ACT.42 SIDE-503-
嫌だなって。思わないようにしてた。
一度考えると、きっとあたしは止まらなくなるから。
どうしてもやらなきゃいけないことがあって、そのために必要じゃないものは全部排除するしかなかった。
どうしてもやらなきゃいけないことっつーのは至ってシンプルで、なにかっつーと、ただ生きること。っつっても、その辺の鼻水垂らしたガキ共のように、のんべんだらりとしてりゃママが飯作ってくれて、パパが金を稼いできてくれる訳じゃあない。
あたしはあたしの食い扶持をてめぇで稼ぐ必要があった。親の顔は知らねぇ。声も、名前すら。
あたしは施設育ち。それもおそらく非合法の。ただし、そういう施設に限って、外面はいいもんだ。実体は未だに知らねぇけど、慈愛に満ち溢れたステキな児童養護施設ってことになってるんだろうよ。有り難いことに、あたしは物心ついた頃からこの施設の世話になっていた。そして、十歳の誕生日までは貧しいながらも、それなりに扱われていたと思う。
「
施設の館長はいつもあたしを名字で呼んだ。名前で呼ばれるガキと、名字で呼ばれるガキが居て、あたしは後者だったんだ。みんなそれぞれ違う名字だったけど、それが親のものなのか、適当に付けられたものなのかは分からない。ただ、この名前が親と同じものだとしたら、それはあたしらを繋ぐ唯一の”何か”だと思う。
当時、あたしの名前を呼ぶ奴は一人だけだった。二つ上の、あたしにとって姉貴みたいな人。ガキの二つ上ってのはデカい。大人から見ればどっちもガキだったんだろうけど、あたしにとっては随分と大人だった。
「お金貯めて、ここ出なよ」
食い扶持の稼ぎ方は、幼いあたし達にとっちゃそりゃ不思議だった。ベッドとシャワーだけがある狭い部屋の中、訳も分からないまま、見知らぬ男のそれを舐めること。くわえることなんて出来ないから、ただ舐めた。味のことはあまり考えないようにしろって茜さんが言ってたからそうした。
あとは、ぺたぺたと体を触りたがる奴も多かった。当時はその行為の意味も分からないまま、空腹を原動力に、男共の異常な欲望のはけ口となる日々が続いた。
あたしはそれを不幸だとは思わなかった。幸福というものを知らなかったから。ただ、部屋に戻って、茜さんと話をしたいと思うことはあったけど、それだけだった。
ある日、あたしにゴホーシさせたまま、男が言った。そいつは玉を舐めさせながら頭を撫でるのが好きな変態で、その日も同じようにあたしの髪を掴むように撫でながら言ったんだ。もう大きくなってきたから、会えなくなるね、って。
意味が分からねぇと思いつつも、それを口に出したりはしなかった。男達の言うことは聞け、ただ余計な事は喋るな。それが館長の言いつけだったからだ。毛が鼻に当たってくすぐったい。そんなことを考えながら、黙って舌を動かした。
それから、その男とは本当に、ただの一度も会わなくなった。茜さんは館長に下の名前で呼ばれる側のガキだった。妙に馴れ馴れしく彼女に触れる手付きに、言い知れない嫌悪感を抱きつつも、なんとなくその話はしちゃいけない気がして、あたしがそれを口にしたことはなかった。
それまであたしと週一くらいで会っていた男達が、一人二人と顔を見せなくなったのと同じ時期に、茜さんの様子がおかしくなっていった。突然腕を掻き毟ったり、奇声を発するようになった。あたしを見て、お母さんごめんなさい許して許して、と泣き出したこともある。不気味に思いつつも、茜さんはただ疲れているだけだと自分に言い聞かせて、変わらず側に居た。
そして、彼女をそうさせたものの正体を知る前に、茜さんは帰らぬ人となった。
オーバードーズの腹上死。およそ中学生がしていい死に方じゃなかった。常連のアホが茜さんを殺したんだ。何かを大切にすることなんて誰も教えてくれなかったけど、本能的に許しちゃいけないことだと思った。
ある日、その男が代わりを品定めにきた。そして、目の前で立ち止まる。肩に手を置き、決めたとだけ言うと、例の狭い部屋にあたしを押し込んだ。
今にも増してアホだったあたしは、愚かにも”仕返しをするチャンスだ”なんて考えていた。憎悪に満ちた目で男を睨むと、そいつは嬉しそうにこう言った。
「
新しい玩具を見つけたような、それでいて今からそれをぶっ壊そうとしているような、とにかく狂った目付きだった。
あたしを組み敷くと、男はいきり立ったそれを突き立て、太ももにこすりつける。その男が脚の付根を目指していることはすぐに分かった。今までだって、触れられたことはあった。指を入れられて泣いたこともある。
