ACT.9


 その日のエドは酷く機嫌が悪かった。セノに呼び出されたかと思えば、独房のをB-4区画まで運べという、訳の分からない指示をされた為だ。

 誰かの言いなりになる事が全般的に気に食わない彼女が、使いっ走り等という、如何にもな下っ端扱いを快く思うはずがない。言ってしまえば、棟長室に足を運ぶよう言いつけられた段階で、エドの機嫌は悪かったのである。

 極めつけと言わんばかりに出された指示に、彼女は完全にヘソを曲げたが、棟長の命令とあらば、拒否権は無い。職員の後ろを大股でずんずんと歩きながら、なし崩し的に言いつけは果たされることとなった。


「やっと外に出れるのかな!? やったー!」

「……クソ喰らえ」


 独房に辿り着いて第一声、エドが口にしたのは呪詛であった。というのは、暗がりでも喜ぶ様が手に取るように分かる、目の前の女の事である。

 エドは何も言わず踵を返し、独房の通路を歩いて出た。職員の制止も振り切って、ただ脚を動かす。

 囚人の居住区に辿り着くまで、後ろから時折投げ掛けられる言葉の一切を無視しながら、訪れた時同様、大きな足音を立てて進んだ。


「ねぇねぇ、この間来た子だよね? きゃあって言った子!」

「さっきからうるせぇんだよ! あとその事は誰にも言うな!」


 B-4の手前、B-5まで戻ってきたところで、遂にエドは振り返った。そして、静かに絶句した。の彼女はクレと比べても見劣りしないほど背が高く、美しかった。エドの見立てによると、年齢は二十代半ば。まさに美女と呼ぶに相応しい容姿であった。

 彼女は初めて見る女の姿に、しばらく声を奪われた。自分と同じかもう少し背の低い、教養もクソもない間抜け面をしたバカ女。エドはラッキーの事を、そんな風に勝手に決め付けていたのだ。

 しかし、目の前で笑う女は、中性的な顔立ちとセミロングの明るい茶髪の、ケチのつけようが無い美女であった。口元のほくろが印象的だ。


「……お前、キレイだな」

「え!? 口説かれてる!?」

「いや違ぇよ」

「刑務所ってやっぱりそういうのあるの!? あ、私女の子イケるから! えっと、私がする方でいいのかな!?」

「よくねぇ! 聞け!」

「する方じゃ駄目なの!? ネコか〜。ちょっと恥ずかしいけど、郷に入っては郷に従えって言うしね、うん、分かった!」

「分かってねぇ! てめぇ何一つ分かってねぇよ!」


 こいつやべぇ。そう言うと、エドは肩を落としてまたB-4へと歩き出した。


「もしかして、今から向かうのって、二人きりの……?」

「その話題から離れろ! あと言っとくけど、あたしはレズじゃねぇからな! どうしてもヤりてぇなら金払えクソバカ!」


 えぇ〜、と不満げな声を漏らしながら、ラッキーはエドの後ろをついて歩いた。



***


 完全に脱力した面持ちでエドはB-4まで戻ってきた。なんとか辿り着いた、という様相である。そんなエドをエラーは談話スペースの椅子に座ったまま労った。


「お疲れー」

「えーと……?」


 辺りを見渡す長身の女を確認すると、エラーは立ち上がり、はじめましてと告げた。その様子を、気に食わないといった表情でエドは見つめる。


「ラッキーだよね?」

「らしいねー」

「私はエラー。よろしくね」

「うん、よろしく!」


 ラッキーは軽い調子で、エラーに頭を下げる。入所直後に独房に入れられたというのに、彼女からは悲壮感等が一切窺えない。並の囚人であれば、もっと怯えるか、舐められないように気を張っているのが常であるが、彼女からはそんな様子も見受けられない。


