ACT.3


 刑務作業が終わると、担当刑務官の指示に従って食堂に移動する。それが彼女達の日常である筈だが、B棟では作業に参加しない囚人も少なくなかった。しかし、誰であろうと腹は減る。食堂は常に、看守の目も憚らず独特の賑わいを見せていた。一度に最も多くの囚人が集まる場所、それが食堂なのである。


 夕食の当番だったクレは、頭巾に長い髪を律儀にしまって作業をしていた。と言っても、囚人達の持つトレーに、適量のポテトサラダを乗せているだけである。

 トレーの縁に調理器具をガンと当て、やや乱雑に流れ作業をこなしてゆく。作業自体はどの囚人も似たようなものだったが、彼女に因縁を付けたがっている人間にとっては、たったそれだけの事がいいエサとなった。


「おいおい。もう少し丁寧にやってくれよ」

「文句があるなら汚物入れでも漁ってろ、クソデブ」


 ここ数日気が立っていたクレは、何の迷いもなく、配膳用のテーブルを隔てて立ちはだかる巨体、ゴトーの喧嘩を買った。すぐ後ろでそれを見ていたエラーは、溜め息をついて下を見る。呆れて物が言えなかったのだ。

 エラーはつい先日、二人の仲裁に入って頬を引っかかれたばかりだ。ちなみに彼女の頬を抉ったのはクレの爪である。スポーツ刈りのような、短いゴトーの頭髪を掴もうとした際の事故であった。


「二人共。また私に怪我させたいの?」

「まさか。邪魔だから引っ込んでろ」

「エラーはボスだろーが。そんな口利いていいと思ってんのかよ」

「こっちはこんな腑抜け、ボスだと思ったことは無いね」

「てめぇ!」


 我慢の限界だった。むしろ喧嘩っ早いクレがここまで問答を続けたのは、エラーの顔を立てようとした結果でもあった。

 意外に感じるだろうが、クレは平和主義者であるエラーの方針に賛同する者であり、普段は不要な争いを好まないのである。喧嘩さえ売られなければ、という条件付きではあるが。

 怒号を耳にした囚人達は馴れた様子で、瞬時に二人から離れる。クレはゴトーの首を掴んで引き寄せ、間髪を入れず利き手で顔面を殴りつけた。

 巨体が豪快に吹っ飛び、ゴトーは食堂のテーブルに背中を強かにぶつける。激痛が伴ったにも関わらず、彼女は下を向いたまま不敵な笑みを浮かべていた。持っていたトレーはひっくり返って地べたに張り付いていた。


「もういいでしょ」


 ゴトーの表情に違和感を覚えたエラーは、ここでクレにストップをかける。再び振り上げられた彼女の腕をしっかりと掴んだのだ。


「ちょっと、この騒ぎは何?」

「こいつがいきなり殴ってきやがったんだ!」

「いきなりじゃねーだろ! ふざけんな!」

「556番……あなた、また……」


 ゴトーの言い分を鵜呑みにするつもりはないものの、駆けつけた女性職員はクレを見ると、残念そうに首を横に振った。彼女は、公平であるよう努める職員で、囚人達の間でも評判は悪くない。

 賄賂等に目が眩み、特定の囚人と手を組む職員は少なくないのだ。相手が誰であろうと平等に裁きを与える彼女は、聡明で勤勉であったが、少しばかり融通が効かなかった。


「556番、明日の夕食まで独房よ。付いてきなさい」

「ちょ、ちょっと待って下さい! クレは」

「あっはっはっは! やべー! クレだっせー!」

「ちょっとエド! 静かにして!」


 クレの浅はかさを皆が笑う中、エラーだけは必死に女性職員に頭を下げていた。その様子を少し訝しんだエドとサタンであったが、サタンは離れたところから成り行きを見守る事に徹し、エドはどうでもいいとばかりにクレの醜態を笑い続けた。


「ざっけんな……」

「その口の利き方は何? もう少し長く一人で居たいということ?」

「……ついてきゃいいんだろ」

「待って! えっと、私の監督不行き届きというか、本当にごめんなさい。よく言って聞かせますので」

「でもねぇ」

「オイ見ろよ! ここにママと入所したガキがいるぜ!」


 笑い転げながらエドはクレを指差した。もうこうなっては取り返しがつかない。あちゃーと言わんばかりに、片手で顔を隠すサタンと、得意げに笑うゴトー。エラーですら、騒ぎの元凶としてクレが裁かれないようにする事を諦めた。


