ACT.10
談話スペースの椅子にぽつりと座り、ラッキーが笑いを噛み殺していると、そこへエラーとエドが舞い戻った。二人はラッキーがまだ知らぬ、上品な女性を従えている。
「まさか彼女がサタン?」
椅子から立ち上がり、名前とのギャップにくらくらしながら、彼女は尋ねた。
「はい。初めまして。ここではサタンと呼ばれています」
「えぇ……なんで君みたいな子が……」
「えぇと……」
本人が語り出さない限り、ここで罪状を訊くのは御法度である。皆、脱走する前の刑務所では罪状により周囲の扱いが変わったりと、いい思い出がない者が多いので、あえて触れられていないのが現状だ。
しかしラッキーにそんな暗黙のルールは通用しない。彼女はこの施設で最も、一般人に近い感覚の持ち主なのだ。
「ばーか! てめぇ何めんどくせーこと訊いてんだよ!」
「え、駄目なの?」
「そうだね。相手がサタンだったから良かったものの、気性の荒い奴に下手にそんなこと訊いてたら……殴られても文句言えないよ」
「そうなんだ……」
質問をするにしてもかなり神経を使う、ラッキーはそれを理解した。何が相手の逆鱗に触れるか分かったもんじゃない、面倒事を避けたいなら他人との交流自体、自重した方が良さそうだ、と。しかし、ここまで分かっていても、ラッキーという女はギリギリを攻めたがった。
「何はともあれ、よろしくね、サタンちゃん」
「ちゃん付けで呼ばれるのは初めてかも」
「で、サタンちゃんはタチ? ネコ?」
あまりに突拍子のない下世話な質問に、エラーとサタンは固まった。エドだけはラッキーの頭部に拳を振るう程度の反応を示す。後頭部を殴られたラッキーは短い悲鳴を上げて、患部を両手で押さえた。目にはうっすら涙が浮かんでいる。
「バカかてめぇは! ここの連中全員を勝手にレズだと思い込むなっつってんだろ!」
「え。私そっちだけど」
「「え」」
頭を抑えたまま動けなくなっているラッキーを他所に、エドとエラーは固まった。エドが絞り出すように「聞いてないぞ、そんな話」と零すと、サタンは「聞かれてないし」と言ってのける。
彼女の言う通り、誰もサタンにそれを尋ねたことは無かった。何故ならば、あまりにそっちのイメージからかけ離れていた為である。見た目も去る事ながら、普段の生活態度にも一切見て取れない程、彼女の仕草は完璧であった。
「普通、ほら、態度とかで分かるだろ。風呂とか」
「じゃあエドは汚いおじさんが相手でもいいの?」
「はぁ!?」
「そういうこと。私だって誰でもいい訳じゃないよ」
至極尤もな話である。エドは完全に論破され、居たたまれなくなったのか、その矛先をラッキーに向けた。突然話題を振られたにも関わらず、彼女はニコニコと受け答える。
「お前、なんで分かったんだ?」
「こればっかりは同類の勘としか言えないねー」
頭の後ろで手を組み、ラッキーは明るく笑った。その様子を見て、エラーは内心舌を巻いた。観察眼には自信のある自分ですら、全く見抜けなかった仲間の性的指向を、目の前の女は一発で言い当てたのである。
エラーは自身の目を一種の武器だと思っていた。彼女には、サタンという女性は、何者も愛せない人間に映っていたのだ。
サタンには相手が死して初めて、その人物を愛することができるという厄介な性質がある為、エラーの見立ても決して間違ってはいない。しかし、そんな特性を誰が推察できるだろうか。サタンも多くを語らない為、エラーの心にしこりを残して、この話題は終いとなった。
ラッキーはまだ何かを聞きたそうにしていたが、それを強制的に中断させる出来事が起こった。無骨な鉄扉が開く音がし、参と書かれた扉の部屋から、クレが出てきたのである。
「んだよ、うっせーな……って、お前、誰だ」
クレはドアを開けた直後、部屋から出きる前に固まった。そこには見知らぬ顔が一つ。しかも何やら自分の顔を見て嬉しそうに、目を輝かせている。クレは直感的に、悪い事が起こると察知した。
「あぁ、クレ。今朝話したよね、彼女がラッキーだよ」
「悠ちゃん!?」
聞き慣れない名前を叫ぶラッキーを、エド達は訝しんだ。サタンに至っては、彼女はヤク中なのかもしれないと、認識を改め始めている。しかしそんな中、クレの表情だけは青ざめていた。
「て、てめぇ! ちょっと来い!」
「ねぇ! 私ファンだったんだ! サイン貰っていい!?」
「うるせぇ黙れ!」
クレはラッキーを引っ張り、その勢いのまま、口を塞ぎながら壁に押し付ける。長身の二人の立ち回りは絵になると、サタンはどこか他人事のような気持ちでそれを眺めていた。
一方、並ぶとクレの方が全然背が高いじゃねーかよ、と自分の見立てが見当外れであったことに、エドは遅れて気付かされていた。
「その名前でオレを呼ぶんじゃねぇ」
