ACT.7

 薄い緑色の囚人服を着た女達が、何かを囃し立てる声が所内に響く。平時であれば看守が咎めるのだが、囚人達の視線の先に目を向けた彼らは、想像だにしない光景を目の当たりにし、下を向いて笑いを噛み殺した。

 彼らの視線の先にあるもの、それは「私達は仲良しです」と書かれた紙を囚人服に貼り付け、手を繋いで所内を闊歩する二人の女の姿。二人の身長差は下手な男女のカップルよりも激しく、低い方の頭の上にペットボトルを乗せても、まだ届かない程の差がある。本人達はおそらく喜ばないだろうが、互いが互いのそれを引き立て合うような、ある意味絶妙な組み合わせであった。


「てめぇのせいだかんな」

「うるせぇ、黙ってろ」

「は?」

「黙ってろっつってんだ」


 周囲の視線と歓声をほしいままにしていた二人組の内の一人、金髪の女が顔を上げて、視線の先にある女の横顔を睨んだ。赤髪の女は意に介さず、整った顔立ちを崩す気配は無い。そう、二人組とはエドとクレのことであった。

 クレは独房から解放された後、一時の不安定さが嘘のように、調子を取り戻していた。本来この女は、エドに噛み付かれても、適当に流せる程度の器量は持ち合わせているのだ。


 今も彼女はエドの挑発に乗ることなく、馬鹿馬鹿しいことをしているといった顔で、与えられたノルマをこなしている。与えられたノルマとは、所内の移動できる範囲を手を繋いだまま巡回することである。

 当然、張り紙を剥がすことは許されない。少し離れた場所からはアイディアを提供した、つまりこの騒ぎの元凶であるサタンと、提案に乗ってそれを二人に言いつけたエラーが、後を追うように歩いている。

 先導する二人組とは打って変わって、この二人は笑っていた。微笑んでいたという表現は些か生温い。彼女達は腹を抱えて、手を繋ぐ二人の後ろを付いていったのだ。


「ちっ……うっせーな」

「お前がちんちくりんだからおかしいんだろ」

「てめーがデカいからだろ」


 握られた手は所謂恋人繋ぎというもので、やけくそになった彼女達は、鬱血するほど強く握り合っていた。どれだけ痛くても我慢するしかない、力を緩めろと言った方が負けなのだ。

 二人は一切それを口にしなかったが、下らない我慢比べは罰ゲームが始まったと同時にスタートしたのである。どんな些細なことでも音を上げる訳にはいかない、お互いにとってそういう存在だった。


「あー、そこ右に曲がって」

「はぁ!?」


 エラーの指示に、エドは堪らず声をあげた。どん突きを右。それは棟長室であった。

 区画の前だけではなく、所内には至るとこに格子が設けられている。それらは所員のカードキーでしか解錠できず、囚人がそれを越える場合には、職員の同伴が必須となる。そしてここ、棟長室へと続く通路にも当然の如く、格子が部外者の進入を防いでいた。

 棟長室の通路の格子には、必ず警備の人間が立っていた。逆恨みをした囚人の矛先が最も向かいやすいのが、看守をまとめる各棟の棟長である。彼らには常に危険が付きまとう。安心して執務に当たる事が出来るよう、彼らは棟内でも特に手厚く扱われた。


「こんにちは」

「またバカなことをしてるな?」

「仲良くすることをバカなことだなんて、あんまりですよ」

「……ったく、待ってろ。セノにも見せてやりてぇ」


 紺の警備服を身に纏った中年男性は、鼻で笑いながらセノを呼びに行った。その間、手を繋ぐ二人を見ては、エラーは中性的な顔をにへらと緩める。

 エドがその様子に気付いて「見世物じゃねぇぞ!」とエラーを恫喝したが、「見世物だよ」と正面切って否定されてしまう。

 一方のクレはどうにでもなれという表情で格子の向こう側をぼんやりと眺めている。サタンはそんな彼女を見て、のほほんと言った。


「恋人同士というよりは、小型犬と飼い主という感じかもね」

「んだとてめぇ!」


 エドの怒りの矛先がサタンに向いたところで、セノがやってきた。格子を開けて近づく前から、彼は笑っていた。遠目でも充分に分かるほど破顔し、腹を抱えるような素振りまで見せていた。


「あっいつ……! クソ程笑ってやがるじゃねぇか……!」

「てめぇがギャンギャン吠えるから余計バカにされんだよ」


 格子をスライドさせてくぐると、セノは腕を組む。そして、ニヤニヤと楽しげな表情を浮かべ、品定めするような目で二人を見た。エラーは「いいでしょ?」と言って、彼の反応を待つ。


「オレは感心したぞ。B棟始まって以来とも言われた喧嘩コンビが、こんな風に和解するなんて」

「てめぇぜってーバカにしてんだろ」

「いやぁいいものが見られた。午後も頑張れそうだ」


 セノはわざとらしく朗らかに笑った。クレは呆れた表情のままであったが、エドは彼を睨み付けて、畜生だなんだと吠えている。


「セノ」

「なんだ?」

「いいもの見せてあげたんだから、ついでに一ついいかな?」

「なんだ? プリンでも食いたくなったか?」


 セノの冗句に、エラーは吹き出した。ちなみに、他の三人はエラーがセノに用事があるだなんて聞かされていない。セノと談笑しながら言う程度の、かわいげのある頼み事なのだろう。皆が口に出さずともそう考えていた。


