ACT.50
B-4区画の談話スペースには女二人が向かい合って座っていた。黒髪の女は柔らかそうな自身の髪をくしゃりと掴み、格子の向こうの通路を眺めている。女の視線の先には何もない。正面を向きたくないとでも言うように、ただテーブルに肘をついて頭を乗せ、空虚を眺め続けていた。
そわそわした様子でその女の頭を見つめるもう一人の女は、この状況に痺れを切らしたように口を開く。
「ねぇねぇ」
子供のように投げかけられた言葉に、黒髪の女は一切の反応を示さない。あどけない顔つきに似合わない眉間の皺だけが、一応声は届いているらしいことを証明していた。
「え、無視?」
頭をゆらゆらと揺らしていた女、ラッキーは返答が無いことに気付くと、大仰そうにショックを受けて見せた。
問いかけられた内容はもちろんのこと、視界の隅にちらつく挙動まで含めうざったく感じた女は、大きくため息をつくと正面を向く。
「サタンちゃんってさ、何色が好き?」
しつこく話しかけられていた内容がまさかこんな下らないものだったとは。耳を傾けてやろうとした自分が馬鹿だった。そう思わざるを得ない質問に再びため息で返すと、視線を戻す。
ラッキーはサタンがそっぽ向かれた事に気付くと、耐えきれなくなったのか、遂に猫のように「ねー!」と声を上げた。
「……はぁ。申し訳ないですけど、今は話をする気分ではないので」
「そうなんだ! じゃあそういう気分になって?」
ここで食い下がるラッキーは、やはり”普通”というものとはかけ離れている。そもそもこれ程の拒絶を示されても尚、しつこく絡み続ける時点で異常と言わざるを得ないのだが。
これは元を断たないと終わらない。少なくとも、夕食までは他愛のない話題で話しかけられることになる。観念したサタンは、廊下の奥へと歩いていく刑務官の背中を眺めつつ言った。
「大体、そんな質問にどんな意味があるんです?」
「え? 意味がないと質問しちゃいけないの?」
「大丈夫ですか? 頭とか」
本日一番の口撃である。普段は大人しく、争いを好まないサタンであるが、ことラッキーに関しては違った。どうせ本性を知られてしまっているのだ。嫌悪を前面に出し、歯に衣着せぬ物言いで、思いついたままを告げている。
敵意と拒絶をむき出しにした受け答えでも、サタンが反応を示してくれたことには変わりない。ラッキーは嬉しそうに目を細めながらだらだらと喋った。
「んー、自信ないかもー。でも、おかしなこと言ってるのはサタンちゃんだよ」
「はい?」
「ここで許されるのって、意味も無い、他愛の無い質問くらいじゃない?」
それは間違っていなかった。何せ、ここでは深い意味を持つ質問こそ敬遠されるのだから。サタンもそれは分かっている。テーブルから体を離して椅子に座り直すと、改めてラッキーと向き合った。
「……揚げ足取りですね」
「そうかな。だって友達になりたいんだから、これくらい知りたがるのは当然じゃない?」
「私にその意思はないので、教えたくないと思うのもまた当然ですね」
ぴしゃりと言い放つ。その言葉は今度こそラッキーを黙らせることに成功したようである。満足気に口元を緩ませるサタンだったが、その平穏は束の間のものであった。
ラッキーにはどうしても不可解なことがあるのだ。ゴトー達が問題を起こし、エドが独房送りになる少し前。刑務作業の最中、サタンの罪状を知っていると告げ、友達になりたいと伝えた、あの日のことである。
あの時のキスの意味。心のどこかでは聞いてはいけないと分かっているのに、ラッキーは遂に口にしてしまった。
「じゃあどうして」
それも、責めるような、問いただすような強い言い方で。突然の変化に目を見開きつつも、サタンは口角を上げたまま言った。
「……もう少し本当の自分を見せてくれたら、考えないこともない、ということです」
「本当の自分……」
彼女がラッキーで遊んでいるだけなのか、真実を口にしているのかは分からない。ただ、ラッキーは疑う事もせずに、自分というものについて振り返っているようだ。
