ACT.14

 エドはあることを心に決めていた。ゴクイには既に、”金は要らない”と伝えてある。つまりそれは、担保として預かった薬物を、代金として受け取ることを意味する。

 女を買う趣味のある受刑者の間で、ヤクでは買えないと有名なエドの発言とは思えず、ゴクイは思わず聞き返した。しかし、彼女の返答は変わらなかったのである。


 いずれにせよ、エドはブツを長期間所持するリスクについては理解していた。想定される危機はエラーだけではない。一番の脅威はガサ入れと呼ばれる、職員による一斉捜査だろう。

 薬物の所持が発覚すれば、刑期が伸びたり仮釈放が延期されたりと、とにかく良くないことが起こる。もっとも、ここファントムに限っては、仮釈放される囚人は年間を通しても片手で数える程しかいないが。

 当然、それだけでは終わらない。ガサで薬物所持が発覚すれば、十中八九ボスであるエラーの耳にも入り、制裁を加えられる事になる。刑期に傷が付かない分、直でエラーに発覚する方がまだマシだと言えよう。


 腕っぷしの強さなら負ける気はしない。しかし、エドは時折見せるエラーの冷たさに、言い知れぬ恐怖を感じていた。喧嘩で勝てたとしても、必ず別の方法で痛みを齎される事になる。そう断言できる程に、彼女は過去のルール違反者に対して無慈悲だったのだ。


 だと言うのに。そこまで分かっていながら、愚かな衝動がエドを突き動かしてしまったのである。

 いまならまだ戻れる。そんなことは誰に言われるでもなく、彼女自身で理解していた。ただ、その選択肢を選ぶ事は、今すぐにここで手首を切って自害を図るほどに有り得ない行為であるだけだ。


 エドはゴクイを呼び止めた。


「使い方教えろ」

「お? やんのか?」

「別になんだっていいだろ」


 忌々しげに、ゴクイの下品な笑みを一蹴する。ただでさえ、支払いに難のある客で、今回は代理通貨となるクスリをそのまま納めてやると言っているのだ。エドからすれば、馴れ馴れしく接せられる覚えはない。


「教えてやるから、今度それで……な?」

「はあ……キメセクしてぇなら他当たれ。あばよ」

「待てよ、冗談だっての。えーとな」


——冗談? それこそ冗談キツいぜ。


 エドは内心でそんな風に毒吐いた。そして、使い方と適量の指導を受け、頭に叩き込んだのである。




 これらは現在から二日前の話である。エドは遠い昔のことのように、その出来事を回想すると、自らの愚かしさに改めて自嘲した。


「マジでバカだよ。あたしも。でもバカを怒らせる奴ってのは、もっとバカなんだよな」


 夜の点呼が終わり、皆が寝静まった後、エドは堂々と”参”と書かれた部屋に忍び込んだ。そこはクレの部屋だ。

 細心の注意を払って扉を閉じていく。戸枠にドアがそっと触れるのを確認すると、エドはついに笑いを堪え切れなくなり、声を噛み殺して口角を上げた。この空間には二人の、愚かな女が存在するだけなのである。

 それを自覚すると、エドは思った。ざまぁみやがれと。


 そうして、クレの手首を掴んで、注射器の先端を静脈に宛てがう。粉末は部屋を出る直前に、ゴクイから習った方法で液体にして中にセットしてあった。

 知人がヤク中だったパターンはあるが、エドは寝ている人間が薬物を摂取する場面を初めて目撃することになる。迷惑極まり無い知的好奇心を胸に、注射器の中身を空にすると、エドはクレを覗き込んだ。

 クレの体に異変は無い。いや、あるのかもしれないが、傍目からは気付きにくく、エドは些かつまらなさそうな表情を作った。


 どのような感じがするのだろうか。寝ていてもふわふわしたり、気持ち良くなれたりするのだろうか。

 エドはクレの体を巡る薬物に思いを馳せながら、適当な布で手足を縛り上げる。効いていないように見えるのであれば、対策は打っておくべきであろう。こう見えて、彼女は慎重なのだ。

 この薬物は体が痺れ、笑気ガスと似たような浮遊感を味わえる代物だという。薬には手を出したことのないエドだったが、笑気ガスならば経験があった。

 必要は特段感じなかったが、大声を出されると面倒なので、口にも布を噛ませておくことにした。


 エドはクレとのあの喧嘩の後、タイミングを見計らっていた。条件は刑務作業があり、さらに入浴日であること。その条件が重なり、彼女の凶行は本日決行される事となったのだ。

 クレは作業で疲れている。さらに、風呂に入った日は入眠までの時間が、比較的短くなる傾向にある。エドは長い付き合いからそのことを知っていた。


 エドがクレにしようとしている事は、ただの度を超えたイタズラ、いじめである。いや、少々大袈裟に言えば、殺人未遂と言い換えても差し支えないだろう。強制的に薬物を摂取させた時点で、既に冗談では済まされないのだ。


