第35話 痛覚

 湿った強い風が、密に生える草とまばらに生える常緑樹を揺らしている。

 その中を走る街道。

 ドラゴン姿のシドウと、銀髪の人型モンスター・エリファスが対峙していた。


 お互い間合いをはかったまま、ジリジリと横に動き、草地のほうへと入っていく。

 やがて、エリファスが跳んだ。

 人間とは比べ物にならないほどの跳躍力だった。


 上から首に向かって振り下ろされてきたであろう大剣。それを、シドウは体表で最も硬い部位である爪で受けた。

 高い音が響く。

 シドウはさらに力を込め、エリファスを弾き返した。

 彼は着地すると、すぐに地を蹴って突進してくる。


 そこに右爪で払うような攻撃を出したが、ジャンプしてかわされた。

 彼はそのままシドウの翼の骨の部分を中継し、素早く背中に飛び乗ってきた。


「ガァッ!!」


 太く大きな音が、戦場となった草原に響く。

 ドラゴン姿のシドウから出た声だった。


「入ったな」


 エリファスの満足そうな声。

 彼の大剣が、背中に深々と刺さったのである。


「この剣は人間の勇者を鎧ごと葬るために設計されたものだ。ドラゴンの鱗など問題ではない」


 刺した剣を握ったままのエリファスに対し、シドウは爪を背中に回し攻撃した。

 が、それを見た彼はすぐに剣を抜く。また高く跳躍してかわし、シドウの背後に着地した。


 シドウはそれを追いかけようと体を動かしたが、その瞬間に傷口が痛んだ。

 またうめき声が漏れる。

 今までドラゴンの姿でダメージを負ったことがなかったシドウ。未知の痛みだった。


「痛いか? 俺は痛みを感じにくい体質だ。たとえドラゴンであろうが、痛がりである以上、傷を負うたびに動きは悪くなっていくだろう。流れはこっちだ」


 エリファスの言葉には応じずに、シドウは爪を振るった。

 彼はそれを左手の盾でしっかりと弾く。


「アルテアの民は非力だ。それこそ人間よりもな」


 そしてシドウが次の攻撃を繰り出す前に、動いていた。

 今度は直線的な突進。

 それを見た、シドウは動かしかけてた爪をとめて炎を吐く。


 ところが、やはりエリファスのほうが速い。

 斜め横への跳躍でかわされた。


「だが俺は、アルテアの民最強の戦士となり、人間の勇者を倒すという使命を負っていた」


 彼が引き続き突進でシドウに迫る。


「人間の勇者の鎧は、あらゆる魔法を弾くとされた。だから俺は必死に体を鍛えて、必死に剣の修行をした!」


 続く炎も、跳躍でかわされる。

 彼はシドウの背よりも高く跳んだ。


「そうしたら、他の者より力がどんどん強くなっていった……この剣を持つことができるくらいになっ」


 落ちる速度も利用し、シドウの体を背中側から左わき腹にかけて滑り落ちるように、大きく切り裂いた。

 次々と割られる鱗。傷口から血が噴き出していく。


「なのに俺が育つ前に、大魔王様が勇者に倒されてしまったと知らされた。あんなに虚しいことはなかった」


 着地したエリファスに向けて、シドウは右爪での攻撃を繰り出す。

 それは盾で止められたが、続けて左爪でフェイントをかけつつ、炎を吐く。

 マントで受けられたが、今度は確かに彼の体をとらえた。


 とらえた、はずなのに――。


「だから、ダヴィドレイから大魔王様の復活計画を聞いたときは心が踊ったよ」


 彼はまったく苦悶の表情を見せなかった。

 シドウは体を回転させて大きく爪を振りかぶるように見せかけ、その勢いで長い尻尾を使い、攻撃を繰り出した。

 尻尾で攻撃するのは初めてだ。さらには彼の死角からの攻撃。まともに命中した。


 エリファスが吹き飛んだ。

 が、空中でバランスを取ってしっかりと着地すると、すぐにシドウへと向かって地面を蹴ってきた。


 どんなに高級な耐火マントであっても、ドラゴンの炎をまともに受ければ相当な熱さを感じるはず。それに加え、尻尾での攻撃をまともに受けてダメージがないはずがない。

 なのに、動きが落ちない。


「お前は勇者ではないが、大魔王様の復活を妨げる可能性がある存在……。俺は嬉しい。生まれてきた意味があったと、やっと言える」


 その顔には笑顔すら浮かんでいた。




 客観的に見るならば、一匹と一人の戦い。当事者たちから見れば、二人の戦い。