「プリンじゃなくて777番って子が欲しいんだけど。駄目?」


 セノはぎょっとした顔をして彼女を見た。エラーが”例の囚人”のナンバーを知っていた事、あの厄介者をわざわざ欲しいと言った事。彼は思考を巡らせたが、エラーが何を考えているのか窺い知ることは出来なかった。

 彼女の発言に驚いているのはセノだけはない。B-4の三人は、気狂いか白痴を見るような目で彼女を見つめている。


「てめぇ何言ってんだよ! ヤベー奴なんだろ!?」

「なんでそんなに怒ってるの? みんなで仲良くやろうよ」

「エラー、今回ばかりはエドの言う通りだよ」

「このまま何も知らない区画に押しつけるの?」

「まさか、元々この交渉の為に、あたしらを……?」


 エドはエラーという人間の腹黒さに身震いした。確かに、特別な出来事がなければ、棟長室の警備が彼を呼び出したりはしない。

 何かあれば相談するように、と表向きは“学校の先生”のようなことを言っているが、大抵の場合は忙しいと門前払いされるのがオチである。


 どこから彼女の手中で踊らされていたのだろうと、エドは本日の出来事を振り返った。もしかすると取っ組み合いを始める前の雰囲気作りからか、喧嘩をさせるような工夫があったのか、と。

 しかし、エラーはエドの思考を一言で否定した。


「いや、それは単純に楽しそうだったから」

「おーおー、いい度胸してんなぁテメェ」


 B-4の面々のかしましい会話をバックに、セノはエラーがこんなことを言い出した要因に、やっと思い至ったのである。


「……あぁなるほど。クレか」


 突然セノに名前を呼ばれたクレは、律儀にエドと手を繋いだまま、彼を睨みつけた。


「新入りと話したのか」

「……エラーの言うことも一理あるだろ、他に押し付けるには重たすぎる代物っつーか」

「だよね? でも、クレはラッキーと仲良くなれたんでしょ? もう少し歓迎してくれるかと思った」

「そこまで言ってねーよ。あいつは……なんだろうな、苦手だ」


 クレだけは、エラーの発言にド肝を抜かれたものの、頭ごなしに反対しなかった。心情的には受け入れたくはない。しかし、そうせざるを得ない現状を、彼女は見据えていた。


「エド。お前だってラッキーと話したろ」

「あ? 話してねーよ」

「言っとくけど、あれはお前が悪ぃよ」

「てめぇ言ったら殺すぞ!」


 言ったら殺す、そんな素敵な脅迫を受けて黙っていられる人間がどれほどいるだろうか。クレはエドが独房の廊下に来た時のことを、エラー達に話した。

 ラッキーの声に驚き、エドが「きゃあ」と声をあげた。ただそれだけの事実に、エラーとサタンは笑い転げた。


「こいつそっからいじけちゃって、全然ラッキーと話してないんだよ」

「そもそも話す必要なかったろうが」


 エドは苛立った様子で、己の行いを肯定した。気になったサタンは、どんな風に話しかけてきたの? とクレに問う。


「びっくりさせてごめんとか、ありきたりな普通の事だな。しばらく頑張ってたぞ」

「そこだけ聞いたら、ラッキーってすごい普通の人だよね」

「実際その辺は普通だった。声も話し方も。顔は知らねーけど」

「う、うるせー! あたしが悪ぃみたいな流れやめろ! とにかく、あたしはラッキーなんてぜってー認めねーかんな!」


 一方、セノだけは表情を変えずに、腕を組んでいた。そして彼は頭を掻く。エラーだけはその様子を見て、「分かりやすー……」と呆れていた。

 頭を掻いていた手に気付き、慌てて腕を組み直してから、セノは言った。


「今回はエドに泣いてもらおう。元々その件でエラーに交渉する予定だったんだ」

「やった! 楽しくなりそうだね」

「本当にこれで良かったのかな……」

「クレ、てめぇのせいだぞ。てめぇが反対しないから」

「オレの意見なんてアイツはどうでもいいだろうよ」

「あ?」


 エドにはクレの主張が矛盾しているように感じたのだ。三人で抗議すれば、イカれた囚人と関わらずに済んだかも知れない、エラーの提案に理解を示したのは他の誰でもないこの女だ。エドはそんな事を考えながら、繋いだ手に一層力を込めた。

 狼狽しているのはエドだけでは無く、サタンも同様であった。しかしこれはクレの本心である。どうせ自分が反対しても同じ結果になっていた。彼女にはそう思えてならないのだ。


「マジで何考えてんだよ、てめーは」


 エドは繋いでいた手を振り解き、腕を組んで首を傾げていた。そして、咎めるような視線をエラーに送る。それに気付くと、今までの喜びようが嘘のように、エラーも鋭い視線でエドを迎え討った。


「誰が離していいって言ったのか教えてくれる?」

「クレ、お前、あたしの手ぇ離すんじゃねぇよ」

「離したのてめーだろ」


 二人は手を繋ぎ直すと、盛大に溜め息をつく。いつまで続けりゃいんだよ、というエドの情けない声が、棟長室の廊下に虚しく響いたのであった。


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