あの日、ラッキーは柄にもなくサタンに怒った。友達になりたいだけ、そう告げたにしてはあまりにも手厳しい対応をされたのだ。そして、サタンは”友達になりがたっているのはそちらなのだから、多少は譲歩すべき”とも言った。
「あー……うーん……そだね」
「もういいです?」
「あ、駄目駄目、待って」
サタンはというと、精一杯自問自答しているラッキーを尻目に、強引に話を切り上げたがっていた。どうせ分かるわけない。彼女はそう決めつけ、早々に目の前の狐顔の女から離れようとしたのだ。
しかし、ラッキーはサタンが想像していた以上に利口であった。額を押さえていた手を離すと、思いついたように口を開く。
「私はねー、青が好き」
「……あ?」
何を言い出すのだ、コイツは。サタンは異常者を見るような目を隠そうとすらしなかった。つい下品な問い返しをしてしまったことに、幾ばくかの後悔を覚えながら、彼女は固まる。
「紅茶よりもコーヒーが好き」
「はぁ」
「サタンちゃんは?」
歯を見せて笑う女はどこまでも無邪気で、何を考えているのか分からない。しかし、サタンには思うところがあったようで、ラッキーの問いかけに対し、徐に口を開いた。
「……赤、ですかね。あと、紅茶の方が好き」
「そっかー!」
二人の趣味はまるで合わないらしい。しかし、ラッキーは質問の回答を得たことに、心から喜んだ。開いた両手をテーブルに付き、ニコニコとしている。
「楽しいね!」
「……いえ、別に」
これのどこが楽しいのか、その答えはラッキーにしか分からないだろう。作法を理解した彼女は、次は何を聞こうかと一人慌てている。急がないとサタンの気が変わって、この場を去ってしまうかもしれない、そんな焦燥が見て取れる。
ラッキーが息巻いて口にした質問は、およそサタンの理解が及ぶものではなかった。
「あ、じゃあさ! 四角と三角は!? どっちすき!? 私は、うーん……迷うけど、三角かな!」
当然だが、サタンは呆気にとられた。頭のおかしな奴は質問までおかしいと感心すらした。
「……形に特に好みはありませんけど」
「そうなの!? えー? それ、サタンちゃんちょっと変じゃない?」
いやお前だよ。内心で突っ込みつつ、サタンは立ち上がる。これ以上意味不明な問答に付き合う義理はない。二つもしょうもない質問に答えたのだから十分だろう、と彼女は考えていた。
しかし、ラッキーはサタンと同じように立ち上がると、一転して落ち着いた様子で切り出した。
「……もう一個だけ聞いていい?」
「駄目と言っても聞くのでは?」
ここまできたら乗りかかった船だ。サタンは嘆息と諦めを同時に吐き出す。
「まぁそうなんだけど。これについては駄目なら聞かない」
ラッキーの瞳に暗い光が宿った。たまに見せるこの目を、その意味を、サタンが深読みしてしまうのは仕方ないだろう。それほどに異様な目つきだった。
サタンが慄くのを知ってか知らずか、立ち去らない事を許可と受け取ったラッキーは返答を待たなかった。
「ここから出たい?」
「……さぁ」
「意外。分からないんだ」
「そういう解釈になるんですね」
「もしかして、これも私が先に言わなきゃ駄目?」
困ったように笑うラッキーは、先程の子供っぽい無邪気な表情とは打って変わって、まるで別人である。困惑しつつも、サタンは負けじと答えた。
「お好きに解釈なさってください」
これまでの流れから、”先に言え”という言葉を肯定されたと受け取ったラッキーは思わず肩を竦める。
「……はぁ。私は出たいよ、当たり前だけど」
「そうですか」
サタンはラッキーの手を振り払って一瞥すると、格子の外へと足を向けた。回答を急くラッキーにとって、その挙動は意外でしかない。
「え、サタンちゃんは?」
「答えるなんて言いました?」
「ルールがわかんないよ!」
彼女は振り返ることなく、どこかへと歩き去る。おそらくは行き先など決めていないのだろう。そんなことはラッキーにも分かっていた。
もー、と言いながら椅子に崩れ落ちる女は、やはり子供のようであった。
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