ACT.12

 その女はクリーニングの刑務作業を終え、B-4区画へと戻るところだった。例の新入りが来ると聞かされていた彼女の足取りは、軽いとは言えない。どんな人間なのか、気にならないと言えば嘘になる。しかし、積極的に関わりたい訳でもない。

 考え事をしながら廊下をふらふらと歩いていると、B-4まであと数十メートルのところで突然呼び止められ、身体検査を言い渡されたのだ。

 あまり嫌がると怪しまれてしまうと、彼女は過去の経験から身を以て学んでいたので、心中で舌打ちをしつつも、口では大人しく従うしかなかったのである。


「異常なし。次」

「うぃす……」


 身体検査はいつまでも慣れなかった。服を脱がされる。ポケット等に何も入っていないことを確認される。もし何かが出てきた場合は激しく詰問される。最後に機械を当てられ、口内をチェックされ、それが終わると最後には肛門と膣のチェック。

 これは奇しくも、彼女が長年受けていた強盗団の身体検査と同じ手順であった。機械を当てる工程は無かったが、その代わりにチェックと称して全身を撫で回された。その後、さらにチェックと称してはいずれかのを、居合わせた構成員によって汚されたのである。

 彼女には悪事を働く才能が無かった為、強盗団に入ってすぐに御用となってしまったが、そうでなければ文字通り肉便器として使い古される未来しか待っていなかったので、捕まってしまったことが不幸中の幸いであった、と言えなくもない。


「ぉぇ……」


 水洗トイレが勢い良く流れる音が室内に響く。身体検査のあと、どのように戻ってきたのかも分からないような有様で、気が付いたらトイレを覗き込んでいた。

 検査の度に、蹂躙された過去を思い出し、クレは人目につかないように嘔吐した。この施設は独居房なので、随分とやりやすくなった方だ。脱走を試みた最初の女性刑務所は雑居房だったので、トイレも共用であった。

 人は常に成長し続ける生き物だ、と主張する人間もいるが、彼女がムショ生活を送るようになって成長したのは、音を立てずに胃液を吐き出す技術だけだ。少なくとも、本人はそのように認識している。


 波が落ち着いたと安心した矢先に、当時の体験がフラッシュバックして、便器から顔を上げる事ができなくなる。飽きる程に繰り返したサイクルを、彼女は未だに重ねている。

 荒い息づかい、意思に反して強引に引き寄せられる腰、腹の中を直接叩きつけられるような鈍い衝撃、それに伴って押し出されるように勝手に自分の口からもれる情けない声、不躾に体を這い回る手、幾度となく飲み下すよう命令された体液の味と臭い、それを見世物にして笑う見知らぬ女達の声。

 感覚全てを支配するように突如舞い戻るその記憶に、彼女はもう二年程苛まれていたのである。しかし、解放される兆しは見えない。

 彼女がムショ生活の中で成長させた部分がもう一つだけあった、それは音を立てずに泣くことだ。



 強盗団に入ったのは彼女の意思だった。モデルとして、とあるコンテストの新人賞を狙えるかもしれない。軌道に乗りかけた矢先に、父の会社が倒産した彼女は、一族の期待を一身に背負わされたのだ。

 重圧を背負いながら尽力したものの、知名度はなかなか伸びない。結局、賞も取り逃がしてしまい、空回りな日々を過ごしていた。


「こういう言い方はあまりしたくないんだけど、悠ちゃんのプロモーションにうちも結構かけててね。もうカツカツなのよ」


 そう言ってプロダクションから紹介された仕事に、断りきれずに首を縦に振ってしまったところで、彼女の人生は確定した。イメージビデオの撮影と称されて訪れたのは、暴力団の下位組織、とある強盗団のアジトだった。

 確かに撮影はされた。しかしそれはクレが思い描いていたような代物ではない、酷く性的なものだった。彼女が彼らに初めて汚された際の映像であり、彼らにはそれをいつでも流通させる事のできる伝手があった。結果、彼女は抵抗する事すら許されず、強盗団の玩具となったのである。

