最悪な偶然

「・・・やっぱりいないな」


 神社に着いて。本殿の周りを調べるが、やはりそこに彼の犬はいなかった。念のため林の中も調べてみたが、もしそこにいたのなら彼の呼び声に反応するだろう。


「フィルー、いないのかー?」


 雨音以外に、聞こえるものはない。走り続けたせいもあって、彼の声は元気を失くしていた。


「ここにはいなさそうだね。神社を出て辺りを探そう」


「はい」


 問題はあの犬が神社を出た後、どこに行ったかだ。そんなもの想像しようがないが、その辺は飼い主の感性に任せて、僕は彼についていく。あまり時間がかかるようなら、手分けして探したほうがいいかもしれないが、連絡を取り合う手段を持っていない時はあまり得策とは言い難い。


「フィルー、どこだー?」


「フィルちゃん出ておいでー」


 女の子かどうかは知らないが、僕もちゃん付けをしてその犬の名前を呼ぶ。まあ僕の声に反応するとは思えないが。手伝うと言った矢先、何でもいいから力になりたいところだ。


 しかし、結局神社の辺りを二十分ほど調べても、フィルは見つからなかった。こうなると本格的に山や林の中に入っていってしまったという可能性もある。そうなると流石に僕らだけでは手に負えない。


「どうする?まだ探すかい?これだけ調べていないとなると・・・もう親御さんにお願いしたほうがいいんじゃないかい?」


「・・・・・でも」


「気持ちは分かるけど、もうそろそろ引き上げた方がいいと思う。もしかしたらフィルちゃん、もう家に帰ってるかもしれないよ」


「・・・・・」


 諦めることを促すのは非常に辛かったが、誰かがこうでも言ってあげないと多分、彼は見つかるまで探すだろう。そういう性格をしている。こんな時間から山にでも入っていかれたら間違いなく遭難してしまう。大人として、止めるべきだ。


「雨が上がったら、また探しに来ればいいよ。大丈夫、きっとすぐに見つかるよ」


「・・・・・うん」


 彼は、僕の言葉を聞き入れてくれた。やっぱり大人びていて、頭のいい子だった。多分彼がそう判断したのは、僕の迷惑も考えてのことだろう。


 彼が聞き入れてくれたところで、僕らは来た道を引き返そうとした。その時。


「・・・・・・・・あ」


「?」


 僕だけが振り向いたところで、彼は小さく声を上げた。何かと思って僕はもう一度向きなおす。


 目を凝らして見れば、道のかなり先に、何かがあるような気がした。多分彼が声を上げなかったら、たとえ前を向いていたとしても僕は全く気付いていなかったと思う。


 なんだろう、何かがある。


 何かが落ちている。


 何かが、いる?


「・・・・・」


 たっ、と音もなく、彼は軽く走りながらそれに近付く。僕はその後ろを歩いてついていった。


 近付くにつれ、少しずつそれが鮮明になっていく。最初に分かったのは動いていないということだった。その場から、移動していない。だから僕は、何かが落ちているんだと思った。


 だが、先にそれに近付いた彼がその場に膝を着いたのを見て、僕は思わず息を飲んだ。


 焦げ臭い臭いを感じた。何かが焼け焦げたような、そんな臭い。飲んだ息を、詰まらせそうになる。


「・・・・・ぅう、うううぅ・・・うあああぁん・・・!」


 嫌な予感がして僕も駆け足になり、彼の後ろに立ったところで、堰を切ったように彼が泣き声を上げた。その泣き声の理由を、僕はすぐに理解する。泣けない僕は、呆然と立ち竦むばかりだった。


 焦げた臭いは。


 彼の、手の中から臭ってきたものだった。


「・・・・・・・・・・」


 ・・・・・なんで。


 なんで、こんなことが。


 こんなことが、ありえるのか。


 ・・・・・・・・・いや。


 ありえないなんて、言えないのか。


 ありえないなんて、言い切れないのか。


 別にありえたって、おかしくない。


 でも。


 ありえるなんて、思わない。


 何かの冗談だと、悪い悪夢だと自分に言い聞かせる。だけど、彼の泣き声が、それがどこまでも現実の出来事であると、訴えてくる。


「うあぁん・・・!うああああああああああん!!」


 泣きじゃくる彼の手の中には、探していたものがあった。だけどそれはもう、動くことはなかった。


 茶色だったはずの綺麗な毛並みは、黒く変容していた。痛々しいその姿を、僕には直視する勇気がなかった。それを真正面から受け止め、大事そうに抱える彼は、誰よりも悲しみと優しさに溢れていた。


 ・・・どうして、こんな偶然がありえてしまうのだろう。雷の落ちる確率は、川の方が高かったのに。


 僕が死んでいた確率の方が、高かったのに。


 高かったはずなのに。


 ・・・・・。


 彼の、肩を抱く。


 涙が流せないながらも、同じ悲しみを共有する。


 それしかできなかった。


 それしか、してあげられなかった。


 多分今の僕には、彼の感じている悲しみの十分の一も理解できていないかもしれないけれど、それでも彼と一緒に打ちひしがれる。


 大切なものを失う悲しさは。


 いつの日か、味わっていたから。


 いつの日も、味わってきたから。


 かつての僕の感じた悲しみが、今の彼の悲しみであると、理解はできたから。


 少しの間だけ。


 君と同じように悲しむことを、許してほしい。

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