ACT.63

 ムサシ達が騒ぎを起こしたあと、サタンとラッキーは談話スペースで過ごしていた。クレが喧嘩に関わっていたというのはまだ受け入れられる。元々喧嘩っ早い女だった。

 しかし、その相手がムサシとなると、話は別だ。特にサタンにとっては衝撃的だった。エドからクレの話を聞かされた時に、一悶着起きる可能性は予見していたが、これほど派手に事が起こるとは考えていなかったのだ。


「戻ってこないねー、エドちゃん達」

「さっき行ったばかりなんだから」


 に呆れたようにそう吐き捨てると、サタンは自身の髪をくるくると指に巻いた。


「そうだけどさ。あの三人って、三人でいるとこ見たことないけど、クレちゃんとムサシちゃんって面識あるの?」

「一緒にゴトーの暴行未遂にあったの忘れました?」


 何を言っているのだ。視線でそう咎めると、ラッキーはわざとらしくぽんと手を叩いて、あーそういえば、と間の抜けた声を上げる。


「むしろ、クレとムサシは仲良かったですよ」

「うげぇ……それがあんなことになっちゃうんだ。恋って怖いね」


 クレのそれを恋と呼んでいいのかは甚だ疑問ではあるが、ラッキーが口にしたのは至極一般的な感想だろう。サタンもそればかりは同意し、どこか他人事のように呟いた。


「女の友情って儚いですね」

「私達の友情はそんなことないもんねー?」

「……それは私達は元よりそんな間柄では無いということ? それとも、あなたが女ではないということ?」

「どっちも違うけど!? 私達は特別に仲良しだよ!」


 ラッキーの主張とサタンの見解には大きな隔たりがあるようだ。あーはいはい、サタンがうんざりしたようにそう述べて、ラッキーが抗議の声を上げようとしたところで、壱のドアが開いた。


「あったまいた……」


 部屋の主はけだるげに額を押さえて、誰に言うでもなく独り言のようにそう言った。談話スペースに二人がいる事には気付いていなかったようである。


「あら、エラー」

「おはよ」

「もうお昼過ぎてるけどね」


 他愛もない挨拶を交わすと、エラーは今度は後頭部を擦った。確実に頭のどこかから痛みは感じるが、それがどこであるかは自分でもよく分からないらしい。


「最近顔色悪いよねー?」

「あぁ、平気だから」

「切る頻度、もう少し落としたら?」


 ラッキーの唐突な提案に、エラーは感じていた頭痛が気にならない程の衝撃を受ける。サタンは密かに息を飲み、エラーはゆっくりとラッキーを見た。


「……は?」

「リスカしてるじゃん、分かるよ」


 事も無げにそう告げたラッキーであるが、サタンは静かに、彼女の観察眼に舌を巻いていた。警戒はしていた。お互いに踏み入らないようにと、忠告までしたのだ。エラーがヘマをするとは考えにくい、サタンは自身の密かな計画を、誰にも知られていないと思っていたのである。


「……なんで?」


 エラーにそう問われたラッキーはつらつらと理由を述べていく。無意識だろうが、左手を胸の位置より高くなるような仕草を頻繁にするようになったこと、リネン担当の刑務官がB-4区画の誰かが悪さをしているらしいと話しているのを耳にしたこと、極めつけは包帯を盗んでいるところを目撃した、ときた。

 さらに、エラーには答えていないが、ラッキーもまた、エラーと同様にサタンの過去を知る人物だ。むしろ、断片的に本人から聞かされたここのボスと違い、ある手段を用いて調書を読んだラッキーの方が詳しく知っていると言える。彼女が働きかけているのは、ラッキーの目から見ても明らかだった。


「……なるほどね」

「一切迷ってなかった様子を見ると、あそこに予備の包帯あるの、知ってたんでしょ。ってことは盗み慣れてるよねー」


 違う? ラッキーは楽しげにエラーに問う。何も間違ってはいない。エラーはどこか空恐ろしさを感じて苦笑した。


「最近お風呂でも見かけないしさ。ばっちーよ?」

「こっそり入ってるから平気だよ」


 エラーはラッキーを忌々しげに見つめて吐き捨てる。敵意を一切隠さない視線は、狂人にデッドラインを意識させたらしい。


「ま、理由は聞かないけど。どうせ教えてくれないんだろうし」


 ラッキーはそう言ってちらりとサタンを見る。聞かなくても大体分かるし、と心中で付け足して目を細めた。ラッキーの諦めたような物言いに、そうだねと肯定すると、エラーは辺りを見渡した。


