ACT.84
乗り込んだヘリの中は、向かい合うように三人掛けの座席が並んでおり、五人はそれぞれ適当に腰掛けていた。エラー達が入ってきたドアから一番遠いところに、初めから座っていた男は、彼女達を見ながら自己紹介を始めようとしていた。
キャスケットを目深に被り、サングラスをかけた細身の男が機体の揺れによろめきながら立ち上がる。如何にも怪しい出で立ちだが、彼は彼女達の警戒心をあざ笑うかのように、口元だけで笑ってみせた。
「俺はミカ。翼から聞いてると思うが、こいつの仕事仲間だ。ヘリを操縦してるのが俺達の雇い主のオーリンズという男だ。日本語はほとんど喋れない」
「翼って……てめぇか?」
エドはミカの隣に座ったラッキーを見る。ラッキーという名前が定着し過ぎていたせいか、彼女に本名があることを失念していたらしい。
「そそ。私の本名は、佐伯翼。ま、どうでもいいでしょ」
「そうだな、心底どうでもいい」
「そうやね、脳のリソース割きたくないし、聞きたくなかったほどや」
「言い過ぎ言い過ぎ!」
ラッキーが二人を叱りつけていると、ミカはほうと感心するように声を上げた。頼れる同業者はどうやら約束を守ったらしい。それを察すると、彼は優しく言った。
「ははは。翼、マジで友達見つけてきたんだな」
「そそ、この子がそうだよ」
ラッキーは隣に座っていたサタンの肩を抱き寄せる。サタンが鬱陶しそうにその手を振り払うと、ミカはまた笑った。
「まだ一方通行のようだな」
「照れてるだけだから」
ラッキーがミカの言葉に反論する中、サタンはむすっとした顔のまま立ち上がった。正面に座っていたエドを押すようにして強引に横に座り、その腕に抱きつく。三人掛けの座席なので余裕はなかったが、女性の中でも華奢な面子が揃っているせいか、少し詰めれば四人とも収まることができた。
当てつけのような行為にラッキーはこめかみをぴくぴくさせている。しかし、エドはラッキーの視線を受けながらも、思ったままを口にした。
「おい、くっつくなよ」
「ええやん。イヤ?」
「イヤだから言ってんだろうが」
ラッキーはエドのあまりに贅沢な発言をなんとか聞き流した。その間、エドは何かを思い出したように、左隣に座っていた女、エラーへと振り返って胸ぐらを掴む。
「そうだ、おいエラー。一発殴らせろ」
「はぁ? なんで? それこそイヤだよ」
「てめぇ、あのとき諦めただろ」
あの時というのは、セノと対峙した時である。エドの言う通り、エラーは諦めかけた。元より死ぬかどうか迷っていた身である。意味のある死を遂げられるなら、それも悪くないかもしれないと、そんな考えが一瞬頭をよぎったのだ。
「娑婆に出てやりたいことが、エドみたいにはっきりとなかったしね。残るなら私かなって思っただけだよ」
「らしくねぇな。てめぇが他人の為に、自分の身を差し出すなんて」
「別に。あの時の私は、私の為に何かしてあげようって気持ちが湧かなかっただけだよ」
「意味が分かんねぇ」
「にしてもびっくりしたな。まさか、エドが私を助けてくれるなんて」
エドは言葉に詰まった。エドとエラー。この二人はラッキーが来てから、最も関係を悪化させた二人と言っていいだろう。咄嗟にエラーを救うために吠えたことを思い返すと、今でも違和感があるというのがエドの本音だ。
「なんでだろうな。理由はねぇ。なんとなくだ」
「そ。ありがと」
エラーはエドの腰を抱き寄せ、頬に軽くキスをする。暴れ出しそうになったエドを窘めるのはミカしかいなかった。
「てめぇ! 何すんだよ!」
「暴れるのは止せ。ヘリの操縦に影響が出るだろうが」
「んなこと言ったってこいつが!」
エドは絡み付くエラーの肩を涙目で押し返しながら、言葉だけで抗議した。ちなみに、右腕にはいまだにサタンが絡み付いているので、体は上手く動かせない。
「ねぇエラーちゃん? あのね、エドちゃんが指示を出して、それをオーリンズに伝えたのは私なんだ?」
「え? だからなに?」
突然話を振ってきたラッキーに、エラーは困惑しつつ顔を上げる。エラーの隣に座るクレは、ラッキーが言いたいことを理解したらしく、小さく鼻で笑って窓の外を見た。被害が最も少なさそうな端の座席で良かったと思いながら。
「え? 私のほっぺにちゅーしてくれないの?」
「しないけど」
「おかしいじゃん!」
「翼! 暴れるな!」
ミカはラッキーを押さえつける。エドを窘める時に遠慮していたらしいというのは、ラッキーの扱いを見て皆が理解した。ミカは彼女を少し歳の離れた妹のように可愛がっているのだが、その分容赦がない。暴れ出したラッキーを押さえて捕まえると、手を振り下ろしてその頭を叩いた。
