ACT.78

 ムサシとの話し合いの為、ラッキーから猶予をもぎ取ったエドは、消灯後にB-6区画の部屋を訪ねる。計画を翌日に控え、後戻りできないことを意識しながら。

 日中に呼び出して例の吹き抜けで会おうかとも考えたが、この状態であの場所を使うのは憚られた。あそこは二人の大切な場所である。少なくともエドはあの何の変哲もない吹き抜けを特別に思っている。ムサシから別れを切り出されている今、もう自分にはあの場所で彼女に会う資格がないように感じていたのだ。


 そうしてエドはムサシの部屋を訪れた。彼女はたまたま部屋で本を読んでおり、エドがドアをノックすると、すぐに本を閉じて棚に置いて、どうぞとだけ言った。

 音を殺してドアを締めるエドの顔を、ムサシは無表情で見つめていた。敵意は感じられなかったが、これまでの好意的な態度も消えていた。ただ一人の知り合いが尋ねてきたかのような表情に、エドは一抹の寂しさを覚えつつ、切り出した。

 くだらない前置きをするつもりはなかった、と言えば聞こえはいいが、エドは別れを告げられたことを、無かった事にするかのように振る舞っているだけだった。


「お前、外に出たいか」

「え?」

「娑婆だ」


 いきなり部屋にやってきたかと思えば、意味の分からない言葉をぶつけられる。ムサシは不思議に思いつつも、どんな理由であれ、エドが自分だけを見ているこの状況を嬉しく思っていた。同時に、それをおくびにも出してはいけないと、細心の注意を払っているところである。


「……ううん、なんで?」

「……なんでだよ」

「さぁ。私はまだ、ここにいるべきだから、かな」


 二人の会話は存外スムーズなものだった。上っ面だけのやり取りは淀みなく進み、齟齬もない。しかし、前回の別れを踏まえると、それは非常に不自然でちくはぐだった。かと言って、それを指摘すれば話が逸れてしまう。エドはもどかしさを感じながらも、この会話を優先させることにした。


「よく考えろよ、お前、元々悪い奴じゃないだろ。ここにいたら、いいとこまで消えちまう」

「私のいいとこって?」

「あーと……」


 言葉に詰まるエドと、いい加減この会話の真意が気になり始めたムサシ。特にエドが切り出そうとしていることを知らないムサシにとって、このやり取りは雲を掴むようなものであり、荒唐無稽なものであった。


「こんな問答、舞らしくないよ」

「あ?」

「無意味だよ、そんな有り得ない話」


 吐き捨てるようにそう言うと、ムサシは真っ直ぐエドを見つめた。しかし、エドも譲らない。バカみたいに聞こえるだろうけど、と前置きをして、説き伏せるように続ける。


「あたしも半信半疑だけど、そういう話があんだよ」

「へぇ? どうせ眉唾ものなんだろうけど」

「まゆ……?」

「私は信じられないって言ってるの」


 言葉の意味を理解できない、そんな少し馬鹿な想い人が愛しくて堪らなかった。今すぐにふわふわとしたその髪に指を通して、頭を抱えて胸に抱きたい。沸き上がる欲求を内に秘めて、誤摩化すようにムサシはため息をつく。


「じゃあ、あたしがある日突然消えてもいいのかよ」

「そもそもどっちかって、相当怪しいし。本当に出られるなら、どうして一緒じゃいけないの?」


 ムサシの疑問は尤もである。できれば伏せておきたかったエドだが、目の前の女は一筋縄ではいかないと理解すると、白状するように告げた。


「あたしに渡された切符が一枚だけだからだ」

「……じゃあ、私が行くって言ったら、舞は残るつもりだったんだ」


 鋭い視線を向けられる。エドは少し間を置いて、おうとしか答えられなかった。ムサシの瞳は、自分を責めている。エドはそれを感じながらも、引くことなく、真っ直ぐに見つめ返した。


