ACT.15

 ”ソートーヤバいらしい”とラッキーが噂されて、かれこれ二週間が経過しようとしている。彼女は自身が噂になっているという事実を、いまいち受け入れきれないまま過ごしていた。


「エラーちゃんってなんでここにいるの?」

「冤罪」

「へぇあ!?」


 刑務作業の合間、刑務官の目を盗んでラッキーはエラーに話しかけた。そして予期せぬ返答に大声を上げ、周囲の囚人全員の咎める様な視線をほしいままにしたのである。

 棟のボスともなればさぞかし箔のついた何かをやらかしたのであろう、と踏んでいたラッキーにとって、冤罪というのは最も予想外な返答だったのだ。

 ラッキーは彼女から、底知れぬ何かを感じ取っていた。誤解を恐れない言い方をすれば、聞くだけで人を震え上がらせる何かを成し遂げたと言われても、何ら不思議ではないオーラを持ち合わせていたのである。


「ラッキーは?」

「え?」

「何人殺したらここに直で入れるの?」


 面白い言い回しだ、ラッキーはそう感じながら口元を綻ばせた。質問の通り、もし自分が殺人を犯していて、その人数を訊けるなら儲け物だし、違ったとしてもリアクション次第では、何をやらかしたのか探る要素には成り得る。

 自分について一切語る気はなかった彼女は、軽い口調ではぐらかした。


「さぁー? 何人死んだんだろーね」


 エラーは思わず顔をあげ、ラッキーを見る。訳の分からない玩具の組み立てという、冗談のような刑務作業の傍ら、目が合うと彼女は笑った。向けられたのが男性であったなら、ほぼ確実に逆上せあがってしまうような顔で、彼女は笑ったのである。

 今のやりとりでエラーが一つだけ確信できたことがある。ラッキーは意図して、犯した罪を隠している。人に尋ねておいて、自分は告げる気が無いらしい。

 その態度に、エラーは思わず息を吐き出して笑った。いい度胸してやがる、と思わざるを得なかったのである。

 傍から見れば、ラッキーの笑顔に釣られて笑ったように見受けられるかもしれない。しかし、両者の笑みにはそれぞれ全く別の意味があるのだ。


 そして、二人にはここで暮らす上で、自身で取り決めているルールがあり、奇しくもそれは一致していた。

 嘘を言わないこと。周囲が勝手に誤解したり、適当な噂については不問とする。ただ、自分の口から嘘は言わない、それだけである。

 行動理念とは往々にして、思想に基づくものである。この事から、同じ方角を向いている仲間として二人は手を取り合える存在になるのではないか、とも思えるかもしれないが、この場合は違った。

 何故嘘をつかないか、それは単純に、自分に自信があるからである。偽るべき事実など自分には存在せず、嘘を吐いた瞬間、これまでの自分を否定する事になってしまう、そう考えているのだ。

 つまり、彼女達の思想は、そのままぶつかり合う可能性を充分に孕んでいたのである。しかし、ラッキーが一方的にエラーを気に入っていた事が功を奏し、結果なんだかんだ上手くやっている。


「そういえば、クレちゃん元気かなぁ」

「……さぁね」


 エラーはあからさまに嫌な顔をして、また一つ部品を手に取った。パチンと小気味良い音を立て、プラスティックのプレートに歯車のような部品が嵌る。


「何か知ってるの?」

「さぁ?」


 エラーの舌打ちが作業場に響いた。


 三日前、朝の点呼になっても起きて来ないクレを、刑務官が叩き起こそうと部屋に押し入ったところ、彼女はベッドの隅で膝を抱えていた。

 首から肩にかけて、数えきれない程の引っ掻き傷が、彼女の白い肢体にグロテスクに浮かびあがっていた。誰かにやられたのか、そう思ったのも束の間。膝に置かれた手が血に塗れている事に気付き、居合わせた者は彼女は自傷したのだと瞬時に察した。


 クレはそのまま体調不良を申し出、医務室に運ばれてそれっきりだった。それは入所当初から彼女のことを知っているエラーですら聞いたことがないような、消え入りそうなか細い声であった。

 エラーとサタンは一度、顔を見に医務室のベッドまで足を運んだが、看護服を着た職員に、面会謝絶状態だと告げられてしまったのである。

 もし重大な病気であった場合、別の施設に送られる事も考え得る。しかし、クレは他人との接触を避けたまま、医務室のベッドに居座った。このことから推測できるのは、彼女の面会謝絶が心因性のものである、ということである。

 少なくともエラーはそう考えていた。そして、恐らくエドが何かしらの形で関与していることも分かっていた。クレが運ばれてから、エドの様子がおかしいのは、誰の目に見ても明らかであったのだ。

