第34話 一方、その頃

「ダラムでの実験準備は計画どおりに進んでおります。まもなくよいご報告ができますかと」


 ひざまずく黒ローブの男の中間報告に、ダヴィドレイはうなずいた。


「順調だな。今回の実験で、アンデッドになっても魔法が使えることが証明できれば……」


 ダヴィドレイは一度男に背を向けた。

 眼前には、玉座と、大魔王の白骨が入っている棺。


「ふたたび大魔王の名で世界に号令できる日。刻一刻と近づいてきている」


 この『魔王の間』は、両側に壁がない。

 立ち並ぶ柱のみの設計で、大きなバルコニーと直結になっている。


 左右から十分に入ってくる光に加え、天窓からも入ってくる光。

 ダヴィドレイが着けている銀の胸当てが、誇らしげに輝く。


「私もいよいよ人間をやめられるかと思うと、興奮で心臓が波打つというものです」


 その声にふたたび体の向きを直し、報告の男に顔を向けた。

 笑顔こそないものの、ダヴィドレイの表情には期待がはっきりと浮かんでいる。


「お前はそのために我々の仲間になったのだったな……。まあ、アンデッドになったら波打つ心臓もなくなる。今のその思いも楽しんでおくがよい」


 報告の男は「はい」と言い、その切れ長の瞳を鋭く光らせた。

 顔は面長で、髪は黒い。マーシア町長をアンデッドにした二人組の片割れである。


「ところで。エリファス殿の身が心配ですが、一人で行かせてよかったのでしょうか?」


 きっとエリファスはハーフドラゴンの少年と戦うことになる。そう考えていた黒ローブの男は、懸念を口にした。


「よい」


 が、ダヴィドレイは表情を変えず、短く答えた。


「失礼いたしました。人間である私には、ドラゴンの力、底が見えませんでしたので……。エリファス殿はアルテアの民では群を抜いた怪力持ち。ドラゴンといえども鎧袖一触でございましょうか」


「いや、それは誰にもわからぬ」

「……?」

「私ですらまったく推し量れぬ部分だ。かつてドラゴンは魔王軍の一員であったが、その強さがどれほどのものかを正確に知る術はなかった。あれは誇り高き種族。気軽に手合わせを頼むことなど誰にもできなかったからな。わかっていたのは、ただただ強いということだけだ」


「それでも『よい』わけですか?」

「相手がドラゴンでは、戦闘力の及ばない者が何人ついたところで無意味だ。エリファスの邪魔になってしまうだけだろう」


 ダヴィドレイは続けた。


「それに、ドラゴンはかつて勇者を名乗った人間たちによって滅ぼされている。ゆえにエリファスが簡単に敗北するとは考えたくないものだな」

「と、おっしゃいますと?」


 ドラゴンが勇者に滅ぼされたことと、エリファスがドラゴンと戦えるであろうこと。この二つがどう結びつくのかわからないため、黒ローブの男は聞き返した。


「大魔王様が存命のころ、勇者によって魔王軍幹部が次々と討ち死にしていたため、その対策が急務となっていた。

 エリファスはその対策の一つ。勇者と戦うために私が〝作り出した〟戦士なのだ」


 普段はあまり感情を露わにすることがない黒ローブの男。その細い瞳が、見開いた。


「だが、人間の勇者の進撃速度は我々の想定をはるかに超えていた。彼は間に合わなかったのだ。彼が成長する前に大魔王様は討たれてしまい、結局その役割を果たすことはなかった」

