ACT.54

 台の上。色とりどりのプラスティックの部品が散乱している。ずらりと並ぶ作業台は、一人で使用できるのであれば広々としたものだが、生憎それぞれに椅子が二脚ついている。一人あたりの作業スペースは小振りな勉強机ほどのものであった。

 椅子の横には段ボールが三つ置かれており、二つには番号が振られ、作業台に散りばめられているパーツと同じものが無造作に詰め込まれていた。残りの一つは空である。エドは一目で、"1"と"2"を組み立てて空の箱に入れればいいと理解すると、立ち尽くしたまま朝一の文句を口にする。


「今日の作業サボりてー」

「私から逃げたいの?」

「はぁ?」


 エドの席の隣に居たのはエラーだった。極力顔を合わせたくないと考えていたが、逃げるのは癪である。見栄やプライドの為に、数時間面倒な作業と人物の相手をしなければいけないと考えると、何とも割に合わない気がしたが、今更引けなかった。


「……別にそんなんじゃねーよ」


 エドが作業台に腰掛けると同時に、作業開始のブザーが鳴る。赤と黄のパーツを組み合わせて台に置く。手狭になるとまとめて段ボールに移動させる。このサイクルを三回程繰り返した頃、エラーは小声で切り出した。


「あのさ」

「……なんだよ」


 エドは嫌な予感しかしなかった。注射器の一件以来、エラーとはまともに話していないのだ。どうせろくでもないことを言われるに決まっている。彼女は内心で再び「サボりてー」とぼやいた。


「いつムサシに手出したの?」

「はぁ? 気色悪ぃこと言ってんじゃねーよ」


 エドは予感が的中したことにうんざりしつつ、部品を手に取る。予想外の切り口ではあったものの、憂鬱な話題であることに代わりはない。適当に切り抜けようと画策した彼女であったが、エラーは先回りをするようにエドの行く手を阻んだ。


「びっくりしたよ、べたべたしてるカップルがいると思ったらエド達なんだもん」

「は、はぁ? そんなんしてねぇし。バカじゃねぇのか」


 エドの声が若干上擦った。心の中で舌打ちすると、ぐっと歯を食いしばってみる。心当たりがあるだけに、なんと答えていいのか分からない。難しい顔をしているエドとは対称的に、エラーは涼しい表情を崩さず、浮かれたカラーリングのパーツを手に取った。


「ムサシ、クレのこと知ってるの?」


 突然上がった名前に、エドの心臓が飛び跳ねる。この場から離れたい気持ちを一層強めながら、平静を装うことしかできなかった。


「あ? クレのことってなんだよ」

「そのままだよ。エドがクレにしたこととか。エドがクレのこと好きなこととか」

「は!?」


 しれっと告げられた言葉に、エドの身体は大げさに反応した。反射的に足が動き、膝が作業台を蹴り上げて鈍い音を響かせる。乾いた音を立てて、完成した部品が床に転がった。


「503番、私語を慎め」


 巡回していた刑務官に咎められ、まさに踏んだり蹴ったりである。エドはぶつけた膝をさすりながらエラーを睨んだ。


「……ホント、中学生みたいだね。すごい分かりやすいよ?」

「死ねよ……」


 否定することも忘れて、彼女はただエラーの死を願う。注射器のペナルティについても、全て知った上で敢行したということが分かった。エドの中で、怒りが羞恥を徐々に上回っていく。


「好きじゃないの?」

「うるっせぇな! 大体てめぇは」

「503番! うるさいぞ!」


 啖呵を切ることもままならず、二度目の叱責を受けたエドは作業台に拳を振り下ろす。相応に痛みが伴う筈だが、今の彼女はそれを感じなかった。


「あーあ。エドのせいでまた怒られた」

「……ざけんなよ」


 今のエラーは、まるでラッキーのようだ。エドはそう思った。飄々としていて、遠回しに何かを示唆しては他人を弄ぶ。凡そまともではない性格の持ち主が、同じ区画に二人もいると思うと目眩がした。


「っていうかクレもエドが自分のこと好きって知ってるよ?」

「はぁ!?」

「また503番か!」


 三度目の注意を受けたエドであるが、どうでもいいと言わんばかりに看守の存在を無視した。一瞥もせず、ただ口論の相手との対峙に集中する。ここまでくると、叱責する声が届いていなかった可能性すらある。

