ACT.18

 その日、ストーブの修理業者が、刑務官の監視の元で作業をしていた。ドライバーやペンチ等、看守が囚人達に触らせたくないもののオンパレードである工具箱は、特に厳重に警戒されている。

 カチャカチャと、金属同士が触れる音や、パチンと何かを付け外しする音。ストーブを動かす音、最後に聞こえたのは点火の動作確認後の、作業員のよしという声。

 自室に篭って、女は作業風景を思い浮かべながら、じっと耳を傾けた。午前中に作業員が来るというのは、事前に通達されており、その間は談話室の立ち入りを禁じられていたのだ。たまたま刑務作業が無かった女は、暇をつぶす為に、扉の近くに座って、修理を耳のみで見物することにしたのである。

 人の気配が遠ざかっても尚、女が自室のドアの前から離れる事は無かった。業者の会話によると、試運転の為にストーブはつけておくらしい。部屋からその恩恵を受けられるかどうかを、確認しようとしたのだ。しかし、室内で最も談話室に近い地べたに座り続けても、暖かさを感じることはなかった。



 B-4区画、”伍”と書かれた部屋は、いつまで経っても殺風景だった。ずっと空き部屋だったので、これまでの事を思えば当然だが、少し前にやっと住人が決まったのである。だと言うのに、この部屋は生活感の無い、無機質な印象を維持し続けていた。

 ”伍”の居住者はというと、午前中から膝を抱えて地べたに座っている。

 修理業者の作業を聞いた後、そのまま昼寝をしてしまっていた。少し前に起きると、今度は自室の床を撫でていた。無骨で冷たいそれの上を、指の腹で感触を確かめるように、何度も往復させる。そして時折、天を仰ぎ、口元だけで笑った。


「ふふ……あははは……」


 ラッキーはサタンとエラーに聞かされた、ある事を思い出していた。それが愉快で仕方なかったのだ。

 刑務所という場所にはつくづく驚かされる。何事も無く遂げられると思っていた事が頓挫し、気付いた頃には取り返しのつかない事態になっているのだ。ラッキーはとびきりのショーを特等席で見ているような気持ちであった。


——クレから薬物反応が出たみたい


 なるほどなぁ等と呟いては、床の上に手のひらを滑らせる。そう来たか等とぼやいては笑う。その不気味な動きは、まるで薬物中毒者のようであった。

 彼女はこの区画の人間関係が崩壊すればいいと考えていた。恨みなどない。ただ、自分が動きやすくなる、その為だった。喧嘩して雰囲気が悪くなり、二人に注意が反れるのであれば。その程度の軽い気持ちで、彼女はエドにクレの秘密を教えたのである。

 いつも通りにエドがクレの触れられたくない過去をほじくり返して、”喧嘩するほど仲がいい”だなんて、口が裂けても言えなくなる程に憎み合って欲しかったのである。


 しかし事態はラッキーの思うようにはいかなかった。目の保養として重宝しそうだったクレは医務室に行ったまま面会謝絶、かと思えばエドまでいなくなり、一週間足らずで区画からは一気に二名の囚人が居なくなった。

 二人に何か特別な動きがない以上、この区画の人間はそれなりに警戒されるだろう。つまり、期待していたことと全く真逆の現象が起こっているのだ。


「やー、もーね。ホント下手打った」


 喧嘩に発展するとなると、十中八九クレの端正な顔は腫れ上がることになる。そういった意味では、ラッキーの心は少しだけ痛んだ。

 しかし「あれだけの美人ならそれすらも画になるはず」と思い直し、行動に出たのである。だというのに、このままではまるっきり大損である。


「ってもねぇ……ま、籠っててもしょうがないか」


 立ち上がってドアを開けると、談話スペースにはエラーとサタンが居た。自室から出てきた自分をじっと見つめる様子に、ラッキーはすぐに察した。”居た”のではなく、自分を”待っていた”のだと。

 しかし彼女は慌てたりしない。二人の顔を見ると意外そうな表情を作って、空いたスペースに当然のように腰掛けた。


「二人とも揃ってるなら呼んでよ〜」

「二人じゃ揃ってるって言わないからね」

「あっ……ごめん」


 ラッキーはすぐにエラーが苛立っていることを察した。理由はいまの小さな失言か、もしくはそれ以前に何かあったか。その前から何かに憤っているような空気はあったが、確証はない。