 ラッキーにちょっかいを出されても、サタンに小馬鹿にされても、エラーに喧嘩の仲裁という面倒事を押し付けられても、エドは文句の一つも口にしなかった。


「知ってるんでしょ」

「いや。何も聞かされてないよ」

「……そっか」


 何も聞かされていない。その言い方に少し引っかかるものがあったエラーであったが、これ以上の追求は無意味と判断した。

 刑務官の目を盗みながら会話を続ける程の価値があるとは思えなかったのである。


「失敗だったかもなぁ」

「何が?」

「ラッキーを区画に迎え入れたこと」

「え、普通に傷付くんだけど」


 ラッキーは悲しそうに呟き、縋るような視線をエラーに送る。しかし、返ってきたのはため息だけであった。


 作業終了まであと十分。空気がどことなく浮き足立つ時間帯だ。そんな作業場の空気に、喝を入れるように刑務官の声が響く。


「503番! 早く出て来い!」


 ラッキーは素知らぬ顔で作業を続けたが、エラーは顔を上げて声のした方へ向いた。そこはトイレだった。


「エラー? どうしたの?」

「ラッキー。エドの囚人番号知ってる?」

「さぁ……あっ、もしかして」

「そう」


 ラッキーはエラーの顔を盗み見る。明らかに訝しんでおり、それを隠すことすら意識されていない、そんな表情だった。

 トイレの様子を窺いながら、エラーは作業をこなす。器用なものだ、ラッキーは感心して彼女の手元を見つめた。こうして、残り少ない作業時間を消化した彼女達であったが、ついにエドがトイレから出てくることは無かった。


 ブザーの音が作業終了を知らせ、囚人達は続々と食堂へと誘導されていった。作業場を後にした二人は程なくして、廊下で別の作業に当たっていたサタンと合流する。

 事の経緯を話すと、サタンは神妙な面持ちで「そうですか……」と呟いた。そして一拍置いて、再度口を開く。


「実は、昨日も……休みの間ずっと吐いていたみたいで」

「昨日は別の区画に行ってたんじゃないの?」

「私もそう思ってたけど……エドは部屋に居たの。青い顔をしてフラフラになって出てきたところに鉢合わせちゃって」


 そこまで聞くと、エラーの目が据わった。「なんで黙ってたの?」と冷たくサタンを問いただすと、彼女は事も無げに「だって、クレと同じくらいの何かを抱えているかもしれないのに。そんな勝手な真似できないよ」と言ってのけた。

 エラーは、「言われてみればそうだね」と言い、それ以上言及しなかった。


 この三人の中で一人だけ、何があったのか見当がついている人間がいる。二人の会話を聞きながら静かに頷く女、ラッキーである。

 しかしエドまでダウンしているとは、これは彼女にとって予想外の出来事であった。事態は想像した以上に複雑で深刻なのかもしれない。そう考え、早くエドと接触したいと願っていた。

 エドはセノから、ラッキーの世話役を正式に言い渡されている。方法は考えるまでもなく、向こうから転がってくるのだ。ラッキーは逸る気持ちを押さえて、努めて冷静でいれば良いだけであった。


 その日、エドがB-4の面子と食事することは無かった。区画に戻ってきたエラーは、”弐”と書かれた扉を叩くと同時に開ける。先代の悪い癖が移ったようなノックであった。


「……んだよ」

「どうしたの」

「カンケーねーだろ」

「関係無いと主張したいなら、目をつけられそうな振る舞いはやめてくれる?」

「……せぇ………」

「え?」

「……うるせぇっつってんだよ! 出てけ!」


 逆上したエドは起き上がって棚の上にあるものを、腕で薙ぎ払う。ただ事ではない様子に、引いたのはエラーの方であった。


「……とりあえず、忠告はしたから。それじゃ」


 早々にエドの部屋から退散すると、近くのテーブルに座っていたサタンとラッキーが、心配そうにエラーを見つめた。


「……よくわからない。ただ、あれはエドお得意の、逆ギレだろうね」

「お得意? そんなことが得意なの?」

「そう。あいつ絶対謝らないから。しかも追いつめられてる分、たちが悪い」


 どこか納得したような相づちを打ち、ラッキーは腕を組んだ。自分がエドにした話を、二人にも打ち明けようか、考えあぐんでいたのだ。


 そして迷った結果、今日のところは様子を見る事にした。今後もだんまりを貫くならば、エラーにバレる可能性も想定しなければならない、と思考を巡らせる。

 ラッキーは腕っぷしには自信がない上に、打たれて喜ぶような趣味もない。できれば厳重な口頭注意くらいの処罰で済ませたい、などと考えていたのだ。

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