繋がらない時間

「旦那様、おかえりなさいませ。今日も一日、お疲れ様でした」


「ただいま、沙夜」


 何となく予想はしていたが、沙夜は駅まで迎えに来てくれていた。沙夜とあった瞬間、僕の中にあった不安が胡散霧消した。


 よかった。


 いてくれた。


 やっぱり彼女は、夢でもなんでもなかった。


 その確信を、彼女に会うたびに実感できた。


「ここまで来てくれなくてもいいのに。わざわざ歩いてくるの大変でしょ?家で待っててくれればよかったのに」


「もう、旦那様?それも昨日お話いたしましたよ?私がしたいからしているのです。旦那様はお気になさらないで下さい」


「・・・そっか、これも昨日言った、のか」


「さぁ、参りましょう。お夕食の準備はもうすんでおりますよ」


「今日のメニューは?」


「旦那様が昨日食べたいと申しておりました、筑前煮でございます」


「昨日、ね。そりゃ楽しみだ」


 僕らは歩調を合わせて並んで歩き始める。沙夜なら「お荷物お持ちします」と言って僕の背負っているカバンを奪おうとするんじゃないかと思ったが、それをしないということは、どうやらそのやり取りも昨日のうちに終わっているのかもしれない。


「今日は如何でしたか?大学は楽しかったですか?」


「学び舎のことを楽しいというのは何となく癪だけど、楽しかったよ。久しぶりに友達とよく話せたし。今度その友達みんなで遊ぶ約束もしたよ」


「まあ、それはよいですね!是非楽しんできて下さいませ」


「沙夜は退屈じゃない?ずっと家にいるわけでしょ?」


「いえいえ、とんでもございません。縁側で日向ぼっこしたり、近所の猫さんたちと遊んだり・・・毎日とても楽しくて幸せです」


「あはは、そんなことしてたんだ。でもそうだよね、退屈なわけないよね。洗濯とか掃除とか、家のこと全部やってくれてるわけだもんね。何だか申し訳ないよ」


「旦那様、私は最初に申し上げました。『家のことは全て私が致します』と。ですので旦那様が負い目を感じる必要はないのです。むしろこんな私を家に置いてくださっていることを、感謝しております」


「なんだか僕たちって、いっつもお互いに感謝し合ってばかりだね」


「そうでございますね」


 あはは、と二人して笑う。


「大学も楽しかったけど、こうして沙夜と話をしている時が、一番楽しいかも」


「私もでございます。一日の中でこの時間が、一番待ち遠しいです」


 そんな風に途切れなく会話を続けていると、道端で村の人とすれ違った。その人はこちらを特に気にすることもなく、そのまま通り過ぎる。


「・・・そういえば、沙夜はいつも家にいるとは言っていたけど、買い物には出かけてるんだよね?」


「はい。今日は食材を買いに、村のお店に伺いました」


「そういう時って、その、変な目で見られたりとかしない?ほら、その耳とか尻尾とか」


 今通りすぎて行った人は、全くこちらを気にしていないみたいだったけど・・・。


「もしかしてこの話も昨日したかな?」


「はい、昨日もお話させていただきましたが、どうやら私の耳や尻尾は、私のご主人様、つまりあの家の主となるお方にしか見えないようです」


「そうなのか。じゃあ見えているのは僕だけってことか」


「はい、そうだと思います。これまで一度も好奇な目線を向けられたことはありませんので、この耳と尻尾が見えているのは旦那様だけかと」


 それはまあ、よかったかな?もし沙夜の猫耳がみんなに見えていたら、隣にいる僕がそれを強制させているように思われてしまいそうだ。


「ところで旦那様、明日のご予定はお決まりですか?」


「明日?」


「はい、明日は大学がお休みの日なのですよね。引越しのお荷物が届くというお話でしたが、それ以外には何かおありですか?」


「ああ、そういえばそうだったな。んー、そうだな、特には何も考えてないな」


「それでしたら、荷物の整理が終わった後は、私と一緒に村をお散歩いたしませんか?」


「散歩?」


「はい、旦那様は昔、この村においでになったことがあるとは思いますが、あまり道を覚えていらっしゃらないのでは?」


「確かに最初はじいちゃんの家がどこにあるかも分からなかったな」


「でしたら、もしよければ私が村をご案内いたします。明日は夕方頃から天気が崩れるとのことでしたが、それまではとてもよい天気だそうです。是非旦那様と一緒にお散歩したいです!」


「いいね、そうしよう。じゃあ早めに荷物の整理を終わらせて、夕方まで村を散歩するってことで」


「ありがとうございます!とっても楽しみです!」


 沙夜はそう言って満面の笑みを見せる。それをみると、こちらも思わず笑顔になってしまう。


「約束、忘れないで下さいね、旦那様」


「もちろん。沙夜こそ忘れないでよ?」


「旦那様とのお約束なのです。忘れるはずがございません」


「はは、そっか。嬉しいな」


 気が付くと、家に着いていた。片道二十分以上かかるはずの道のりが、やけに短く感じる。これも全部、沙夜のおかけだった。ここに来て最初の時は自転車が必要かとも思ったけど、こんな時間を過ごせるなら全く必要なさそうだった。むしろ邪魔だ。


「ただいまー」


「おかえりなさいませ、旦那様」


「うん、沙夜もおかえり」


「ふふ、はい、ただいまです」


 家に入るとすぐに、腹の虫が鳴りそうないい匂いが漂ってきた。一人で暮らすならこうはいかない。沙夜がいてくれることが本当に幸せだった。


 その日の夕食も、絶品だった。一昨日に食べたそれと、何ら変わらないくらいの。昨日食べたそれと、比べ物にならないくらいの。


 一日を終えて。布団に潜ると、どうしようもないほどの多幸感を感じた。ずっとずっと味わっていたいと思うような、確かな幸せだった。だけど同時に、考えないようにしていた恐怖も押し寄せてくる。


 明日。


 明日、沙夜はいるだろうか。


 いてくれるだろうか。


 僕のそばに。


 僕の現実に。


「・・・・・」


 考えてしまう。色々なことを。今日あったことを、昨日あったことを。


 ・・・多分。


 多分これから僕は、気付くだろう。


 僕の中にある時間は。


 僕の中にある人生は。


 全く、繋がっていないということを。


 不連続に。


 繋がらない時間を。


 僕は、嫌というほど、知ることになる。

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