豪雨の中で

 夕方にはちょっと早いが、沙夜が言っていた通り天気が崩れてきたようだ。犬を撫でるのに夢中になって気が付かなかったが、さっきまで真っ青だった空は黒っぽい雲で覆われていた。


 その雨に呼応してか、犬はようやく僕の足元から離れて、神社の入り口の方へと走っていった。雨が降ってきたから帰るらしい。実に人間味あふれる犬だ。


 僕もそろそろ帰ろうかと、ベンチから立ち上がったその瞬間。


 ドザァァァァァ!


「うぉあ!」


 予想していた三倍くらいの雨量が一瞬にして降ってきた。まるでゲリラ豪雨だ。又の名を通り雨、もしくは狐の嫁入りか。とか言いながら実はどれも全く意味が違ったりする。そしてこの場合正しいのはゲリラ豪雨だろう。本降りになる前に帰ろうかと思ったのだが、こうなってしまってはもはや手遅れだ。今更慌てたところで仕方がない。


 僕の体は既に雨でべしょ濡れになっていた。ものの一分もしないでこんなことになろうとは、いやはや、天気というものは恐ろしい。昔の人が雨を涙だとか、雷を怒りだとか言っていたのにも納得がいくというものだ。


 焦る必要はないと悟った僕は、結局ベンチから立たなかった。どうせ手遅れなら受け入れてしまおうという、謎めいた意地のようなものだった。携帯電話を持っていれば、壊れては困ると急いで家路を駆けただろうが、生憎今日は持ってきていない。財布はまあ、別に濡れてもさして問題はないだろう。


 湿度が高いせいか、全く寒いとは感じず、むしろ雨にうたれているのに暑いという感想が出てきた。このままでいたら、果たして明日僕は風を引くだろうか。


 どうせなら雨が止むまでここにいてやろうか、という、空に対抗心を抱く僕だったが、突然その空が光りだした。そしてものの三秒もしないうちに「ゴロゴロ」という雷の音が聞こえてくる。音速は確か340mだったはずだから・・・ここから一キロくらいしか離れていない。・・・流石に怖いな。


 神の怒りに震え上がった僕は、空に対する対抗心をなかったことにしてベンチから立ち上がった。天候に歯向かうなどよくよく考えてみれば馬鹿のすることだろう。宛ら風車に突進するドン・キホーテのようなものか。


 鳥居を出て、来た道を逆走する。できれば違う道を通って家まで帰りたいところだったが、家に辿り着ける保障はない。というか多分辿り着けない。この雨の中自分の家はどこだと彷徨うのは流石に勘弁願いたかった。


 そんなわけで僕は、間違いなく家に辿り着けるように来た道をそのまま引き返す。代わり映えしない風景はなんとも退屈なもんだ。こんな雨の中景色をみる余裕があるというのは、心が広いのか無神経なのか。まあ誰に迷惑をかけているというわけでもないので問題はないだろう。


 しばらく歩いて、ようやく川沿いに辿り着いた。後はこの道を真っ直ぐ行けば家の近所に出られるだろう。


 この雨のせいか、川の水位がかなり上がっていた。おまけに、先ほどの緩やかな流れはどこへやら、気を抜けば一瞬で流されてしまいそうな激流へと変化していた。景色が変わってくれるのは嬉しいが、こういう危険なものはいただけない。


「・・・・・」


 ふと、先ほどこの道を歩いていた時のことを思い出していた。そういえばあの時、この川で子供達が遊んでいた。まさかこの川の中をまだ遊んでいるんじゃ・・・。


 いや、流石にありえないか。こんな豪雨の中、まだ外で遊ぼうとするやつがいるとは思えない。今時の子なら家に帰ってゲームでもしているだろう。


 僕はそう予想したのだが、しかし。その予想とは裏腹に最悪なことが起こっていた。僕の予想というのは、いつも全くアテにならない。


「・・・・・――!」


 僅かに、声が聞こえた気がした。それもただの話し声のようなものではない。ただの話し声であれば、この雨に掻き消されて聞こえることはないはずだ。それでも声が聞こえたのは、それだけ大きな声だったから。


「―――けて!誰かーーー!」


「!?」


 雨音の切れ間に、ようやくはっきりとした声が聞こえた。叫び声だった。一体何事かと、僕は走ってその声のする方へと向かった。


 見れば、そこには子供達がいた。二時間ほど前に川で遊んでいた子供達だった。彼らが、まだ、そこにいた。この雨の中。


 この激流の、川の中。


「・・・・・っ!!」


 僕の目の前に飛び込んできたのは。


 川の真ん中で、必死に流れに押し潰されまいとする、男の子の姿だった。

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