君子危うきに

「かずきーーー!今ゆうたが大人の人呼びに行ったから!」


「手離すなよ!もうちょっとで来るから!」


「頑張ってかずき!絶対離さないでよ!」


 土手の上にいる子供達が、川に向かって叫んでいる。いや、正確には川ではなく。


 川の中で溺れかけている、友達に向かって。「かずき!」と何度も名前を呼んでいる。


「う・・・ううううぅ~~~・・・・・!」


 かずきと呼ばれるその子は、呻きながら泣き声を上げる。彼は川の真ん中辺りにある大きな岩に必死にしがみついていた。大きな岩と言っても、そのほとんどは川の中に沈んでいて、ほんの僅かな部分だけが川から顔を出している。しがみつける部分などあってないようなものだった。それにしがみついているということは、おそらく想像以上の握力を使っている。彼が川の中に沈むのも、時間の問題だった。


 それを理解した瞬間、有無を言わず、僕は駆け出していた。


「かずきーーー!大丈夫だから!すぐに大人の人が・・・あっ!」


 土手にいた子供達が、僕の姿に気付く。きっと助けがきたと思っているだろう、「よかった」という安堵の色が伺えた。


 でも。


 ごめん。


 僕は、そんなにすごいやつじゃないから。


 助けられるかは、分からない。


 分からない。


 分からない、けど。


 それでも僕は、駆け出していた。


 土手をすべり降り、川に向かって走る。走りながら、上に着ていた服を脱ぎ捨て、履いていた靴を履き捨て、そのまま流れるように川に飛び込んだ。


「・・・ぷはっ!」


 思った以上に、川は深かった。多分もとから結構な深さがあったんだと思う。それにこの雨が加わり、子供では太刀打ちできないほどのものに変わっていた。


 川の流れは真ん中が一番速く、そこから外側に向かって遅くなる。だというのに川に入った時点で既にかなりの流れの速さを感じていた。そこから真ん中へと進むにつれて、どんどん体が持っていかれそうになる。というよりも、徐々に徐々に体が下流へと流されていた。彼はまだ僕の下流にいるが、このままいくと僕の方が下流に来てしまう。


「・・・・・はぁ!」


 大きく息を吸い込んで流される前に真ん中まで泳ぐ。濁った川の中では目を開けることができず、僕は長年培ってきた感覚を頼りに距離を測る。まさかこんな形で再び泳ぐことになろうとは思ってもみなかった。


 水面に上がると、ぴったり川の真ん中だった。しばらく泳いでいなかったとはいえ、これまでの努力は嘘を吐かないでくれたようだ。そのまま身を任せて彼のいるところまで流れる。そして彼のしがみついていた岩に体を押し付けて、彼の手を取った。


「大丈夫か」


「うんっ!ううぅ、ううううぅ~・・・」


「もう大丈夫だから、泣かないで。ほら、しっかりつかま・・・って!」


 水の中から引っ張り上げて、おんぶをする時のように彼を背負う。


「後ろから腹に手を回して・・・よし、絶対離すなよ」


「うん、うんっ!怖かったよぉ・・・!」


「・・・安心して。大丈夫、だか、ら」


 土手の上から歓喜の声が上がる。子供である彼らも、そして助けられたかずき君も助かったと思っているようだが、残念ながらまだ助かっていない。むしろここからの方が問題だ。いくら僕が水泳部だったとしても、いくら泳ぎが得意だったとしても、この流れの中人一人を背負って川の淵まで泳ぎきるのはかなり無茶がある。一人で川の真ん中まで泳いできた時とはわけが違うのだから。「帰るまでが遠足」なんて言葉が、今この状況においては実に恨めしい。


 さっき子供の一人が「大人の人を呼んできている」と言っていた。その言葉を考えるなら、その大人達が来るまでここで大人しくしておくのがベストだろう。できないことは無理をすべきじゃない。これは大会でも何でもない。命がかかっているなら、焦らず最善を尽くすべきだろう。


 が、しかし。その時空が怪しく光った。瞬間、形容しがたい雷の音が響いた。


「・・・っ!」


 光ってから音が聞こえるまでの感覚が、一秒もなかった。300m以内・・・いや、多分200m以内に落ちている。こうなると長々と川の中で待機しているのはあまり得策ではないかもしれない。一刻も早く川から出るべきか・・・。しかし、もうすぐ大人達が来るなら待っていた方が・・・・・くそっ、どっちを選んでも危険か。まさしく前方の虎後方の狼。まさかこんな諺を使う日が来るなんて。


「ううぅ・・・お兄ちゃん、雷怖いよぉ・・・早く、早くぅ・・・!」


「・・・・・分かった。絶対離しちゃ駄目だからな」


 かずき君が限界だったこともあって、僕は仕方なく泳ぎきることを選択した。はっきりいって限界だったのは僕も一緒だ。川に入ったまま川に雷が落ちたらどうなるか。想像しただけで震えそうだった。


 どうして僕は何も考えず、こんな危険な橋を渡ろうとしたのだろう。馬鹿、だからだろうか。・・・きっと、そうなんだろうな。

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