ACT.5
翌日、エドとクレは揃って独房から解放された。看守の引率により、食堂に連れられた二人は、重い足取りでトレーを手に取る。
顔色は良くなかった。特にクレは前日の夕食前に独房にブチ込まれたので、丸一日何も食べていないのだ。
独房でも食事は出されるが、あの悪臭を嗅ぎながら平然と何かを食せる程、二人の神経は図太くない。出迎えたのはエラーとサタンだ。二人は席を確保して待っていた。
「クレ、大丈夫だった?」
「あぁ、別に、どうってことは」
「私、適当に持ってくるよ。座ってて」
エラーはそう言うと、クレからトレーを取り上げ、小走りで配膳の列に並んだ。あたしの分は? と不思議そうにしているエドへは、サタンが頭を撫で、それで手打ちとなった。
ボス権限を使い、少々景気良く盛りつけてもらったそれを、エラーは自分の隣の席に置いて、クレに隣に座るよう促した。そうして、半分ほど食事が進んだところで彼女は気まずそうに切り出した。
「面倒かけた」
「なんで?」
「エドを寄越したの、あんただろ」
「……まさかヤクの取引のために、このタイミングでクレが独房に行かされる事になるとは思ってなかったからね。少しでも気が紛れればと思って。あれくらいしかできなかった」
「そうか、なるほどな。まーたオレは乗せられちまったのか」
「分かってるならもう少し自重して」
「へーへー」
いつもの通りの何気ない雑談が、今日はわざとらしく感じた。その理由ははっきりと、そしてどっしりとクレの真ん中で構えている。
まだ伝えるべきではないかも知れない、という考えも頭を過ぎった。しかし、彼女は自分の為に動いてくれたボスに、何かを隠し通せる気がしなかったのだ。ほんの少しだけ言い淀む素振りを見せ、すぐに意を決したように告げた。
「独房で、新入りに会った」
「……うん」
エラーはもちろん分かっていた。新入りはとりあえず独房に隔離されている、それは先日セノから聞かされていたのだから。だからこそ、人一倍”新入り”に怯えているクレが独房に連れて行かれると聞いて、急場凌ぎで策を練ったのだ。
一人でいるより良いだろう。子供のような理屈ではあるが、シンプルな思考回路の彼女にはぴったりハマってくれた。食堂に連れられた際に、エドと悪態を吐き合っているのを見て、エラーはほっと安堵していたのだ。
「どうだった?」
「お前、知ってたんだな」
「知らなかったらエドがそっちに行ってなかったよ」
「だろうよ。悪かった」
味の薄い白身フライを頬張りながら、エラーは顔を上げた。そして隣に座るクレの顔をじっと見る。テーブルを挟んで向かいに座っているエドとサタンには聞こえなかったであろう、小さな謝罪。
クレのことを、常々”悪い奴ではない”と評価していたエラーであったが、ここまで素直に謝罪されることは初めてだった。
ここで暮らしていくには、彼女は臆病すぎる。立ちはだかる者には構わず噛み付き、懐には誰も入れず、決して自分を曲げない。
彼女がそんな生き方をしているのは、生まれ持った性質ではなく、環境が他の選択肢を潰してしまったせいである。エラーは所内での振る舞いから、クレの生い立ちをそう見ていた。
しかし、謝罪というのは、過去の過ちを認め、往々にしてそれをリセットする為に用いられる。クレは謝りたくたって謝れない、エラーにはそんな固定観念があったのだ。いや、事実そうだった。独房の中で何かがあったに違いない。エラーはそれを確信すると、単刀直入に問いただした。
「何があったの?」
「……すげーのがいたな」
「私も詳細は知らされてないんだよ。何が”すげー”の?」
「脱獄歴無し、ここに直行だってよ」
「そこまで聞かされてる」
「聞いてんじゃねーかよ」
「ごめんごめん」
どこかあどけない顔で、二人は笑い合った。それを向かいの席から見ていたサタンは微笑み、エドをもう一度撫でた。サタンはいつも気まぐれに触れてくるので、エドはいちいち相手にせず、ひたすらみそ汁と白米を交互に口に運んだ。
「ねぇ、もっと聞かせてよ」
「本当かどうか分からないけど、あいつが独房に入ってる間は施設の準備期間だと言われたらしい。飄々とした奴だったぜ。頭がおかしい感じもしなかったし」
「……他には?」
「人を殺した事があるか聞いたんだ」
エラーは息を飲んだ。それは彼女が最も気になっていた事だったからだ。返答によって”施設の準備期間”という言葉のニュアンスが変わってくる。もしYESならば、殺人の動機によっては所内で人が死ぬ可能性だってあるのだ。
「笑ってた。そんで、気が向いたら教えてあげるって言われた」
「……ヤバいね、そいつ」
「あぁ、ヤバい」
エラーは新しい囚人について新たな情報を得られず落胆したが、ただ一つはっきりしたことがある。それは一筋縄ではいかない相手だということだ。
いきなりあの独房に入れられて笑っていられる、その時点で既に常人とはかけ離れているのである。そして、そんなエラーの横顔を見ながら、クレは「忘れてた」と言い、一つ情報を付け加えた。
「囚人番号、777番らしい。ラッキーって名前にした」
「ラッキー……ねぇ」
「あぁ。喜んでたぞ」
「それはよかった」
エラーはそこで気付いた、クレがいつもの調子に戻っていることに。詳細は分からないが、彼女が懸念していた脅威が去ったのだと解釈することにした。
