ACT.74
エドは自室のベッドの上を一人うだうだと転がっていた。当然ながら、その姿を見る者はいない。彼女は藻掻くように自問自答を繰り返していたのだ。
やっぱ駄目だと言っては寝返りを打ち、無理だとぼやいてはドアの方を向く。合間にため息や呻き声が混じり、時折ベッドを殴る音が響いた。
「気が狂いそうだ」
頭の中にはクレとムサシの顔があった。両者の横顔や立ち姿が浮かんでは消え、際限なくそれが繰り返される。
どちらも選ばずに、そっと消えたい。それが許されないのなら、いっそ死にたい。唐突に三下半を突き付けられ、やっとこの泥沼から解放されたと安堵する気持ちもあった彼女だが、それとこれとは話が別だと、後になってから気付いたのである。
例えムサシが自分に愛想を尽かしたとしても、それは彼女を諦める理由にはなり得ない、と。そうして、エドは現状に打ちのめされていた。
昼食後、作業をふけて自室に戻った。担当刑務官は呆れているだろうが、どうせいつものことだと構わないことにした。連れ戻す手間を惜しむことは分かっていたのだ。今日はこのまま夕食まで部屋に籠る。エドはそう決めていた。
あれほど魅力的な女二人が自分を間に挟んで対峙していたことが、今でも信じられない。食堂での喧嘩を思い返すと、不謹慎だと分かっていても少し笑えた。
クレは言わずもがな、ムサシだって娑婆に居ればかなりの逸材だろう。剣道の才など知らずとも、彼女と深い仲になりたがる輩は絶えないはずだ。それこそ、女にもそれなりにモテそうである。わざわざ自分を選ぶ理由はない、エドは本気でそう考えていた。
ムサシは先日、クレとの情事の最中に押し入り、この阿呆に別れを告げた。しかし、エドはそれでも尚、自分の選ぶべき道が分からないのだ。
もしかすると、クレと縁切りさせる為の駆け引きなのかもしれないし、自分がそう思いたいだけなのかもしれない。仮にそうだったとして、クレとの関係を断ち切ることなど、自分にできるのだろうか。
どちらか、もしくはどちらからも、滅茶苦茶に責められた方がまだ気が楽だったかもしれない。エドはそんな絵空事に思考を飛ばして、頭を一休みさせる。
いっそ誰かが決めてくれりゃ楽なのにな。このところ、そんなくだらない妄想が頭の中を占める割合が増えてきた。
吐きそうな衝動をぐっと飲み込んだ時、部屋の扉が開いた。心当たりはない。誰がやってきたのかを確認する間もなく、ドアを開けた女はエドに声をかけた。
「やっほー」
間の抜けた声が部屋に響く。部屋の主はもちろんのこと、その空間の全てが闖入者の言葉を拒むかのように、声は余韻も残さずすぐ消えた。
「あれー? エドちゃん、ちょっちブルーな感じ?」
「なんだてめぇぶっ殺すぞ」
「もうさ、八方塞がりって感じでしょ。四面楚歌、エドちゃんかわいそー」
「しめん……? あ? 舐めてんのか?」
一部の言葉が理解できなかったエドだが、とにかく茶化しにきたらしいということは分かった。わざわざサンドバックになりにきたところを見ると、この女は本当に物好きらしい。
エドは拳を鳴らして立ち上がると、ラッキーに「入れよ」と告げた。ここで大人しく入室できるのは、エドと互角にやり合う自信のある者か、余程の馬鹿くらいだが、どうやら彼女は後者であったらしい。うんー! と言い、嬉しそうにドアを閉めると、当然のようにエドの拳が彼女の左頬を捉えた。
「ったぁ!?」
「馬鹿だろ、てめぇ」
エドは床に手をついて頬をおさえる女を見下ろし、ため息をついた。少しは気が晴れるかと期待していたが、全く楽にならない。その事実にがっかりしながら、エドは簡潔に言った。
「何しにきたんだよ」
「誘いに」
「あ?」
「あのさ、遊びに行こうよ」
立ち上がるラッキーの目に、先ほどまでのひょうきん者の色はなかった。たまに見せる、鋭い視線。それが突如エドを襲ったのだ。ただならぬ空気を感じつつも、彼女は引かなかった。
「はぁ……どこにだよ」
いっそ、それもいいかもしれない。一人で部屋に居ても鬱屈とする気持ちが募るばかりで、解決策など何も見い出せない。息抜きにと思い、安易にラッキーに行き先を尋ねると、依然頬を押さえたままの女は言った。