「舞のそういうところ、嫌い」


 だろうな。ムサシの言葉に心の中で同意して、エドはその場に立ち尽くす。自分には何も言えない。ムサシが望めば、黙って席を譲っていた。聞こえはいいが、騙そうとしたことには変わりない。自分勝手であることを重々承知の上で、ムサシの負の感情を一身に受けようとしていたのだ。

 しかし、だからこそ、ムサシが続けた言葉に、エドは面食らった。


「でも、好き」

「……おう」


 こんな場面でどういう顔をしていいのか、彼女には分からなかった。喜んでいるような、悲しんでいるような、それでいて怒っているような顔をむずむずと浮かべていると、ムサシは微笑んだ。何も言わなくていい、そう言うように、話を戻す。


「クレさん、行くの?」

「……おう」


 エドの返事を聞くと、ムサシは静かに壁に視線を動かし、二度ほど息を吐き出してから、ゆっくりと頷く。


「じゃあ、大丈夫かな」

「なぁ。あたし、お前がそういう考え方すんの、嫌だ」

「なんで?」


 自分がどれほど馬鹿げたことを言っているか、エドにだって分からないわけではない。どちらかというと、言うべきではないことだと分かっている。だけど、抑えられなかった。


「自分がいなくてもいいとか、考えてんだろ」

「……仕方ないじゃん。舞って結局クレさんのこと好きだし」


 すぐに反論できない自分に、エドは心底嫌気が差していた。それでも、我が侭だと呆れられたとしても、どうしても譲れない。感情が言葉に成らずに、ただ胸が燃えるように熱かった。言葉が渋滞を起こしているという訳ではない。投げかけられた言葉を否定することもできず、しかし、それを素直に認められないほど、エドはムサシに惹かれているのだ。口に出した瞬間矛盾するその気持ちはエドの中で燻ることしかできなかった。

 そんなエドを見て、ムサシは優しく笑った。ここで軽々しく言葉を発せないエドの真摯な想いを汲んで、ムサシは確かに満たされたのだ。


「分かってるよ。私のことも本気だって」


 その一言に、エドは救われた気がした。

 しかし、このままでは終われない。ムサシはある提案をした。それは賭けと呼ぶには先が見えている、一種の戯れのようなものだった。


「勝負しようよ。もし私が勝ったら、残って。ここで私と生きて。渡された切符を使わないといけないわけじゃないんでしょ?」

「……あたしが勝ったら?」

「一つだけ、なんでも言うこと聞くよ。足りない?」

「そういうワケじゃ……」

「やんないなら帰ってよ。娑婆でもどこでも、好きなところに行けばいい」


 打って変わって、ムサシは挑発的に笑った。感傷に浸っていた女はもういない。そこには、ファントムでも指折りの喧嘩自慢に、本気でタイマンを申し込む命知らずな女しか存在しない。もし外野がいれば歓声が上がっていたであろう見事な啖呵であった。


「……てめぇ正気か? 長物持たせりゃ最強なのは知ってっけど、素手であたしに勝てると思ってんのか?」


 その眼を見て、エドは即座にムサシが本気であると理解する。自ら手は出さずとも、牽制をするように身体の動きに目配せをした。


「舞はさ、自分がなんで喧嘩強いか、知ってる?」

「あ? 強ぇから強ぇんだよ。バカかよ」

「違うよ。失うものがないからだよ」

「……はぁ?」


 余興とばかりにムサシが切り出した問答に、エドは呆れながら答える。それは彼女らしい、至ってシンプルなものだったが、ムサシに言わせると違った。

 全てに理由があり、逆に言うと、その理由の有無で、人は強くも弱くもなれると説いているようであった。


「何も持ってないの。迷惑を掛けたくないと思う人も、喧嘩相手への配慮も。なんにも」

「意味わかんねぇけど……強ぇならそれでいいじゃねぇか」

「じゃあクレさんはなんで強いか分かる?」

「あんなもんフィジカルだろうが。あのリーチの長さはずりぃよ」

「違うよ。クレさんは臆病だから、絶対に触れられたくないから、失いたくないから、だから強いんだよ」


 エドは痺れを切らし、「あーもー、マジ意味分かんねぇ」とけだる気に声を上げ、頭をぐしゃぐしゃと掻いた。


 エドの我慢が限界を迎えたことを悟ると、ムサシはベッドの枠につま先を引っかけ、そのまま蹴り上げた。けたたましい音が鳴り、ベッドは壁に寄りかかる形で不自然に直立する。ドラッグのガサ入れ等で、ベッドが立て掛けられる場面はエドも何度か目にしたことはあるが、これには驚いた。