ここで、クレが独房に連れていかれた二時間後まで、時を遡る。
所内は五つの部屋を一纏まりとし、その通路の前には鍵付きの格子が設けられている。格子にはそれぞれに番号が振られており、例えばB棟の1番区画はB-1と表記される。
エラー、サタン、クレ、エドの四人はその一角で生活を共にしており、彼女達の区画はB-4と呼ばれている。それぞれに設けられた個室には扉もあり、プライバシーが確保されていた。扉にはそれぞれ壱から伍までの番号が割り振られている。
彼女達が何処かの刑務所を抜け出そうとした脱走犯だと考えると、まさに破格の待遇と言えるだろう。更なる脱獄を画策するのではないか、という懸念もあるだろうが、実情はその逆である。
ここの囚人はまとめて管理すると碌なことを考えないのだ。個別に部屋を与えることで最低限の自由を確保し、脱獄への気持ちを失わせる効果と、あらゆる暴行沙汰を未然に防ぐ狙いもある。
格子をくぐってすぐの場所に、テーブルと椅子がある。それらは談話スペースとして設置されており、各区画の憩いの場となっていた。
談話スペースの中でも、自分の部屋に近い椅子に座りながら、金髪の女は声を発した。
「サタン、喉乾いた」
「……」
「え、おい」
コップに水を注ぐ、サタンの背中に話しかけたつもりの彼女はぎょっとした。普段のサタンならば、エドのコップを手に取り、同じように水を注ぎ、テーブルまで運んでくれるのだ。しかし、その日の彼女は手厳しかった。
心当たりはあった。クレが独房に放り込まれることを後押しするように囃し立てた、あの出来事である。それでも謝罪する気になれなかったエドはため息を吐いて、こちらを見ようともしないサタンに話しかけ続けた。
「怒ってんのかよ」
「怒ってないワケないでしょ」
返事をしたのは、区画に戻ってきたエラーであった。サタンはエラーに同調するように静かに頷き、コップに口をつける。そんな些細な仕草一つとっても、彼女の所作は洗練されていた。
「あいつが独房にブチ込まれるなんて、どうってことないだろ?」
「なぁオイ。聞いてんのか」
「ざけんなよ」
エドの声が狭い区画に空しく響く。背もたれを抱くように椅子に座り直し、エドは背後に立っていたエラーに話しかけ続けた。しかし、二人は徹底的に無視を決め込んだのである。
一匹狼を演じさせたら、クレの方がエドよりはマシだと言えるだろう。人との関わりを蔑ろにするわりには、エドは無視されることを酷く嫌うのだ。
「あーもー! 分かったよ! ヤらせてやるから無視はやめろ、な」
ただ一言、謝罪を口にしてみれば良いものを。代わりにエドは自らの体を驚く程安く売ろうとした。いや、謝るということは彼女のプライドが許さないのだ。彼女はプライドと体を天秤にかけた結果、前者を取った。つまり、彼女の体が安いのではなく、プライドが気高いのだ、と言えなくもない。
しかし、エラーは呆れたように首を振った。体を差し出して有耶無耶にしようという魂胆が気に食わないのである。
「私、そういうの興味無いよ。知ってるよね?」
「……でも」
「別に謝らなくてもいいよ、嫌なんでしょ。私とセックスするなんて言い出す程に」
「ちっ……」
「ゴトーと何を話してたか、教えて。そうしたら許してあげる。抱くのはご免被りたいけど、添い寝くらいはしてあげるよ」
「いらねーよ」
悪態をついたエドであったが、結局はエラーの提案を飲んだのである。ゴトーが麻薬の取引をしようとしていることを伝えると、エラーは「教えてくれてありがとう」と微笑んだ。
そして言い終わるや否や、エドの口を覆うように手を伸ばし、そのままテーブルに叩きつけた。金属製のそれに後頭部を強打したエドであったが、口を押さえられている為、痛みに声をあげることも叶わない。
くぐもった声が少し響いたものの、誰に気付かれることなく虚空へと消えた。サタンは顔色一つ変えずに、エラーに組み敷かれるエドの情けない姿を見つめていた。
「なんでもっと早く言わなかったの?」
「んぐっ……ぐ……」
「こうやって乱暴されるの、好き?」
エドはエラーを見つめて、可能な限り、首を横に振った。強く押さえられているせいで首はほとんど動かなかったが、押さえているのはエラーだ。手に伝わる感覚で、左右に振りたがっているということは分かる。
「じゃああんまり怒らせないで欲しいんだけど」
「……ん」
「……はぁー、もういいや。ゴトーのこと殴ってきて」
エドの顎は今にも割れんばかりに軋んでいた。エラーの力が特段強いということは無い筈だ。むしろ喧嘩なら自分の方が強い。そう自負していたからこそ、エドはこの状況が恐ろしくて堪らなかった。
平時では考えられない力を発揮できる程、エラーは頭に血が上っているのだ。自分に拒否権はない。エドは理屈ではなく、本能でそれを察知し、今度は首を縦に振った。
そうしてエドはゴトーを医務室送りにし、半ば強引に取引を中止させると共に、自らは独房送りとなったのだ。
独房に連れられる最中、エドは「アイツ、女にキョーミねぇっつってたけど、ぜってー嘘だろ」と、未だ痛む顎をさすりながら呟くのであった。
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