ACT.11

 世話役に任命されて数時間後、エドは不機嫌そうにみそ汁を啜っていた。世話役の存在についてはよく知っている。ここでの世話役は、他の刑務所のそれと比べると楽なものであった。なんと言っても、新入りすら元囚人なのだ。基本的なルール等、教えるまでもない場合がほとんどである。

 しかし今回ばかりは事情が違った。エドが任された女は、一度も施設にも入ったことのない、まっさらな元一般人なのだ。ファントムに直接入所させられるような人間を一般人と称して良いのか甚だ疑問だが、それでも暗黙の了解というものを何も心得ていない事には違いない。


 食堂では、ラッキーの姿を見て話しかけてくる囚人は少なくなかったが、世話役の女よりもよっぽど社交性のある彼女は、危なげなく受け答えをしていた。

 サタンにした質問のようなタブーを踏み抜かないかと、エドも初めは耳を傾けていた。しかし、ラッキーが尋ねられる事といえば、名前と年齢、女はいけるか程度のものである。

 問題を起こせば、エラーに何をされるか分かったものではない。エドはただ、自分の身を守る為だけに、ラッキーの言動を観察していた。しかし、数名の囚人と談笑する様子を眺めていると、この女を世話する必要なんて無いのではないか、とさえ思えてくる。

 それでもいざという時の為に目を光らせていなければいけないのが世話役である。エドはそんな役割を押し付けられた事を、心の底から煩わしく感じ、腹いせをするようにラッキーの唐揚げをひょいと口に運んだ。


「え!? それ私のだよ!?」

「あ? てめぇがいつまでもくっちゃべってるからだろうが。シャリ上げされたくねぇならとっとと食え」

「わかったよ……」


 ラッキーの周囲にいた囚人達は、エドの不機嫌を察知すると、蜘蛛の子を散らすように居なくなる。それを合図に、彼女はやっと食事に集中した。



 そして夕食後、エドとラッキーは脱衣所に居た。刑務官が目を光らせる中、着衣を手早く脱いでカゴに入れる。途中、横から「落としたよ」と言って、エドに石けんを渡した囚人がいた。彼女は受け取ろうか逡巡する素振りを見せたが、結局それを受け取った。


「なんでよりによって今日なんだよ……いや、今日だからか」


 エドは苦虫を噛み潰したような表情をする。その意味がラッキーには理解できなかったが、謎は存外早く解けるのであった。


 ラッキーがまず驚いたのは、刑務官が居ないことである。風呂場にも監視があるというのは、いつか観たドラマからの知識であったが、理に適っているとも思っていた。

 犯罪者にプライバシーなど無くていい。まさか自身が犯罪者になると思っていなかった当時のラッキーは、そんなことすら考えていたのだ。そしてその考えは入所してからも変わらなかった。実を言うと、彼女は扉付きの個室が与えられていることにも驚いた。

 天井の角にはカメラが付いている。レンズの横で赤く点滅するランプは、監視している事実を知らしめる為に、存在を主張しているようにも見えた。


 そして彼女は察し始めていた。刑務所の実状はドラマとは違う部分もあるだろう。しかし、それだけではない、ということを。

 つまり、自分が送られた施設が、随分と杜撰に囚人を管理しているという事を、薄々勘付いてきたのである。「ここから出ようとしなければどうでもいい」。この施設のあらゆる設備やルールが、そう言っているような気がしてならないのだ。


 狭い洗い場で体や頭を洗おうと、ラッキーは一人悪戦苦闘していた。下手に動くと肘などをぶつけてしまう。他の女達は器用に体を綺麗にしていった。なんとかラッキーが頭を洗い終えたところで、エドが口を開く。


「ラッキー。体洗ったら風呂に入れ。一応三十分までってことになってるけど、最後になると面倒だ。てめぇは十五分で出ろ。いいな」

「エドちゃんは?」

「ほっとけ」


 そう言ってエドは石けんを床に落とした。鈍い音が大浴場に響いて、そこからはあっと言う間だった。ゆっくりと石けんを拾おうと屈んだエドの背後に、先程落としものを手渡した女が立っていた。