「で、私は絶対に手に入れたいものがあって喧嘩するの」


 脅しでもパフォーマンスでもなんでもない。これはムサシにとって、狭い室内で喧嘩のスペースを確保する為の作業に過ぎなかった。とりあえずはベッドが倒れてこないことを確認すると、彼女はエドへと向く。


「弱いと思う?」


 実を言うと、ムサシはこの勝負、どちらに転んでもデメリットはないと考えていた。自分が負ければ、エドは行ってしまう。この計画の信憑性を疑ってはいたが、少なくともエドはそのつもりで動くことになる。恋敵であるクレと共に。決して喜ばしいこととは言えないが、それだけ差をつけられてしまえば、文句のつけようもないだろう。時間はかかるかもしれないが、気持ちを吹っ切るいいきっかけになるかもしれない。

 もちろん、だからと言ってわざと負けるつもりなどなかった。勝つことができれば、クレはここから去り、エドが残ることとなる。それは願ってもいない環境と言えよう。


 間合いをじりじりと詰めるだなんて、まどろっこしいことはしなかった。おもむろに距離を縮めると、どちらからともなく拳を突き出す。自身の拳が何かを捉えた気はするものの、互いに被弾したダメージに意識を持っていかれて、正しく認識できない。

 それでも足を踏ん張り、両者は気合いで立ち続けた。フェイントを入れるような小細工は一切ない。ただ感情と感情とをぶつかり合わせる為、己の拳を用いていた。


 ムサシは始めてエドに会った時のことを思い出していた。自分をチビだと言って笑った、とにかくそのことしか記憶にない。およそ人とは思えない低俗な人間の発言だと聞き流したつもりだったが、その日の夜、消灯後にムサシの怒りは小さく爆発したのだ。自分だって大して変わらないくせに、と。

 その怒りを本人に直接ぶつけるような愚かな真似はしない。元々、B-4区画の連中とは、安易に関わらないように決めた直後だったこともあり、ムサシはその怒りを飲み込み、自らの中で風化させることに成功した。

 言わずもがな、B-4の面子と距離を置くように指示したのはササイである。彼女の助言が正しかったのか、今となっては分からない。それがなければ、当番を頻繁にサボり、舐めた態度を取り続けるエドと、我慢しきれず衝突していたかもしれないのだ。特に、入所してすぐの右も左も分からない頃など、その危険性が高かったと言えるだろう。

 しかし、そこで別の関係を築いていれば、こうして愛を以て暴力を振い合うような関係にならずに済んだかもしれないのだ。


 どのような未来を正解とすればいいのかなど誰にも分からないが、ただ一つ言えることがある。それは、ムサシはエドに惹かれ、こうなってしまったことを、一切後悔していないということだ。

 二人で過ごした時間も、過去を打ち明け合って無様に舐め合った傷も、触れた体温も、全てがムサシにとってかけがえのない宝物だった。彼女はそれらを、死ぬまで大切にし続ける。エドとの思い出を切り崩しながら、これからの人生を細々と生きていくつもりなのだ。


「……はぁ、お前、マジじゃねーか」


 エドが辛うじて立ったまま言った。棚に肘をかけて体重を預け、ぜえぜえと肩で息をする。自身の吐く息が随分と鉄臭いことには気付いているが、口内はどこもかしこもが切れており、気にかけるのも億劫なほどである。口の端から唾液と交じった血液が垂れて、顎から糸を引いて作業着を汚していたが、構いやしなかった。


