ACT.61
B-4区画、談話スペースでは二人の女が向かい合って座っていた。今しがた腰掛けたばかりの小柄な女がふてぶてしく声を掛けると、正面に座る女は怯む事なく言葉を返す。
「……よう」
「エド。調子はどう?」
「サイッテーだよ」
そのようにして久方ぶりに言葉を交わしたのはエドとサタンである。当番表の上では頻繁に顔を合わせている筈だが、如何せんエドが真面目に顔を出す機会が少なすぎた。世話話でもしようとしたサタンだったが、ぼんやりと参と書かれた部屋のドアを見つめるエドに気付くと、気変わりを起こす。
「……クレに好きって言ったら?」
「あぁ!?」
エドは肩をびくつかせ、素っ頓狂な声を上げながらサタンを見た。彼女にまで自身の気持ちを知られているとは思っていなかったらしい。自分の事となるととにかく鈍感な女なのだ。異様な驚き方を見て、サタンもエドの内心を見抜いた。
ちょうどいい玩具を見つけた彼女は、しつこくそれを突き回すことに決めたのである。
「好きだよね?」
「そんなんじゃねぇ」
「好きじゃん」
「ちげぇって」
「好きなくせに」
「あぁ!? しつけぇんだよ! 違ぇってんだろ!」
耳障りな音が談話スペースに響き渡る。エドは椅子の背もたれに肘をかけ、テーブルを蹴り飛ばした格好のままサタンを睨んだ。それを咎めたのはサタンではなく、自室から出てきたラッキーだった。
「だめだよー蹴ったらー」
「てめぇ……」
ラッキーはへらへらと笑いながらテーブルを元に位置に戻すと、サタンの隣の椅子を引いた。横に座るつもりだと察知したサタンは、いつもと変わらぬ様子で、ある提案をする。
「そうだね、蹴るならこの人を蹴ったらいいんじゃないかな」
「やめて!?」
二人のやり取りに少々面食らったエドであるが、告げられた内容については悪くないと感じたようである。器用に片方の眉を上げてちらりと歯を見せると、彼女は立ち上がった。八つ当たりできるなら何が相手でも構わないらしい。
「それもそうだな」
「了承しないでよ!」
「おら、屈んで顔出せ」
「しかも顔!? あまりにもじゃない!?」
喚き散らす女狐を、サタンは横からそっと突き飛ばす。冗談が通じない短気な女は、床に手を付いたばかりのラッキーの顔を踏みつけるようにして蹴った。
「いがぁ!」
「うわ、本当にやっちゃった」
「てめぇがやれっつったんだろ」
「私が悪いみたいな言い方しないで。悪いのはラッキー」
「私!?」
ラッキーは鼻を押さえて着席すると、サタンとエドの顔を交互に見た。どう考えても悪いのは二人なのに。そんな思いを拭えぬまま、鼻に触れる。血痕が付着していない手のひらを意外そうに見つめたあと、ラッキーは話を戻した。
「いたた……私もサタンの意見に賛成だけどなぁ」
「あ?」
唐突な反撃にエドは思わずたじろいだ。まさかラッキーにまで面白おかしく、自身のそれを茶化されるとは思っていなかったのだ。
「珍しく意見が合いましたね」
「そう? いつも息ぴったりじゃん?」
「気持ち悪……とにかく、そういうことだから」
「さらっと気持ち悪いとか言わないでよー、ねー」
「るっせぇな。てめぇら外野だからって楽しんでんだろ」
二人のやりとりを見て、いつの間にこんなに仲良くなったのだと舌を巻いたエドだったが、それを口に出すことは憚られた。おそらくはサタンの怒りを買うことになる。エドにも分別がつく程、サタンがラッキーに見せる顔は容赦が無かった。
「そんなことないよ? 私はエドのためを思って言ってるもの」
「嘘くせぇ」
気持ちを伝えるも何も、本人も知っているし、なんならそれを口実に妙な関係の持ち方もしてしまっている。二人にそれらを明かすつもりは無かったが、無意味なやり取りの打開策をエドは探していた。
「酷いなー。サタンはホントにそう思ってるよー。ね?」
「さぁ」
「フォローしたのにそれは酷くない!?」
二人のやり取りに、やっと心当たりが出来たエドは、ついそれを口にしてしまう。先程、言及すべきではないと考えたばかりだというのに。
「なんつーか、夫婦漫才みたいだな」
「やめて。本当に」
「え!? そうかな!?」
対照的な反応を見せる二人にエドは苦笑したが、嫌な気持ちはしなかった。二人と話していると、ムサシやクレとの事が忘れられる、そんな気さえしてくる。気まぐれを起こした彼女は、思い切ってあることを口にした。
「なぁ」
「なになに?」
ラッキーは興味深げに身を乗り出すと、テーブルを挟んだエドへ顔を近づけた。サタンは不思議そうな表情を浮かべて、少し首を傾げている。二人の反応を見ながら、エドは続けた。
「ラッキーにはまともな回答を期待してねぇっつか、元々回答を求めてねぇんだけど、浮気ってどこからだと思う?」
「期待してよ! 求めてよ!」
「どこからって、まぁ、一般的にはエッチしたらじゃない?」
サタンは表情を変えずにそう言った。喚き散らしているラッキーの足を踏みながら。痛みに悶絶する女を他所に、エドは自分の質問の仕方が悪かったと後悔していた。