 ティアは少し離れた木の陰で、それを見守っていた。


 開戦前に両者が間合いをはかっていた際、シドウは長い尻尾の先をティアのほうに向け、チョロチョロと動かしていた。

 それがメッセージになっていることに気づいていたティアは、シドウから距離を取り、エリファスとの戦いに邪魔にならないところまで動いていたのである。


 銀髪の人型モンスターが持つ大剣と盾。そしてドラゴンが持つ硬い爪。ぶつかり合う音が響き続けた。接近している嵐の影響と思われる風が激しく頰を打っていても、それははっきりと聞こえてきた。


 何度もシドウが攻撃をもらってしまっていたことは、ティアに衝撃を与えた。

 そんなことはこれまでの旅で一度もなかったからだ。


 シドウは炎での攻撃も繰り出していた。

 吐いた炎は、小動物や豊富に生えている草木を、無差別に、かつ広範囲に焼いてしまう。

 シドウの性格がそれを良しとするはずはない。

 それだけ敵が強く、余裕がないのだろう――ティアはそう思った。


 戦いは長く続いた。


 エリファスのほうも無傷ではないと思われ、一進一退のようにも見えた。

 だが、エリファスが相変わらずの俊敏な動きを続けるのに対し、シドウの運動量は徐々に落ち、鈍くなっていく。


 ティアは無意識のうちに、木の陰から出てしまっていた。

 その事実に気づいても、元の位置には戻らなかった。


「こらー! シドウ! 何苦戦してんの! さっさと終わらせて実験場に行くんでしょ!」


 声の限り、叫んだ。




 * * *




 雨が、わずかに降り始めていた。

 もともと強かった風はさらに荒々しさを増し、ときおり突風に近いものも交じるようになった。


 ペタンとその巨体を落としていたシドウ。

 戦いが終わった彼の、全身の傷。それらすべてに回復魔法をかけ終えたティアが、最後に頭部へと近づき、頭を撫でる。


「よーし、よく頑張りました。えらいえらい」


 シドウのまぶたが、少し落ちた。


「なんか怖い人が怒ってるのが聞こえたから、頑張ったよ」

「あんた変身すると耳いいもんね!」


 ティアはそう言いながら、撫でていた手をグーに握ると、バコンと頭部を殴った。


「痛い」


 少し落ちたままになっていたシドウのまぶたが、さらにゆっくりと落ち、目がつぶられた。


「前も思ったんだけど、こういうのってドラゴンの姿でも痛いの?」

「うん。痛いよ」

「へー」

「でも、痛くないとだめなんだよな、きっと。痛いからいいんだと思う」

「うわあ。また変な趣味増えたの?」

「……言うと思った」


 シドウは目を開けた。頭部だけ少し持ち上げ、あたりを見回す。


「いっぱい、焼いちゃった」


 焼け野原に近い状態だった。

 この地方の季節柄、木も草も水分が多かったおかげで延焼はしていない。が、草むらは禿げ上がり、まだ煙をあげている樹木もある。


「あー。なんとなくシドウは気にしてるんだろうなって思ってた。今回は仕方ないと思うよ? 戦わないと殺されるわけだし。生きるためってやつでしょ」


 ティアも周囲を再確認し、またシドウの頭部に拳をぶつけた。

 痛いと抗議しつつ、シドウが次に目を向けたのは、前の地面に寝ている人型モンスターだ。


 死んではいないが、失神しており、意識はない。

 防具はキズだらけ。布地も焦げている。

 またシドウのまぶたが少し落ちた。


「今の戦いで気づいたんだけど。俺、戦うのはあまり好きじゃないみたいだ」

「はい? 今気づいたの? 会った最初の日から、私の目にはそう見えてたよ?」


 ティアが呆れたように肩をすくめる。


「で、どうすんのよ、この人」


 とどめを刺しておくの? とは聞かなかった。

 もちろん、その選択肢がないことをティアは知っているからだ。


「うん。わざわざここで俺を待っていたくらいだし、王都に忍び込んで無差別に人殺しをしたりはしないはずだよ。今は急がないといけないし、ここに置いていこう」


 シドウとティアは、焼けていない木の陰にエリファスを運び、彼の耳を隠した。

 そして南東の岬の実験場へと向かった。

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