ACT.21

「確かに、誰かに何かされたのかもしれません。でも覚えてません」

「さぁ、知らないっすね」

「もういいっすか?」

「顔? 見てないっすね」

「体格……? さぁ。オレは自分がヤクをやらないから”誰かにやられた”って思うだけなんで。相手を見た訳じゃないっす」


 セノは棟長室のデスクに腰掛けていた。女医から渡されたボイスレコーダーに耳を傾け、頭を掻く。その様子を見ていた女医は、慰めるような声色で告げた。


「状態は以前より大分安定しましたけど、真相は闇の中ですね」

「……このタイミングでエドまであんな状態になるなんて、絶対に関係がある筈なんだ」

「だとしても本人達は認めないですし。これ以上気になることがあるなら、404番に聞いてみては?」

「……そうだな。忙しいのに悪かった。よくやってくれたな」


 セノはボイスレコーダーに視線を落としたまま、女医を労った。ドアが閉まる音がしてから顔を上げ、背後にある大きなガラス窓へと振り返る。パノラマに広がる殺風景な景色は、彼の心中を表すようであった。


「エラーに聞いて解決するならとっくに聞いてる」


 吐き捨てるように独り言を言うと、セノは葉巻と専用のライターを取り出す。普段は嗜まない嗜好品だが、作法だけは知っていた。

 前任者の見よう見まねで、時間を掛けて火をつける。煙をふかしてみるが、馴染みの無い味わいに顔を顰め、すぐにそれを灰皿へと押し付けた。ほぼ燃焼することなく捨てられたそれは、不格好に飛び出して、辛うじてそこに留まっていた。


「何やってんだかな、オレも」


 胸ポケットから紙巻き煙草を取り出し銜えると、少し前に配給物資で配られた安っぽいライターで火をつける。慣れた手付きで煙草とライターをまとめて机に置き、今度は体中に巡るように、深く煙を吸い込んだ。


「結局いつも通りが一番だな」


 大男は遠くに見える海を眺め、白煙を燻らせながら少し嗤った。



****



 所変わってB-4では、妙な空気が流れていた。エドとクレが揃って医務室から出てきたのだ。一見すれば目出度い事に違いない。しかし、不可解な点があり、エラーとサタンは首を傾げていた。

 面会謝絶が解けると同時に放流とは、これ如何に。素直に喜ぶ素振りを見せていたのはラッキーだけである。


「もうはっきり聞くけど、エド。クレに何したの?」


 戻ってきて早々、二人を気遣うでもなく、エラーは切り出す。突然倒れて運ばれたにも関わらず、歓迎されないであろうことはエド自身もよく分かっていた。

 「なんだよ、折角帰ってきたんだから菓子くらい用意しとけよ」等と軽口を叩くでもなく、エドとエラーは対峙したのだ。


「あ? 何もしてねぇけど?」


 小憎たらしい表情で煽るように答えると、エドは隣にいたクレに視線を向けた。加勢するよう催促されていると察した彼女は、話すことはおろか、体をそちらに向けることすら億劫だと言うように、やっとエラーを見る。


「その、心配かけたな。もう平気だ」


 明らかに嘘をついている、その場に居た誰もがそう思った。クレですら、そう思われていることは承知の上である。理解した上で、これ以上踏み込むなと牽制しているのだ。


「そうしたいところだけどね。ヤク使われたら黙ってられないんだよ、こっちも」

「……ちっ」

「聞いたよ。クレから陽性反応が出たって」

「エラー、もうお前には迷惑かけない。これっきりだ」


 クレはエラーに懇願するような視線を送る。頼むから詮索しないでくれ、彼女の目はそう訴えていた。


「ったく言いがかりも甚だしいってな。証拠も無いくせに。部屋戻って寝るわ。起こすなよ」

「そう、おやすみ」


 エラーは”弐”と書かれた扉が閉まるのを見届けると、小さくため息をついた。

 ”証拠も無いくせに”。この言葉に反論する為の証拠なら持っている。エドの部屋で見つけた注射器だ。

 しかし、この場で真実を明らかにしても無意味だと悟ったエラーは、泳がせる事を選択した。理由は分からないが、クレがエドの言いなりになっている。下手につっつくと、せっかく尻尾を掴みかけた何かが、闇に隠れてしまう気がした。


 彼女は二人の事を気にかけているだけではない。何の為に、何故、誰に唆されたのか、ボスとして知る必要があると考えていたのだ。


「エドが戻ってきて随分嬉しそうだったね」

「そりゃね。悠ちゃ……クレちゃんも一緒に戻ってくれたし、言う事ないよ。二人は嬉しくないの?」


 エラーは毒気を抜かれたような顔をして腕を組む。すると、エラーよりも早く、サタンが口を開いた。


「ほとんど他人のような人が戻ってきて嬉しいですかね」

「え!? それは酷くない!?」

「あなたにとって、という話をしているんです」

「……あぁ。確かに知り合って日は浅いけどさぁ、やっぱり嬉しいよ?」


 そうですか。そう言い残し、エドに続いてサタンが部屋へと戻った。その場に取り残された三人は、三者三様の表情で談話スペースに立ちつくす。

 数秒の沈黙ののち、クレもため息をつきながら、その場を後にする。いよいよと二人となった空間。残されたエラーとラッキーは睨み合うような、見つめ合うような、どちらとも取れる視線を交錯させる。