まさか普段くわえさせられていたアレを入れられるとは思っていなかったあたしは、痛みと驚きで我を失い、何も出来ない悔しさで狂ったように暴れた。
体を持ち上げられ、後ろから突き上げられ、そのままベッドに押し潰される。まるで人形だった。怒りで脳が焼かれ、気付いた頃には大声で泣いていた。男が動く度に、内臓が圧迫されて声が乱れる。感じてやがるなんてお目でたい解釈をしながら、男はあたしの中に薄汚ねぇ欲望をぶち撒けた。
当時、まだ中学には上がってない年頃だったと思う。だけどあたしは初めてをそうやって散らせた。ヤられたことなんて、今となっちゃどうだっていい。元々施設が斡旋した客なら拒否権なんて無ぇんだ。ただ、小学生にブチ込める程の粗末なあの男のイチモツで、あたしが感じたと思われていることだけが今でも不服だ。
あたしをレイプした男は別の玩具に目移りしたようで、それっきりだった。恐らく、友達を殺されたガキを犯してみたかった、ただそれだけなんだろう。
元々幸せを知らなかったことが功を奏したのか、その出来事はただあたしに”男の最終目的”について気付かせる要因としかならなかった。あたしがまともなら、きっとトラウマになっていただろうに、ある種自分が可哀想過ぎて泣けてくる。
舐めさせていたのも何もかも、それをする為の準備だったんだと理解した。いっちょ前にも、男と女の仕組みみたいなものが少しだけ分かった気がしたんだ。だから、館長に内緒で小遣い稼ぎを始める事にした。”生でヤらせてやるから現金を寄越せ”。駄目元のつもりだった。
だけど、面白いくらいに男共は食い付く。施設と男達の詳しい金の取り決めについては聞かされていないが、あたしの提示した金額の方がリーズナブルだったんだろうな。一発五千円で、ヤらない男の方が少ない程だった。
施設には、言葉を交わす程度の知り合いはいくらか居た。あたしと同じような目に合って、しかも相手が複数人だったという子が、部屋から出てこない日が続いた。どうやら、ノルマを達成できず、食事にありつけないようだった。
この施設で、食事を他人に分けるということは許されていない。見つかればそれなりの罰を受けることになる。だから心配はしても、誰も具体的に手を差し伸べようとはしなかった。
ある日。誰かがあたしを呼んだ。
手招きされ、いつも鍵がかかっているそこに初めて足を踏み入れた。同じ建物とは思えないくらいに豪華で悪趣味。それが館長の部屋を見たときの感想だ。
小遣い稼ぎのことがバレたのか。あたしは肝を冷やしていたが、館長は体を求めるだけだった。金の事は気付かれていない。それに安堵すると、あたしは躊躇なく館長に抱かれた。どうせ今だけだ。そう割り切って股を開いた。
おそらくは適当に決められたであろう誕生日を迎えてすぐ、生理が始まった。多分十四になった頃だ。
生でヤらせるのはもう終いだ。いくらあたしだって、孕みたくはない。これは妊娠の仕組みを理解した時から、決めていたことだ。
それまでに貯めた金を持って、施設から逃げた。後ろ髪を引かれるような思いは一切なかったけど、外に出てしたいこともなかった。ただ、茜さんがそうしろと言ったから、あたしに出来ることは他に無かったから、これといった理由もなく目標にしていた事を行動に移しただけだ。
外に出て知ったのは、外も中も結局何も変わらないということ。ネットカフェや漫画喫茶を
夜が来る度にどこかに体を落ち着けなければいけないというのが、これほど煩わしいことだとは思っていなかった。家を借りようにも、様々な問題があった。身分証明書なんて当然持ってない、頼れる大人もいない。第一、足がついたらそれこそおしまいだ。
義務教育すら満足に受けていない。自分がいくつなのかも曖昧で、本当の誕生日すら知らない。そんな社会の歯車にすらなれなかった未成年に出来ることなんて限られていた。
どうにかして安定した生活を送る為、あたしは結局、また自分の体を使うことにした。きっと他にも道はあった。だけど、その手段はいつだってあたしの頭の隅っこに最終手段として居座り続けたんだ。きっとこうなったら人として終わりだと思う。
もしかしたら、茜さんはあたしにこうなって欲しくなくて、ここから出ろと言ったのかもしれない。だとしたら、きっとあたしは、彼女の望む人間にはもうなれないんだろう。
住み込みで休みもあって、金ももらえる。年齢についてとか、細かいことは聞いてこない。適当に見つけたそのヤバそうな風俗店は、あたしにとっては天国のような条件だった。が、相部屋の女はコロコロ変わった。