「……」

「そのハーフドラゴンが大魔王様の復活を妨げようとする存在なのであれば、彼はようやく与えられた使命を果たす機会に恵まれたことになる。

 勝つ……最低でも相打ち……。そうでなければ、彼は生まれてきた意味がない」


「驚きました。しかし〝作り出した〟ということは、何か特別なことをされたということですか」

「まあ、しているな」

「私が知る必要はないと思いますので、その内容はお聞きしませんが。本人はもちろんご存知ということで?」

「彼が物心ついたときに教えている。いずれは大魔王様の親衛隊長になるはずだった、というのはな」


「では、それ以外は教えていない、と……」

「この世には知らないほうが幸せということもある。おかしな話ではあるまい」




 * * *




 王都ダラムより西側に離れた、川沿いの小さな村。

 そのさらに外れにある古ぼけた小さな家に、長身で赤髪の旅人が訪れていた。


「お久しぶりです。お師匠様」

「おお、アランか……! 久しぶりじゃの」


 木の扉から姿を見せた老齢の男。やや曲がった背中はそのままに、首から上を起こして驚き、顔を崩した。

 そして中途半端に開けていた扉を完全に開き、家の中にアランを招き入れた。




 古く小さな丸テーブルを挟み、かつての師弟が向き合った。


「まだここにお住まいだったのですね」

「そうじゃよ。居心地はよいし、もうどこにも行かんつもりじゃよ」


 アランはけっして広くない室内を見回した。


「お師匠様が望めば、もっとよい暮らしができましたのに。大都市で豪邸を構えるか、いや、その気になれば王位すら喜んで譲位する国もあったかもしれません。なにせ――」


 壁には濃緑のローブがかかっており、棚の上にはやはり濃緑のとんがり帽子。横には宝玉がついている杖が立てかけられていた。どれもかなり古びている。


「――かつて勇者様とともに世界を救ったという大魔法使い、ですからね」

「フォッフォッフォ。ワシがそんな柄でないのを知っておるから、お前さんはまたこの家に来てくれたのじゃろう?」


 独特な笑いかたで返す老人。アランも柔らかい笑みを返した。

 二人が、手元のお茶を口に運ぶ。最初は老人が淹れようとしていたのだが、アランが「茶の葉を持ってきました」と言って淹れたものである。


「フムフム。これは……お前さんの修業時代にここに置いていたものと同じ葉じゃな」

「ということは、もうこの葉はお使いではないのですね」

「ちょくちょく替えておるからな。さすがは平和な世界。次々と新しいものが出てきおる」

「ではこの味は懐かしいでしょう」

「そうじゃの。だがお前さんの淹れるお茶、昔と味が少し変わった気がするが」

「そうですか?」

「うむ。気のせいかもしれんが、面白味がある。前よりも好みじゃぞ」


 アランは少しだけ口をすぼめた。そしてフッと笑う。


「つい先日まで面白い男女二人組と旅をしていたから、ですかね」

「フォッフォッフォ。お前さんが誰かと一緒に旅をするとはな。年月が経てば人も変わるということか」


 老人はまたお茶を口に運ぼうとした。


「私はお師匠様に教えていただいていたころから何も変わっておりませんよ。すべては、私自身の悲願成就のためです」


 悲願。

 その言葉で老人の手が止まったが、それも一瞬だけだった。


「そのわりには、お前さんの楽しそうな記憶が伝わってくるようだがのお」

「楽しかったですよ? 独特なモノの見方で、冒険者の枠にとらわれない、若くて未来のある、有望な二人でした」


 アランはそう言って、窓の外を見た。

 晴天ではない。雲の流れが速く、わずかに黒い雲も混じっている。


「お師匠様たちが取り戻してくださった平和な世界――。今、それを乱す波が密かに押し寄せてきているのかもしれません。ですが、あの二人が先頭に立って解決してくださるような、そんな予感がしています」


