ACT.34

 談話室で赤と茶が対峙している。どちらも棟内で指折りの美女であり、互いが互いを引き立て合うようにそこに存在していた。両者共に細身で背が高く、スタイルにまで恵まれた女二人が向き合う光景は、ここが特殊刑務所の一角であることを忘れさせるほどの迫力があった。

 二人と同席することに気後れする者も少なくはないだろう。唯一、作業着を着ていることだけが悔やまれる。


「何ヘラヘラしてんだよ」

「べっつにー?」


 赤い髪の女は切れ長な目を更に鋭くさせ、正面の茶髪を見据えていた。対照的に、冷たい視線に晒された女は表情を緩ませている。まるで美女に化けた狼と狐が相席しているようであった。


 囚人達の居住区では、暖房が働いているとはいえ、少し離れると吐く息が白くなる程、冷気が立ち込めている。二人は寒さに追いやられるように、談話室へと逃げこんできたクチだ。


「思ったより平気そうだねー?」

「もっと取り乱してた方が良かったのかよ」

「ううん、別に。この間とのギャップが凄いからさ」


 茶髪の狐、ラッキーの言う”この間”とは、ゴトー達と大立ち回りを演じたあの日である。元はと言えば、ラッキーが余計な事さえ言わなければ、面倒事に巻き込まれなかった可能性が高いのだ。もっとも、起こらなかった”もしもの話”をしても無意味だと割り切ったクレは、それについて言及するつもりは無かった。


 むしろ問い質したいのはラッキーの方である。この落ち着き払った態度はなんだ。クレの異様なまでの”普通の振る舞い”に、彼女は密かに舌を巻いていた。

 クレは精神的に弱い。エドにその弱点を徹底的に突かれ、自分がさらに追い打ちをかけた。ゴトー達に絡まれ、ずっと心神喪失状態が続いていた筈だ。影のようにエラーに纏わりついていた姿は記憶にも新しい。それが、徐々に元気を取り戻すでもなく、突然涼しい顔で雑談する余裕を見せているのである。異常という以外、言い方が見つからなかった。


「エラーちゃんはもういいの? マイブーム去った感じ?」

「別にブームで一緒に居た訳じゃねぇよ」


 ゴトー達と問題を起こすきっかけを与えた、昼食時の出来事。ラッキーはただ、二人を揺さぶってみたいと思い立っただけだ。ちなみに、エドはラッキーの行動に対して、約束を反故にされたと思っているが、ラッキーは違う。

 エドと約束を交わし、交換条件として彼女を抱いたあの日。ラッキーは”当事者以外には知られないようにする”と言ったのだ。たまたまではなく、彼女はあえてこういう言い回しをした。エドがこの言葉を”自分以外の人間”と解釈するのも分かっていてのことだ。クレは被害者であり、つまり当然、当事者である。

 核心を突かれて驚くクレのリアクションが気になった。呼び出しに応えて、のこのこと自分の部屋にやってきた時のエドの怒号を聞いてみたかった。このたった二つの理由から、ラッキーは気まぐれを起こしたのである。


「なぁ、聞いていいか」

「なになに? スリーサイズとか? いいよー、私自身知らないから勝手に測ってねー」

「そんなんじゃねぇよ、バカ。エドのことだ」


 まさかクレの口からその名前が出ると思っていなかったラッキーは、豆鉄砲を食らったような顔をしながら、「何?」と続きを促す。


「あいつ、なんで医務室送りになったんだよ」

「本人に聞けばいいじゃん。ラブラブなんでしょー?」

「そんなんじゃねぇ。オレらのことはどうだっていいだろ、質問に答えろ」

「それをする私のメリットって?」


 頬杖をついて、ラッキーは小馬鹿にするような顔でクレを見た。その顔を見たのがエドであれば、胸ぐらの一つでも掴んで「うるせぇ答えろ」と強要したかもしれないが、相対している女はエドよりも数段物分かりがいい。

 彼女は確かにな、と呟いてため息をついただけだった。放っておいても、これくらいのこと、サタンやエラーがクレに教えるだろう。むしろまだ聞いていなかった事が意外だったくらいだ。元々カードになり得ないようなものだ、粘るのは得策じゃない。そう判断したラッキーはある提案をした。


「じゃあさ、クレちゃん達のこと聞かせてよ。そしたら教えてあげる。私が知ってるあの日のこと、全部」


 適当なところで手打ちにすることにしたのである。事実、ラッキーはクレが、エドに玩具にされている期間をどう言い表すのか、興味があった。


「オレ達のことって……」

「だって、二人はいい仲じゃん? そのことを知らないっていうのが、どうにも不自然で。何かあったの?」


 ラッキーがそう言うと、クレはまたしても「確かにな」と呟き、今度は机をじっと見た。ラッキーの言い分は間違っていない。医務室で面会謝絶にされる何かがあったとして、付き合っていたならば、必ず気にかけるだろう。


「分かった、答える。オレ達は付き合っていない。さっきも言ったけど、これはマジだ」

「あ、そうなの?」


 やけにあっさりとした告白にあっけに取られつつも、ラッキーはクレを観察し続けた。話す直前、自身の手首をぎゅっと掴んだのを、彼女は見逃さなかった。


「じゃあなんだったの?」

「……お前」

「え、何?」

「なんで過去形で聞くんだよ」

「はい?」


 クレは射抜くように真正面を見つめる。目が合うと、ラッキーは珍しく焦った。間違いなく失言をした。この聞き方ではまるで、二人の関係が終わったことを知っているようだ。いや、盗み聞きをしていたから事実知ってはいるが、それを悟られるのは都合が悪い。

