ACT.41


 その日の所内は騒然としていた。エラーが遂に、ゴトーの処遇を決めたのだ。ササイの他にも被害者が名乗りを上げ、彼女達の排除運動が活発化したお陰で、エラーがボスとして求められている決断を下すのは簡単だった。


「なぁんでここまで放置したんだろーね」

「エラーはゴトー達を必要悪だと考えていたから、ですかね」

「必要悪ねー。それじゃ、社会に不必要な悪としてここに放り込まれた私達の中じゃ、唯一価値がある存在だったんじゃない?」

「そうかもしれませんね。あまりエラーらしいやり方とは言えない気がして、ちょっと心配ですけど」


 昼下がりのOLのように、サタンとラッキーは食堂で雑談を交わしていた。エドは刑務作業の居残り、クレとエラーは例の如く何処かに消えている。


 ゴトー達に科せられたのは私刑。ゴクイは隔離棟に移され、杖をついている状態なので、これは実質ゴトーのみに与えられた罰と言える。

 刑務官は完全にノータッチ、大抵のことは見て見ぬふりすると打ち合わせで決まっている。朝の点呼が終わった後に、B-4の面子はエラーからそう聞かされた。

 興味が無さそうに大口を開けて欠伸をしたのはエドである。どうでもいい、口に出す以外の全てでそれを表現していた。そんな彼女とは対象的に、目を見開き動揺を窺わせたのはクレだった。サタンはそれを見逃さない。このところエラーにべったりで、尚かつ直接の被害者である筈の彼女の反応は、サタンを驚かせた。


「でもさ、私刑なんて誰がするの? 私は嫌だなー。暴力とか嫌いだし」

「あなたがする必要はないんですよ。彼女に恨みがある人間はゴマンといるんですから」

「あはは。立候補してもなかなか出番が回ってこないとか?」

「かもしれませんね」


 サタンはつまらなさそうにそう言って、コップに口をつけた。辺りは私刑の話題で持ち切りである。渦中のゴトーはというと、食堂の端のテーブルで静かに食事をしていた。


「この中でよくご飯食べられるよね、あの人」

「そうですね。でも、あなたがそれを言いますか?」

「えー? 私なら泣きながら部屋に閉じこもるよ」

「そうですか」


 どうでもいいと言わんばかりにサタンが答えると、ラッキーは別の話題を切り出す。彼女との会話よりも食事を重視しているらしいサタンは、ペースを崩すことなく嚥下してから少しの言葉を返した。


「エラーちゃんと言えば……サタンちゃん達って自由恋愛ってヤツ?」

「はい? あぁ、クレのことですか」


 クレとエラーがエドの部屋から出てきた朝から、いつかは聞かれるだろうと考えていたことだ。サタンはラッキーに一瞥もくれず、”自由恋愛”とやらを肯定した。


「あれ、最近でしょ。びっくりしちゃったよ」

「さぁ」

「絶対そうじゃーん。クレちゃん明らかに雰囲気変わったし」


 人知れず葛藤しているエラーと違い、クレの変わりようは凄まじかった。二人きりで話す機会の多いサタンとラッキーはもちろん、他の区画の囚人達すらも、彼女に何があったのだと噂する程である。

 だからこそ、サタンはエラーに軽卒な行動は謹んで欲しいと考えていた。噂を嗅ぎ回っている輩がいるかもしれないというのに、当の本人はそれすらも込みで、性行為に溺れているのだ。


「それは……そうですね、本音を言えば、かなり心配です」

「……本気で言ってる?」

「どうして人を気遣っただけで疑われなきゃいけないんです?」


 サタンはラッキーの発言を訝しんで、刺すような視線を送る。しかし、自他共に認める変人はそんなものでは怖じ気づかない。ぷはーと、残っていたコップの水を飲み干すと、そのままとぼけた様子で続けた。