苛立った様子でラッキーにそう告げたが、口を押さえられている為、返事は出来ない。ラッキーは半開きになったまま押さえられた口から、舌先を出してクレの手の平をちろちろと舐めた。
「わあああ!? ってめぇ! 汚ぇんだよ!」
「あっはっはっは! あー可愛いー」
「舐めてんのかコラ!」
「舐めたよー、もっかいする?」
そう言って彼女はクレの手首を掴もうとしたが、身を引いてそれを回避した。汚物を見るような目付きでラッキーを睨み付けるものの、当の本人はその視線を受けても全く動じる様子はない。
今にも殴りかかりそうだと思ったエラーは横から声をかけた。新入りが入った初日に暴力沙汰なんてまっぴらである。面倒な連中に揚げ足を取られるのを嫌う、彼女らしい行動とも言えた。
「ねぇクレ。悠ちゃんって何?」
「……っせぇな! なんだっていいだろ!」
「知らないの!? キャンディーの読モだよ! 当時すごい人気だったんだから!」
「黙ってろっつったろーが!」
クレは振り返り様に、ついにラッキーを殴りつけた。遠心力を得た彼女の伸びやかな拳は見事にラッキーの顎を捕らえ、彼女は壁に激突してから床に転がった。
「ふっざけやがって……!」
顔を真っ赤にして拳を震わせる姿を見て、エラーとサタンは気まずそうに目を合わせた。モデル、あのクレが……。二人はそう思いながら、彼女の背中を見つめた。
確かに身長は高いし、スタイルもいい。顔も申し分無い。他のモデルに混じったとしても、見劣りしないだけの素材を持ち合わせているだろう。
しかし、如何せん彼女のイメージとかけ離れ過ぎていた。機嫌の悪い時には、勝ち負け関係なく、相手を選ばず噛み付き、狂犬と恐れられている程の彼女が、モデル……。
可愛らしい衣装やスタイリッシュな衣装を身に付け、カメラに視線を送り、表情を作り、撮影が終わったら「お疲れ様でしたー!」と頭を下げて明るく去っていく。エラーとサタンはそんな光景を思い浮かべた。他人の黒歴史を覗いてしまったような気がして、とにかくいたたまれない二人であった。
そして、その横で笑い転げる女が一人居た。言うまでもない、エドである。彼女は腹を抱えて、足をばたつかせて大声をあげている。ほっといたらこのまま笑い死ぬんじゃないか、と思える程の爆笑っぷりである。
「てめぇもいつまでも笑ってんじゃねぇよ!」
「あっあはっ、だって、無理だろ!? ひゃはは! 悠ちゃーん、視線下さーい! っはははは!」
「死ねや!」
エラーとサタンが嗜めようとしたが、こうなってしまった二人はもう手がつけられない。原因となる発言をしたラッキーは沈んでいるので、この場は完全に二人に託されている。エラーはため息をつきながら、エドを挑発した。
「エド。羨ましいからって茶化さないの」
「は、はぁ!? 羨ましいってなんだよ!?」
「そりゃエドはドチビだけど、ほら、魅力って人それぞれだし」
「あぁ!? うっせぇ! 平均身長だからって調子乗ってんじゃねーぞ!」
エドの笑いが止んだのを見届けると、今度はサタンがクレを個室へと戻らせる。「あばよ、ちんちくりん」。そう言い残してクレは扉を閉めた。
「んだとてめぇ!」
「それじゃ、私達も部屋に戻るから。ラッキーが起きたら所内のことを色々と教えてあげてね」
「はぁ!?」
「言い忘れてたけど、ラッキーの世話係、エドだから。それじゃね」
「頑張ってね」
エラーとサタンも逃げるようにその場を後にする。瞬く間に、エドはうつ伏せで床に転がるラッキーと共に、談話スペースに取り残されてしまった。
「ったく、なんであたしが……」
「いっ…………たぁい…………」
「なんだお前、意識あったのか」
「まぁ……辛うじて……」
ったく、しょうがねぇな。そう言ってエドはラッキーの体を、些か乱暴に引き起こした。ラッキーも華奢な体つきではあったが、完全に脱力した体を起こすには、かなりの労力がいる。加えて自分よりも体の大きい者となれば、一筋縄ではいかない事は想像に容易いだろう。
なんとか座ったまま壁に背を預けると、ラッキーは思い出したように「あ」と呟いた。何か聞きたいことがあるようだと察し、エドはラッキーの隣に座り、面倒くさそうに「なんだよ」と続きを促す。
ラッキーはエドに凭れかかって、口を開こうとした。その姿はまるで病人のようである。見かねたエドは、彼女の口元に耳を寄せる。そうして、手を添えて、内緒話をするようにラッキーはエドに尋ねた。
「エドちゃんとシたくなったら、いくら払えばいいの?」
「いっぺん死ね!」
せっかく起こしたというのに、エドはラッキーを突き飛ばし、「くたばれ!」と言いながら弐と書かれた部屋へと消えていった。
強かに床に頭をぶつけたラッキーが体を起こしたのは、それから十五分後のことであった。
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