「エドとクレは?」

「あの二人なら医務室」


 よくぞ聞いてくれたという様子でサタンが何があったのかを告げると、エラーは目を丸くした。忘れていた頭痛がどこかから帰ってくるのを感じながら。


「……また喧嘩したの?」

「ムサシちゃんって子とクレちゃんがね」

「……なにそれ、絶対面白いやつじゃん」


 エラーは思わずにやける。お目にかかれなかったことが残念でならないようだ。二人が衝突したと聞いて、真っ先に思い当たる要因といえば、エドがクレに働いた悪行だろう。ムサシがその過去を知って黙っている訳がない。過去というにはあまりに最近の出来事だが、このところ揉め事が多過ぎた。

 ムサシはどうにかしてエドからそれを聞きだしたのだろう、エラーは自分が仕掛けた時限爆弾が上手く作動したらしいことが愉快でたまらない。何故クレに矛先が向いたのかは分からないが、とにかく面白い拗れ方をしたようだ。エラーは二人の喧嘩をそう解釈すると、声を上げて笑い続けた。


「サタンも大概だけど、エラーちゃんもいい性格してるよね」

「ラッキーには負けるよ」


 クレとムサシが大立ち回りを演じた。

 この事実により、談話スペースにはしばらく一人の女の笑い声が響き渡ることとなる。

 聞き出すよう仕向けた過去については、実はこれから発覚することになるのだが、笑い声の主は知る由もなかった。



****



 ベッド二台のみを隔離するようにパーティションで区切られた一角、三人はそれぞれその上に腰掛けて話をしていた。


「……はぁ。とりあえず、喧嘩の原因は食事の取り合いってことでいいだろ?」

「良くねぇよ、誰がそんなチンパンジーみたいな理由で喧嘩すんだよ」


 入口から離れたベッドを陣取ったエドはそう言ったが、残った方に腰を下ろしたクレは即座に却下する。そして、エドのすぐ隣に座ったムサシが代案を提示した。


「ここは無難に、クレさんがササイさんを侮辱したってことにしましょう」

「はぁ? そんなんするわけ」

「無いと言い切れます?」


 心当たりがあるクレはそれ以上何も言えなかった。とりあえずは二人の頭も冷え、唐突に取っ組み合いが始まる、という空気ではない。そうなってしまえば、今度こそ最低でもどちらかが、おそらくは二人共が独房行きになるだろう。


「私が喧嘩するってよっぽどですよ。それくらいしか思い付きません。だからこそ看守もこんな処置を取ったんじゃないですか? 例えばお二人の喧嘩なら、理由を訊いてきたり仲直りを指示したりしないでしょう。この理由を使うのが嫌なら本当のこと言いますか? いいですよ、私は」


 ムサシの言い分には理があった。クレはしぶしぶ了承すると、パーティションに遮られて見えない、出入り口がある方を向いて立ち上がった。

 今にも出て行こうとする様子のクレを見て、制止をかけたのは他でもないエドである。


「おい待てよ。あたしはまだ聞かされてねぇぞ、なんでこうなったのか」


 エドは何が発端となったのか、二人の口から聞いていない。大雑把にはクレが述べた通り”エドの取り合い”なのだろうが、そのいざこざを二人が何と言い現すのか、彼女は確認したかったのである。ムサシは淡々とした様子で、逆にエドに問う。


「エドさんなら分かるでしょう? あの場で理性を失ったどちらかが事の真相を暴露するのを恐れて、わざわざこんな面倒な役回りを買って出た。違います?」

「……るっせぇな、いいから答えろよ」

「オレはさっき食堂で答えた。それ以上、言えることなんてねぇよ」

「……クレさんって優しいのか馬鹿なのか、分かりませんね」


 ムサシは立ったままのクレを真直ぐと見つめていた。呆れた表情を浮かべ、先ほどまでクレが座っていたベッドを見やった。

 座れということだろう。そう解釈したクレは再び腰を下ろす。すると、ムサシが準備は整ったとばかりに話し始めた。


「私が吹っかけたんですよ。クレさんは一人で食事してました。勝手に隣に座って話しかけて、それから始まった喧嘩です」

「……お前、案外喧嘩っ早いのな」

「まさか。そんなこと、したくないです。事実、こんなことしたの、初めてです」

「……そう、か」


 そうさせたのは自分だ。エドは決まり悪そうに視線を落とす。ムサシが嘘をついていないことは二人とも分かっていた。決まりが悪かったのはエドだけではない。

 どうやらこの女に本気で惚れているらしい、クレはムサシの思いの強さを目の当たりにして、息が詰まった。ここに居たくない、居ちゃいけない。彼女はそう確信すると口を開いた。


