ACT.6


 女は小さな花壇の前に居た。棟長から許可を得て、運動場の隅、囚人達のベンチ代わりとなっていたレンガ作りの一角を手入れさせてもらっているのだ。と言っても、元々は彼女自身が言い出したことではない。

 この場にそぐわない生い立ちの女を気の毒に思ったセノが、比較的簡単に育てられる適当な花の種と、それに見合う土を調達し、世話を任せたという経緯がある。少しでも気が紛れればそれでいい、彼はそう思っていた。贔屓等ではない。これも全て、所内の治安の為である。

 物静かな囚人というのは、実のところかなり警戒される。真に善良で人を傷付けない人間であれば、ここに来る用事は無いのだ。大人しく見えても、囚人は皆、犯罪者である。普段から口汚く振舞い、常に喧嘩の口実を探しているような輩とは、違う危うさを孕んでいるのだ。

 そんな彼女達のストレスのはけ口や、生き甲斐を与える事も、看守の大事な役割の一つである。尤も、それは社会貢献等という綺麗事ではない。一般の看守はもちろん、セノですら、出所した囚人のことなど、ほとんど気にかけていない。彼らはあくまで、面倒事を回避する為に動いているのである。

 いや、昔はセノも信念を胸に、囚人の更生に燃えていた。しかし、いくら待っても出所した彼らの前向きな噂を耳にする日は来ない。一度たりともである。彼ら職員達は、ファントムの囚人に更生を期待することなど、とうの昔を諦めてしまっているのである。


「綺麗だな」

「セノさん、ごきげんよう。きっと明日はもっと綺麗です。二~三日は見頃ですよ」

「そうか」

「えぇ。誰も気にも留めないでしょうけど」

「そんな事はない。オレは見てるぞ。お前にはきっと才能がある」

「面倒見はいい方なんです」


 セノはフェンス越しに、サタンの背中を見つめていた。屈んで花を眺めるその姿は、どこにでもいる普通の女性である。

 花の世話は、彼女に最も向いている作業の一つであった。本人にその自覚は無いが、彼女の持つ性質と、上手く噛み合っていたのだ。

 水をどれだけ与えればいいのか。土の状態はどうか。観察眼と根気強さを持ち合わせた彼女は、植物の物言わぬ変化を、決して見逃さなかった。


「花の世話は好きか?」

「好きかどうかも分からないのに、私にやれと言いつけたのですか?」

「……悪かったな」

「別に好きでも何でもなかったですけど、今は好きです」


 その言葉は本心からのものであった。セノに感謝している事は何かと問われれば、彼女は花壇の世話をするよう言いつけてきた事を挙げるだろう。それ程までに、彼女は花の手入れを楽しんでいたのだ。



 少し昔の話をしよう。花壇を任せられ、しばらく経ったある日のことである。

 サタンは過去の親友の事をふと思い出した。ベッドに横たわる親友の体、着信があったことを物語るように点滅するスマートフォンのライト、窓辺に置かれた小さなプランター。親友の部屋。それは彼女の最初の犯行現場だった。


 何かの間違いだろう。入所当初、見知らぬ囚人達が口々にそう言った。散々他人の後ろ暗い所を見てきた彼女達ですら、666番がここに入所した理由がとんと分からなかったのである。

 脱走を図ったということは容易に推察できる、何故ならば、それはここに入所させられる人間の大前提であるのだから。しかし、彼女がお縄を頂戴した、元の罪状を知る者は一人も居ない。

 ”弱みを握られて美人局をさせられていた”という噂がまことしやかに流れており、本人も否定しないことから、エラー達B-4の面子ですらそのように認識していた。


 しかし、彼女の本当の罪状は、自殺教唆と死体損壊である。逮捕前のサタン、藤堂とうどう 美優みゆはどこにでもいる女子大生であった。ある一点を除いては。

 彼女は人を唆し、何かをさせる事で満たされる性質を持っていた。それは思想と呼ぶにも生温い代物である。どんな宗教の教祖にも、決して捻じ曲げることは出来ないだろう。

 いうなれば魂の入れ物がだったのだ。彼女の両親ですら、彼女を矯正する事を放棄してしまった。いや、放棄したという言い方は間違っているかもしれない。彼女は肉親すらも欺き、成長と共に落ち着いていった、と思い込ませたのである。


 幼少期はボールを車にぶつけさせたり、窓ガラスを割らせたりした。言う通りにした者には玩具を与えたり、特別扱いで仲良くしたりした。教科書を燃やさせた事もあった。ちなみにこの時、どの教科書にしようと相談された彼女は、道徳の教科書と即答している。

 しかし、所詮子供のすることだ。すぐに足がつき、その都度、善良な両親に叱られてきた。絶対に誰にも言わないと、約束させた友人に裏切られる事もあった。

 そこで懲りる事が出来れば良かったが、彼女は違った。彼女は思ったのだ。もっと上手くやらなければ、と。

 そして彼女はなった。両親は歪んだ性格が直ったと、心から安堵していた。つまり、彼らは彼女が逮捕されるまで、非の打ち所のない娘に育ったと信じていたのである。


 それは明らかになっていない部分が多い、奇妙な事件であった。あまりにもセンセーショナルな内容のため報道規制がひかれた事、サタンの父が金を積み、更にそれを強化した事から、この事件は一般人の目にほとんど触れないまま処理された。

 ネットニュースで少し取り上げられたものの、常に目新しい物を望む餓鬼のような訪問者の欲求に応える為、記事は一日何度も更新される。そうしてすぐにこの事件は埋没していったのである。


 自殺教唆。つまり彼女は、言葉巧みに、時には言葉すら発せず、被害者達の心を意のままに操り、自殺に追い込んだのである。それは他人にあらゆる事をさせてきた彼女の欲求の終着点であった。