「んだとてめぇ!」

「おぉ!? あたしまで殴るのか!? てめぇの鈍行よりもとろくせー拳でか!?」

「上等だコラ!」


 煽りに煽りまくったエドは満足そうに、飛んでくるであろう拳に備えた。喧嘩の戦績は五分。棟内ではかなりの腕っぷしの強さを誇るクレであるが、それはエドも同じこと。彼女達の殴り合いは、B棟では極上の華として扱われる程である。

 しかし、女性職員は事も無げに割り入って、クレの拳を受け止める。ここの職員は何かしらの武術を嗜んでいることが多いのだ。

 下手にスタンガン等の携帯武器を使用し、囚人に奪われては目も当てられない。必須事項ではないが、丸腰の状態で自衛できる程度の腕を持ち合わせていない人間が、この施設の職員になれる確率は極めて低かった。


「次から次へとね。もういいわ。行きましょう」

「……ちっ」


 女性職員に連れられて、食堂を出ていくクレを見送る皆の表情は様々であった。サタンは気の毒そうな顔を、ゴトーとエドは決して仲がいいとは言えない間柄の筈であったが、笑いながら肩を組んでいる。エラーは死人を送り出すかのような表情を浮かべていた。


「エド、やってくれたね」

「な、何怒ってんだよ」

「今回ばかりは怒るよ」


 エラーは恨めしそうにそう言いながら、エドを睨みつけた。滅多なことでは怒らない彼女がここまで分かりやすく怒りを露わにしているという事実は、少なからずエドを動揺させた。

 エラーは配膳を手早く済ませ、サタンが待つ席へと移動する。エドはその場を誤摩化すように、ゴトーの肩を組んだまま話しかけた。


「……で、なんでクレを独房送りにしたんだよ」

「ワザとやったみたいな言い方すんなっつの。あいつが勝手に」

「お前がアイツに喧嘩売りつけたんだろーが」

「ちっ……取引に邪魔だっただけだ」

「あー、めんどくせーこと聞いちまった。今のナシ」


 自分は何の関わりも無いとアピールするように、エドはゴトーから離れて立ち上がった。取引というのは、つまり薬物だ。

 厳重な警備が自慢である筈の施設だが、薬物により錯乱や昏睡状態になる者が後を絶たないのが実状であった。ファントムの最高責任者が、脱走防止の為にあえて受刑者をシャブ中にしているのでは? という噂もまことしやかに流れる程だ。

 もちろん、責任者は関与などしていない。入手経路の殆どは、先程述べたような金に目が眩んだ、職員達の手招きによって確保されているのである。


 エラーをはじめとする薬に反対する者と、それらの勢力はほぼ拮抗している。仕入れようとしては食い止め、急場は凌いだと肩を撫で下ろしていると、オーバードーズした間抜けが医務室に運ばれ、根絶できていない現実を突き付けられる、そんなイタチごっこが続いていた。

 一応エドもエラー派の人間であり、ゴトーとは対立している、ということになっている。ただ、二人の間にはクレという同じ喧嘩相手を持った妙な仲間意識のようなものが、ほんの少しだけ介在するのだ。付かず離れず、ヤバくなったら素知らぬ顔。それがこの二人の付き合い方である。

 あたしは何も聞いてねーぞ。そう言ってエドはその場を離れた。エラーを怒らせたと感じたからであろうか、エドはエラー達から離れたテーブルの端に腰掛ける。


 ゴトーがこのタイミングでクレを消したがったということは、取引は明日の早朝もしくは刑務作業中。そしてさらに、クレは明日の朝食の当番。アイツが最近苛立っているのは専らの噂だ。騒ぎ立てられる危険性がいつもよりも高いと踏んだゴトー達は強行手段に出た。と、エドは考えた。

 しかし、当然ながら、彼女はそれをエラーに伝えることはしなかった。理由は簡単である、面倒だから。一応エラー派に所属してはいるが、それはそうすることが最も面倒ではないから。ただそれだけである。

 クレほど根が善人でもなく、エラーほど頑固でもない彼女は、厄介事から逃れられるなら大体のことはする。嘘もつくし、黙認もするのだ。


「っつーかこのポテトサラダ、マズ過ぎだろ」


 エドはそう言って八重歯を覗かせ、眉間に皺を寄せた。

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