「だって、サタンちゃんが他人を気遣う理由って、結局自分の心配じゃん。お肉の焼き加減気にしてる感じに近くない?」

「そうかもしれませんけど、それが何か?」

「いいや別に。食べるだけ偉いよねって話。クレちゃんは開き直っちゃってるし、エラーちゃんは暗くなるし。意味わかんないよね」

「……そうですね」


 想像していた以上に反論の余地がない内容だったので、サタンはラッキーの言葉を肯定して一息つく。そうして時計を見ると、トレーを持って立ち上がった。ラッキーはそんな彼女の背中に、とある質問を投げかける。


「ところで敬語はいつ善処してくれるのかな」

「してますよ、今も」

「へぇ。優しいんだ」


 ラッキーは珍しく眉間に皺を寄せて、嫌味がたっぷりとこもった言葉をサタンへとぶつける。しかし、それを受け取った当の本人は、一切の反応を示さず颯爽と歩き去っていった。



****



 嘘のように汚れた毛布に身を包み、迎えた朝。エドはこれまでもそうして来たかのように、淡々と体を起こした。寝ると言ってサタンを追い出した後に囚人服を脱いだので、ほとんど下着のような格好である。この寒い時期に、気が狂ったとしか思えなかった。


 案の定体調を崩し、鼻をズルズルといわせながら部品の組み立てをした午前中。やっと昼だというときに、作業場の奥から出てきた刑務官に呼び止められたのである。奥には看守の為の一畳程の待機所があった。刑務作業の担当職員は、交代でパイプ椅子に座って監視カメラを眺めつつ、一服するのである。

 全く心当たりのないエドは、足止めを食らうことを拒否した。反抗されるとは夢にも思っていなかった刑務官だったが、早足でエドに近付くと耳打ちをする。流石というべきか、囚人の扱いには長けており、単純なエドは険しい顔をしながらも彼の後ろについていった。


「てめぇか、あたしを呼んだのは」

「エドさん!」


 本来であれば立ち入れないそこは、普段自分達が生活している区画とは比べ物にならないほどに暖気が漂っていた。それだけでエドの怒りは薄らいでいく。さらに、回りくどい手法を使ってまで自分を呼び付けたのは、件の事件の当事者であるムサシだった。

 律儀な女だとは聞いていたが、まさかここまで大仰な礼をされるとは。エドは、心の何処かで空恐ろしさを感じていた。


「私、エドさんにお礼がしたくて」

「だからってこんな大げさなことすんじゃねぇよ。そもそも礼を言われるようなことはしてねぇ」


 エドははっきりと告げた。謙遜ではなく本心である。しかし、そこはムサシも譲らない。エドの腕を引くと、半ば強引に並べられたパイプ椅子へと座らせ、ホットレモネードを差し出した。

 風邪気味だったこともあり、エドはその誘惑にほとんど抵抗することなく着席した。椅子同士が擦れて嫌な音が鳴る。足すら伸ばせないような空間を窮屈に感じつつ、温かいマグカップを受け取ると、それを啜りながら吐き捨てた。


「助けたかったなんて、綺麗なモンじゃねぇ。あたしは、ただ、なんかムカついたんだ」

「でも」

「考えりゃ分かるようなことだった。ゴトー達のはけ口がなくなりゃ、どうなるかなんて。そこまで気が回らない状況だったっつーことはあっけど。お前の支離滅裂な、現場に居合わせた連中の名前を挙げて、最後の”助けて”の一言だけで何が起こったのか察せるくらいには、あたしは奴らの名前にある種の心当たりがあったんだ」


 手元を見つめて淡々と零す。あの時、エドを見かけて声を掛けたのは偶然だった。そしてその姿が視界に入って目が合った瞬間、ムサシはこの人しかいない、とも思った。クレの知人であり、腕が立ち、さらに肝も据わっている。まさに打ってつけ、ピンチの時に現れるヒーローのように見えたのだ。