 しかし、彼女の焦りはそちらではなく、むしろその小さな綻びをクレに指摘されたことに起因していた。この子、ホントに頭いいな。そんなことを考えながら、ラッキーは観念したようにため息をついた。


「変な聞き方したね、ごめんね」

「お前……なんなんだよ。何を知ってんだよ」

「まーいいや、それじゃ教えてあげるね。エドちゃんのこと」

「はぁ? オレが聞いてんのはそっちじゃ」

「倒れたんだよ、あの子」

「……は?」


 強引に話を逸らそうとしたラッキーに、流石に食ってかかったクレであったが、エドの身に起こったことを聞くと、立ち上がったばかりの椅子に再び座り込んだ。

 電池が切れたように、時が止まったように、クレはただ唖然とする。ラッキーはその様子を気にも留めず、話を続けた。


「クレちゃんが運ばれてからすぐだよ。日に日に弱ってってね。多分だけど、クレちゃんが運ばれた日から、ほとんど何も食べてなかったんじゃないかな。作業中もトイレに籠って戻しっぱなしだった。みんな口には出さなかったけど、妙なクスリにでも手を出したんじゃないかって思ってただろうね」


 ラッキーは嘘をついていない、クレは本能的にそれを察知した。実はクレは、この疑問を本人に直接ぶつけたことがある。


——あたしが医務室で寝てた理由? てめぇの弱ってる顔を拝みに来てやったんだよ。体調不良はただの演技だ。下らねぇこと気にしやがって。うっぜぇ。これ以上詮索すっと、てめぇのの保障はしねぇけど、どうするよ?


 冗談とは思えない脅し文句と、乱暴に掴まれた太ももの付根の痛み、クレはいつかのその記憶を引っ張り出しながら、ラッキーの証言と照らし合わせる。検証するまでもない、嘘をついているのはエドの方だった。

 知られたくなかったのだろう、ということは容易に想像がつく。弱味を見せたがらないエドのことだ、特段違和感はなかった。


「でも、なんで……」

「さぁ? あ。倒れる時になんて言ったか、覚えてるよ」

「あ?」

「”あーもー意味わかんねぇ”って言ったの。そりゃこっちの台詞だよって思ったよね」

「マジで意味わかんねぇな」


 クレは呆れたように笑った。その台詞を吐きながら、エドが後ろにぶっ倒れる光景が目に浮かんだのである。

 ラッキーは正面に座る女の表情に戸惑った。心の機微には疎い彼女であったが、いや、そんな彼女の目にすら不自然に映ったのだ。


「……笑うんだ」

「なんでだよ」

「ううん。エドちゃんのこと、憎くないの?」

「……お前、何を知って、って……いや、いいや。どうせオレが何聞いてもはぐらかすんだろうし」

「えー? そうかな?」

「事実さっきもそうだったろうが」

「んー、そうかも?」


 互いに分身を戦わせているような、実体の無い無意味なやり取りだ。あまりにも下らない、クレは自嘲した。

 クレの表情に、ラッキーはデジャヴを感じる。何かを諦めたかのような表情、知ってしまったかのような振る舞い。彼女の双子と話しているような感覚とでもいうべきか、とにかく、よく似た他人と話しているような違和感が拭えないのだ。

 話せば話す程、ラッキーのそれは確信へと変わっていく。クレは変わったのだ、と。


「まぁいいや……めんどくせぇな」

「あー、ごめんね」

「いや、ラッキーのことじゃない」


 しかし、クレは誰のこととは言わぬまま、ただ格子の向こうの廊下を眺めた。自分でないとすれば、今のはエドを指した言葉である、ラッキーはそう解釈した。

 そして、徐々に大きくなる違和感の正体に、ふいに気付く。どうやったのかは分からないが、クレは何故かこのタイミングでトラウマを振り切ったのだと。それにより、”エド優位だった関係性が一気に逆転した”のだと。

 うわぁ、面白い。ラッキーは表情には出さず、心を躍らせた。


「これは答えてくれると嬉しいんだけど」

「試しに聞いてみろよ」

「なんかあった?」


 ラッキーの問いに無言で見つめ返すと、クレは立ち上がった。点呼まではまだ時間があるというのに、質問には答えず、わざわざ凍えるような寒さの自室へと足を向ける。

 そしてドアを閉める寸前、蔑むような目つきで微笑みかけ、ラッキーに短い言葉を投げかけた。


 ご自慢の耳は正確にその言葉を聞き取ったが、意味は理解できなかった。いや、したくなかったのかもしれない。ラッキーはクレが投げかけた言葉を、おそるおそる口にしてみる。


「知ってるくせに、か……」


 何がクレをあそこまで変えてしまったのか。生憎、その正体をラッキーは知らない。おそらくはエラーが関係しているであろうことしか想像がつかないのだ。

 しかし、何でも知っていると思われているのは、光栄なことである。ラッキーはクレの嫌味を真正面から受け止めることにした。


「あのクレちゃんにいじめられたいなー。駄目かな。やーだめだよね、うん」


 どうせ誰にも聞こえないと高を括って、ラッキーは実現不可能な戯言ばかりを口にしてクスクスと笑った。

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