「いや、そうじゃなくて。なんつーんだ。クソ、やっぱいい」
「えぇ? 気になるよ。もう一回言って?」
椅子の上でうずくまるラッキーに興味がある人間はこの場には居ないらしい。サタンに促されると、エドはテーブルを睨みながら言い直した。
「その……微妙な間柄の奴がいたとして、そいつに黙って他の奴とヤッたら、それってやっぱ浮気になんのか?」
これまでは別々のリアクションをして見せた二人であるが、エドがそう零した途端、一様に黙った。そして、異口同音にあることを口にする。
「クレとなんかあった?」
「クレちゃんとなんかあった?」
そもそもエドは自分の話をしているつもりは無かったのだ。いや、自分の話ではあるが、それを伏せたつもりでいた。なので、二人がすぐさま本人の問題に直結させるとは思っていなかったのだ。
エドは言葉を失った。その短い沈黙の中で、自分にはこういった話が向いていないらしいと再認識する。そして、ずるずると姿勢を崩して、テーブルに突っ伏した。
「あーーーー……」
居たたまれなくなったサタンは、とりあえず目の前の質問について片付けてしまおうと口を開く。せめてもの優しさのつもりだった。
「えーと、微妙な間柄の人からすれば、まぁ頭にはくるんじゃない?」
「あー……」
しかし、告げられた内容はエドに追い打ちをかけるものであったらしい。二人には詳細は分からないが、最近エドはムサシとつるんでいる。新顔のラッキーですら、彼女の顔をインプットしている程、二人はセットでよく目撃されていた。
「微妙な間柄ってアレ? 最近よく一緒にいる、ポニテの子? あの子可愛いよねー」
「うるせぇ……」
”ムサシは可愛い”。あまり他人にそういった印象を抱かないエドですら感じていることだ。しかし、ラッキーが彼女をそのように評するのは、妙に癪に障った。
「乗りかかった舟だよ。何があったのか教えて?」
「嫌だ」
おそらく自分は、客観的に見て軽蔑されることをしている。一応はその自覚があるらしい。エドは顔を伏せたまま詳細を話すことを拒むと、地鳴りのようなうめき声を上げた。
「でもまー、やっちゃったものはしょうがないじゃん!? 要はどっちが好きじゃん! ムサシちゃんには申し訳ないけど、本当のことを話して」
「ムサシと会えなくなるのは、嫌だ」
「え」
エドはラッキーの言葉を遮る。存外素直で、我儘な告白にラッキーが固まると、次に声を発したのはサタンだった。
「えー……と、エドはどうしたいの?」
「分かんねぇ」
「あー……」
顔を伏せたままエドの深いため息が響くと、気まずい沈黙が三人の間に流れた。所内の人間関係を散々面白可笑しく引っ掻き回していたラッキーだが、こうなってしまったのは想定外の事態である。面食らいつつも、この状況を把握する必要があると判断すると、エドに彼女自身のことを聞くのを止めた。
「じゃあさ。クレちゃんは、その、なんて?」
言いたくない。先ほどもそう告げた筈だ、という旨の暴言が口から出かけたところで、エドの精神はある種の決壊を迎えた。もうヤケだ。結局、エドはやぶれかぶれになり、先日の出来事を簡潔に話した。
ある日、クレが部屋に忍び込んできたこと。自分のことは好きなままでいて欲しいと言われたこと。そのくせエドの気持ちに答えるつもりはなさそうだということ。そのままセックスに縺れ込んだこと。都合の悪い出来事、具体的に言うと自分が泣いてしまった事は意識して伏せたのが彼女らしかった。
「うわぁ……クレちゃん、めんどくさ……」
「クレ……それはちょっと……」
総合的に見て非難されるべきは自分ではなくクレであった、という事実にエドは驚きを隠せない。眉間に皺を寄せたまま、久方ぶりに顔を上げると、二人は心底厄介なものを見るような視線をエドに送っていた。
そうしてエドはもう一つの疑問を思い出す。馬鹿だと思われるだろうが、事実そうなのだから、なりふり構ってはいられなかった。
「なぁ、やぶさかってなんだ?」
「はい?」
「ムサシが言ったんだ。やぶさかじゃないって」
サタンとラッキーは顔を見合わせる。使われた場面が気にはなったものの、ひとまずその疑問を解決してやろうと、口を開いたのはサタンであった。
「うーん、結構間違って使ってる人もいるから、ムサシがどっちの意味で言ったのかは分からないけど、本来の意味では結構肯定的なものだよ」
「どういう意味だ?」
「お腹が減ってる人が「これから食事をするのもやぶさかではない」って言うのが本来の使い方、かな?」
「あ……?」
エドは口を半開きにしてサタンを見る。しかし、ニュアンスは分かった。ムサシがあのとき、「エドさんとするのはやぶさかじゃない」と言ったのはつまり。
ムサシにそこまで言わせておいて、自分はクレと寝たらしい。それを知ると、エドは再び机に顔を伏せた。しつこく名を呼ぶラッキーへは、脛蹴りを食らわせて黙らせた。
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