 己の慕情をラッキーに冷やかされても、エラーに馬鹿にされても、彼女は心のどこかで仕方がないと感じていた。何せ、自分はこれまで同性愛というものを否定し続けてきた女だ。一言言ってやりたい気持ちは理解できなくもない。受け入れられるかと問われれば、答えは否だが。

 しかし、本人に知られているとなれば、話は別である。適当に流すことなど到底できない。エドは口を半開きにして、なんとも言えない表情でエラーを見つめていた。


「っていうかさ。最初からおかしいじゃん。クレに聞いたけど、エドっていじめを口実にクレとえっちしたかっただけなんだと思うよ」


 手に取ったパーツを嵌めると、手遊びのように箱に放り込む。エラーはつまらなさそうに話しながら、ダラダラと作業を進めていた。

 一方でエドは驚いていた。エラーの指摘した内容にではなく、彼女が暴行について知っていたことに。誰にも知られたくないと言っていた過去も打ち明けたのだろうか。エドの関心はそこに向いていた。表面上は会話を続けつつも、内容が頭に入ってこない。


「……そんなことは」

「そうだって。でもさ、思ったよりエドが賢くて驚いたよ」

「あ?」


 エラーは短く笑った。作業の手も止まり、あからさまに上の空になっているエドに同情する。これほど分かりやすく、素直で、可哀想な女もなかなかいるまい。

 エラーは湧き上がる衝動を誤摩化すように、組み立てる前のパーツを、完成品を収納する段ボールに放った。


「今後エドがどういう風に生きてくつもりかは知らないけど。あれだけ同性愛を馬鹿にしてたエドも、やっと相手を見繕う気になったんだなぁって」

「だぁから、ムサシはそんなんじゃねぇって」


 エドの意識が一気に引き戻される。聞き捨てならない台詞のおかげとも言うべきか。”相手を見繕う”という言葉が妙に引っかかったのだ。しかし、そんな些細な言い回しが霞むほど、次の問いはエドの神経を逆撫でした。


「クレの代わりじゃないの?」

「てめぇいい加減にしろよ!」

「それはそっち。また怒られるよ?」


 エドは立ち上がり、エラーの胸ぐらを掴むと、刑務作業中であることを忘れて吠えた。看守が慌てて駆け寄り、彼女を引き剥がす。堪忍袋の緒が切れたのは看守も同じであった。


「503番! お前はもういい! 来い!」

「ほーらね」

「っくそ! んだよ!」


 また独房行きか。看守に手首を引かれながら、エドは自嘲する。その方がいっそ楽かもしれない、と考えを改めようとした時、作業場出入口付近の扉から声がかかる。


「あー、それこっちで預かりますよー」

「そうか? それじゃ。……命拾いしたな、お前」


 独房行きを免れただけで命拾いとは大仰な。エドは呆れて、声のした方へと向かう。そこには、昨日までは存在しなかったと錯覚するような、見覚えのない小さな扉があった。当然、それは有り得ない。人目を避けるようにその扉が設置されていただけだ。小柄なエドですら屈まなければ通れないそこは、未知の部屋であった。

 扉を開けてみると、空いたスペースに無理矢理作られたような空間があった。外に並べられている作業台よりも一回り小さいデスクがスペースの大半を占めており、非常に窮屈な一角である。道具箱をひっくり返したように散らかっている机の上で、コンセントが抜けたまま放置されている半田ごてがやけに印象的だった。

 どうやら個室の作業場のようである。使用された形跡のない道具、埃を被った作業台。ここはサボる為に用意された空間であると、エドにはすぐに察しがついた。しかし、据え置かれた丸椅子は無人である。さきほどの声の主の行方を気にかけつつ、エドは独りごちた。


「ここ、こんな風になってんだな」

「そそ。ま、VIPルームみたいなもんだからね」

「うをっ!?」


 独り言に誰かが答える。背後から聞こえた声に、エドは慌てて振り返った。


「ハ、ハイドさん、何やってんすか」


 エドを驚かせて笑うのは、元ボスのハイドであった。後輩の不意をつく為にドアの真横で待機していたハイドは、期待通りのリアクションに満足しながら、丸椅子に座った。そして、作業台の上に置かれていた灰皿を手前に引き寄せると、丸椅子の隣の祖末な木箱を指差す。座れ。そう解釈したエドは、長方形のそれを軽く払って腰を下ろした。