 しかし、エドの”イタズラ”の本番はこれからであった。


 元の貞操観念の低さも手伝ってか、エドはこれからしようとしてることを「ちょっとキツくお灸を据える」程度にしか考えていない。

 エドはじっとクレを見下ろしていた。そして暫くして、彼女の異変に気付いた。体を小刻みに震わせながら、芋虫の様にゆっくりと動き出したのである。


「あ……?」

「おい、あたしだ、分かるか?」


 明らかに目の焦点が合っていない様子であったが、暗がりだった為、エドは確証を得る事が出来なかった。

 頬を軽く叩いてみたりしたものの、反応はほとんど無い。最終確認の為、エドはクレの口を塞いでいた布を取り去り、彼女の口内に指を入れた。

 犬歯を親指の腹で押すように置き、そのままクレの顎を掴んで、強引に自分へと向かせる。


「おい、聞いてるか? これからてめぇをレイプするつもりだから」


 ここまではっきりと言われても、クレはぼんやりした表情でふわふわと視線を動かしていた。エドは決して、性欲の為にクレを汚すのではない。というかこんな事をしても彼女のそれは満たされない。

 彼女はただ、自分のように体を売って日銭を稼いでいる人間を見下す、その態度が気に入らなかったのだ。ここに居る時点で所詮は同じ穴の貉、それがエドの考えだ。

 ”自分はお前等とは違う”という、言い逃れにも似た自尊心を振り回すクレに、ただ思い知らせたくてたまらなくなった。自分の方が優位である、と。お前の弱点を知っているぞ、と。

 そして、自分に怯え倒して生活を送るクレが見れれば、彼女はそれで満足なのだ。


 エドが手に入れたドラッグは囚人用に改良されたものである。呼吸器の働きが弱まり、筋肉が弛緩する。意識だけが覚醒し、静かにトべる代物なのだ。効果が切れるまで、動けず物も言えなくなるが、五感が研ぎ澄まされ、普段の何倍にもなる。

 気分が高揚しがちなアッパー系のドラッグは、このファントムと呼ばれる施設とは相性が悪かった。

 薬物中毒者が騒ぎ立ててしまえば、職員は動かざるを得ない。それに比べ、比較的面倒を起こしにくいダウナー系のドラッグが、所内のジャンキー達からは好まれたのである。


 クレは現在、体を自由に動かせず、声も発せない状態である。エドがクレを拘束したのは、薬が効き始めるまでの時間が分からなかった故の対策だったが、こうなればもう必要無いだろう。

 十分に薬が回ったことを半ば確信したエドは、最終確認として用意していた手段を取った。


「ヤられたくなかったら、このままあたしの指、噛み千切ってみろよ」


 エドは、耄碌した状態のクレに、最後にして最大の逃げ道を与えた。もちろん、抵抗できないと踏んでの発言である。エドの思惑通り、クレの口が閉じられる事はなく、たまにうわ言のようにか細く声を発するのみである。

 しかし言葉だけは届いたらしく、クレはエドをぼんやりと見つめながら涙を流した。しかし、エドは懇願する相手への加減など知らない女だった。その涙を見て、優越感すら覚えていたのである。


「汚ぇ女だっけ? 上等じゃん、てめぇも汚れようぜ」


 クレに噛ませた指はそのままに、改めて彼女の顔を自分へと向けた。下げきっていた頭を突然動かされたせいか、クレの視界は激しく揺れる。目の焦点を合わせた先には、馬鹿にしたような笑みを浮かべるエドの顔があった。

 観念したクレは朦朧としながら、痺れてほとんど感覚の無い舌を必死に動かし、エドの指をちろちろと舐めた。これは彼女の防衛本能であった。下手に抵抗するよりも、相手を満足させて早々に終わらせる方を取ったのである。もっとも、クレの舌が這うのはではなく、指なのだが。

 そしてエドはこの瞬間、大まかな事情を察した。これから自分をレイプしようという人間の指を舐めるなんて、半端じゃできない。過去に何度も暴行された経験がある人間だけが即座に導き出せる、悲しい選択肢である。


 そこで漸く、エドは自分のしようとしてることの異常性に気付く。確かにクレはエドの生き方や選択を、全否定するような言動を繰り返し、それが正しいと信じて疑わないいけ好かなさを持っていた。だけど、ここまでしていいのか。

 怯えて生活すればいいと思っていたが、計画を最後までやり遂げてしまったら、彼女は生きる事そのものを止めてしまうのではないか。

 その発想に、やっと至ったのである。


 だというのに、エドはクレの体を這う手を、どうしても止める事が出来なかった。感触を確かめるように弄り続ける左手は、クレの肌を撫でたり、掴んだり、好き勝手に動き回っている。

 時折、自身の指の動きに反応して跳ねる体に、泉のように湧き出る好奇心が押さえられない。まるで別の意思を持った生き物のように、本能のまま動くそれを止めようにも、思考にもやのようなものが掛かって上手くいかなかった。


「んだよ、これ……」


 元々同性愛の気は無いエドであったが、ここに入所する前も、仕事で女と寝る事は稀にあった。女二人に買われて三人で夜を明かしたこともある。しかし、そんな経験をしても尚、エドの体は直接的な刺激以外で同性に反応する事は無かった。

 世間的に見たら男女問わず寝るバイの商売女だろうが、彼女は自らを異性愛者であると明確に認識していたのだ。


 だというのに、クレの持つ何かが、エドの本能の扉をしつこく叩き続けていた。要因はうんざりするほど存在している。

 許しを乞うように潤んだ瞳、懸命に指に纏わりつく舌、もしかするとたまに漏れ聞こえる甘い吐息の仕業かもしれない。結局のところ、何がエドにそう思わせたのかは、突き止めようがない、本人だって分かっていないのだから。

 しかし、ただ一つ言えることがある。クレを辱める行為の最中、エドは生まれて初めて、同性に欲情していた。


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