 午前中に復旧したばかりの暖房器具についても触れてみたが、二人の反応は薄かった。これからの季節必需品になるというのに、である。ラッキーはまだファントムの冬を知らないが、ここ最近の冷え込み方は尋常ではない。数ヶ月以内に、これまで経験した最低気温を軽々と更新するのは目に見えている。真冬のことを想像するだけで身震いする程だった。

 いよいよおかしいと確信したラッキーは、悟られないようにエラーの顔色を窺おうとしたが、すぐに見透かされてしまった。察しのいい女だと舌を巻く。そしてすかさず、作戦を変更した。こそこそと嗅ぎ回るのではなく、正面切って切り出すことにしたのだ。


「……何?」

「なんか機嫌悪くない? どうしたの?」


 おそらく、エラーは自分の知らない何かを知っている。そして隣で静かにこちらを見つめるサタンも同様だろう、ラッキーはそう考えていた。


「ラッキーには関係ないから。心配しないでね」

「えっ、でも」

「ううん。いいですよ。ね、エラー」


 意外や意外。突然サタンは口を開いた。そして怖がらなくても大丈夫、と言って、年上である筈のラッキーの頭を撫でた。

 同性に触れられた経験は数え切れない程あるが、年下に頭を撫でられたのは初めてかもしれない。ラッキーは豆鉄砲を食らったような顔をしてサタンを見た。


「入所早々、ごめんね」

「いやぁ、それはいいけどー……」

「私、部屋戻るから」

「それじゃ、私も」


 エラーは”壱”と書かれた扉の前に立つと、振り返ってラッキーにおやすみ、と声をかける。サタンはエラーの後に続き、ラッキーは目を丸くした。


「あぁ、二人って、そういう……?」


 ならば蚊帳の外に感じたあの空気も分からないでもない。これ以上追い縋っても無意味だと判断したラッキーは、敗北宣言の代わりに「今度は私も混ぜてよ」と、二人の背中に投げかけた。

「考えとくよ」という、エラーの気のない返事に、ラッキーは吹き出しながら自室に戻る。ベッドに身を投げて談話スペースでの出来事を振り返った。


 二人は明らかに自分を待っていた。にも関わらず、二、三会話を交わすとすぐに自室に戻った。ラッキーは再び笑みを浮かべ、ドアを閉めた途端、声を上げた。


「あはは! ウケる〜……! 私のこと疑ってんだぁ……」


 わざわざ待っていたのは、自分の態度に何か変化がないかを確認する為。ラッキーはそのようにあたりをつける。事実、その読みは当たっていた。


 自身が周囲にどのような扱いを受けているか、彼女は心得ているつもりであった。

 期待の超大型新人。誰にも知られていない罪状で、ある種の特別待遇を受ける得体の知れない女。周囲から見た自分を、そのように分析していたのだ。

 それを裏付けるように、他の区画の囚人とはまともに交流した事がないにも関わらず、噂は留まるところを知らない。持ち合わせた容姿も手伝い、どこへ行っても注目の的であった。そのくせ、新入りいびりを生き甲斐とする意地の悪い者ですら、迂闊に手を出そうとしない。ラッキーは見世物扱いされていると思っていた。


 そんな中、B-4区画の四人は分け隔てなく接してくれた、とラッキーは感じていた。が、有事の際はやはりこうして疑われてしまうのである。

 人間関係の儚さと、ファントムが持つ不穏な空気に彼女は痺れた。しかし、これしきのことで参るラッキーではない。むしろ、向けられた敵意に言い知れぬ快感すら覚えていたのである。


「まぁ、そりゃ疑うよね」


 ベッドにダイブし、豪快に足を投げ出す。右腕を淵からだらしなくぶら下げ、左手で顔を覆う。手のひらで光を遮って、その中で開眼する。自らの手は愚か、肌であることすら確認出来ない程、黒く塗り潰された視界の中で、彼女は確かに何かを見つめていた。


「だって私が悪いんだし」


 彼女はしばらくくつくつと笑い続けた。簡単に踊らされるあの凸凹コンビや、残されたあのペアを馬鹿にしている訳ではない。ただ愉快なのである。

 あまり人間に関心を抱かない自分を、これ程までに楽しませてくれるあの四人が愛しくて仕方ないとも言える。


「あーあ、こんなに楽しいところだなんて聞いてなかったなー」


 こんなんだったらもっと早く捕まるんだった。ラッキーはそう言って、また小さく笑った。しかし、まもなく到来する冬を思い出し、すぐに「いや、時期が悪かったかな」と考えを改めた。

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