「エラーはここのボスだからな」

「へぇ!? すごいんだね!」


 その事実を知らされても尚、ラッキーは目を輝かせている。なるほど、普通じゃない。エラーはどこか納得したように頷いた。


「クレにも今日ラッキーが来ることは伝えてあるから」

「クレちゃん! 彼女もこの区画の人なの!?」

「そそ。エド、ちゃんと説明してないの?」

「してねぇよ」

「エドちゃんって言うんだ! よろしくね!」

「自己紹介もまだだったの……」


 エラーは呆れた顔をして、区画内の参と書かれたドアを見遣った。クレの部屋だが、現在彼女は取り込み中である。今しがた、抜き打ちの持ち物検査があったばかりなのだ。

 持ち物検査自体珍しいものではないが、彼女は終わると必ず自分の部屋に閉じ籠った。今やそれが恒例となっているので、誰も心配はしない。


「いっつもなんだよね。確かに”持ち検”の担当って威圧的でムカつく奴が多いから、頭にくるのも分かるけど」

「頭にくると、閉じ籠るの?」

「前に本人が言ってたよ。人に当たりそうになるから、誰にも会いたくないって」

「そんな壮絶なんだ……」


 ”触らぬクレに祟り無し”、過去にそう言ったのはサタンだった。語呂の良さにただ笑ったエドとエラーであったが、その言葉に間違いはなかった。

 ラッキーはこっそりとドアを盗み見た。看守がいつでも中を確認できるように、ドアには目線の高さに小さな窓が据え付けられている。内部の間取りは一瞥しただけで把握できた。トイレとベッド、簡易的な棚、残りのスペースは二畳程。

 ベッドの上の毛布がこんもりと膨らんでいることから、彼女が中に包まっているのだろう。ラッキーは中の状況をそう解釈し視線を戻すと、そこで部屋が五つあることに気付いた。


「この区画には部屋が五つあるみたいだけど、五人いるの?」

「うん。ラッキーを含めて、だけどね。長い間、ここは四人だったんだよ」

「なるほどね。じゃあもう一人は?」

「あぁ、サタンは……」

「サタン!?」


 サタンと聞いてラッキーは大袈裟に驚いてみせた。エドとエラーはそのリアクションを初々しく感じ、思わず吹き出す。


「囚人番号がね、666番なんだよ。ラッキーとおんなじゾロ目だね」

「あぁ……なるほど、それでサタン……クレちゃんの名前を聞いた時もかなりアレだと思ったけど、番号によっては随分イジメくさい名前になるんだね」

「……クレ556って知ってたの?」

「むしろ、ここの子達ってなんであの商品を知らないの?」


 エラーは目を丸くしたが、すぐに表情を戻し、テーブルの下に椅子をしまった。


「どうしたの?」

「サタンにも会わせてあげようと思って。そろそろ刑務作業から戻ってくると思うから。すぐ戻るね」

「待てよ、あたしも行く。てめぇは荷物の整理でもしとけ。んじゃな」

「え、待ってよ!? エドちゃんは残って私とおしゃべりしよ?」

「てめぇと一緒に居たくねぇからエラーについてくんだよ。分かれバーカ」

「えー……」


 そう言い残し、二人は解放された格子の外へと歩き去った。荷物の整理をしておけと言われても、係の刑務官が後ほど運ぶことになっているので、今は手ぶらである。

 その場に取り残されたラッキーは、参の部屋の前に立ち、もう一度中を覗いた。先程と同様に、布団は盛り上がったままだ。

 違和感を感じた彼女は屈むと、ドアにぴたりと耳を付ける。電子的に管理されている扉特有の動作音に混ざり、小さい嗚咽が聞こえた。普通の人間であれば聞き逃してしまうような、微かな声である。

 ラッキーは気配を感じさせないよう、ゆっくりと扉から離れ、立ち上がった。この時、彼女の頭の中は「やっぱりなー」だとか「だと思ったー」という思いで埋め尽くされていた。

 くつくつと小さな笑い声をあげて、エラーがしまったばかりの椅子を引いて腰掛ける。


「ちょっと、可愛過ぎない?」


 テーブルに肘をつき、手で口元を隠して、ラッキーはなお笑った。そして、自然と胸元に手を伸ばす。自分が囚人だという事を、彼女の体はまだ認識しきれていないらしい。それは彼女が煙草を吸う際に見せる仕草であった。

 煙草どころか、胸ポケットすらない衣類を着ている事に、指先が触れてから気付く。これほど煙草を吸いたいと感じたのは、入所以来初めてであった。人知れず涙する女の傍らで、煙を吐き出しながら笑いたい、という強い衝動を持て余し、ラッキーはそれを誤魔化すように笑い続けた。

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