「あー……本気だったのに……立てない……」


 ムサシは両手を広げて天井を見ていた。いや、見てなどいない。目に血が入って視界が悪いのだ。久々に全力で動いたせいか、意識も少し遠い気がした。

 そんな彼女を見下ろしてエドは宣言する。


「あたしの勝ち、だな」

「……うん。やっぱ無理だったね」


 咳をしながら、エドに至ってはトイレに血液混じりの唾を吐き捨てながらの会話である。話し手としても聞き手としても、今の彼女達は随分と心許ない。聞こえてなくてもいい、伝わらなくてもいい、互いに半ば自棄を起こしながら、なんとか声を発する。

 辿々しいそのやり取りはあまりにも儚げで、これほど消耗した状態でも会話が成立するのは、この二人だからこそという貫禄すら感じさせた。


「……分かってて、焚き付けたんだろ」

「……分かってて乗ったくせに」

「お前……、あたしのこと、好き過ぎだろ」

「当たり前じゃん」


 こうなるのは、心のどこかで分かっていた。諦めていたつもりではないが、おそらくは勝てないだろうという予測くらい立つ。

 だからムサシは、床に伏していることを意外だと思っていない。ただ、一秒でも長く殴り合っていたかった。それだけである。


 エドはムサシを立たせようとするが、棚から離れた瞬間、膝から崩れた。どうやらほとんど限界まで消耗していたらしい。それを知ると、彼女は膝を付いたまま笑った。

 立ち上がれそうにないことを悟った彼女は、四つん這いでなんとかムサシの顔の横に移動し、体を落ち着けるように胡座をかいた。

 二人はしばらく無言で見つめ合った。この時間がずっと続けばいいのに。ムサシはそう願いつつ、徐々に自身の呼吸が整っていくのを感じた。

 上半身を起こすくらいはなんとか出来そうである。しかし、そうすると、おそらくはこのかけがえのない時間が終わりを迎える。分かっていつつも、ムサシは手を付いて体を起こした。

 いつ脱力してもいいように、エドは気を配り、ムサシがのろのろと体を起こしきったところで口を開いた。


「……てめぇに、あたしの初めてをやる」


 エドはムサシを横からしっかりと見つめていたが、ムサシはというと、ドアの方を見ていた。左側から視線が突き刺さるのを感じながら、女は両手を後ろについたまま、自身の放り出されたつま先を見つめてみる。すぐ隣から聞こえる衣擦れの音の正体も確かめずに吐き捨てた。


「商売女にそんなもの、残ってるワケないじゃん」


 ——ごめん。


 ムサシは思わず顔を上げてエドを見た。

 今にも泣き出しそうな顔でこちらを見つめている。その表情にムサシはただならぬものを感じる。


「……な、なに?」


 問いただしながらも視線を落とす。胡座をかいていた筈の脚は、正座を組んでいた。衣擦れ音の正体を理解しつつも、驚きは隠せない。

 この行儀の悪い女が正座をしている光景など、おそらくは誰も見た事がないだろう。唖然とするムサシを置いて行くように、エドは続ける。


「あたし、今まで、誰かに本気で謝ったこと、ねぇんだ」

「はっ……クズじゃん」

「……だから、お前にやる」


 膝を手のひらで掴みながら、エドは膝を見つめるように下を向いていた。


「お前の気持ちに応えられなくて、ごめん。あたしが勝ったら、一つ、なんでも言う事聞いてくれるって言ったよな……?」


 何か言わなければ。そんな焦燥感がムサシを駆り立てたが、彼女の頭に適切な言葉が浮かぶ前に、エドは続けた。


「それなら、あたしを許してほしい」


 言葉を失ったまま、ムサシはエドを見つめた。伏せた顔、長いまつ毛、惜しげもなくこちらを向く頭頂部とつむじが愛らしい。


「ごめん。こんなもんしか、やれなくて」


 心細そうに声を振るわせるエドに、普段の面影はない。エドはたった今、”ムサシを選ばない”ということを、はっきりと選択し、それを口にしてしまったのだ。もうこれ以上どうにもならない筈だった。こうする他、道は無かった。そう思って決断したにも関わらず、途端にエドは正解が分からなくなった。