「あのさぁ、独房から出たら挨拶くらいしにきてよ。ナルのヤツが心配してたよ。エドは一体どうしたんだって」

「それはムサシが行ったって聞いたっすけど」

「ったく礼儀ってのがなってないねー。お前が面倒かけたんだから、顔出すのが道理だろ」


 ハイドは点けたばかりの煙草をくわえて、煙を吐き出す。彼女の言う通り、エドは礼儀というものがなっていない。

 ムサシと肩を並べ、看守の待機所で温かい飲み物にありつけたのは、他でもないハイド達が口利きしたおかげである。エドは今更ながらにそれを思い出して、存外素直にハイドの言うことを「そういうもんなのか」と、初めて知る事実として受け入れた。

 生い立ちのせいか、エドは上下関係に少し疎いところがある。彼女に何かを施す先輩など滅多に現れない為、いつまで経っても成長しない。エドも自覚があるからこそ、その部分についてそれ以上の反論はしなかった。

 しかし、自分一人が悪いと責められるのは、いくら先輩相手とはいえ気分が悪い。それはそれ、これはこれ。居ても立ってもいられなくなったエドは、口を開いた。


「あたしはムサシの代わりに入ったんすよ、面倒かけたってんなら」

「だからって二週間以上も独房に入ってるワケないじゃん。お前が期間伸ばしたんだろ? それが迷惑だっつってんの。どういう理由があったのかは知らないけどさ。お前が余計なことをせずに出てきてたら、ムサシは私達のところに相談にきてなかった。分かるか?」


 完全な論破である。ここまで言われてしまえば、もう反論の余地はない。気まずそうに顔を伏せるエドの頭を、くしゃりと撫でてハイドは笑った。


「っつーわけで。今日は終業まで私とここで二人きりね」

「……あの、ナルシスさんは?」

「え? あいつなら今日は非番だよ」


 ハイドを見かければ、近くにはナルシスが居る。それはこのB棟の常識のようなものであった。相方の姿を探すまでもなく、この狭い空間にいないことは明白である。

 しかし、ハイドにその自覚は無く、何故ナルシスのことを問われたのか、まるで分かっていない。灰皿の縁を叩いて灰を落とすと、エドをこの部屋に招いた本題に入る。


「で。お前。何やってオトしたの?」

「何がっすか」

「ムサシだよ。ササイさんとこの秘蔵っ子ってこともあって、顔は元々広い方なんだ。アタックして撃沈してるヤツも多いらしいぞ」


 ハイドの用件を理解したエドは、あからさまにげんなりした。つい先ほど口論の発端になった事について、引き続き問われているのだ。そうならない方が不思議である。


「いや、おとすとか。そんなんじゃないんで」

「独房入り肩代わりしたのって、やっぱそれ目的?」

「本当に違うんで……」


 同区画の仲間だけならばまだしも、浅い付き合いの先輩からも冷やかされるとは。つくづく所内には娯楽が少ないのだと、エドは思い知る。


「おいエド〜、そんなつまんねーこと言うなよ」

「……いや、マジで。ハイドさん達はあたしらがだった方が面白いのかもしんねーけど」

「……ま、いいけどさ」


 ハイドはエドの肩に腕を回すと、ぐっと引き寄せた。鼻と頬が当たるほど近づくと、彼女は低い声で言った。


「お前が何をしようと勝手だけど、ムサシだけは泣かすなよ」


 視線を逸らすこともできず、エドはハイドのその言葉を正面から受け止める。泣かすも何も、一方的に距離を詰めようとしているのはあっちの方だ。そうは思いつつも、抗議は無意味と判断したエドは、元ボスである先輩を睨み返した。


「なんでそんなに肩入れしてんすか」

「ササイさんが移送されることになった」


 エドは言葉を失った。ムサシがササイの為に、医務室に足繁く通っていることは知っている。もう聞かされているのだろうかと、彼女は珍しく他人を慮った。


「状態が芳しくないらしい。もっときちんとした医療行為を受けられる本土の医療刑務所に移されるんだとさ」


 ファントムの囚人が医療刑務所に移される例は少ない。脱走囚を専門として収容している刑務所の囚人など、どこも受け入れたがらないからだ。彼女が移送される背景として、彼女が負傷した経緯と、病状が関係しているとエドは睨んだ。


「ササイって……」

「寝たきりだよ。今後どうなるのかは分からないけど」

「……そうっすか」

「だからさ、ムサシのこと、悲しませんなよ」


 まるで脅迫だ。エドはそう思った。直後に、無性にムサシに会いたくなった。

 その気持ちを掻き消すように大きくため息をつくと、天井を仰ぎ見る。想像以上に近い天井に、彼女は驚いて目を見開いた。


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