 悪趣味な彼らは、シモの世話以外の一切を期待していなかったクレに、あえて自分達の仕事をさせた。もちろん上手く行く筈がない。しかし、クレは体を弄ばれるよりもずっとマシだと、本気で彼らの駒となり尽くそうしたのである。

 そうして彼らは彼女の心まで弄び、しゃぶり尽くした。最終的には、貴重な日本人の代理出産の器として、その筋に売り飛ばされる予定であったが、クレが逮捕されてしまったことで完全に予定が狂ったのだった。


「……っ……ぅ……」


 彼女が強盗団に怯えているのはヘマをして捕まってしまい、それを咎められると思っているからではない。ラッキーにはそう説明したが、本音は違う。恐ろしくてまだ誰にも話していない事である。

 彼女は、わざと捕まったのだ。戻ればまたマワされる。冗談のような理由をつけて、一人二人と。終わったと思ったら、誰かがアジトに帰ってきて、振り出しに戻って。ゲーム機を貸し借りするように、自身の体を扱われる屈辱は、もうこりごりだった。


 深く考えていた訳ではなかった。ただ、彼女は何もしたくなく、さらに言えば何もされたくなかったのだ。

 神様なんていないのは知っている。何に縋ればいいのか、もしかすると死ぬまで解放されないのか。本当のところは分からない。

 ならば一度全てを捨て、考え得る限り、最も厳重なところへ逃げてみようと思い立った。


 そうして当時、一部の女性の間で名を博した読者モデル、五十嵐いがらしゆうは人知れず逮捕され、さらに刑期を伸ばす為に脱獄を図ったのである。


「はぁー……きっつ……」


 強盗団に入ってから、自分のことはオレと呼ぶように躾けられた。大した意味などない。変態趣味の構成員の趣味であった、それだけである。しかし、クレはそれに従った。どちらかと言うと、女っぽいよりも、男っぽい方が犯そうとする相手が萎える気がしたので、口調までわざと悪い方へ矯正した。

 ちなみにこれらの努力は全く無駄であることを、彼女はかなり遅れてから気が付くが、今さら戻せないという理由から、何となく放置されたままになっている。

 社会に戻るつもりなぞこれっぽっちも無いので、どうでも良かった。皆はここを地獄だと言うが、クレにとって殆ど女性しかいないこの環境は、天国のようだった。たまの身体検査は恐ろしいが、それだけだ。


「っつーかさっきから外がうるせぇ……」


 そうして、やっとの思いで平然を装いつつ部屋を出たところ、そこには自らがラッキーと名付けた女と思しき人物が居たのである。


 身体検査があった。それだけで彼女にとって、最高に最低な一日であり、それ以下は有り得ないと断言できた。はずだったのだが、初めて顔を突き合わせた女は、最底辺の下に、もう一つ最悪をねじ込んできたのだ。


「悠ちゃん!?」


 本名を呼ばれるなど、絶対に有り得ないことだった。そこそこ人気だったとは言え、クレが五十嵐悠だったと気付ける者は当時のファンの中でも、僅か一握りと言えるだろう。

 脱獄先の刑務所でその一人と出会う確率。はっきり言って天文学的な数字となる。そして居合わせたメンツがまた最悪であった。具体的に言うと、エドが居たことである。

 入ったばかりのラッキーにそこまで気遣えというのは無茶な話かもしれないが、こいつに知られることだけは避けたかった、というのがクレの率直な思いである。


 息の根が止まっても構わない。それくらいの気持ちで、クレは口の軽い女を殴りつけ、地べたに転がした。

 直後、なんとか落ち着いたと思っていた発作が再発し、胃液とも嗚咽とも分からない何かが胸の上までせり上がってくるのを感じる。彼女は襤褸が出る前に足早にその場を立ち去り、再び自室へと籠ったのである。


 そして、鉄格子付きの窓から漏れる陽の光が完全に落ちきった頃、彼女は漸く落ち着きを取り戻し、そのまま寝落ちた。

 途中でエドの怒鳴り声と、人体が激しく床に叩きつけられるような音が聞こえたが、きっと気のせいだろう。クレは面倒事から目を背けるように、己を誘う睡魔の手を取った。

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