「んじゃ、話は終わりだな。オレは先に行くぞ」


 膝に手をついた立ち上がろうとしたところで、再びクレを止める声が響く。


「待ってくださいよ。私はまだ解散していいなんて言ってませんよ」

「他に何かあんのかよ」


 クレは大きなため息をつき、自身の首を擦っている。もう隠すことすらしなくなった、エラーとのそれで出来た傷を、指先が乱暴になぞった。


「この際だからはっきりさせましょうよ」

「あ?」


 唐突に切り出された話題に対して、乱暴に聞き返したのはエドである。彼女はこの続きを、言ってほしくはなかった。ムサシもそれは分かってはいたが、もう先送りにすることはできないと腹を括ったのだ。


「エドさん、どっちか選んでくださいよ」


 彼女には、エドに選んでもらえる算段があるわけでも、クレを陥れようとするつもりもなかった。ただ、今後、二人が関係を持ったと知った時、自分がどうなるのか分からない、それが怖い。今ここで関係を断ち切ることになれば、それは非常に辛いが、仕方のないことだといつか割り切れるだろう。

 しかし、エドの返答はムサシにとって、嬉しくもあり、残酷なものだった。


「選べるなら、とっくに選んでる」


 二人と目を合わせないよう、エドは自身の膝から視線を外そうとはしなかった。このやり取りに、少々の置いてきぼりを食らっているのはクレである。


「……っつか、オレはそんなつもりじゃ」

「選べないエドさんよりもたちが悪いですよ、クレさんって」


 軽蔑の眼差しが左斜め前から刺さっている。クレはそれを感じ、また、自身もムサシの言うことに同意しながら、エドと同じような格好で俯いていた。


 エドはサタン達の言葉を思い出していた。そうだ、やっぱりクレはズルい。ムサシの言葉でそれを再認識し、彼女はやっと顔を上げる。しかし、項垂れるように視線を落とすクレを見ると、結局何も言えなかった。


 区切られた空間の向こうでは、器具がぶつかり合って、かちゃりと音を立てていた。視界が遮断されているとはいえ、完全な隔離ではない。大きな声を出せば、いつ来るとも分からない囚人共に会話を聞かれることとなる。

 エドは声のトーンを落として、隣に座るムサシを見た。


「っていうか。お前はなんで選ばれる側の立場にいんだよ」

「……はい?」

「あたし、最低だぞ」


 エドは逡巡した。を伝えずに、これ以上話を進める訳にはいかない。ただ、このタイミングでそれを告げると、まるでムサシに選択を押し付けているような格好になる。


「あたし、クレのこと、ヤク盛ってレイプした」

「……はい?」


 迷った結果、エドは伝えることにした。今まで伝えずに先送りにしてきた自分が全部悪い。彼女は覚悟を決めたのだ。当事者であるにも関わらず、ムサシと同様に、クレも呆気に取られていた。


「そんだけじゃねぇ。それから、何回も」

「いえ、あの、意味が分からないんですけど……」

「そいつが言ってんのは事実だ」

「はぁ……」

「別に、ヤりたくてヤった訳じゃねぇ。ただ、クレはそうされるのが一番辛いだろうって思ったから、喧嘩の延長で、その」

「だからってやっていいことと悪いことがあるでしょう」


 ぐうの音も出ない正論に、エドは視線を逸らしたまま打ちのめされた。例え惚れた相手だろうと、悪事は悪事。正義感の塊のようなこの女は、叱咤の手を緩めたりしない。分かっていた事だが、それはエドの予想を上回って心に響いた。

 ムサシは床を睨むエドから視線を逸らし、クレへと向いた。気配を察したクレも顔を上げる。


「おかしくないですか?」

「なんだよ」

「そんなに酷いことされたのに、どうしてエドさんに拘るんですか?」

「……分かんねぇよ、オレだって。ただ、強いて言うなら、酷いことされたからなのかもな」

「全然共感できませんね」


 平然としているが、ムサシは頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。全く理解できない行動を取る馬鹿と、その馬鹿を手放したくない阿呆が神妙な面持ちで俯いているのだ。当然と言えば当然だった。

 まるでおかしいのは自分の方がおかしいみたいだ。ムサシは地上にいるというのに、船酔いしたような気分でいた。


「だろうよ。オレも言いながら自分で「は?」って思ってるところだ」

「ふざけてるんですか?」


 ”阿呆”が己を否定したことで、ムサシは内心でほっとした。しかし、これで一つ分かったことがある。


「ふざけてなんかねぇよ。ただ、オレをこんなイカレ女にしたのはそこのチビだ。絶対にこのままじゃ終わらせねぇ」


 クレの言葉に、二人は何も返さない。エドは元々何かを言える立場ではないし、ムサシはただ、たった今理解したことを否定するのに必死だったのだ。


 あぁ、多分、この二人には敵わない。

 何故だか、彼女はそう確信してしまった。



 三人が医務室を出たのは、それから十五分後のことだ。気が触れているとしか思えないような結論を出した。彼女達にもその自覚は一応あるらしい。これからどうなるのかと思いを巡らせ、三人は一様に暗い表情を浮かべていた。



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