 全ての死体が死後に弄ばれていた事から、あまりにも悪質だと判断され、殺人罪の適用すら検討された程だ。しかし、サタンは抜かりなかった。結局、警察は殺人罪の適用を諦めることとなる。


 まだ温かい遺体、二度と開かぬ瞳、ベッドを赤く染め鼻腔を刺激する血液の香り。そのどれもが、自分への信頼と愛の証明だと、サタンは本気で考えていた。

 だから彼女は、その想いに応える為に、遺体を抱いたのだ。一応彼女は同性愛者だが、対象が同性である事など、彼女の性癖の前では些末な問題に過ぎない。

 自身が同性に惹かれる人間であるという事すら、自殺するよう仕向けたいと思う相手が同性ばかりである、と気付いた時に自覚したのだ。

 当時からの考えは今でも変わらない。自分の助言を真に受け、いとも簡単にかどわかされる歴代の被害者達を、彼女は優劣つけずに、等しく平等に、心から愛し続けている。


 嫌な予感、虫の知らせ、そういった勘が働く人間は存外少なくないらしい。行為の最中には、決まって携帯電話が鳴り響いた。

 それらはいつだって、屍のを広げる作業に没頭する彼女の意識を、強引に引き戻す邪魔なものであった。


 そしてある時、彼女は電話に出たのである。スマートフォンが鳴り響く頃、ちょうどサタンはこの世の全ての幸福と愛を貪ったと、本気でそう確信していた。全能感に脳を焼かれながら電話に出て、こう言ったのである。「手遅れですよ」、と。

 知らしめたくなったのだ。自死する程に思い悩んでいた家族、知人の心を踏みにじった者に。真に信頼され愛されたのは自分であると。死して傍らに居るのは、お前達ではなく、この私だ、と。

 それがきっかけでサタンは御用となったが、さして後悔はしていなかった。彼女は賢い。だからこそ死姦なんて無茶な真似をしても、いくつかの犯行を重ねられるだけ逃げ延びる事が出来た。

 しかし、同時に分かってもいたのだ、最終的には終わりがくることを。だから彼女は、いつも邪魔立てするように鳴り響くそれを手に取って、心残りが無いよう自らピリオドを打ったのである。



「可愛い」


 小さく、精一杯咲く花を見て、彼女はそう呟いた。その言葉に嘘偽りなど一切無い。そこには赤い花を慈しむ女性が一人居るだけである。


「セノさん」

「なんだ?」

「明日の天気は?」

「雨だ」


 セノは即答する。雨の日は運動場の使用が原則的に禁止され、室内での運動になる。所内の予定が関わってくるので、彼らは翌日の天気を把握しているのだ。

 それを聞いてサタンは微笑んだ。けたたましく鳴り続けた電話を取ったあの日も、雨だったと思い出しながら。


 翌日。セノの言う通り、朝から雨が降り続いていた。厚い雲が空を覆い、誰の目にも止みそうには見えなかった。

 運動の時間、皆が室内で活動する中、サタンはセノに声をかけ、運動場に一人出ようとした。


「セノさん、あの花はあなたが選んだのですか?」

「いいや、詳しいヤツに聞いて適当に、な。花の名前すら知らないよ」

「そうですか。今回は素晴らしいセンスだと思ったのに」


 落胆する言葉とは裏腹に、サタンは彼の返答を聞いて、「やっぱり」という表情をした。ガタいのいい大男に繊細さを求める程、彼女は男性に何かを期待して生きてはいないのだ。


「なんて花なんだ?」

「千日紅です」

「お前、花言葉とか詳しそうだな」

「えぇもちろん。だからこそ、セノさんのセンスに感心したのに」

「そりゃ悪かったな。教えてくれよ、なんなんだ?」

「今まで興味を持たずに生きてきた人に伝えたって、三日後には忘れるでしょう? そんなに気になるのでしたら、ご自身で調べられてはいかがです?」

「はっ。手厳しいな」


 短く笑うセノを見て、サタンは確信していた。この男はどうせ死ぬまで千日紅の花言葉など調べない、と。しかし、そんなことはどうだって良かった。彼女の頭の中は、人知れず、雨の中で美しく咲き誇っているであろう花のことで一杯なのだ。


 シャベル等、凶器となり得る道具の使用は禁止されており、やむを得ず使用する場合は看守の付き添いが必要となる。しかし、彼女がそれを申請したことは無かった。

 土には直接手で触れる。それは彼女のポリシーであり、むしろここまで花の世話を続けてきたのは、この行為の為であるとも言える。

 少し見るだけだと言い残して出ていった彼女の後を、セノは追わなかった。彼は前日の会話を思い出していたのだ。今日、全ての花が咲き誇り見頃を迎えるであろう、と。

 道具の使用許可も申請されていないし、立ち会うのは野暮だと、彼なりに最大限気を利かせた結果であった。


「綺麗に咲いたね……良かったね……」


 花壇の前に立ち、サタンは恍惚の表情を浮かべていた。そして、小さいながらも立派に、凛と咲くそれらを毟り取り、茎をもぎ、花びらを千切った。一本一本丁寧に、慈しむように嬲り、その命を踏みにじったのである。

 自身で育てた花を摘み取り、自らの手で穴を掘り、土に還すという行為に、彼女は悦びを見出していた。これがあるからこそ、普段の面倒な作業すら、この瞬間の為の前戯だと思えるのである。これは彼女なりの代償行為であった。


 花壇の中にはこれまで大切に育てられてきた花々が埋まっている。しかし、無残な姿をしたまま土に還ろうとするそれらに、誰かが気付く日は来ない。


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