 膝を強く握りしめてみても、痛みは自分をどこへも導いてはくれない。今にも泣き出しそうになりながら、ムサシの立場を考えて、すんでのところで涙腺は踏ん張っている。

 しかし、次の瞬間、全部がどうでもよくなった。


「ぜったいに……絶対に、これで最後にするから……もう、わがまま言わないから……」

「……雅?」


 エドは言葉を告げられる前から感じていた。今ならどんな我が侭も聞いてしまうだろうと。しかし、不思議と恐ろしくなかった。

 たとえ一緒に死んで欲しいと言われても、頷いていたかもしれない。それほどの気持ちを胸に、エドは縋るようにムサシの声に耳を傾けた。


「……初めてじゃなくていいから、キスしてほしい」


 そういえば、したことなかったっけか。エドははっとして顔を上げると優しく微笑む。今更照れくさいが、叶えないわけにはいかない我が侭だった。




 自室まで戻ったエドは、自分の部屋で変人が待ち構えていたことに対して、お見通しであるといった様子で声をかけた。


「ラッキー。やっぱ来てたのか」

「うん。うわ、何その顔」


 返事をしながらエドの方を向いたラッキーであったが、こめかみ付近から流血していること、唇が全体的に腫れていることは、月灯りの下でもはっきりと確認できた。


「うるせぇ、ほっとけ」

「まぁ、いいけど……」


 エドのことだ、拳で語り合ったのだろうと適当に解釈すると、ラッキーは本題に入ろうとした。本題というのは実にシンプルなものであり、つまりムサシとの話し合いは結局どうなったのか、ということである。すると、ラッキーが口を開く前に、エドは端的に述べた。


「あたしが行く」


 その瞳には決意が宿っていた。どのような話し合いがあったのかは分からないが、少し前にウダウダと悩んでいたのが嘘のような変化である。

 しかし、ラッキーにはもう一つ、問わずにはいられないことがあった。ゆっくりと立ち上がると、エドを見下ろして少し笑ってみせる。


「ねぇ、そんな顔されても、困るんだけど」

「だから、怪我のことはほっとけって」

「それもそうだけど、そうじゃないよ」

「あ?」


 まさか気付いていないのか。ラッキーはエドの頬に手を伸ばすと、そっとそれに触れながら呟いた。


「エドちゃん、泣いてるじゃん」

「……マジか」


 エドは手の甲で涙を拭う。顔を見られたくないだろうと察したラッキーは、エドを抱き締めた。慰める方も慰められる方も不慣れな、少し歯がゆいその光景を見咎める者はいない。事情は聞かずとも、大体は察せる。


「馬鹿みてぇだと思うだろうけど……勝手なのも分かってんだけど……」


 ラッキーの心が動いたわけではない。ただ彼女も四捨五入すれば、大人として十年生きている身だ。本当の本当に茶化してはいけない場面だと理解し、珍しくその心に沿ってやりたいと思ったので、黙っていた。


「あー……あたし、マジで雅のこと、好きだったんだな」


 今更何を。ラッキーは呆れる気持ちを、そのままエドを抱き締める力へと変えた。いい加減痛い等と言われそうだと思ったが、彼女は文句一つ言わず、ただされるがままになっていた。自分のことなど不気味だと思っているだろうに、そんな相手にすら縋りたくなるものなのか。ラッキーはエドに、心から同情していた。


「ちゃんと話してきたんなら、よかったんじゃない?」

「毎度毎度、てめぇは軽いな」

「だって人を好きになるって、わかんないし」

「……あたしも、こんなに苦しいなんて、知らなかった」


 分からない自分と知らなかったエドが居る。

 そうして、分かりたいとも思っていない自分と、知りたくなかったと考えているであろうエドがいる。

 ラッキーにはそれが妙におかしかった。この子は普通の子だ。改めてそう認識すると、服が汚れるのも厭わず、エドの顔を胸に押し付けた。

 B-4区画、弐の部屋から、いでぇという声が人知れず響いた。


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