第49話 どちらも野生動物(2)

 膝をついたシドウ。

 エリファスがその首をめがけ、一直線に切り掛かろうとしてきた。


「シドウくん、ちょっと失礼しますよ」


 アランが右手をエリファスに向ける。

 多数の鋭い氷の槍が発射された。

 距離的、角度的にシドウをも巻き込んでの攻撃となった。


「っ……!」


 またも軌道を逸らされて空振りさせられたエリファスは、着地してからいったん距離を取った。

 露出していた彼の太い左の二の腕に刺さっているのは、氷の槍。

 それを抜き、捨てる。赤い血が噴き出した。


 彼は痛みを感じにくい体質だという。

 アランに向けてきた顔は、苦痛ではなく驚愕のものだった。

 もちろん、味方も巻き込んでの魔法攻撃に対するものだろう。


 赤髪の青年は、それをかすかな微笑みで受けた。 


「彼の鱗の厚さや硬さは把握しています。この威力なら弾いてくれるのかな、と」

「……やはりお前から片付けたほうがいいか」

「判断が悪いですね。最初からそうすべきだったと思いますよ。狙えるのであれば後衛から。戦いの基本です」


 またエリファスが飛ぶ。


「おれは勇者から大魔王様をお守りするために生まれた剣士。ただの人間が出る幕ではないわ」


 柱や壁を自在に飛び回る。的を絞らせない動きだ。

 アランは右の手のひらを構えたまま、目でそれを追いかける。


「赤髪の人間よ。遠慮する必要はない。この城は簡単には壊れぬはずだ」

「お、そうなんですか? それはよいことをお聞きしました」


 それは回復中のデュラからの言葉だった。

 意外なところからの援護射撃に、アランは不敵な笑みを浮かべた。

 柱や壁を壊し、天井が崩れて一同全滅。そんなことにはならない。旧魔王軍の生き残りから提供されたその情報は、かなり大きいものだったようだ。


 アランはエリファスの動きを目で捉えたまま、構えた右手を上に向けた。

 丸太のような円柱状の氷塊が空中に現れ、採光窓からの光を反射して輝いた。人間の子供ほどの大きさはある。

 それが一つ、二つと次々と空中に生成されていく。


 氷柱たちはすぐにエリファスのほうには向かわない。無数の氷柱が漂うようにエリファスの行動範囲の空間を満たしていく。


「――!」


 警戒したエリファスが飛び回るのをやめた。柱の足場で一時停止する。


「はい、とまりました……と」


 アランの手がくるっと回る。

 すると、空間を満たしていた氷がエリファスへと、一斉に飛んでいった。

 丸太状のそれは相当な重さがあるはずなのだが、すさまじい加速度だった。


 慌てて逃れようと柱から跳躍したエリファスだったが、四方八方から飛んでくる氷塊はどうにもならない。一本二本と直撃を受け、吹き飛ばされながら墜落した。


 倒れたエリファスに向かって近づこうとしたアランだったが、足をピタッととめた。

 不吉な音。

 なにやら前方の床に小さな石の破片が当たっている。その音だった。

 それは上から落ちてきていた。徐々に大きくなっていく。


「皆さん、少し下がってください」


 アランが上を見上げながら全員に指示を出す。本人も下がった。

 上からがれきが降ってくる。音もどんどん大きくなる。

 ついには轟音とともに、直前までエリファスのとまっていた柱が崩壊した。


 この部屋の高い天井を支える長い柱。そのがれきの量も多い。

 アランは粉塵を防いだマントをひるがえすと、デュラのほうを見て微笑んだ。


「壊れましたけど?」

「すまない」

「以後は威力を加減しますよ。さすがに天井が落ちてきたら全員死ぬでしょうから」


 またがれきの音。

 今度は上ではなく前。倒れていたエリファスだ。


 大剣を杖のようにして一度起き上がったが、そこまでだった。

 そのままよろめき、後方にあった柱に衝突し、そのままもたれかかった。

 同時に手から大剣が落ち、鈍く乾いた金属音を立てた。


 鎧から覗く二の腕や大腿からはいくつもの血の筋が見え、足元には血だまりが急速に拡大していた。

 失血と体力喪失によって戦闘不能に陥ったのは明らかだった。


「お前は……何者だ……」

「さっきあなたがおっしゃったではありませんか。ただの人間ですよ」


 エリファスは自嘲的な笑いを浮かべた。


「ははは。おれはいったいなんなんだ……ドラゴンにも勝てない、人間にも勝てない。おれはなんのために――」


 そこで言葉が急にとまった。