辞める前は決まって不満を漏らす。こんなこといつまでも続けられないとか、聞いてた話と違うとか、彼氏にもっと自由に会いたいとか。あたしがいない時は部屋を好きに使っていいと言っても、そういう問題じゃないと呆れられた。
あたしには、あの女共が酷くわがままに思えた。何が不満なのか、本気で理解できなかった。そして気付いたんだ。きっとあいつらは誰かに望まれて生まれてきて、その期待を受けながら生きる幸せを知ってるんだって。だったら、確かにこんなところに居ちゃいけない。この環境を幸せに思える、あたしのような女にこそ相応しい場所なんだって。適材適所。いつ覚えたのかも分からねぇ言葉を頭に浮かべながら嗤った。
そんなある日のことだった。何をしても文句を言わねぇという口コミが広がったらしく、あたしに初めて女の客がついた。
「……間違えました? あたし」
「いいえ。マイさんですよね」
「はい」
おいマジかよって。さすがのあたしも、あの時ばかりはビビった。振り返っても、自分が閉めたばかりのラブホの扉があるだけ。あたしは顔が見えないのをいい事に、構うことなく眉間に皺を寄せた。ふざけやがって、せめて事前に言えよ。
普段、あたしに何かとよくしてくれるテンチョーだけど、今回ばっかりは笑えねぇ冗談だ、と思った。とはいえ、仕事は仕事、キッチリこなす義務がある。そうしないとあたしは生きられないんだ。
どうしたいのか、どうされたいのか。何も分からないまま、あたしは女の望む通りに体を動かした。小さい頃からその辺の感覚が疎く、あたしは感じにくい方だったと思う。だから、その行動の意味も理解できないまま、男達の動きをトレースするように女に触れることしかできなかった。正解が分からないまま、なんとかその時間を過ごす。その女が二度、あたしを指名することは無かった。
ある日、その時の事をテンチョーがふざけた様子で話題にした。女の子から連絡が来たらマイちゃんにお願いするから、練習しといてよ? と。練習って何だよ。そんな言葉が喉まで出かかったが、適当に笑って流した。
その日の就寝時、なんとなくその事を思い出してまた笑った。そして気付いたんだ。多分、あたしは女としてというより、男の代わりにあの女を抱いたんだって。女とヤりてぇのに、男みたいに抱かれちゃたまったもんじゃねぇよな。
それから、物好きな女はなかなか現れず、変態カップルとの3Pで久々に女の体に触れることになった。だけど、その頃にはすっかり女の体の具合なんて忘れて、同じことを繰り返した。同じ物がついてるったって、同じ感じ方しなきゃ意味ねぇだろ。分かんねぇよ、他人のことなんて。自分のことだって分かんねぇのに。
この生活にも慣れてきた。膨れていく貯金は有り難いが、如何せん使い方が良く分からねぇ。持て余しているような、何とも言えない気持ちを燻らせながら迎えたある日。部屋でゴロゴロしてると知らないオッサン達がやってきた。そいつらが何モンなのかは聞くまでもない。アホテンチョーがヘマやったんだ。警察手帳をちらつかせられる頃にはそれを確信していた。
これからパトカーに乗せられるって時に、妙な胸騒ぎがして、もう一度振り返る。何年も会っていなかったが、刑事の一人は施設に客として来ていた男に、よく似ていた。
「……!」
声にならない声をあげ、窓からベランダに出た。二階だったけど、そこから躊躇せず飛び降りた。着地で足を変にしたけど、それも後で分かったことだ。興奮していたせいか、その瞬間は全く気にならなかった。繁華街の路地からキャミソールとハーフパンツ姿の女が飛び出すと、ただの喧騒が少し色めき立った気がした。
こんな間抜けな逃走劇、いつまでも続く訳がない。だけど、走っている瞬間、あたしは”あたしの行く手を阻む何かから逃げ仰せる為に存在している”、という確信を得た。
茜さんを殺した男と対峙した時以来の強い感情。それでいて、誰かを傷付けたいという暴力的な欲求ではなく、純粋な自由への渇望。馬鹿みてぇな話だけど、あのとき、生まれて初めて、生きてるって感じたんだ。
そこで上手く逃げられりゃサイコーにドラマティックだったんだけど、結果はご存知この様。派手に暴れて公務執行妨害で豚箱行き。その上、脱走癖がついちまって、これで最後にしようと決めていた三度目の脱走が失敗に終わると、ファントムに連れてこられた。もうやらねぇってのに。まぁ股開くしか能のねぇ囚人の言うことなんか聞かねぇわな。
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