ACT.13
回るしか脳のないドアノブがガチャガチャと音を立てる。ノックだけでは飽き足らず、ラッキーはエドの部屋のドアから、出せる限りの騒音を出して気を引こうとしていた。
「ねー! エドちゃーん、遊ぼーよー」
「オナニーでもしとけ!」
耐えかねたエドは遂に部屋から顔を出し、ラッキーを怒鳴りつける。そして、ラッキーの反応を待つ事なく、またすぐに扉を閉めてしまった。
囚人自身で施錠できる機構は付いていないので、そのドアは開けようと思えば開けられてしまうのだが、さすがのラッキーも空気を読んだのか、それ以降ちょっかいを出すことはなくなった。
エドはドアの小窓から周囲を見渡し、誰かが覗いていないことを確認する。クリアと判断すると、自室をこそこそと移動し、ベッドに腰掛ける。そして、おもむろにその柱のキャップを取り外した。
見つかるとマズいものは、とりあえずここに隠そう、と予てより決めていたポイントである。
ちなみに、ここの囚人の間では比較的ポピュラーな隠し場所で、当然看守にもバレているので、あまり賢い隠し場所とは言えない。しかし、こう見えてエドは、隠さなければいけないような物を所持しないようにしているのである。つまり、その点において不慣れであった。隠し物に最適な場所。それを誰かに訊ねれば、そのまま弱味になる。他者に隠したい物を所持していると漏らすことを避けた彼女の判断は、意外にも賢明なものである。
では何故、彼女がそんな作業をする羽目になっているのかというと、それは先日の仕事が関係していた。
ゴクイに追加料金を請求したところ、納得して払う意思は見せたものの、どうしても手持ちが無いということで、初めて薬物を預かったのだ。
そう、空洞になっている柱の中には、注射器と白い粉末が入っていた。エドはそれを目視するとほっと一息つく。
本来であれば、人目に晒すべきではないそれを、わざわざ目視する必要など無い。彼女は理解している。エラーに知られれば非常に厄介な事になる、ということを。物の例えではなく、本気で死ぬかもしれない。その認識は十分にあった。
むしろ、だからこそ、定期的に目視をして異常がない事を確かめないと、気が休まらなかったのである。
受け取らなければ良かった。エドは心の何処かでそんな風にも考えていた。しかし、彼女の心の大部分が、見せ物のようなプレイをさせられた挙げ句、支払われるかも分からない金を待つ気にはなれなかったのである。
何かしらの報酬を受け取らなければ。彼女は自身のその囁きに賛同し、手のひらに収まるそれらを受け取ったのだ。
金が出来たら交換する、つまり担保として一時的に預かることになっていた。一応催促はかけているが、口約束で簡単に支払われる訳がないと、エドは穏便に終わらせることを半ば諦めていた。
何とか回収する算段をつけなければいけない。一度でも不払いがあれば、評判に傷が付く恐れがある。つまり、彼女は決して得意ではない頭脳労働を強いられていたのである。
そして、喉の乾きを覚え、半ば無意識のまま自室から出ていた。エドが出てくるのを待っていたのか、談話スペースに座っていたラッキーは嬉しそうに手を振る。
しかし、エドはそんなラッキーを完全に無視した。コップを手に取り、彼女の向かいに座る。なんとなしに肘をついて、考えている風なポーズを取ってみる。
「なにする?」
「何もしねぇ、黙っとけ」
「えー?」
一週間ほど世話役を務めたエドであるが、彼女はラッキーを大型犬のように感じ始めていた。どうやら超大型新人にとってここは退屈らしく、ことあるごとに遊べと喚いては、エドに纏わり付いていたのだ。
こう見えて動物は嫌いではないエドであるが、対象が人となると話は別だ。鬱陶しいことこの上ない。エドは上手いあしらい方を模索中であった。
そして今朝、ラッキーは遂に、背後から抱きついてエドの頭の上に顎を乗せるという、身長差が成せる離れ技をやってのけた。もちろん、髪を引っ張られた上に、こっ酷く叱られ、もう二度としないことを約束させられるに至った訳だが。
エドがラッキーのそういった行動を見て、”如何にも理性の利かないアホ犬って感じ”と評するのも無理はないだろう。
エドは自分に飛びつこうとしているゴールデンレトリバーを牽制しながら、集金の手段を考える。
このような場合、最も効果的なのは、支払いがあるまで一切の商売を止める事である。これはある一定数の客層を持つエドだからできる荒業でもある。
要するに、エドでしか付けられないオプションがあるので、その嗜好の客が彼女に集中するのだ。
後は黙っていれば、客が回収してきてくれる。このせいでゴトーとゴクイが揉めた事もあったが、エドは金さえ戻って来ればいいので、あまり細かくは覚えていない。なんか揉めてたけどとりあえず解決した、その程度の認識しかないのである。
ぼんやりとテーブルから離れられずにいると、自室から赤髪の長身の女がやってきた。エドは暇つぶしをするように、気安く話しかける。犬と話すよりかは、まだイケ好かない吊り目に絡んだ方がマシらしい。