 彼の視線は、自身の手。そこから滴る、血の色。

 シドウ一行も固まった。

 赤いはずだったそれが、緑暗色に変わっていったからである。


「なんだ……? この色は……」


 彼の驚く声。しかし変化はそれだけではなかった。

 防具が外れ、床に落下した。体が膨張を始めたのである。

 体色も急速に緑がかかっていく。


「な、なんだっ……これはぁっ!」


 上方へ放った彼の大きな叫びが、高い天井へ悲痛に響いた。


「お前は純粋なアルテアの民ではない。オーガとのクォーターだ」


 その冷たく響く声は、エリファスの後方から現れたアンデッドのものだった。

 エリファスが後ろを見た。


「どういう……ことだっ」


 アンデッドは二体。

 どちらも黒いローブを纏い、宝玉の付いた杖を持っていた。ローブのフードは片方だけがかぶっている。今しゃべったのは顔を出している背の高いほうのアンデッドのようだ。


「昔、ダヴィドレイ様はアルテアの民の非力さを埋める実験として、大型モンスターであるオーガとの交配をおこなっていた。だが、実験で作り出したオーガとのハーフは、知能が低すぎて使い物にならなかったのだ。そこでダヴィドレイ様はハーフオーガをもう一体作り、それとさらにアルテアの民とかけあわせた。それがお前ということらしい」


 血を滴らせながらエリファスが狼狽する。


「おれの母親は死産っ、父親は病死と聞いたぞっ」

「ダヴィドレイ様から聞いたが、どちらも嘘らしい。純粋なアルテアの民だったお前の母親も、ハーフオーガである父親も、実験で無理に交配させられた。そして実験後は口封じのため〝処分〟。それが真実だ」


「まさか……そんな……」


 愕然とするエリファスだったが、体は無情にも変化が続いていた。

 体色は完全に血と同様の緑暗色となっていた。体の膨張もとまらず、もともと高めだった身長も、元の一・五倍はあろうかというほどまでに伸びていた。


「お前は変身できないはずだそうだが。まあ、こんなこともあるということか」


 髪の色も銀から濃い緑灰色に変化すると、エリファスは両手で頭を押さえた。


「なんだ……なんだ……なんだこれは……頭ガ……トケテ……イク……」


 エリファスがふたたび床へと倒れた。

 しばらく言葉を発しながらのたうちまわっていたが、やがてその言葉は意味不明なうめきに変わっていき、言葉の体をなさなくなっていった。


「やはりオーガの性質が覚醒すると知能は保てないか。もともとアルテアの民とオーガは相性が悪かったのだろうな」


 出来損なった生物に用はない。

 そう言わんばかりに黒い眼窩を向けると、背の高いほうのアンデッドは手のひらをかざした。


「あ、待――」


 シドウの声は間に合わなかった。

 エリファスの体が爆音とともに吹き飛ぶ。離れた柱に打ち付けられ、そして床に落ちると動かなくなった。


 一瞬だけアンデッド二匹を睨んだシドウだったが、すぐに視線を落とした。

 そしてドラゴン姿のまま、小さくつぶやく。


「俺……初めて変身したとき、頭がかき混ぜられるような、そんな感じがした」


 ドラゴン態の小声は、両親が拾うには十分な声量だった。


「初めてドラゴンに変身したときは三歳だったか。確かに少し様子がおかしかった」

「それ、僕も覚えてるよ。少し変だった」


 デュラとソラトの言葉を聞き、やはり、とシドウは思う。


「そのときの記憶、少しだけ残っています。エリファスが言っていたような、頭がどんどん溶けていくような感じだったかもしれません。でも目の前の母さんと父さんの姿を見たら、それがなぜか落ち着いたような……」


 一歩間違っていたら、自分もああなって、戻らなかったかもしれない。

 知能が高いドラゴンとそうでないオーガの差が出たのか。両親がいたかどうかの差が出たのか。それはわからない。


 この自然界で普通は異種族間の子が生まれることはない。

 今の自分は、非常に不安定な釣り合いのなか、綱渡りのように進んできた結果――そう考えると恐ろしかった。


「シドウくん、考え込むのは後にしたほうがよいですよ」

「そうよ。まーた考えてる」


 が、状況はそれどころではないようである。

 アランとティアの二人の言葉を受け、シドウは頭を現実に戻した。


 目の前にいる、ただならぬ雰囲気のアンデッド二体。

 戦わざるをえないだろう。

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