 エドにはエドの事情があって駆け付けたということは理解したが、それでもあの時の救われた気持ちを、彼女は忘れられなかった。


「別に、どんな事情があっても、いいんです」


 やっぱりめんどくせぇ、という言葉を飲み込み、代わりに舌打ちをする。そしてマグカップに口を付けたエドは、美味ぇなと呟いた。


 沈黙が流れる。ムサシはもちろん、エドも、昼食にありつくことは諦めていた。ただ、ムサシはこの場にエドを招くよう手筈を整えてもらったことを後悔はしていないし、エドも足を向けなければ良かった、とは思っていない。

 マグカップの中身が半分程になった頃、ムサシはぽつりと呟いた。


「私、殺人未遂でここに来たんです」

「はぁ……? お前がか?」

「はい、友達を守ろうとしたつもりでした。それだけじゃありません。脱獄して、そいつらを殺しに行こうとしました」


 にわかには信じがたい、エドは表情でそう語る。ムサシのような女が何故、ファントムこんなところにいるんだと囁かれているのはエドも知っていた。が好きな変態がエドを買った時には、ムサシの話を聞きながら喘ぎもした。

 囚人共はムサシの罪状を好き勝手に予想しては、”誰かに騙されたに違いない”等という、有り得ない結論に繋げて終わりにするのだ。

 彼女にはこうであって欲しいという勝手な理想を押し付けている連中を見かける度に、エドは気分を悪くした。そのせいか、エドはムサシ自身にも、少しだけ苦手意識を抱いていたのである。

 そんな女が随分と派手な罪状を引っさげてここに来たという事実は、少なからず彼女を楽しませた。


「ゴクイの汚い頭を殴り飛ばした瞬間、昔のことを思い出しました。初めて人に暴行を加えたとき、きっと殺すつもりはなかったんです」


 やっぱまともなヤツはここにはいねーんだな。そう言う代わりに、エドは再びレモネードで口を潤す。


「でも、ゴクイを殴った時は、死んでもいい、くらいには思ってました。全然更正してませんよね。むしろ悪化してるな、って。私みたいのが社会に出ても」

「別にいいだろ」


 エドはムサシの独白のような告白に、あえて割って入った。それは聞き捨てならない言葉が聞こえたからだ。


——私、みたいのがって何だよ。


 この認識をすぐに改めさせなければいけないと感じたのだ。戸惑うムサシを見つめたまま、エドは続けた。


「お前が娑婆に出ても、誰も迷惑なんてしねぇよ。話を聞いてりゃ、お前は誰かを守ろうとしてるだけじゃねーか。皮肉なモンだよな、力がなきゃ返り打ちで、力がありゃ監獄だ。ゲームの世界の勇者サマだって、現代日本じゃきっと犯罪者だぜ」


 ムサシを慰める言葉がすらすらと出てきた事に、エド自身が驚いていた。しかし本心だ。エドの隣で俯く女は、何も言わずにただ黄色い水面を見つめていた。


「なぁ」


 改めて話しかけられると、ようやく顔を上げてエドを見る。


「あたしの昔話、聞くか?」

「……それ、いいんですか」

「今まで誰かにしたことは無かったけど……なんとなく、話したい気分なんだ」


 それは、自室のベッドで想い人が他の女に抱かれたという異常事態が引き起こした、気の迷いのようなものだった。しかし、ムサシにそれを断る理由はない。話したいのならば耳を傾けたいと思ったし、彼女自身、エドの過去には興味があった。


 エドを呼びつけた刑務官は、待機所から少し離れたところで、裸電球が灯る空間の窓を見つめていた。小柄な女達が肩を寄せ合い、話をしている光景はなかなか微笑ましい。会話の内容は何とも物騒なものだったが、彼の耳には届いていない。


「エドも黙ってりゃ可愛いのにな」


 そう言い残し、彼は持ち場へと戻っていった。


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