「んー、娑婆?」
「……は?」
「エドちゃん、面白いんだもん」
「いや、そうじゃなくてよ」
世話役を押しつけられ、入所当初から関わり続けてきたエドにとって、この女の戯言など慣れっこである。しかし、先ほどの刺すような視線を思うと、ただの冗談として流すことはできなかった。
正解を探すように、ラッキーをまじまじと見る。少し遅れて、怯えているようで格好悪いと気付き、エドは舌打ちをした。
「信じないでしょ」
「たりめーだろ」
「なんで私がいきなりファントムに入れられたと思う?」
「……おい」
冗談であればネタばらしをするようなタイミングで、ラッキーは尚もこの話を続けた。彼女がここに入れられた理由、そんな信憑性を感じさせるような話題を引っ張り出してまで。エドは眉間に皺を寄せて、じっとラッキーを見つめている。
「信じるも、信じないも、エドちゃん次第」
「……メンツは? まさかあたしだけじゃないだろ」
「B-4区画の子達」
彼女の言葉を完全に信じた訳ではないが、もしこれが事実ならば、人生を左右する大事になる。エドは慎重に言葉を選んだ。
「……それ、知ってんのは?」
「まだエドちゃんだけだよ。ま、サタンは想像ついてそうだけど。私がはっきりと伝えたのは、エドちゃんが初めて」
「はぁ……?」
世話役を担当したとはいえ、エドはサタン以上にラッキーに懐かれている自覚はなかった。彼女から言わせれば、この女がサタンに向ける感情は完全に異常である。そうして疑いの色を濃くしたエドだが、ラッキーが告げた言葉でそれは消散した。
「だって、エドちゃん、そうなったらお別れ言いたい人、いるでしょ」
まるで銃口を突きつけられた気分であった。エドは何も言えなくなったあと、ムサシの顔を思い浮かべる。嘘か、真か、最早ラッキーの与太話の真相を探ることなど二の次であった。心のどこかで渇望していた”終わり”が転がり込んできたのだ。
「あ、出たくないっていうなら」
「行く」
乗らない手はなかった。勢い任せに行動した結果、後悔したことは山ほどあったというのに、それでもこの女は学習していないのである。いや、これこそがエドの性であると言うべきなのかもしれない。
このクソみたいな状況を打開できるなら何でもいい。度胸と勘だけで生きてきた女は、心の声の赴くままに即決した。出ていく前に、ムサシと話をつける。そう決めると、このところ無くしていた気力が満ちるのを感じた。
「え、ホント?」
「その前に聞かせろ、なんでムサシを連れていかねぇんだ」
あとはこの話の真偽を確かめるのみである。そして具体的な打ち合わせをするだけ。エドは腕を組んでラッキーの言葉を待った。
「うーん、ここでいろんな人と話したけど、なんだかんだ、この区画の子達が一番面白かったんだよね」
「そんだけか」
うん! という場違いな返事が部屋に木霊した。理由や選定基準は分からないが、ラッキーの御眼鏡に適ったのは自分達らしいということを知ると、エドは細く息を吐く。その意味不明さにラッキーらしさを感じながら、どうやら眼の前の女は本気らしいということを認識する。
直後、ラッキーは思わぬ言葉を口にした。それはエドの選択肢を増やす、ある提案のようなものであった。
「あ、でもムサシちゃんを連れてく方法が一つだけあるよ」
「なんだよ」
「誘える子達には限りがあってさ、誰かが諦めるなら。あ、分かってると思うけど、サタンはダメだよ」
「そうかよ……」
自分を入れて五人まで。ラッキーはそう示唆すると、やっと頬から手を離した。舌で口の中を弄り、あぁやっぱり切れてる、とがっかりしたように声を発する。その言葉を無視しして、エドは考えた。結論が出るまでに、それほど時間は掛からなかった。
ムサシの為に他の面子に席を譲らせるわけにはいかない、それが彼女の導き出した結論である。
「時間、くれ」
「ないよ」
「一日でいい」
無いと即答されたことにエドは驚いたが、引きはしなかった。そうしてなんとか一日という猶予を手に入れると、彼女はラッキーを部屋から追い出した。
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