「ほう……。ならお前さんだってまだ若いじゃろうし、手伝ってやったらどうじゃ?」

「私が持っているのは未来ではなく過去です。残念ですが若くても有望ではありませんよ」


 アランは自嘲するが、表情は変わらない。目を伏せることもない。

 そんなアランを見つめ返す老人。

 濃い碧色と灰色。二つの光は穏やかなれど、混ざりあわなかった。




「ありがとうございました。急にお邪魔して申し訳ありませんでした」


 アランは家の入り口で、頭を下げた。

 くたびれた木の扉。それを背にするかつての師は、その頭に対し、静かに声をかけた。


「アラン」


 赤い頭が上がる。


「ここへ来たのはワシへの最後のあいさつのつもり、ということでいいのかの?」


 アランは微笑んだ。


「そうなればよいと思っています。目的が達成できれば、お師匠様に合わせる顔などなくなりますから」

「そうか……。ワシはお前さんを力で引き留めることはできん。だが断言しよう。お前さんの思いは成就せん。だからまた、落ち着いたらここに来るとよい」

「それは、私の力では達成が無理ということですか?」

「そうではない。ワシは優しくない人間に魔法など教えんからの。そういう意味じゃ」

「買い被りです。私は優しくはなれませんよ」


 アランは笑うと、


「では、いつまでもお元気で」


 今度は、深々と頭を下げた。




 * * *




 村をあとにしたアランは、馬をゆっくりと歩かせ、人のいない街道を進んでいった。

 目指すは、南だ。


「待て」

「はいはい。待ちますよ」


 声が飛んできたのは、横の林からだった。

 アランは声の方向を向かずに答えると、馬から降りた。

 馬の頭をポンポンと柔らかく叩き、声とは逆側の林の木に、綱を引っ掛ける。

 そしてゆっくりと道に復帰した。


 林から現れたのは、さほど背の高くない黒ローブの男だった。

 顔はやや丸い。普通の中年男性のようにも見えたが、その耳は尖っていた。


「その耳は……人型モンスター、ですかね?」


 知識としては頭の中にあったが、実際に目にするのは初めての耳の形。アランの言葉は自然と疑問形となる。

 だが、男はそれを無視した。


「お前はハーフドラゴンの少年に指示を出していた男だな」


 アランがその男に持った第一印象として『初めて会った気がしない』というものがあったが、その問いで納得した。


「ああ、マーシアの町長の自宅で顔を隠していたほうですか。なんとなく雰囲気に覚えがある感じはしましたが、気のせいではなかったわけですね」


 アランはクスッと微笑んだ。


「現れたのがあなたでよかったです」

「よかった、だと?」

「はい。タイミングがタイミングですので。私の師匠が誰かを遣わして引き留めにきたのかと一瞬考えてしまいました。違っていてよかったです」

「……」

「で、私になんの御用でしょう……というのは、聞く必要はなさそうですか」


 林からわらわらと出現した、剣と盾を持ったアンデッド。

 道の前後をふさぐように広がった。

 その数、十体以上。


「上位種アンデッドですか。作ったのか連れてきたのか知りませんが、ずいぶん用意しましたね」


 一つ息を吐き、アランはやや真顔になった。


「このぶんですと、シドウくんのところにも暗殺隊が?」

「ハーフドラゴンのことか? あっちのほうは、まずこちら側につくよう勧誘予定だ。今ごろ我々の強力な同志が接触しているはずだ。もちろん拒否すれば殺す段取りだがな」

「そうなのですね」


 アランは腕を組み、短く答えた。魔法使いとしては珍しく帯剣しているのだが、それには手をかけない。


「人の心配をするなど、ずいぶんと余裕だな」

「え? 心配なんて全然していませんよ? 彼があなたがたにつくはずはありませんし、あなたがたのお仲間さんに敗れるわけもありませんからね」


 アランは笑う。


「ただ、シドウくんのところに行かれるのはわかるのですが、私のところにも来るというのはちょっと理解できないのですよね。私を消して何か意味があるのでしょうか?」

「念には念を、だ。お前は少々頭が切れるように感じた。もしもハーフドラゴンが我々の味方にならぬ場合、リーダーであるお前を生かしておくのは危険だ。単独行動をしているのは好機と判断した」

「へえ。そんなふうに思うものなのですか」


 意外そうな反応をするアラン。

 男のほうは、右手の指を鳴らした。

 向かい合う二人をさらに前後で挟むように立っていたアンデッドたちが、剣と盾を構える。カチャリという金属音が一斉に発せられた。

 そしてアンデッドたちはそのまま、アランに対しての間合いは詰めながらも、個々の間隔は広げるように位置取りしていく。


 アランは包囲された状態となった。


「おお。動きが揃っていてお見事です。あなたの操作技術によるものなのか、それともアンデッドの生成技術が向上して自律的に揃っているのか。どちらによるものなのかは少し興味があります」

「そんなことよりも、自分の命に興味を持ったほうがいいんじゃないか?」


 男は冷ややかにそう言った。

 そして黒いローブの中から、宝玉のついた短い杖を出し、構えた。


「もう始めてしまうんですか? もう少しお話したいところでしたが」

「お前と無駄話するために来たわけではないからな」


 アランは「仕方ないですね」と、一回肩をすぼめる。


「では戦うことにしますが……。まあとりあえず、あなたに二つほど勘違いがあったということはあらかじめ申し上げておきます」

「勘違いだと?」


「はい。一つは……。先ほど私のことを『生かしておくのは危険』とおっしゃいましたが、それは大きな間違いということです。私はリーダーではなかったですし、もうシドウくんらとも偶然以外で会うことはないでしょう。彼らと一緒にいたのは個人的な理由があっただけのことです。

 あなたがたの組織……人型モンスターの残党ですかね? 何をやろうとしているのかはだいたい想像できますし、それがこの世界にとって災いをもたらすであろうこともなんとなくわかります。ですが、私は特にそれを積極的に阻止しようとは思っていません。

 つまり、あたながたにとって、今の私は非常に安全な存在でした」


「……」


「もう一つは、そうですね……。マーシアの町長の家では私自身は戦っていませんでしたので、あなたはご存じないと思いますが――」


 アランは男を見据えたまま、左手で右の袖をわずかにたくし上げた。


「――私、けっこう強いんですよ?」


 その不敵な笑みで、戦端は開かれた。


 男が杖を振るう。アンデッドも一斉に動く。

 杖から放たれた炎の轟音と、アンデッド特有の骨のぶつかる不気味な音、装備品の金属音。

 それらがすべて、アランへと向かった。

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