 エドの手が石けんに触れるか触れないか、前屈姿勢になったところで、彼女の背後の女は、目の前の尻を撫でたのだ。ラッキーは止めようとしたものの、声を発する直前、エドに言われた言葉を思い出していた。「ヤりたきゃ金払え」、確かに彼女はそう言ったのだ。

 そしてラッキーは、何かしらの取り決めがあるのだろうと推察し、深入りするのを止めたのである。すぐ隣でエドの体を這う手の気配を感じながら、可及的速やかに体を洗い、湯船へと向かった。


 なんとかそこまでは辿りついたが、湯船に浸かっていても見える位置で二人は行為に耽っていた。このまま壁に手を突き、声を押し殺す先輩のあられもない姿を見届けていいものか。

 考えあぐんで周囲を見渡すと、我関せずといった様子でいる者と、まじまじと見つめる者とで湯船は溢れかえっていた。

 興味が有るか無いかで言うなら、まぁ正直結構ある。ラッキーは浴槽の淵に肘をついて、一頻り行為を眺めた。じっくり見ておいて、出てきた感想が「金払ってまであんなところに指を突っ込みたがるなんて、物好きもいたもんだな」である。


 女が女を買うという行為が、ラッキーにはとんと理解できなかった。エドが抱く側ならまだ理解できただろう、端的に言うと自慰を手伝わせるようなものだと解釈できる。

 しかし、肉体的に何の快感もない筈の行為を、金を払ってまでしたがるとは。酔狂以外の言葉が思い浮かばないのである。そして彼女は近くにいた囚人に、適当に話しかけた。


「あれ。何が楽しいの?」

「見ない顔だね。新入りさん?」

「うん、ラッキーっていうらしいよ」

「そう。あれは……何をしてるんだろうね、いや、してることは分かるんだけど」

「君にも分からないんだ」

「うん。でも、ゴクイの気持ちもちょっと分かるかな」

「エドちゃんの後ろにいる人?」

「そそ。【591】でゴクイね」


 分からないのに分かるのか。言葉の意味を考えながら、ラッキーは神妙な面持ちで立ち上がった。すぐ近くで体内をこねくり回されて情けない声を上げている女に、早めに出ろと言いつけられていた為だ。

 彼女の意図は分からないが、ラッキーはその指示には賛成していた。訳の分からない液体で汚れた湯に浸かる趣味は無いのである。


 ラッキーは立ち上がり、二人に近付いた。といっても、用があるのはエドの隣に転がっている自分のシャンプー類である。行為の邪魔をしないように、そっとそれらを手に取り、ちらりとエドの顔を盗み見た。そしてあることを確認すると、満足げにその場を立ち去ったのである。



「……てめぇ、ヤってる最中覗いたろ」

「覗くなって言われてなかったし……駄目だった?」

「いいわけねーだろ」

「エドちゃんは外でもウリやってたんだ?」

「あぁ? ……そうだけど」


 衣類を身に着けB-4へと戻る道すがら、ラッキーは事もなげに、エドの娑婆での生活を言い当てた。あれだけでバレるのかよ、とんでもねーレズだな、とはエドの心の内である。


「なんか慣れた感じっていうの? 人を喜ばせる声の出し方してるなーって思っててさ。見たらすごい面倒くさそうな顔してるんだもん、笑いそうになっちゃった」

「てめぇが笑わないでくれて良かったよ、マジで」

「エドちゃんのシノギ? っていうヤツでしょ? 邪魔はしないよ」

「はっ、どーだか」


 エドは金銭でしか取引に応じない女だった。所内にエドのように体を売る女は少なくないが、大半の女はヤクでも買えた。むしろ、どこぞのイカレ女がボスになって以降、入手困難を極めるヤクは、金よりも喜ばれる代物であった。


