人として
「?」
彼は、長い沈黙を口にした。何かを言おうとして、でも、躊躇して。酷く苦しそうな顔をしていた。
それを見て僕は、彼の言いたいことを察してしまった。
「もしかして、嫌いだった?かずき君のこと」
「…………………はい」
僕のその問いかけは、言いにくいことをわざわざ言わせる、無駄な問いかけだった。
「…あまり、仲がよろしくなかったのですか?」
「そんな、話じゃないです」
そんな話じゃない。
と、すると。
「僕は斎藤君に、いじめられてましたから」
「…………」
「…………」
沙夜と共に、今度は僕らが沈黙を口にする。
「まあ、斎藤君だけじゃないですけど」
「中心となっていたのは、彼だった?」
「はい」
「そうか…」
それは、どこの世界にもある話。
だけど、どこの世界にもあってはならない話。
「そ、それは、何かの間違い…とかではなくて、ですか……?」
沙夜はその事実を受け止めたくないらしく、疑ってかかる。
だけど僕は疑わない。
彼の考えていることが、分かっていたから。
彼が言い苦しそうにしていた理由を、分かっていたから。
「間違いなら、よかったですけどね」
「あ…え、と……申し訳ありません……」
返す言葉が見つからず、沙夜は言い淀む。
「だから、その、正直、………」
彼は慎重に言葉を選んで。でも、その配慮がなんの意味もないことに気付いて、言った。
「斎藤君が死んで、喜んでる自分がいます…」
「………」
「最低、ですよね、僕」
「いや、」
彼の言いたいことを理解していた僕は、彼の言葉を遮るように反論を返した。
「人間らしいよ。それが一番ね」
「そう、でしょうか」
「ああ。むしろ、酷く上等だよ。君は本当に大人びてるね」
僕はしゃがんで、彼と目線を合わせる。
「そんなことを思ってしまう自分が最低だと、それが分かっている。それはすごいことだよ。大抵の人はそのことに気付かないから」
「……」
「人が死んで喜ぶのは、人として間違ってる。それは間違いない。だけど、人として間違ってることが、結局一番、人間らしいんだよね。困ったことに」
「…優人さんも、僕と同じことを思ったこと、ある?」
「…いや、僕は君よりずっと低俗だよ。嫌いな奴が不幸な目にあって喜びこそすれど、喜んでいる自分を恥じたことは、なかったよ」
それは、何よりも恥じるべき感情なのに。
いつも「ざまあみろ」と、心が叫んでいた。
「だからそんな顔しないで。嫌いな奴が不幸な目にあって喜んでしまうのは、間違っているけど、正しいことなんだ。矛盾したことを言うけど、そういうものなんだ。人っていうのは」
死んでほしい奴なんて。
この世に、沢山いる。
僕も、君も。
誰一人、例外なく。
………いや。
ここに、例外がいるかもだけど。
「僕はずっといじめられていたから、友達なんていなかったんです」
「つらかった、ね」
「ずっと、フィルだけが、僕の友達でした」
「……」
「だから、お二人には本当に感謝してるんです。僕の唯一の友達を助けてくれた、お二人に」
「間違ってないよ。だから、そんな顔しなくていい」
僕は立ち上がりながら、彼の頭を撫でる。
「もしこれでまたいじめられるようなことがあったら、僕のところに来なよ。大したことなんてできないけど、それでも、力になるよ」
「…ありがとうございます」
彼は少しだけ、笑ってみせた。
「それじゃ、またね。気を付けて」
「はい。優人さんと沙夜さんも」
最後にそういって、僕らは逆方向に歩いていく。
僕は振り返って、走り去っていく後ろ姿を見つめた。
…彼にとって。
葵君にとって、この世界は。
正しい世界だった。
もし彼が、僕の立場で。
今いる世界か、向こうの世界か、どちらがいいかと問われれば。
答えは、一つだろう。
「………」
結局、どっちの世界が正しいかなんて、僕には分からない。
そんなもの人によって、変わるんだから。
葵君にとっては、こっちの世界がいいだろうし。
斎藤さんからしてみれば、息子の亡くなった世界を選ぶ道理はない。
僕は沙夜のいるこの世界が好ましいし。
どこかの誰かが、また別の何かを思っているかもしれない。
だから、正しさなんて。
考えるだけ、無駄なのかもしれない。
「しかし、長話しすぎたね」
「…旦那様」
「どうかした?沙夜」
「どうして、いじめなんてものが起きてしまうのでしょうか」
「どうして、って言われてもね」
それはもはや、議論され尽くした論題だ。今更そんなものに言葉を割く気には、なれそうもない。
「この世に、生物が存在するから、かな」
「それは、あまりにも」
「原因が大きすぎる、か?でも、そんなレベルの話なんだよ」
生き物がいるからいじめが起きる。
いじめはもう、哲学に近い。
「沙夜がそんなことで悲しむ必要はないよ。どうやったってなくせないものなんだ」
「そんな風には、思いたくないです…」
僕もだよ。
「なんだか、憂鬱な気分になっちゃったな」
爽やかな1日の始まりを求めたのに、どうしてこうなってしまうんだか。
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