問題が重なる

 僕は立ち上がって彼らに向かって言う。


「お父さんやお母さんから言われてると思うけど、雨の日には川に近付かないようにね。今日みたいなことが起きたら取り返しがつかなくなるんだから」


「・・・・・ごめんなさい」


 怒らないとは言ったが、叱らないとは言ってない。成人を迎えている大人としては、言っておかなければならないだろう。上半身裸で子供を叱りつけるというのは、なかなかにとんでもない絵面だが。


「お兄ちゃん、その腕、大丈夫?」


「え?ああ、これか」


 言われてようやく、傷のことを思い出した。傷を付けたその時は痛かったが、すぐにそのことは頭の中から消えていた。言われて気が付くと、何だか再び痛みが戻ってきたような気がする。


「まあこれくらい大丈夫だよ。大したもんじゃない」


「ほんと?」


「ああ。ま、名誉の傷ってことで」


 僕はその傷を見せびらかすように腕の内側を子供達に見せる。安心させるためにやったつもりだったのだが、結構な痛々しさに若干引いていた。悲しい。


「おーい!大丈夫かー!」


 と、そこでようやく大人達がやってきた。タイミングがいいんだか悪いんだか。


「かずき君は!?」


「いますよ、ここに」


 僕が答えると安心したように声を和らげる。


「あぁよかった!うちの子から溺れたって聞いたから心配したぞ!・・・あなたが助けてくれたんですか?」


「・・・ええまあ、そんなところです」


「ありがとうございます!お前達!雨の日は川に近付いちゃ駄目だって言われてただろ!どうして近付いたんだ!」


 その怒鳴り声に、子供達はビクッと体を震わせる。


「あー、すみませんちょっといいですか」


「何ですか」


「その子達には一応僕が叱っておいたので、あまり怒らないであげてください。だいぶ反省していると思いますので」


「・・・・・」


 子供達は皆一様にしゅん、としている。まさに大人に怒られている時の子供の姿だ。


「・・・分かった。雨も酷いし今日はとりあえずもう帰ろう。でもみんなの親御さんには伝えておくからな」


 それは今この場で叱られるよりずっと辛いと思うんだが・・・まあ流石に親御さんの方からしっかり言ってもらわないと駄目だよな。


「かずき君を助けてくれて本当にありがとうございました。お名前は何と言うのでしょう」


 自分の子のことでもないのに深々と頭を下げてお礼を言う。こんな小さな村ではみんな親戚みたいなものなんだろうか。こうやって頭を下げられるということは、まだまだ僕はこの村の一員ではないらしい。まだ越してきて四日しか経っていないのだから当然だが。


「桐敷です。桐敷優人。つい最近この村に越してきたものです」


「ああ!あなたが斉藤さんの仰っていた、宗栄さんのお孫さんですか!」


「そうです。今後ともよろしくお願いします」


「いえいえこちらこそよろしくお願いします。私は春原と申します。いやぁ、宗栄さんには幾度となく助けていただきましたが、まさかそのお孫さんにも助けていただくことになろうとは」


「ははは、歴史は繰り返すってやつですかね」


「いやはや、助けていただいてばかりでお恥ずかしい限りです」


「いえ、そんな。じゃあ僕はこの辺で」


「そうですね、こんな雨の中立ち話するわけにもいきませんからね。では桐敷さん、今度時間があればゆっくりお話でも」


「ええ、是非」


「お兄ちゃんありがとう!」


「ああ、またね」


 そう言って僕は彼らと別れた。因みにその後、別の人が僕の服と靴を取りに行ってくれていたようで、わざわざ渡しにきてくれた。流石に流されたと思っていたがどうやら無事だったようだ。


「では雷も鳴っていますし、気を付けて帰ってくださいね」


「ええ、そちらこそ。ありがとうございました」


 そう言って渡しに来てくれた人は、足早に来た道を引き返していった。僕は受け取った服を着て、靴を履いた。靴は兎も角、もはや服は着る必要もないような気がしたが、何となく着ることにした。


 雨はまだ止む気配がなかった。川に入ったせいか流石に体が冷えてきて、できれば一刻も早くシャワーを浴びたかった。左腕の傷も、早めに消毒して処置しておいた方がいいだろう。それともこの雨が雑菌を落としてくれているだろうか。


「・・・・・ふぅ」


 一人になり冷静さを取り戻したところで、僕は大きく息を吐いた。


 ああ。


 今日ほど、水泳をやっていてよかったと思う日はない。


 そう思った。


 大会で優勝した時のような喜びのようなものは感じなかったが、代わりに充足感のようなものを感じた。僕が水泳をやってきたのはこの時のためだったのだと、そんな、人生の意味を感じたような気がした。


 沙夜のいない喪失感を感じていた今の僕にとって、その感覚は不思議なほど心を温かくしてくれた。


 一歩間違えれば死んでいたかもしれない。そんな恐怖さえ感じさせないほどに、今の僕は高揚していた。


 満ち足りていた。


 そんなふわふわした感覚を保ちながら、僕は家路に着く。


 ・・・・・。


 はず、だった。


「・・・・・ん」


 誰かがこちらに向かって走ってきていた。身長からみて、それは子供だった。さっきまでの子供達とはまた別の子だ。その子は何かを探すように辺りを見回しながら叫んでいた。


「フィルー!フィルーーーー!」


 どうやら探し物は人らしい。その子は何度も同じ名前を叫んでいた。傘も持っておらず、どうも焦っているようだった。


「フィル!どこに行ったんだー!」


 叫ぶその子とすれ違う。傘の代わりと言ってはなんだが、手にはリールのようなものが握られていた。


 ・・・・・。


 ん?


「ちょっと、君!」


「!?はい、何ですか」


「君が探してるのって・・・」


「僕の飼い犬です。リールを離した隙に突然逃げ出しちゃって・・・」


「・・・・・」


 まさかとは思うが・・・。


「もしかして茶色い毛並みの犬かい?」


「!はい、そうです!どうして知ってるんですか?」


 ・・・どうやら意図的に放し飼いにしていたわけではないらしい。


「あー、さっき見かけたんだよ、向こうの方で」


「ホントですか!向こうのどの辺ですか?」


「ほら、向こうに神社があるじゃない。穂高神社ってやつ。あそこで見かけたよ。とは言ってもその後どこか行っちゃったし、あれからしばらく経ってるからもういないかもだけど」


「神社の方ですね、ありがとうございます!」


 そう言って彼はまた走り出そうとする。


「ちょっと待って!今からそこまで探しに行くのかい?」


「はい」


「・・・・・」


 うーん、「この雨だからやめておけ」と言いたいところだけど、飼い主としてはそうもいかないよな。


「僕も手伝うよ」


「いえ、そんな・・・ご迷惑をおかけするわけには」


 なかなか大人びた子だった。こういう子ほど余計心配に思ってしまう。


「いいからいいから、僕が手伝いたいだけだから」


「・・・ありがとうございます。助かります」


 シャワーはもう少しお預けだな。


 ま、このまま帰っても後味が悪いからね。


 僕と彼は走って神社へと向かった。

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