そうして、ラッキーがやっと落ち着いたのを確認すると、ミカはようやく本題に入った。本題というのは他でもない、彼女達のこれからについてだ。
「ファントムはロシアとの境の小さな島に建てられたものだ。一度、給油やその他手配の為に、北海道に着陸する。翼には俺達と一緒に東京に来てもらうが、残りの連中はどうする」
ファントムの立地については、誰もが即座に納得した。エドだけは頭に疑問符を浮かべていそうではあるが、それはさておき。ミカが問うたように、問題は己の身の振り方である。
クレは腕を組んで、少し暗い表情で居た。そして、向かいに座るミカをちらりと見る。
「まず、オレ達の戸籍や犯罪歴なんかはどうなる」
「その辺は心配するな。書類の上ではお前達は同姓同名の誰かに生まれ変わることになる。都内に行きたいなら、ついでだから一緒に来い」
「あ、言っとくけど、サタンとエラーちゃんは私と一緒だよ。分かってるだろうけど」
補足するように、小さく手を挙げてそう告げたラッキーであったが、サタンの言葉に対して声を荒げることとなる。
「え? 分からんかったわ。私は北海道に残るで」
「ダメだってば! 来て!」
「はぁ……やって、エラー」
サタンはムキになるラッキーからうざったそうに視線を逸らすと、少し屈んでエラーを見た。サタンとエラーに挟まれているエドはというと、機内の低い天井を見上げて細くため息をついている。
「ま。どこでもいいよ。私はラッキーの仕事の手伝いはできないだろうけどね」
「親友とペット養うくらいお安い御用だよ」
「へぇ、ラッキーに親友なんておったんや」
「親友じゃ物足りない? 奥さんってことにしてもいいけど?」
三人が当面の己の身の振り方を適当に決めたころ、エドとクレは目を合わせて気まずそうに視線を逸らした。二人が望む生活はどこでだって、手に入れようと思えば入れられる。とりえあずはエラー達についていこうとエドが声を発する寸前、クレが言った。
「オレは北海道に残る」
「いいのか? 寒ぃぞ。一応服は用意してあるけど、翼のやつがそれぞれの背丈を言ってこなかったからな。お前が着ると大分袖が短いだろうな」
「普通の身長で良かった」
「私もや」
「あたしも」
「エドちゃんはチビじゃん」
「んだとコラ!」
ラッキーに掴みかかろうとしたエドであったが、誰かに肩を掴まれて振り返る。そこには、神妙な面持ちのクレがいた。
「んだよ」
「お前、どうすんだ」
「はぁ? てめぇが残るのに、あたしだけ東京に行くわけねぇだろ。今更そんなこと言ってんのか」
エドはクレの顔はあえて見ずに、誰もいないところを見つめて言った。
どうやらクレとエドの認識には差があるようだ。エドが今後も自分に付き合う必要はない。むしろ、まともに生活を送ろうとしているエドに、気軽に声を掛ける権利などないのかもしれないと、クレは考えていた。
他の面子よりも早く脱走について聞かされていたエドは、クレよりもその辺のことを考えて、というよりも覚悟していたのだ。クレの遠慮は杞憂以外の何物でもなかった。
「いや……だって、オレ達」
「うっせーな。んなもん、あとで考えりゃいいだろ」
「……そうだな。ミカさん、オレ達はそこに残る」
ミカは引き止めたりしない。五人が選んだ道が、それぞれにとって最善であることを祈るばかりだ。
「分かった。ただし、お前達を送ってくことはできない。俺達はまた空の移動だ」
「それでいい」
ミカとクレの会話を聞き、引っかかっていた”あること”への答えが見えてきたエドは、小さく舌打ちをした。これといった具体的な目標がないクレが、なぜ北海道に残ると断言したのか、その理由の見当がついたのである。
「エドは? ええの?」
「しょーがねーだろ。こいつが残るって言った意味、やっと分かった。てめぇ、出身どこだった?」
「神奈川だ」
「んなことだろーと思ったぜ」
エドはため息を吐いて再び低い天井を仰ぐ。当然と言うべきか、いじらしいというべきか、クレの判断に一種の無常さを感じながら、彼女は言った。
「お前、知り合いに会いたくねぇんだろ」
「……おう」
「あぁ、そういう……」
事情を察すると、クレの今後について言及する者はいなくなった。そうしてエラーはサタンの顔を覗き込む。
「そういえばサタンは?」
「私も捕まった時は神奈川に住んどったよ。でも、私が捕まって妙な評判が広まってるやろうし。もうあの土地にはおらんと思うわ」
「そっかー。私は都内の方が仕事しやすいし。良かったー」
ラッキーは安心するように声をあげたが、ミカは腕を組んで難しい顔をしていた。
「翼、何を言っている?」
「え?」