「戻んないの?」

「戻るけど」

「そっち? それとも、あっち?」


 ラッキーは”壱”の扉を指した後、楽しげに”肆”と書かれた扉、つまりサタンの部屋を指した。その質問にどのような意図があるかは分からないが、エラーはあえて乗ることにする。


「あっちだよ」

「へぇ? 結構お盛んだよね、君達」

「勝手でしょ」

「その割に静かだし」

「聞き耳立ててるの? 気持ち悪いから止めてね」

「あはは。んじゃ混ぜてよ」

「そういう処理が必要ならエドに頼んだら? 戻ってきたんだし」


 エラーはそう言って、宣言通り”肆”の部屋へと消えていった。止せと言われたにも関わらず、ラッキーはその扉を暫く眺め続けた。



****


 エラーは静かに扉を閉めると、ベッドへと近付いた。頭を抱えているサタンを見て、彼女の横に座る。


「ごめん、心配になって来ちゃったよ」

「……気にしないで」

「でも……サタン、最近変だよ」


 サタンは申し訳なさそうな顔でエラーを見つめた。その表情の意図を計り兼ね、エラーはその場しのぎで軽く愛想笑いをする。


「もしかして……ラッキーに、私とそういう仲だって思われるのがイヤとか?」


 二人は一度も肉体関係に発展したことはない。お互い、ただの友人と思っているので、当然と言えば当然である。"そういう仲"というのは、体よく密談をする為に生まれた手軽な嘘でしかなかった。

 エドとクレが戻ってくる前、注射器のことはしばらく黙っていようと取り決めたときも、同じように自室で二人きりになった。


「まさか。どうでもいいわ、そんなこと」

「あぁそう」


 他に心当たりがないか思考を巡らせるが、何も思い浮かばない。

 沈黙が流れる。エラーは座っていたベッドに寝転んで、窓際の壁を見つめた。

 僅かに射し込む光。照らされてキラキラと、まるで綺麗なものであるかのように舞っているのは、ただの埃や塵。

 それらを目で追いながら、サタンのことをぼんやりと考える。そういえば彼女の事を何も知らないとエラーが気付くと同時に、沈黙を破ったのはサタンだった。


「あのね、エラー」

「何?」

「私、ラッキー。嫌いなの」

「……うん?」


 エラーは思わず、体をひねって首をサタンへと向けた。彼女がこれほどはっきりと人を嫌うことは珍しい。いや、嫌うことがあったとしても、それをおくびにも出さないのが彼女である。何かあったのかと心配になり、エラーは反射的に体を起こした。

 この間も随分とキツい対応をしていたな、と数日前の事を思い出しながら、サタンの顔を覗き込む。


「なんでそんなに申し訳なさそうにするの?」

「エドとクレの件で大変なのに、こんなことを知らせたら余計気を揉むかと思って」

「あぁ……ううん、気にしないで。ただ一つ聞いていい?」

「えぇ」

「なんで嫌いなの?」


 直後、エラーは少しばかり後悔した。突然、彼女の瞳の奥に宿る仄暗い光が深みを増したのである。底知れぬ闇に飲み込まれそうになり、エラーは息苦しささえ覚えた。


「ラッキーと私は根本的に考え方が違う。それだけ」

「変なこと言われた?」

「ううん。言葉を交わすまでもない。生理的に受け付けない、そうとしか言いようがないわ。だから、余計申し訳ないの。理由が無ければ、改善の余地も無いんだもの」

「……うん。分かったよ」


 エラーはサタンの頭を、自身の胸元へと抱き寄せた。これ以外になす術が見つからなかったのだ。意外なエラーの行動にサタンは少し困惑しながら、腕の中で呟いた。


「前から思ってたんだけど、エラーって本当にそっちの気ない?」

「え、なんで?」

「エラーがしたかったら私は別に……って思ってるから、その、今も」

「気持ちは有り難いけど、私はノーマルだよ。そんなに”っぽい”?」

「えぇ、わりと」

「傷付くなぁ……」


 サタンはするりと腕の中から抜け出すと、自身を抱き寄せた女の肩をそっと押した。

 見事な早業だった。エラーは一瞬でベッドに押し倒されてしまったのである。


「え、ちょっと……?」


 説明を求めるものの、彼女は返事をしない。ただ黙って、真直ぐとエラーを見下ろすだけだ。

 腰の上に股がり、背を少し反らせる。挑発的に揺らめく瞳に、エラーは翻弄される。その佇まいは猫のようであった。

 エラーはサタンの腰に触れて、彼女の瞳を射抜く。


「……乗り心地は?」

「悪くないわ」

「そう、部屋に戻るから下りてくれる?」


 サタンは意外そうな顔をしたまま、「邪魔したね」と言い残すエラーの背中を見送った。まさか帰ってしまうとは。彼女の表情はそう語っていた。どれだけ短くても、あと一時間はエラーはこの部屋に居ることになる、そう確信した直後だった。

 しかし、この際どいやり取りの最中、彼女は一つの確信を得た。


「女を抱いた事のない人間の手付きじゃないよね」


 腰に触れると同時に、エラーはサタンの服の中に、数本の指を差し込んでいた。無意識であろうその所作に、サタンは思わず吹き出しそうになってしまった。

 どれだけ自分勝手なを、一体何度繰り返せば、あれほど自然に女の肌に触れられるのだろうか。いまだに残る冷たい指の感触は、甘く彼女を蹂躙してすぐに消えた。




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