃない? なにせ一種の飛び級だし」

「暴行を働いた類の者なら手を出すなって言うし、妙な宗教家の類の思想がヤバい奴なら耳を貸すなくらい言うよ。セノは」

「……なるほどね」

「私に気をつけろとしか言わずに、しかも理由を話そうとしないこと、つまりラッキーと会う前から、ずっと引っ掛かってたんだよ。言える訳ないよね。知ったら、私がラッキーを利用するかもしれないし」


 エラーとセノ。ボスと棟長。密接な関係の二人とはいえ、所詮は囚人と看守である。全てを語れないことだってある。しかし、互いに何かを黙っているときはそれなりの理由が存在する。エラーはある種、セノを信頼していたからこそ、この忠告の矛盾に気付けたのだ。

 エラーの話を聞き、やはり彼女をメンバーに選んで正解だったとほくそ笑むのはラッキーだ。彼女は軽く手を叩くと、話を仕切り直すように明るく言い放った。


「まぁそういうわけで、私は四人を選んだの。あ、戸籍とか、その辺は気にしなくていいらしいよ」

「そういう問題かよ」

「クレちゃんはさ、置いてってあげた方がいいかなとも思ったんだ。だって、出るの怖いでしょ」


 ラッキーは冷やかすように、視線をクレに向ける。ベッドの縁に腰掛けていた女は目が合うと、気まずそうに窓の方を見た。


「……前ほどは」

「うんうん、そうだよね。だからやっぱりついでに連れてっちゃおーって思ったの」


 怯えているようにも見えたクレを宥めすかすように、ラッキーは努めて明るく述べる。しかし、その物言いに問題があったのは言うまでもない。


「ついでって、お前なぁ」

「ついでだよ。私が本当に外に連れていきたいのは、サタンだけだもん」

「ほんまにきっしょいわ」

「でも一緒に来るでしょ」


 ラッキーはニヤニヤとサタンの顔を覗き込む。すると、目を合わせることすら嫌うように、むっとした表情を浮かべてサタンはエラーを見た。自身に矛先が向くと思っていなかったらしい女は、意外そうに「え、何?」と呟く。


「エラーは?」

「だってエラーちゃんはサタンの玩具だもん。お気に入りの玩具取り上げたら可哀想じゃん」

「誰が……まぁいいや。乗った。失敗しても、どうせ私が連れ戻されるのはここしかない。出れる可能性があるならそれに賭けるよ」


 エラーはそう言うと、にやりと笑った。ボスとして生きるのも面倒になっていた彼女にとって、この状況は渡りに舟である。脱獄が失敗して死刑になるならいざ知れず、いや、死ぬことになったとしても、それはそれで構わないとすら思っているかもしれない。とにかく今のエラーには、怖いものなどなかった。

 やってやろうじゃん。彼女はそう言うと、ようやく布団を蹴り飛ばして立ち上がった。大げさに思えるほど派手に捲れたそれは、ひっくり返ったまま地面へと落ちる。平時であれば床に布団が落ちるなど不快なことこの上無い出来事であるが、エラーはそれを全く無視して、ポケットに手を突っ込んで佇む。その横顔は、二度と使う予定のないものがどうなっても構わない、と告げているように見えた。


「エラーちゃん、ここから出てしたいことはある?」

「ないよ。でもその方が良さそうじゃない?」

「どういう意味だよ」

「死亡フラグってやつ。そんなことよりも、私はエドがここにいる方が意外だったな」


 靴を履きながら、エラーはエドを見る。突然話を振られたエドだったが、ふてぶてしい態度は忘れていなかった。エラーの言いたいことの見当はついている。それが彼女の声色を、より一層不機嫌なものにさせた。


「あ?」

「ムサシのこと、いいの? すごい顔だけど」

「顔のことはほっとけ。っつーか、どいつもこいつもあいつのこと聞いてくんじゃねーよ」


 エドはそう吐き捨てたが、一言言わなければ気が済まなかったのはエラーだけではない。クレは呆れた様子でぼそりと、そりゃ聞くだろと呟いた。そして、エドが反応する前に、さらにエラーが続ける。