「お前はおそらくアメリカ行きになるぞ。オーリンズが言っていた。もちろん、都内に来ることもあるだろうし、別荘として適当なアパートを確保しておくことに反対はしないがな」
「あ、そうなの? でもそんなことしないよ。お金の無駄じゃん」
とんとん拍子で二人の会話は進んでいく。別荘として都内に居を構えるなど、エドやクレから見れば、贅沢以外の何物でもない。二人は無意識の内に、呆れるような視線を彼女に送っていた。
「その辺はオーリンズが融通利かせてくれるだろ。んじゃ、経費で落ちるなら部屋を借りるってことでいいな?」
「あ、それいいねー」
ラッキーは立ち上がると座席に膝をついて、操縦席に顔を出す。オーリンズの顔を見て笑うと、サタン達と向かい合うように、元の場所に座り直した。
「じゃ、私達三人は東京。エドちゃん達はとりあえず北海道ね! あ、ミカ。例のあれ、用意してくれてる?」
「あぁ、まさか本当に五台全部渡すことになるとはな」
そう言ってミカがそれぞれに手渡したのはスマートホンだった。各自受け取ると、中身がまっさらなそれを確認する。
「当然だが、名前も何も入っていない。無いと不便だろうということで、ラッキーが俺に用意させたのは服と、その端末だ。金は用意してないが、その辺はラッキーが工面するだろう」
「別にいいけど、百万くらいでいい?」
「おまっ、そんな大金さらっと」
クレはラッキーの浮き世離れした感覚にようやく苦言を呈した。しかし、彼女には全くと言っていいほど響いていない。
「いいんだよ。せっかく助けたのにのたれ死なれたら嫌だし。でも今は別の口座に移してもらってるから、渡すのは後日になるかな。適当に口座作って待っててよ」
ミカに振り返り、「身分証明書って何か用意してる? 口座作るのにいるよね?」などと打ち合わせを始めたのだった。
「住記カードや保険証なら用意できるぞ。名前が分からなかったから、そっちはまだ手配していない」
「そういえばそっか。サタンの分は運転免許も用意してあげて」
「分かった。サタンは、えっと」
ミカがきょろきょろと周囲を見渡し、一瞬エラーと目が合ってその視線が止まる。むっとするエラーが言葉を発する前に、サタンが自己申告した。
「あ、私です」
「……すごい名前だな」
「よく言われます」
あの人、いま絶対私をサタンって名前っぽいと思った。発せられることのなかったエラーの文句は、ヘリを下りる頃まで、彼女の中で燻っていた。
大きな音を上げて、風を巻き上げ、ヘリは極寒の地に降り立つ。周囲が雪一面のそこは、彼女達の知る日本ではなかった。
「なぁ、オレ達だまされてないか?」
「ここどこだよ。南極だろ」
「北海道だよ。これでもこの辺は雪が少ない地域らしいよ」
「ファントムから出て、あの寒さとおさらばできたと思ったのに……」
あからさまに肩を落とすエラー達を尻目に、ミカはラッキーに言った。
「俺達も急ぐぞ。ここは今は無人、ということになっているんだ」
元囚人達は遅れて機体から降りてきたオーリンズと握手を交わすと、二人と三人に分かれて向かい合った。
「そんじゃ、これから会うことはないかも知んねぇけど」
「嘘でしょ。さっき連絡先交換したじゃん」
「それでも会うかどうかは分かんねぇだろ。特にお前、なんか早死にしそうな仕事してるし」
「あはは。言えてる」
クレは冗談のつもりではなかったのだが、ラッキーはまるで真に受けていない。妙な空気に、エドは思ってもいないような挨拶を口にした。
「なんつーか。その……世話になったな」
「こっちこそ。なんかあっけないね」
「そうやね。近いうち、電話するわ」
「電話か、信じらんねぇな」
電話を誰かにかけるなど、いつぶりだろうか。ラッキーを除いた四人には思い出すこともできない。
神妙な面持ちの彼女達を見かねたミカは、少し離れた林を指差して言った。
「あの林道を抜けると道道に出る。それに沿って歩いていけば町に着くはずだ。元気でな。短い付き合いだったが、お前達が成功することを祈ってる」
「おう。ありがとな、ミカさん」
「またねー」
「あぁ、また」
クレとラッキー達は短い言葉を交わす。オーリンズとミカに続いて、ラッキーとサタンが歩き出す背中を、クレはじっと見つめている。その間、エラーがエドに近づき、耳元で囁いた。
「たまにクレ貸してよ」
「てめぇマジでぶっ殺すぞ」
エラーはエドの啖呵を聞き流すと、オーリンズ達のところへと小走りで駈けて行った。
助けようとしなきゃ良かった。そう吐き捨て、振り返るとクレを見る。
「行くか」
「おう」
こうして、北海道に残ることを決めた二人は、極寒の地を当てもなく歩き始めた。
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