「で、いくらで売ったの?」

「言わねぇ」

「なんで?」

「買われたくねぇ。まぁあたしが認めねぇけど」

「買わないよ。だってエドちゃん、思ったより商売女なんだもん」


 言葉の意味は分からないが、恐らく褒められてはいない。しかし貶されているとも言い難い気がする。いずれにせよ買う気はないというのは、エドにとって吉報であった。


「よくわかんねぇけど、商売女が嫌なのか」

「うーん、そういう訳じゃないんだけど……とにかく、買ったりしないからいくらだったのかだけ教えてよ。こういうとこの相場? 気になるなー」


 エドは少し迷ったような素振りを見せたが、裏拳をかますように右手を出し、人差し指と中指を立てた。それを見たラッキーは思わず声をあげる。


「二万!? 結構取るんだ……!?」

「ばぁーーーーか、ゼロが一個多いっての」

「え、二千円……? 安くない……?」

「ここムショだぞ? それに野郎相手より楽なのは事実だしな。まぁ今日のは追加料金取るけど」

「なんで?」

「普段は影になってるとこまで移動してヤんだよ。それでも声は聞こえるけど、シャワー台の壁に手ぇ突いてヤるよりよっぽどマシだ。石けんを落とすのは準備出来たから移動するぞって合図なのに。まさか落とした瞬間、襲われるとは思ってなかったぜ」


 ラッキーは妙に納得していた。やっぱりあれって別料金なんだ、と。自分だったら衆人環視であんなことをされるなんて嫌だ、絶対に耐えられない。彼女はそこまで考えると、少しだけエドが気の毒になった。


「途中で言ったら金取れねぇかんな。黙ってヤられてやったけど。さすがに終わったあとならアイツも文句言えねぇだろ」

「エドちゃんって結構強かだね」

「元々女相手なんてそんなモンだよ。妊娠のリスクもねーし。遊びみたいなモンだ。爪伸ばしたままヤろうとするヤツだけ死んじまえばいい、そんだけだ」


 これほど割り切った考え方をした女に、ラッキーはいまだかつて出会ったことが無かった。そしてエドのその言葉は、ラッキーに一人の女性を想起させたのである。


「エドちゃんみたいな子もいれば、クレちゃんみたいな子もいるんだねぇ」

「どういうこったよ」

「身体検査って、男の人にされることもあるの?」

「はぁ? さすがにねぇよ」

「だよねぇ……」


 ラッキーはエドに話した。おそらく、クレが身体検査の度に、部屋に閉じこもっている理由は、怒りではなく悲しみだということを。

 エドも最初は茶化して聞いていたが、思い当たる節があるのか、次第に真面目な顔つきになり、耳を傾け始めた。


「嘘だと思うなら、今度の身体検査の時、ドアに耳を当ててみなよ。エドちゃんの耳が良かったら、普段は聞けないクレちゃんの声が聞けるかもね」

「なるほどな。にしても、なんでそんなことあたしに教えるんだよ」

「なんでって……そういう話の流れじゃなかった……?」

「いや、不自然じゃなかったけど……普通言わなくないか?」

「どういうこと……?」


 エドはラッキーにも分かるように説明した。勝手に他人の秘密を喋っていいのか、と。しかも自分のような悪人に。一応、エドには自らを悪人と自称する程度の自覚はあるらしく、今の説明でラッキーが一番驚いたのは、そこであった。


「そんな小学生に聞かせるように言われなくても分かるよ」

「は?」

「分かりやすく言うと、クレちゃんがどうなろうと別にいいって感じかな!」

「うわ……」

「あ、私、クレちゃんのファンだったのも本当だし、今も美人だなと思ってるし、結構好きだから、そこは勘違いしないでね!?」


 嫌いだから嫌がらせしてるって言われた方がまだ理解できるぜ。

 口には出さずとも、内心そう思うエドであった。

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