「そっち選んだんだ」

「別に、っせーな! 殺すぞてめぇ!」

「ちょっとー、静かにしてよー」


 肘をかけていた棚から離れると、エドはずかずかとエラーに歩み寄る。胸ぐらを掴もうと手を伸ばしたが、すんでのところでラッキーがエドの手首を捉えた。


「てめぇ、自分は関係ないみたいな顔しやがって」

「え? だってそうでしょ?」


 煽るように平然と言ってのけ、ラッキーは引き続きエドを押さえつける。

 ラッキーが来てからのことを思い返していたクレが、さらにそこに「ちょっと待て」と言いながら割り込む。そんな四人を、サタンだけが他人事のように見つめていた。


「ついでに話してけ。オレらの仲を引っかき回して、何がしたかったんだよ」

「あー。それは追々分かるよ、まぁいま言ってもいいけど」

「今にしろ」


 今にも噛みつきそうな剣幕でクレがラッキーに催促すると、彼女はエドから手を離し、両手を上げて首を振った。


「分かったよ。二人を動かして、看守たちの反応や設備の挙動を確認したかったの。まぁ、はっきりと分かったのは、ここの刑務官達のやる気の無さくらいだけど」

「やけにあたしらの会話を知ってたのはなんなんだよ。盗聴器なんか、さすがにつけられないだろ」

「そんなのいらないよ、隣の部屋だもん」

「あたしも試したけど、壁伝いに聞こえる音なんてねぇよ」


 エドは得意げにそう言い、ラッキーにさらに説明を求めた。しかし、エドの視線の先にいる女は、これ以上説明のしようがないとでも言うように鼻で笑った。


「それはエドちゃんの耳が悪いんだよ」

「あぁ?」

「悪いというか平凡、かな。音と感触を頼りに金庫を破ることだってある。私のそれと一緒にしないでよ」

「……ちっ」


 常人には成し得ない、特殊技能の応用だと言われてしまえばそれまでである。エドにはできないことがラッキーには出来た。それ以上に理由などなかった。

 やっと尋問が終わったと思ったラッキーだったが、安堵する彼女に新たな疑問をぶつけたのは、他でもないサタンであった。


「ラッキー、まだあるわ」

「何?」

「あの写真、どうやって手に入れたん」

「あぁ。言ったでしょ。私はオーリンズの意向通り、友達を探してたんだ。で、データが管理されてるパソコンを見つけて、サタンのプロフィールを読んで、犯罪経歴に一目惚れしちゃった。だから手土産に、データとして保存されていた画像を印刷したんだよ。もういい? 質問責めにされるのは好きじゃないんだよ」


 対面したときには何も思わなかったのだから、一目惚れとは言わないだろうと口にしようとしたサタンだが、ラッキーが白状した内容に食い付いたクレとエドによって、それを指摘する機会は奪われることとなる。余計なことを、サタンはそう言いたげにラッキーを睨みつけたが、当の本人は飄々としていた。


「サタン……? お前、誰かにハメられて」

「違うだろ、誰かの肩代わりしたって聞いたぞ」

「二人とも間違ってる。サタンは」

「言わんでええやん」


 サタンはラッキーを制止しようとしたが、彼女の本性を暴露したのは、たったいま支度が終わったばかりの女である。


「いいや、言わせてもらうよ。サタンの罪状はそんな可愛いものじゃないよ。本当は死体損壊と自殺教唆、でしょ?」

「おいおいおい……」

「……マジの奴だったのか、てめぇ」

「そんな引かなくてもええやろ」


 サタンはうんざりとした表情で、ため息混じりにそう言った。罪状を知られたからと言って今更不都合はなかったが、わざわざ彼女達の中のイメージを悪くする必要はないだろう。

 困惑するエドとクレの顔を、腕を組んだサタンが冷めた目で見つめている。その視線に気圧されたのか、二人はそれ以上追求することを諦めたようだ。そうして、脱獄の機を窺うように、窓の外を見つめていたラッキーが呟いた。


「さってと。それじゃ、出よっか」


 時計は四時半を指していた。ラッキーの計画では、あの針が一周しきる前に、五人はこの施設を後にすることになっている。皆に準備と称して靴を脱がせている最中、彼女は誰にも見られることなく、ひっそりと笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る