しかし返事はない。外に出ようとしているようだが、彼女は一瞥もくれず、廊下に続く格子へと歩みを進めた。ムキになったエドは、駆け寄って彼女の手首を掴んだ。
「あ!? 無視かてめぇ!」
「っせぇな! 離せ!」
「もう、二人は意味なく会話しないでって言われてたじゃん?」
ラッキーは忠犬の如く、エラーに言いつけを守ろうとした。言いつけとは即ち、この二人の接触を避けることである。といっても、「面倒なことになるから、できるだけ遠ざけて」と言われているだけだが。
エラーの顔を立てるつもりだったのか、ラッキーは新入りらしく、彼女の指示通り仕事をこなそうと尽くしたのだ。
「おーおー、機嫌悪ぃのか? ごめんな、悠ちゃん」
「その名前で呼ぶんじゃねえ!」
しかし、相手は”ファントム女子棟始まって以来の喧嘩コンビ”と呼ばれるこの二人である。
エドがクレの手首を掴む前に止めなければいけない、できることなら話し掛ける前に食い止めなければいけなかった。二人の扱いに慣れているサタンとエラーであればそう言っただろう。
「はいはいストップね、二人ってそんな仲悪いの?」
「元はと言えば、てめぇがオレの本名バラすからだろ!」
「うーん……なんか、マズいことしちゃったんだなぁってことは分かったよ」
ごめんねーと、羽根のように軽い謝罪を口にして、ラッキーはその場を収めようとした。
本名を知られることを嫌う人間がいる事を、新入りのラッキーが知らなかったのは無理もない。あまり責めようとしなかったクレであったが、この態度には流石に神経を逆撫でされたようである。
「おいコラ、反省してねぇだろ」
「うーん、微妙なとこかなぁ?」
「あぁ!?」
「タブーを犯した事については悪いと思ってるけど、一般人より地名度の高い人で知れたのは不幸中の幸いだったなーって思ってるよ。ほら、私がバラさなくても他にも気付く人出てきそうだし」
「んな……!」
クレは何かを言おうとしていたが、エドが一足早くラッキーの肩を掴んで言った。
「おいおい、悠ちゃんったら新入りいびりすんなよ〜」
「てめぇは何が何でも死にてぇみてぇだな」
エドにラッキーを庇う気持ちなんて微塵もない。ただ、『悠ちゃん』と言いたかっただけだ。クレにもそれが手に取るように分かるからこそ、余計腹立たしいのである。
「なぁラッキー、エドの本名は知らねぇのかよ」
「知らないよ〜。私だってまさかここで悠ちゃ、クレちゃんに会えると思ってなかったしさ」
「そうだよなぁ、知らねぇよなぁ」
意味ありげにクレは笑う。不快そうにエドが睨み付け、一触即発の空気になる。
「あ? 何が言いてぇ。言っとくけど、別に羨ましくなんかねぇぞ」
「だろうな。お前がそれを認めたら最後だろ」
がしゃんという音がラッキーの耳を劈いた。スライド式の鉄格子をエドが蹴飛ばしたのだ。
華やかな世界に身を置いていた事を、あえて鼻にかけるような言い方をしたクレであるが、その心は全く真逆だった。夢を見てくだらない世界に飛び込み、そのまま飲み込まれた自分が、愚かしくて滑稽だ。彼女は本気でそう考えていた。
もし過去の自分に一つだけ助言を出来るなら、スカウトを受けたあの日の夜に戻り、絶対に止めておけと伝えるであろう。
しかし、お前の代わりはいくらでもいる、と言われながら生きてきたエドに、クレの強がりは深く刺さった。
エドの動揺を察知したクレは畳み掛けるように続けた。頭に血が登っているクレに、音による恫喝は全く意味を成さなかったのだ。
「お前、また風呂場で客取ってたんだってな」
「だったらなんだよ! てめぇも客取るか!? あ!? 客寄せに使えそうだから、雑誌の切り抜きとか持ってこいよ!」
言い終わる前に、クレの右拳がエドの頬を打ち抜いた。それはあまりにも見事な一発で、エドは自立する事すらままならず、壁に凭れて辛うじて立っていた。
「汚ぇ女」
そう吐き捨てて、クレは格子を潜り、廊下へと歩き去った。
ラッキーはエドを椅子に座らせ、自身もその隣に腰掛ける。いつもの軽口は鳴りを潜め、ただ隣に居続けた。そして何かを企むように人知れず微笑んだ後、エドの背中を優しく撫でた。
「っ触んな」
「血出てるよ」
「口ン中で出血してんのに、気付いてなかったらあたしヤベェだろ」
「うん。そうなのかもって思って教えてあげた」
エドは添えられた手を払い除けると、収まらない苛立ちをラッキーにぶつけた。まともな神経をしていれば、ここまで激昂している生き物には近付かないだろう。いや、近付けないという方が正しいか。その点、ラッキーは些かまともではないと言える。
舌打ちが談話スペースに響く。飄々として掴み所のない人間は、エドの苦手とするところだ。この女とうちのボスはどこか似ている、観念するようにそう認めて、彼女は座ったまま天を仰ぐように上を向いた。
喉の奥へと重力のままに血液が下りてきて、彼女はそれを面倒くさそうに飲み込む。舌で切った場所を探り当てると、左頬の裏側辺りで痛みが走った。
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